元絵師と旗
先生に無事OKをもらった僕は、郵便局に出向きジョコバさんへ郵便でポスターの原画を送った。
折れてしまわないか多少不安だったが、工房にあった同じくらいのサイズの木の板に挟んで梱包したから大丈夫だと思う。
もう日が傾き始めていて、とても寒い大通りを心持ち早足で工房に戻ってきた。
「君ももうすぐ絵師デビューだな」
先生は帰ってきた僕をキッチンで迎えると、珍しく僕に紅茶を勧めてくれた。
いつも僕が適当に淹れる紅茶と違い、先生の紅茶は安い茶葉を使っているのにも関わらずとても美味しい。
冷えた体にじんわりとしみた。
「君のポスターは繊細で美しかった」
先生はそう言って紅茶を一口飲む。
「明日の個展、しっかりと勉強してくればいい。そうしたらまた新しい世界が見えるんじゃないか」
先生は僕のほうを向くと目を細め、 と、私は思う と付け足した。
翌日、僕は王都の中心地にある美術院に併設されたホールに来ていた。
ここは主に美術学校の行事や画家の展覧会を開く場所として利用されていた。
今回は画材店で偶然出会った獣人の女の子、リアの個展が開催されてる。
小規模だったが、身なりの良い紳士が相当な数来ており、少しボロっちいコートを羽織った16歳の僕はひどく場違いのように思える。
肩身が狭い。
だが先生にせっかく馬車を用意してもらってきたのに引き返すという手はなかった。
意を決して入口から入ろうとすると案の定受付に呼び止められた。
「君は誰だね、ここは君のような少年の来るところではないよ」
「僕はこの個展の主催者、リアさんに口頭で招待を受けてまいりました」
「そんなの信用できる訳無いだろう」
しばらく問答を続けていると僕に声がかかった。
「あら、アルフォンス君じゃない!」
リアさんだ。
ドレス姿でこちらに向かってくる。
ドレスアップの効果も相まってか随分大人っぽく見える。
受付の人は渋々といった感じで僕を解放した。
「リアさん、招待ありがとうございます」
「いいのよ、そんなことは」
そう言ってリアさんは微笑む。
「ミーン先生の弟子なんでしょう?そう思ったら興味がわいたの」
リアさんは僕を会場の個室に連れ込むと、椅子に腰を下ろし僕にも椅子を勧めた。
「ふう、貴族様の相手はやっぱり疲れる」
そう言って額を手で拭う。
「大変ですね、お疲れ様です」
そう言ってねぎらうと、ありがとう、と微笑む。
ドレスのことなど他愛もない話をしたあと、彼女は話を切り出した。
「よければあなたの経歴を教えてくださらないかな」
え、と声を詰まらせる。
「僕の経歴ですか? 」
「あ、別に話しづらいのならいいのよ」
「いや、話します」
僕は今までの経緯を話した。
下級騎士の家に生まれたこと、美術学校に落ちたこと、先生に拾われたこと、先日ポスターを制作して納品したことなどだ。
さすがの前世のことは話さなかった。
「すごい!16歳で絵師になられたのね!」
「ありがとうございます。ただ、大した絵はかけませんけどね」
「機会があったら見てみたいわね」
リアさんは少し残念そうにそう言う。
「あっ、簡単なものならお見せしましょうか」
そう言うとリアさんは不思議そうな顔をした。
「え、それはどういう意味なの?」
僕は持っていたノートに鉛筆でリアさんをモデルにして、デフォルメされた絵を描く。
ラフだと汚く見えるかも知れないので一発書きをする。
一発書きとは初めから主線を引いていく描き方で、前世でも画力をアップさせる為に時々時々練習していた。
熟練したアニメーターなんかはおそらく皆一発書きでたいていのカットをかけるだろう。
絵は二分ほどで完成した。
まずまずの出来だろうか。
おそらく突然何かを描きだした僕を見て呆然としているのだろうリアさんにノートを渡し見てもらう。
「これがアルフォンス君の描く絵…」
リアさんは目を見開いてノートを見る。
「リアルではないのにきちんと人になってる…」
そう呟いてから顔を上げて、
「これは誰から習ったの」
とすこし大きな声で聞いてきた。
さすがに前世ではこういう描き方もあったんですよとは言えずに、
「独学です」
と答える。
リアさんはすごい、とつぶやくとそこにあったメモに何やら走り書きをして、
「ミーン先生が貴方に一目置いている理由がわかったような気がするわ」
と言った。
リアさんは話が終わると、僕をわざわざ案内してくれるというので、頼むことにした。
リアさんの絵はどれも油絵で、空気感が感じられるような幻想的なものが多かった。
案内の途中でリアさんはぼやく。
「もともと私は美術学校で写実的な絵を勉強してきました。でも途中で写真が登場したのよ。このままじゃ仕事が奪われてしまう、そう思って風景を描くだけじゃなくその場の空気もかこうとしたの。それでいまのような画風になった」
そうだったのか。
リアさんは空気をちゃんと表現できてるかしら?と聞いてきたので、僕は
「とてもよく描き取れていると思います。その場にいるみたいだ」
と答える。
実際とても空気感が出ていて、絵の中に吸い込まれるような感覚を覚えた。
リアさんは微笑み、ありがとうと言って話を続ける。
「でも最初は全く評価されなくてね、買ってくれる人もいなかった。だけど経済的価値が出てきてからはみんなアホみたいな値段をつけて買い取ってきたわ」
リアさんは周りの紳士たちを見渡して言う。
「今来ている人たちも絵を楽しんでるんじゃないの、目の前の資産にどれくらいの価値があるか測ってるのよ」
そう言って僕を見て、
「だからあなたみたいに純粋に絵を見てくれる人がいると嬉しい」
と嬉しそうに言った。
僕はリアさんの絵を見ながら、美術というものの、ただひたすらに写実を目指す時代の終わりを感じた。
「あなたの絵は新しい。そして、時代を作る魅力を秘めてる」
リアさんはそう呟き、
「私もそうなりたいわね」
と、笑った。
見終わって外に出る頃には夜になっていた。
街灯の明かりに照らされて人が行き交う。
リアさんは外まで見送ってくれるようで、僕と一緒に外に出てきた。
リアさんは僕と並ぶと、
「美術の世界に今、強い、とても強い風が吹いている」
と言った。
僕はリアさんを見上げる。
一筋の風が音を立ててかけぬけてゆく。
「私はその中に旗を立てるわ」
力強くそう宣言する。
「決して倒れない、後ろを行くものたちの標となる旗を」
彼女の背後に僕ははためく大きな旗をはっきりと見た。
その旗は優雅になびきながらびゅうびゅうと吹く風の中しっかりと立っている。
いつのまにか周囲は荒野になっていた。
リアさんは旗のもとに立って行き先を強く見据える。
僕はその瞬間これからやってくる新しい時代というものををはっきりと感じ取ったのだった。
個展から帰ってからの一週間は特に何もない日々で、先生の指示でデッサンの練習などをしながら過ごした。
起こった大きな出来事としては新聞に写真がはじめて掲載されたことであろうか。
新聞には印刷の難しさなどが理由でその後載ることはなかったが、写真というものの登場の衝撃は大きかったようで、なくなりつつあった絵師の仕事をさらに奪う形となった。
そのせいか先生の知り合いの絵師達から仕事を凱旋してくれるよう頼む手紙が数十通届いていたが、先生はそのことごとくを無視していたのだった。
前世ではソシャゲバブルなるものが発生していた。
似たようなソーシャルゲームがいくつも乱立し、その数はまるでバブル期のように膨れ上がっていた。
これが弾けるとどうなるか。
ソシャゲ絵師の需要が一気になくなるのである。
幸い僕が前世で生きていた間にはそうなることはなかったが、あの後どうなったかは非常に気がかりである。
僕にはこの写真の登場に対する絵師たちの状況がなんとなくソシャゲバブルが弾けたときの様相と重なって見えた。
閑話休題。
朝である。
玄関を確認したところ今日も工房に数通手紙が届いていたので、キッチンのテーブルの上に並べ、先ほど淹れた紅茶をすすりながら確認する。
先生はまだ起きてきていないので、工房はしんと静まり返っている。
紅茶からは白い煙がゆらゆらとたちのぼっていて、前世でのダージリンに近いいい匂いがした。
すると、先生宛の手紙の中に、僕宛の手紙が一通混じっていることを発見した。
送り主はジョコバさん。
この前僕に初仕事を発注してくれた服飾店の広告担当のおじさんである。
手紙を仕分ける作業を一時中断して早速開けてみる。
中には横に折りたたまれた本文、そして短冊状の紙が入っていた。
小切手だ。
手紙本文の方を先に確認しようとしたが、つい小切手に手が伸びて金額を確認する。
20万サーラ。
サーラとはこの国の通貨で、500万サーラあればかなり立派な一軒家が立つと言われている。
つまり僕は一度の仕事で前世であれば新車が買えてしまうほどの大金を手にしてしまったことになる。
前世でソーシャルゲームの絵を描きながらほそぼそと暮らしてて、突然貧乏騎士の家に転生した僕にとって、この大金は刺激が強すぎたのであろう。
起きてきた先生に発見されるまで、呆然としてしまっていた。
「おい、大丈夫か」
小切手を手に持ったまま固まっていた僕に声をかけたあと、先生は僕が途中まで仕分けた手紙を数枚取り上げた。
「今日も来てるのか、普通の絵師向けの仕事はないって言うのに」
そうつぶやいたあと、先生はやっと意識が戻ってきた僕に話しかける。
「どうしたんだ、その手紙がどうかしたか」
そう聞かれて、僕は震える声で返す。
「先生、前に僕がやった仕事の報酬が20万サーラでした」
「よかったじゃないか」
「いくらなんでも高額すぎます!」
先生は手に持った手紙に目を移して言う。
「私に来る仕事なんて皆そんなものだ、心配するな」
そんなものなのだろうか。
しかしながら余りにも高いように思われる。
前世でのソーシャルゲームのイラストの、一枚あたりの値段は一万円から3万円程度であった。
それと比べるとはるかに高い。
報酬の金額に圧倒され、ここにきて急に絵の出来が心配になってきた。
急いで本文を確認する。
手紙には、簡単な挨拶のあとに
独特の絵柄でありましたが、服などよく書き込まれており、しっかりと商品のイメージを伝えることができると思います。
と書いており、また、
王都の店舗付近に掲示したところ、話題になり、ポスターを描いた絵師についての問い合わせが多数ありました。
とも書いてある。
今後のご活躍を期待しています。
という言葉で手紙本文は締められており、ここまで読んできて胸の奥からこみあがってくるものがあった。
ただひたすらに嬉しい。
失っていた自信が戻ってくるような気がする。
先生は手紙から目を上げると、
「よかったじゃないか、これで君も絵師デビューだ」
そう言って、
「おめでとう」
と、嬉しそうに言った。
ともあれ僕はめでたく絵師デビューを果たした。
いや、この場合は再デビューかもしれないが。
自室に戻り、両親に報告の手紙を書こうと机に向かったところで、ふと思い立ち窓を開けた。
まだ冬だったが、散らばる雲に春の息吹が仄かに感んじられた。
「本の挿絵ですか?」
先生は一通の手紙を僕に差し出した。
「エドモンド・ワイリー…ええ!」
手紙の差出人を見て仰天する。
エドモンド・ワイリーとは超がつく有名な作家で、冒険小説である「シャーリーの冒険」は彼の代表作として国内外で人気を博しているはずだ。
そう、そんな彼から新作の小説の挿絵を描いてほしいという依頼が来たのだ。
僕にである。
混乱する僕から手紙を取り上げると、先生はさっと目を通して言う。
「アムリスへ向かうぞ、荷物を用意しろ」