表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レンズ  作者: オリンポス
第一の事件(放火)
4/15

――第4話――

「署長。柴口幸治の逮捕状を取り消していただけないでしょうか」

 デスクの前に立ち、山岸は冷静にそう言った。

「いきなりどうした! 警察内部に私情を持ち込むのは危険だと山岸クンなら知っていると思っていたのだが」 

 大西署長は机の上にたくさん置いてある資料の1つをを眺めながら言った。


 山岸警部と田沢刑事はタクシーから降りた後、所轄の警察署に戻り、こうして署長に取り調べの報告をしているのだが、署長は頑としてそれに応じようとはしないのである。


「犯人は柴口で決まりなんだ。これ以上捜査を進めても面倒な話になるだけだ」

「すでにお気付きの頃と思いますが、このまま柴口幸治を誤認逮捕してしまったら、ここの警察署の責任だけでなく署長の責任にもなりかねないんですよ。それに相手は作家です。マスコミに騒がれたら、署長の首一つくらいならわけもないのではないでしょうか」 

 山岸も引けを取らずに言い返した。


「君達がそこまで言うということは、それなりの理由があるんだろうね。説明してもらおうか」

 大西署長はニヤリと笑って山岸の隣に立っている田沢を見た。

「田沢君の意見から先に訊きたいような気もするが、何かあるかね?」


「それがですね、署長」

 田沢は困ったような顔をして見せ、

「僕はそうは思ってないわけでして」

 と、風船がしぼんでいくような声で言った。


「ほう、面白いね。ということは、君は柴口が犯人だと思っているのかい?」

 署長は面白そうに言った。

「はい、先輩とは意見が違ってしまいますが」

「あぁ、それは気にしなくていいよ」

 大西は満面の笑みを浮かべてそう言った。

「山岸クンはどう思う?」

「私はですね、柴口が誰かにはめられたとみているんです」 

「何故?」

 大西は山岸を、まじまじと見つめる。


「理由ですか」

 山岸は肩の力を抜き、続けて、

「火災が発生したのはリビングで、柴口幸治が倒れていたのは母親の寝室でした。これは彼が何らかのトラブルに巻き込まれて、その場から動けなかったという見解もできると思うのです。しかしそれだけでなく、放火した後もその場にとどまるでしょうか? そこらへんが引っ掛かっているのですが」

 山岸の眉間にしわが深く刻まれたように見えた。


「それなら捕まえてからゆっくりと調べた方が」

「いえ、この事件の背後には黒幕が必ずいます」

「君がそう言うならそうかもしれないな」

 あっさりと大西は引き下がってしまった。


「ちょっと待ってください署長。何でそんな簡単に諦めらめるんですか? 犯人は柴口で決まりです。早く逮捕した方が」

 田沢が猛反発しようとすると、大西は手をかざして言葉を遮らせた。


「この世には未解決と呼ばれる難事件が数多く存在していることは知っているな」

「署長、その話は」

 山岸は止めようとしたが、再び大西が手でそれを制し、

「その未解決になりかけた事件を主に担当するのが、コイツの仕事なんだ」

 と、大西はアゴで山岸を指し示した。


「えっ? どういうことですか?」

「何も聞かされてなかったのか。実はコイツ、自由で型にはめられない独創的な発想力と常識外れの奇抜な推理力が買われて警視庁に特別枠として合格した……いわゆる別格なんだ」

「やめてくださいよ、署長~」

 山岸は軽く大西を小突いた。

 なるほどね、このどうしようもなさそうなおじさんが別格。


「しかし……」

 大西はすでに真顔に戻っており、続けて、

「逮捕状は取り消すことはできない。もう上部の方が裁判所に発行してもらったらしい」

「しかし、それでは」

 山岸が言葉を添える前に大西は、

「退院後すぐにでも、捕まえてくれ」

 と、言った。

 ここはさすがの山岸も、わかりましたと言う他なかった。




 山岸と田沢は管轄区域の警察署を出て、オレンジ色に輝く夕日を見ながら歩いていた。


「残念でしたね、山岸警部」

 田沢は山岸が落ち込んでいるものと思い、すかさずフォローを入れた。

「なんのことだ、田沢クン。今日中に真犯人が見つからなかったから落胆しちゃったのかい?」

 しかし当の本人は、何事もなかったかのように ケロリとしている。


「いえ、そうではなくて、逮捕状を取り消してもらえなかったじゃないですか。だから……」

 田沢が言葉に詰まったのを察したか、山岸が代弁してこう言った。

「私が落ち込んでしまったとでも思ったのかね」

「ええ、まぁ一応」 

 田沢は言葉をあえて濁して言った。

「私がそんな感傷的なタイプに見えるかね」

「いえ正直なところは、楽観的な中年男性という印象しか持っていません」

 叱られると思ったが、嘘をつくよりマシなのでそう言った。

「やっぱり、そう思われていたか」 

 山岸は怒るというよりは、笑いながら言ったようだった。


「すいません、やっぱり怒りました?」 

 まったくそんな様子は見せてこないが、念のために謝っておくことにした。

「怒る? 何故?」 

 山岸は驚いたかのように言った。

「何故って、それは決まっているでしょう」 

 田沢は少し苦笑しながら言った。

「決まっているって何が?」 

 戸惑っているかのように山岸がそう返してきた。 

「それは、その……部下なのに上司に向かって、失言してしまったこととか」 

「それがどうかしたのか」 

 山岸は表情を崩さずにそう言った。


「どうかしたって、下官にあるまじき言動ですよ」 

「だから、それの何が問題なのかって訊いているんだ」 

 山岸の語気が少し荒くなった。

「いえ、なんでもないです」

 田沢はとりあえず笑顔でそう返し、続けて、

「ところで山岸警部?」

 と、質問するように言った。

「なんだ」

「あの、署長の言ってたことで気になることがあるのですが」

「署長?」

 すると山岸はいかにも面倒くさそうな表情を見せた。

 しかし田沢は気にせず、

「未解決事件の担当って、どんなことをしてたんですか? 迷宮入りしてしまった事件とか」

「いや」

 山岸は言葉を遮って、

「大したことは何もしていないよ」と言った。


 果たして本当にそうなのだろうか? 田沢は少し疑問に思ったが、このおじさんに限って重大な任務を任されるなんてことはない、と考え直した。

 彼の真の実力も知らずに……。


「そんなことより田沢クン」

 山岸が急に改まった表情を見せたので、

「何かわかりましたか」

 と、息を詰めるようにして訊いた。

「あぁ、そうなんだ」

「なんですか」

 田沢は胸が高鳴るのを感じた。まさかこの段階で早くも真犯人がわかったのではないだろうか。

 しかし、山岸の言動は拍子抜けするものだった。

「駅前近くの商店街で、新しい居酒屋が今日オープンするんだ」

 はい? このおじさんバカですか? 田沢は彼に期待してしまったことを恥じる一方、山岸に軽蔑の念を抱き始めた。

「失礼ですが、緊迫感に欠けているのではないでしょうか」

 精一杯の皮肉も彼には通じなかったようで

「このチラシを見てくれないか」

 と、言われた。

 もちろん捜査資料を手渡されたのでなく、例の居酒屋の割引券が付いたチラシだった。


『やきとり1串につき、10パーセントオフ』

『(ビール)大ジョッキお1人様につき1杯無料』

 と、書いてある。裏は白紙で何もなく、メモ帳に使えそうだった。


「警部、不謹慎すぎですよ。僕たちはまだ仕事中なんですから」

 田沢はのど元まで出かかった怒りを飲み込みそう言った。

「田沢クン。少し硬いよ、もう聴取は終わったんだ。今日の仕事はここまでなのだよ」

「ですが警部!」

「それなら仕事上の親睦会ってことで」




「やきとりの、皮と軟骨と砂肝を、それぞれ2本ずつで。味付けは全部塩にしてくれ」

 成り行きとはいえ、山岸と田沢は、2人で居酒屋に来ていた。

 4人の席はすべて埋まっているので、こうして山岸とカウンターの方に腰をおろしたのだ。


 店内はゲームセンターのようにうるさく、そしてアルコールくさい。この中は冷房が効いていて、快適な気温が維持されていた。


「山岸先輩」

 さすがに人前で、しかも事件が起きているわけでもないのに『警部』と呼ぶわけにもいかなかったので、そこはあえて『先輩』にした。

「どうした?」 

「あの、僕も頼んでいいですか? 一応タレ派なんで塩は食べたくないんですよ」

 もちろん、やきとりのことだ。

「あぁ別にいいぞ。それと、生ビールも頼まないといけないな。あと、おでんも」

 ――頼んだ料理が、全て運ばれてくると、一緒に伝票が付いて来た。


 すでに山岸も田沢も、腹がふくれており、今にも破裂しそうなほどだった。

「そういえば山岸先輩」

 田沢はアルコールのせいか、少しろれつが回っていないようだった。

「何だ?」

 山岸は真っ赤な顔で、田沢の方を向いた。


「先輩って、妻とかいるんですか?」 

 何気ない質問だったが、酒の力なしでは訊けなかっただろう。

「前は……いた」

 山岸は尻すぼみにそう言った。

「前って、今はもう離婚しちゃったんですか?」

「いや違う!」

 少々怒鳴っているようにも感じられた。

「では、一体……」

「妻と娘がいたんだが、どこかへ消えてしまった。もちろん捜索は行ったが、未解決のままその事件は幕を閉じてしまったんだ」 

 田沢は、訊いてはいけないようなことを聞かされたような気持ちになったが、

「そうだったんですか」

 と、頷いた。


「では」と、続けて言った。「娘さんは生きていたらいくつ位なんですか?」

「今年で15歳になる予定だ」

 酔っているとはいえ、どこか悲しそうな表情をしているということくらい簡単に見て取れる。

「そうだったんですか」

 と、山岸の気持ちを察したかのようにため息をつきながら言った。

「そうだ、まだ未解決なんだ」

 山岸の表情には希望とも焦りともつかぬ表情が浮かべられていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ