――第6話――
山岸警部が、柴口純平の会社に着いた頃、柴口幸治は優香に事件の概要を説明し終わっていた。
「というわけで、俺はペットボトルと新聞紙は犯人が残したヒント……言いかえれば手がかりだと思っている」
と、自信満々の推理も付け加えた。
「1つ訊いていい?」
優香はすかさず言った。
「新聞紙は燃やすのに最適だから、確かに用いられたかもしれないけどペットボトルは何に使ったと思うの? それはきっと犯人がこちら側を惑わすために仕掛けた罠であって、本当は事件と関係ないんじゃない」
言われてみればそんな気もするような……。
「そうかな、考えすぎかな?」
「うん。身の回りで事件が起きたことなんて、今までなかったでしょ。だから余計なとこにも、神経が過敏になっているのかもしれないよ」
優香は名前の通り、『優しい』口調で言った。
「粗茶です」
そう言って50代くらいの女性は、あずき色のお盆に湯のみ茶碗を載せて、台所からやって来た。
「いえいえ、お気になさらずに」
マニュアル通りの型にはまった喋り方で田沢は言った。
女性は、座敷で腰を落ち着けている田沢を一瞥し、四角いちゃぶ台の上に茶碗を置いて、田沢と向い合せになるようにして座った。
実は、1人で訊き込みを続けていたところ、なんと事件当日の朝早くに『ホシの家に入っていく人物を見た』という者が現れたのだ。外で話していると、誰が聞いているともわからないので、こうして家に招いてもらったのだ。
「それで、柴口の自宅に入って行った人物の特徴とか、覚えていらっしゃらないでしょうか」
と、田沢は訊いた。
「特徴?」
女性は困ったような表情を浮かべながら、考える仕草を見せた。
「なんでもいいんです」
と、念を押してみる。
「暗くてよくわからなかったけど、車で来ていたのかな。帰る時は車で帰って行ったよ」
「それだけですか?」
「はい」
少しでも期待していただけに、ショックというか落胆は大きいものだった。しかし諦めないで質問を変えてみる。
「背丈……身長はどのくらいでした?」
「わかりません」
「その人は、男性に見えましたか? 女性に見えましたか?」
「わかりません」
その後もいくつか質問してみたが答えは同じだった。
ピンポーン、というクイズに正解したかのような音声の後に、
「地下1階です」
と、機械音が鳴った。それとほぼ同時に、目の前の厚い扉が開いていく。
山岸はエレベーターから出て、歩いてすぐの場所にある自動ドアをくぐって行き、部屋の中に入った。
そこは一面ガラス張りで、エレベーターからでも内部が見渡せるように設計されていた。その他にも大勢の社員とデスクが目立っており、机の上にはたくさんの書類が置かれていた。
「この中で一番偉い人って誰ですか?」
山岸は手近にいる会社員に声をかけた。半袖の真っ白なYシャツに、黒いヒザ上のスカートをはいたOLさんだ。
「知ってますけど、あなたはどちら様で……」
女性は回転イスから立ち上がり、困ったような顔で山岸を見つめた。
「こういう者なんですが」
山岸はスーツの胸ポケットから、警察手帳を取り出し、一瞥させた。
「うちの社員が何か、やましいことでも?」
「いえ、そんなんじゃありません」
山岸は表情崩さず、真顔で否定した。
「ちょっとお訊きしたいことがありましてね」
「あなたがこの階の責任者ですね」
と、山岸。目の前には白髪染めをしたかのような黒髪オールバックの60前後の男性が立っていた。ふてぶてしい面構えに、とがった口元を見ると何か物言いたげに感じられる。
「いかにも。それで警察が我々に何のご用でしょうか」
当たり前の受け答えのようだが、顔を注目してしまうとどうしてもクレームをつけてくるオヤジのように見えてしまう。
「機嫌、悪くしていらっしゃらないでしょうか? ずいぶんと怒ったような顔していますけれども……」
そう言うと、今度は顔を真っ赤にし、
「もともとそういう顔なんです! ほっといて下さい」
と、怒鳴られてしまった。
「まあまあ」
と、なだめてみるが未だ気にしているようで、
「用件は何? 仕事が忙しいんだけど」
男性の口調は、もはや敬語でなくなってしまった。
「柴口純平さんをご存知ですね」
そう切り出すと、男は考える様子も無しに、
「当たり前だろ!」
と、言った。
「今回の商品開発、最高責任者に選ばれた人なんだからよ」
最高責任者。――これまた大きな人物だ。
「どこにいるかわかりますか?」
「知りたくないけど、知ってるよ」
思ったより、返答が早い。
「――地下5階。最下層と言えば、わかりやすいか」
訊き出した後も、俺より若いくせしやがってアイツとか、俺より先へ行くなんて不条理だ、などという小言を呟いていたが山岸はそれを軽く聞き流していた。
――地下5階に到着した。
ここも地下1階と同じように、一面がガラス張りで見通しがよく社員の様子が一目でわかるようになっていた。
自動ドアの中に入る。先程から気にはなっていたが廊下と室内の温度が全く違っている。廊下は涼しくて快適だ、で済むがここは異常な寒さだ。それだけでなく、原則で決まっているのだろう。男性は半そでのYシャツにネクタイ、ズボンは黒いビジネススーツをはいている。女性は半そでのYシャツに短い黒のスカート姿だった。
風邪をひかないか心配になるほど、この室内は冷え込んでいた。
近くの若い男性社員に、
「寒くないかい、瀬戸内海」
と、思いつきのダジャレを言ってみた。すると、
「おじさんほどじゃないよ」
と、返された。
この時、山岸は『あること』を確信した。ここは社内だけでなく、社員の心も冷えきっていると。
「ところで」
先程の若い男性会社員はこう言った。
「見ない顔だけど、新人? にしては老けてるね」
「そうかい?」
とりあえず、山岸はそう言ってみた。するとエスカレートした若手の社員はこう言い返してきた。
「そうかじゃねーよ。オッサンは、ある意味で新人だな!」
と、一人で爆笑する。
「そう? そんなに面白い?」
山岸の不気味な微笑みには、気付くはずもない男性は、
「オッサン最高! 超うける」
などと言って、テンションが上がってきていた。
「そうか、それではそろそろ」
山岸は警察手帳を取り出すと、男性の顔面に勢いよく近付けた。そう、まるで寸止めをするみたいに。
驚いた社員は、軽く悲鳴を上げ、イスから落ちてしまった。しかし山岸は、それに一切動じることなく「柴口純平という人はどこにいるか知っているね」と、男性社員に質問をぶつけた。
「君が、柴口純平クンかい?」
「そうですが……」
山岸は、柴口純平と呼ばれる人物のデスク前に立っていた。
「少しお訊きしたいことがございまして」
そう言って山岸は、警察手帳を取り出す。
「はい、わかりました。ここでは話しにくいので場所を変えましょう」
柴口純平は、そう言って席を立った。
「あの……書類出来上がりましたのでご確認を」
間が悪かったようで、まだ若い女性社員が書類を持ったまま彼の方を見つめている。どうすれば良いのかわからなかった、という様子だ。
「ちょっと用事が出来たから、後にして」
純平がそう言うと、彼女は元気よく「はい」と返事をし、その場を去って行った。
「行きましょうか、応接室に」
柴口純平は山岸にそう促し、先陣をきって歩いていった。
――地上1階、つまり受付が備えられていた場所に到着した。
「で、どこにあるんです? 客間は」
いちいち『応接室』などと、ご立派な名前を言うより、このほうが庶民にとってしっくりくる言葉なので山岸はあえてコチラの言葉を選んだ。
「応接室ですか」
純平は『応接室』に特別な感情でも抱いているのか、わざわざ言い直し、続けて、
「受付から正面へ向かったところにあります」
と、言った。
「そうか」
そして2人は無言のまま、応接室へと向かった。
ちなみに山岸は地下へ向かった時から、手持ちの捜査資料を腰に挟めていたので両手は空だった。