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元絵師とアールヌーヴォー

 アールヌーヴォーという芸術的ムーブメントがあった。

 植物や曲線、人物などを組み合わせて美を表現する当時としては新しい手法であり、その中心人物だったのがアルフォンス・ミュシャであった。

彼の描いたものの中には「スラヴ叙事詩」などの古風な作品もあったが、好んで描いたのはもっぱらアールヌーヴォー的なイラストであった。

彼とアールヌーヴォーが現代芸術とイラストにもたらした影響は計り知れない。

 偉そうに語ってみたが、これでも一応元美大生だったのだ。

 こういうことにはそれなりに詳しい。


 先生に連れられてきた部屋で一枚の絵を見せられた。

 息を飲んだ。

 半月ににかぶさるようにしてきらびやかな王冠をかぶった女性の横顔が描かれており、全体には幾何学的に美しく模様が散らされている。

女性の横顔の左には小さな円が複数描かれており、四季の星座を表す絵が入れてあった。


 美しい。

 その一言だった。

 

 これが先生の絵なのか。



 絵の中に吸い込まれるような錯覚を覚える。

 

一瞬、いや、しばらくの間女性の髪が優雅になびいている光景がはっきりと瞳に映った。

空間があの美しい模様で埋め尽くされてゆく。

その模様の全てがステンドグラスのように光り輝いていた。綺麗だ。

 

「君は」

 

 先生に声をかけられふと我に返った。

 「芸術家になりたいのか、それともイラストレーターになりたいのか」

 

 「どちらになりたいのかね?」


 


 

 「先生みたいになりたいです。」

 

 



 自然と、口に出していた。

 

 

 「そうか」

 そう言って少し笑いながらすっかり冷めてしまった紅茶をすすった。


          

 もう夜も遅いということであったので軽い夜食を作って先生と食べた。

ちなみに料理は僕が作った。

伊達に前世で一人暮らしをしていたわけじゃない。

先生が今日近所のおばさんから貰ったというトマトを使ってミネストローネを作った。

意外にも好評であった。

トマトが新鮮だからだろう。

 食事中には他愛もない話をした。

出身地のことや経歴のこと等だ。

 「先生ご出身は?」

 「ラル王国だ」

 ラル王国というと今居る国ビールズから東に行ったところにあるはずだ。

 「一応貴族なのだぞ?」

 これは意外であった。しかも家は男爵家である。

 政略結婚に反抗して家を飛び出し、元々本国よりも民衆の生活が豊かなため名声が高かったこちらで絵師として生計を立てているらしい。

色々と大変な人生である。そしてあいかわらず行動力が高い。

思い切りの良さというべきか。

 

 僕の部屋として通されたのは2階にある屋根裏部屋であった。

少し前までは絵を乾燥させるのに使っていたらしく絵の具の匂いが漂っていた。

 運び込んだベッドに寝そべり出窓から見える夜空を眺める。

今日は新月らしく星空が綺麗に見えた。

 先生の絵を思い出した。

 あのアールヌーヴォーの時代に活躍したミュシャの絵と何処と無く似ている気がした。ミュシャ、彼もまた芸術家であると同時にポスター作家であった。

どうやら自分はこの世界のアールヌーヴォーに遭遇し、そしてその奔流の真っ只中にいるように思われた。

 が、その思考も眠りに落ちてゆくにつれ霧のように消えていった。

 窓からは綺麗な星空が見えていた。

 


昨日は散々な一日であったが、新天地でも心地の良い朝を迎えることができた。

工房の裏手にある井戸で顔を洗いながら次にすることを考える。

まず両親に手紙を書かなければならない。きっと今頃酷く心配していることだろう。

僕の所為ではないが少し申し訳ない気持ちになった。

先生に早めに便箋と切手をもらっておこう。

頭を左右に振って水を飛ばした。


工房内に入るとすでに先生が起きてきていた。

二人でダイニングテーブルの椅子に向かい合わせで座り黙々とパンを貪った後、先生に便箋と切手を貰いたい旨を伝える。

もちろん快諾してくれて一式を渡してくれた。


自分の部屋に戻って手紙を書き始める。

太陽は既に半分ほどまでのぼっていた。


20分程で手紙を書き終えた僕は先生にポストに投函しに行くことを伝えるとそのまま工房を出ようとドアを開けた。

ガッ。

ドアを開けた瞬間、何かに当たった音と人の呻き声が響く。

えっ。

急いでドアの裏を確認するとハンチング帽にネクタイスーツの男性が大きな鼻を抑えてうずくまっていた。

やってしまった。

あろうことか僕はこの工房へのお客さんをドアノブで殴打するという凶行を犯したのだ。

「すみません!大丈夫ですか!」

男性ははっとこちらを向くとすぐに立ち上がり、スーツの埃を払ってハンチング帽の位置を直す。

「いやいや大丈夫さ。ところで君はミスミーンの何かな?彼氏?」

そう鼻の大きな男性は聞いてきた。

「弟子のようなものです」

男はそう聞くとと少し残念そうな顔をして首を振った。

「そうかい。とうとう彼女にも春が来たと思ったんだけどなあ」

そう言って工房の中に入って行く。

僕も彼が何の為にこの工房にきたのか気になったので手紙を出しに行くのはいったんやめにして、彼の後について工房の中へ入った。


「そろそろ来る頃だろうと思っていたよ」

そう言って先生はハンチング帽の彼ージョコバさんというらしいーに僕か淹れた紅茶を薦めた。

「そろそろ新しい流行が巡ってきましてね、当社でもそこに便乗しようと」

そう言ってジョコバさんは紅茶をすする。

話を聞くとどうやら彼は服飾店の宣伝担当をやっている様で、先生に定期的に木版画での広告の作成を依頼していたらしい。

そして今回も先生に依頼を持ち込んできたようだ。

今の絵師は主に肖像画を描くなどして生計を立てているが、先生のように広告やポスターなどを描いて暮らしている絵師もいる。

「今回は"新しい女性"をイメージしたファッションの絵をお願いします。服は送らせていただきますので…」

ジョコバさんは少し身を乗り出してよろしくお願いしますといった。

「そうだな」

そう言って先生は何やら考え込む。

一方僕はというとぼんやりと前世で仕事を受る時のことを思い出していた。前世では担当者の人とはもっぱらメールのやり取りだけで発注や納品などをしていた。

それだけにこのように面と向かって作品の受注が行われるのを見るのは新鮮であった。

先生は顔を上げて

「ちょうどいい、今回の仕事は君がやりなさい」

そう言い放った。

「え」

どういう意味なのだ。

「今回の依頼は君がやりなさい。いい経験になる」

慌てて言い返す。

「しかし修行もなにもまだしてませんよ!?」

「今回の依頼をこなすことが修行の一環だ。それにこれを機に君も絵師デビューを果たすこととなる。大丈夫だ、君の技巧はそこらのへっぽこよりもうんとポスター向けだ」

絵師デビューができる。

つまりまた絵師に返り咲くことができるのだ。

また一歩踏み出すことができる。

「わ、わかりましたやりましょう」

そんな甘い言葉に釣られて僕はほいほいと依頼を受けることを、その場で承諾してしまったのであった。


 

 

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