――第10話――
捜査開始から3日目の朝を迎えていた。
山岸は現在、東京のとある一角に位置するビジネスホテルで宿泊をしていた。
なんでも昨夜の『柴口純平殺し』の犯人と、山岸の担当している放火殺人事件には、何らかの関係があると見て警視庁の刑事らが、彼を警視庁特別捜査会議に招集したのだ。
本当は、柴口幸治にまつわる事件の謎を、手早く解決してしまいたかったのだが、捜査会議を断るわけにもいかず、今は束の間の休息を楽しんでいた。
シングルベッドの横に設置されている、埋め込み式のデジタルタイマーは7時ちょうどの時刻になっていた。
彼はフラフラと立ち上がると、ライトやペンなど、雑務をこなすための道具が置いてある机のところへと歩いていき、そこに設置されている電話を使ってルームサービスを頼んだ。とてもじゃないが、食堂に行って食べる、という気分にはなれなかったのだ。自分が事件を担当しておきながら死者を増やしてしまうなんて……という罪悪感にも似た感覚にさいなまれていたのである。
数分もしないうちにサンドイッチが運ばれてきた。
今回の山岸の捜査状況とは違い、注文したものがすばやく届いたので彼自身、何となく皮肉られている気がしてならなかった。
しかし、お腹は空いていたようで、ぺろりとサンドイッチを食べ終えることができた。
ここから警視庁の捜査本部までは、そう遠くもないだろう。
そう思った山岸は、気晴らしに東京の街を歩いて出勤することにした。
テレビ内の左上に表示されているデジタル時計は7時30分を映し出していた。
珍しく早起きした幸治は、ベッドで横になりながら朝のニュース番組を見て、考え事をしていた。
このニュースによると、彼の兄である柴口純平が何者かによって刺殺されているのが、警察署の報告でわかったらしい。ちなみに捜査本部では前回に起きた放火殺人とも関連性を結びつけて考えており、今日中にも犯人を逮捕する方針を固めたのだそうだ。
しかし、この報告から考えると自分は留置所行きなのではないだろうか? だいいち入院はしているものの火傷による損傷が見られたためであり、言い換えれば検査入院に過ぎないのだ。
あちらの方針が固まりさえすれば『豚箱』(留置所)に放り込むことくらい容易なはずである。
トリックをあばき追いつめたはずが、逆に追いつめられたのだ。それにもし、推理が当たっていたとしても、このトリックでは犯人の証拠を見つけることは到底不可能なのである。
しかし、柴口純平が死んだことにより事件が解決に向かおうとは、現在のところ誰も知らないのであった。
山岸は誰よりも早く、警視庁の会議室に到着していた。
目の前にある重厚な扉を開け、中に入ると、多くの長机が目に飛び込んできた。近づいてみると、その上にはカード立てが置いてあり、名前と階級を印刷した紙が中に仕込まれていた。
長机の配置は、会議室の構造に合わせてなのか長方形になるように並べられていた。机の下には、パイプ椅子もセットしてある。山岸は、今まで警視庁の捜査会議に参加してこなかったわけではないが、この辺の用意周到さには、毎度のように驚かされていた。
室内を観察しているうちに、数分は過ぎただろう。しかし未だに人が来る気配はなかった。
やはり、ホテルから出てくるタイミングが早すぎたのだ。
仕方がないので、今度はカード立てに記してある名前を1つ1つ確認していくことにした。ほとんど無意味なことなのだが、名前くらいは……と思ったのである。
ぐるりと机のまわりを1周して、また元の位置に戻ってきた。先程、見てきた名前は、ほとんど頭に入っていなかったのだが、大西署長(地位は警視)もこの会議に参加するということがわかった。そしておそらくこの会議を仕切るであろう人は、佐貫という人物である、ということもわかった。
こう考えたのには、ちゃんと理由があって、彼がこの会議で一番高い役職の警視正であることが、カード立てによって判明したからだ。
そして珍しいことに、今回の会議は警部以上の地位の人物しか寄せ付けないらしく、その証拠に田沢刑事はこの会議からはずされていたのだった。
それからすぐ間もなくのことだった。
大西署長が入って来たのだ。山岸は軽くあいさつを交わし、あと何分後に会議が始まるのかを聞いた。
すると答えはこうだった。
「地元の警察署の方たちは、昨日の柴口純平の殺人に関する資料を持って来るから、遅く見積もると約30分後くらいかな」
そう言う大西署長の手には、コンビニの袋が握られていた。
「何を買ったんですか?」
山岸は、大西の持っている袋を指さし、それとなく訊いてみた。
「ああ、これか」
大西はオーバーに袋の中身を持ち上げて見せた。
「お茶……ですか?」
どこから見ても、とまではいかないがラベルに『緑茶』と書いてある。しかし、訊いた以上は質問口調にした方がいいのだろう、ということで一応疑問形で言ってあげた。
「そうだ、よくわかったな」
大西は驚いたようにではなく、笑うようにして言った。
「ラベルにそう書かれていますから」
と、正論をぶちかます。
「あっ、こりゃまた一本取られた」
大西はそう言って自分の頭を叩き、おどけて見せた。
しかし、この仕草の意味までは、山岸は見透かすことができなかった。
「あの自分もお茶を買ってきます。まだ誰も、来なさそうなので」
山岸はそう言って、会議室を後にした。
近くのコンビニからウーロン茶を買ってきた山岸は、会議室へと戻ってきた。
店員がレジ袋に詰めようとしていたが、エコのためを思いシールで済ませてきたので、あまり見栄えは良くなかっただろう。
中に入ると、地元警察署(正確には警視庁)の刑事……いや警部クラスの人員がちらほらと集まっていた。
席を立って、談笑(?)している者や、椅子に座って事件の事柄について整理している者もいた。
大西署長は後者の方で、黙って資料に目を通していた。話し相手がいないからかもしれない。
それにしても――と山岸は思った。
少しの間しか席をはずしていなかったのに、ずいぶんと人が集まってにぎやかになっている。これが同窓会とかだったらどんなに気がラクなものか、と。
しかし、考えてどうこうなるという問題ではない。大西と適当に会話を交わし、全員来るのを待つのが得策だろう。
山岸はさっそく、大西に近づこうとしたのだが、誰かに肩をつかまれてしまった。振り向くと30過ぎくらいの青年が、にこやかに立っているのが確認された。
「お久しぶりです。山岸先輩」
青年は、そう声をかけてきた。
「ああ、久しぶり」
山岸も調子を合わせたが、相手が誰なのか、まだわかっていない様子である。
「ええと、何年ぶりだっけ?」
いつ会ったかだけでもわかれば、こちらとしても対処しやすい。
「忘れたんですか? 僕が警視庁の捜査一課に、初めて加入した時、色々とフォローしてくれたじゃないですか」
まだよくは思い出せないが、そういうことらしい。つまり、元々は山岸の部下だったのだ。
「そんなこともあったかな」
と、とぼけたふりをしている、ふりをした。
少しややこしい演技である。
「いやっ、別に覚えていなかったらいいんです。ただ昇進したんでご報告をしようと思って」
と言って、青年は赤面してしまった。
この様子から察するにシャイなのかもしれない。
「忘れたわけじゃないさ、ただキミを試しただけだよ」
と、都合のいい言葉を返してやる。
「ちなみに階級は何になったの? 警部?」
緊張させないよう、おだやかな口調で問いかけた。
「たいへん恐縮ながら、警視正を務めております」
と、青年は答えた。
「じゃあ、キミが佐貫警視正?」
山岸は驚きをあらわに、そう訊いた。
「はい」
静かに彼はそう答えた。
しばらく話し込んでいると、会議予定時間になっていた。
「皆さん、自分の席におかけになってください!」
佐貫警視正は声を張り上げた。プライベートの時とは違う、厳格で気品の漂う声だった。




