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作者: 秋花

※【夏のホラー2013】参加作品。申し訳程度のホラーでよければどうぞ。本気で背筋が凍えるような恐怖を味わいたい方はそっとブラウザバックをしてください。

 甥が行方不明になった。

 比木谷(ひきや)がそのことを知ってから早一ヶ月、未だに甥は見つからない。必死になって探してみたものの、周りからはもう止めろと制止の言葉ばかりを投げつけられる。

 ――まだ、まだ一ヶ月じゃないか。なぜもう諦めているんだ。その諦めこそが彼を殺すのだということがわからないのか。

 親族たちに比木谷の思いをぶつけるも、彼らは首を振って引き留めるばかりだ。


 ――もう死んでいるんだよ。

 ――現実を見なさい、このままあがき続けても辛いことばかりなのだから。


 何が苦しむなだ、何が諦めろだ。どれだけ言葉を重ねても、比木谷にとっては火にくべる薪でしかない。もしかしたらいつか諦めるかもしれなかったそれは、今ではまだまだと盛んに燃え続けている。

 例え、全ての人間に見捨てられようとも、唯一自分に懐いてくれた甥を自分だけは決して見捨てないのだという決死の覚悟が比木谷を突き動かしているのだ。


 そして、今その比木谷がいるのがここ、死んだ祖父が生前に暮らしてたとされる古い家だった。

 確かに1階しかないが、それでも広い土地がそれを補っている。祖父が死んでからは誰も手入れをしないのか、庭の野草が本来の土の色を覆い隠していた。

 幸い、田舎とされるこの地域が寂れているおかげで異質な印象は緩和されるものの、ここを通る者の目を惹いてしまうのは仕方のないことなのだろう。

 まさに、これが古きよき日本の家というやつかと比木谷は来るたびに何度も舌を巻いたものだ。


 さて、本題に入ろう。

 なぜ比木谷が今さら祖父のいなくなったこの家に訪れたのかと言うと、ここが甥の最後の目撃場所であるからだ。

 一人暮らしをしたいと願う甥の言葉に頷いた兄は、どうやらこの家を指定したらしい。安値で済むにこしたことはないからだそうだ。ならば自分が貸してほしいと言ったときに貸してくれてもよかったのではないかと、比木谷は兄に対して不貞腐れた……はずだ。

 その時の兄の返事は覚えていない。ダメだとも、いいとも。そのどちらを兄が答えたのかを比木谷は記憶に残していなかった。決定的な記憶が抜けているのだ。が、結局は甥がここで消えたという事実があるのだから、比木谷はこの家に住まわせてもらえなかったのだろう。

 それを思うと、後悔はある。自分が無理にでも借りていればと。

 だが過去は変えられない。ならば変えられる未来を今なんとかするしかない。それが、比木谷の償いだ。

 甥は荷物を整理したいのだと一足先にこの家に訪れていたらしい。

 兄夫婦がやってきたのはその三時間ほど後とのことだ。

 もちろん甥は家に着いたという連絡はしたし、兄夫婦が来るまでに一度も外に出なかった。

 ではどこへ行ったのか、一体どうやって消えたのか。

 疑問はつきない。また、希望も尽きない。

 甥の死した姿を見ない限り、比木谷は諦めるつもりなど毛頭なかった。

 だからこそ、ここへ来たのは甥の死体を見るためでも、死か生かに確信を持つためでもない。

 ――より大きな希望を掴むためだ。



「だれかー……いるわけないか」

 手こずるかと思っていた玄関の引き戸は、思ったよりも簡単に開いた。

 どうやら、手入れはされていなくとも人の出入りは存外あったようである。

 それもあたりまえか、と比木谷は玄関を潜る。

 ついこの間に甥が行方不明になったのだ。調査のために人も入ろう。

 やはり古いのか、一歩進むたびに木板が張り巡らされた床が悲鳴を挙げた。

 みし、みし、みし。足音が軋みとなって自己主張する。

 ふと、比木谷はその足を止めた。

 途端に静かになる無人の家。聞こえるのは鳥の鳴き声、虫の悲鳴、そして――。

「あ、でも、いるな……」

 ――くすくすと笑う、女の声だった。



 結論を言うと、女は見つからなかった。

 四方八方から聞こえてくる、年は定かではない女の声は確かに己の耳に入ってくるものの、それの発生場所はどこを探しても見当たらなかったのだ。

 しかし、不思議とそれを比木谷は不気味に感じなかった。それどころか、それがあるのが当たり前のように思えた。

 しかし、比木谷は声の正体を探すのを諦め、当初の目的であるはずの甥の手掛かりの探索に身を移した。これ以上女の声に構っても、意味はないと判断したからである。

 比木谷はまず、甥の荷物が比較的多い部屋を調べることにした。

 まずは未だに回収し終えていないダンボールの中身からである。どうも、現場の状況はなるべく残しておこうという配慮らしい。

 中から出てきたのは自分が甥に与えた品々ばかり。こんなに叔父ちゃんっ子だったのか。というか、自分が甘やかし過ぎたのか。荷物のほとんどが比木谷が使っていた物ばかりであった。

『――まだ諦めないの?』

 すると、ようやく女が言葉を紡いだ。

「まだ、そうだという確証がないからな」

 それは自分に言い聞かせているのと同じ言葉だった。

 彼が死んでいるという確証がない。だからまだ諦めずに自分は探し続ける。

 だから、一ヶ月経とうとも半年が経とうとも一年が経とうとも、自分は甥を探し続けるだろう。

 それこそ、死体を見る日までは。

『早く諦めなよ』

 一つの誘惑を、女は比木谷の前にかざした。

 諦めたくはない。諦めたくもない。諦めてはいけない。

 それは自分の否定でもあるから。

「うるさい、黙れ」

 だがしかし、思いの外感情というものは自分勝手なものなのか、比木谷の口から怒りが漏れた。

『そこまで執着するものが何になる。もう終わっているというのに何になるというの』

「終わってなんかいない」

 終わらしたくない。だから、こうして自分は探しているんじゃないか。

 一通り確認を終えた荷物から目を放すと、比木谷は物置の引き戸を開けた。

 驚くほどに空っぽな中身に、比木谷は胸に重い落胆の塊が落ちる。

 他に何かないかと屈んで奥を見ると、一枚の紙切れと箱が見えた。

 手に取ると、長方形の紙は古びた印象を抱くほどに黄ばんでいるようだ。それも、ところどころ端が破けているのか欠けている。目を細めると、ごちゃごちゃと読めない漢字が達筆に書かれているのがわかった。――いわゆる、古いお札のようだった。

 ああ、そういえば祖父の家にはよく坊さんが来たものだと比木谷は思い出す。

 幼い頃、決して入ってはいけないと言われていた部屋からは、その度に念仏を唱える声が聞こえてこなかったか。どことなく怨霊の声にも似たそれに、毎晩怯えたものだと比木谷は小さく笑った。

 ――しかし、その部屋はどこにあっただろうか。

 疑問が渦巻いた。過去を遡る渦はあまりにも小さく、消えるのも早い。一つの可能性を比木谷は閃いた。

 確か、今自分がいる部屋がそうであったような。

 その想像が脳裏を掠めた瞬間、比木谷の背筋が凍ってしまったかのように固まった。

 しかし、思考を始めてしまった脳は止まらない。それこそ、塞き止められていた水流が溢れてしまったのを止められないのと同じように。

 この札は何かを封じるためのものではないか。では、この札が剥がれて落ちている以上もうそれは封じられていないのではないか。この箱が、その封じられていたものではないのか。

 湧いてしまった好奇心が比木谷の体を支配する。

 意識して動かしたわけでもない腕は物置の奥へと伸びていき、――堅い感触のするそれを掴んだ。

 息が荒い。胸が痛んだ。頭がおぼろげになり、手元に寄せた箱は霞んで見えた。

 怯えているわけではない。だというのに、箱を掴んでいる比木谷の手は震えていた。手は石となってしまったのかのごとく硬く、比木谷の意思に反して開く様子を見せない。

 箱は恐ろしくはない。この家にある女の声もだ。

 しかし、比木谷は()()を拒否していた。嫌悪とも、恐怖とも言えぬその感情を持ちながら、何かに対して震えていた。


 ――だが、だがだ。

 比木谷は数秒乾いた瞳を閉じると、大きく息を吐いた。目蓋を開くと、視界は先ほどよりも幾分明瞭だ。

 甥の手がかりかもしれないそれを、比木谷が手放せるわけがなかった。

 いざ、と箱の蓋に手を掛ける。

 その瞬間、ズボンのポケットに入れている携帯が比木谷に小さな悲鳴をあげさせた。

『――っぷ』

 女の笑い声が耳に入る。そんなに面白いか。

 熱で研ぎ澄まされていた頭も冷え、比木谷は箱を一旦地面に置き、ポケットから取り出しながらも未だに震えている携帯に目を移した。

 そこに書かれている名前を見た瞬間、比木谷は思わず空気で胸を膨らませた。

 ――比木谷(かける)

 そこにあったのは行方の知らない甥の名であった。

 呆然としている場合ではないと、比木谷は迅速に指を動かして通話ボタンを押した。

 その途端に響き渡る騒音。だが、聞こえてくるのは甥の声に違いなかった。

『お――さん!? 叔父――さ――の!?』

 間違いない。彼は生きている。これまでの一ヶ月は無駄ではなかったのだと、比木谷は喜びに目元を潤ませた。

「ああ、俺だ! お前は翔なんだなっ? 今どこにいるんだ!?」

『俺――叔父さ――家――る――お――んは――こに――』

 大きなノイズが甥の声を遮って、言葉を比木谷の耳に届かせない。ようやく見つけた手掛かりが無駄になってしまいそうで、比木谷は荒々しく舌打ちした。

 だがしかし、それでもなんとか聞き取れた言葉。――俺は叔父さんの家にいる。

 これは大きな成果だ。思えば、自分は甥の捜索ばかりをしていて一度も家に帰っていなかった。己の体に鞭を打っていたのを、比木谷は今ごろになって後悔する。

 電波が悪いせいかと思い、比木谷は立ち上がって外に出ようと出口を目指した。

「悪い、こっちじゃよく聞こえないんだ」

 早くノイズを除きたい一心で、比木谷は足を早めた。

『わか――叔父さ――どこ――よ?』

 どこにいるのか、と訊いているのだろう。

「俺はじいさんの家にいる。今からそっちに行くからっ」

 だから信じて待っていろという思いを込めて、比木谷は玄関の引き戸を開けた。

『叔父――ん――た――る――! だか――て!』

 だがしかし、外に出ると一層ノイズは酷くなった。また家の戻っても同じだ。ノイズは酷いままだった。

 比木谷は苦虫を噛み潰したような顔をすると、ノイズが直らない代わりに駆け足で自分の家があるアパートへと急いだ。幸い、この家を借りようと思っていたこともあって自分の家は近いのだ。

「翔! もう一回言ってくれ! よく聞こえないんだ!」

『ぜっ――叔父――ん――助け――!』

 確かに聞こえた。助けてと。比木谷は呼応するように声を張り上げた。

「助ける! 助けるから、そこで信じて待ってろ!」

 もはや邪魔だとばかりに携帯をしまうと、比木谷は全速力で走り出した。







 数十分の走りによって、比木谷は早々に見慣れたアパートへとたどり着いた。

 不思議と息切れはなかった。それどころか疲れの跡が一片も見られない。

 アパートの中に入ろうとしたところ、おーい、と壮年の男性がこちらに呼びかけてきた。

 初めて見る顔だ。もしかしたらここ一ヶ月で入った新しい入居者なのかもしれない。――いや、もしかしたら翔を拐った誘拐犯なのかも。

 一度でもそんな疑惑を持ってしまうと、比木谷は警戒を強くした。

「やあ、あんたもこっちに来たんだね」

 不思議なことを言う。初対面の人間に言う台詞だとは到底思えなかった。

「……初めまして、あなたは新しい入居者ですか? 俺は五号室の比木谷(しょう)といいます。よろしくお願いします」

 比木谷の警戒心まみれの低い声を聞くと、男は驚いたようできょとんとした顔を浮かべた。同時に首を傾げるが、それは大の男がやっても愛らしさ一つなく、それどころか比木谷は嫌悪感で一歩下がる羽目となる。

「んー? ――あぁ、そういうことか。それはそれはお気の毒だねえ。僕はここの住人だよ。君が僕を知らなくても僕は君を知っている。いわゆる見えない住人だ」

 わけがわからない。この狂言に真面目に答えるべきかを、比木谷は馬鹿らしくも少し悩んだ。

 結果、比木谷は真面目に対応することにした。

「でも、俺はあなたを見たことありません」

 仮にもここの住人なのだ。影ぐらいなら見たことがあるはずだ。だというのに、比木谷はこの男の影どころか髪の毛一本見たことすらない。それを住人と言えるのか、比木谷は甚だ疑問に感じた。

「だから言ったじゃない? 僕は()()()()住人だって」

 にこにこと悪びれなく狂言を吐く男にどう接すればいいのか。比木谷は頭を抱えたくなった。

 いや、それよりもだ。

「あの、一つ訊いてもいいですか?」

「いいよ。後輩のためならなんだって答えてみせよう」

 誰が誰の後輩だ。

 思わず毒が口から吐き出されそうになったが、咄嗟に比木谷はその毒を胃に流し込んだ。

「ここで、十代後半の男の子を見ませんでしたか? ほら、ちょっと俺に目元が似てる子なんですけど」

「あぁ、見た見た。君の部屋に入っていったね」

 ここにいるのだという事実に、比木谷は喜びを隠せなかった。確かにいるのだ。ここに。一ヶ月も費やした甥の探索の末に、ようやく――。

「――彼を探しているのかい?」

「はいっ! 今まで行方不明になってて、それで」

 やっと見つけたのだ。やっと。

 きっと今ごろ不安で震えているだろう甥を思い、比木谷は足を動かした。

「行くのかい? 本当に?」

 しかし、比木谷の歩む足を男が引き止める。

 その行為を邪魔に感じて、比木谷は苛立ち混じりで返答した。

「一ヶ月、一ヶ月ですよ? 一ヶ月の間俺はあいつを探し続けていたんだ。あいつだって今まで不安だったに決まってる。だって、ずっと一人だったんだから」

 一人は孤独だ。あまりに途方もなく、膨大な時間が淡々と繰り返されるのは耐え切れないほどの怖気が走る。

「だから、俺が助けなきゃ」

 恐怖から開放させてやらなければ。

「そうかい。なら、仕方ないね。どうか囚われないよう」

 男は残念そうに眉を下げると、最後にそう言って比木谷に背を向けた。

 比木谷はそれを見届けると、自分の家がある二階へと向かうための階段を上った。

 囚われるな、と言われたはいいものの、一体何にだろう。

 思考をしてみるものの、比木谷にはまったく思い浮かべない。

 ――ああ、でも。

 囚われているとしたら、今までの自分が甥を探すことに費やした一ヶ月の間のことをいうのだろう。

 久方ぶりの自分の家の玄関を見て、比木谷は唾を飲み込んだ。

 さあ、会いに行こう。

 覚悟を決めて、比木谷はドアを叩いた。








 あれから一ヶ月、俺は未だに捜索を続けていた。

 やはり兄弟として育ってきた父は俺以上に辛いのか、見るたびに疲れきっているように思える。なんでも、眠れないらしいのだ。

 焦燥や心配で眠れないというのもあるらしいのだが、幻聴が聞こえるとのこと。平気なのかと訊いてみても、そこは親のプライドがあるのか自分の顔を見てから言えと弱った笑みを向けられてしまった。

 テレビを見ると、淡々とアナウンサーがあの事件について詳細を述べていた。

『被害者である比木谷将は未だに見つからず――』

 俺は手に持ったコーヒー缶の中身を飲み干すと、空になったそれをゴミ箱に放り投げた。

 一ヶ月間、俺は行方不明になった叔父の家で寝泊りをしている。

 行方不明になったあの日、荷物を(ひい)爺ちゃんの家にほとんどを運んだせいか、この家には私物がまったくと言っていいほどない。あるとした俺が持ち込んだ物ばかりだ。

 俺がここで寝泊りしている理由としては、その曾爺ちゃんの家が非常に近いことからわかるだろう。もっと明確に言えば、その曾爺ちゃんの家で叔父が行方不明になったからだ。探索しやすいように、と俺は周りの反対を押し切ってここに住まわせてもらっている。

 だが、成果はゼロ。手がかりの手の字も出てこない。

 警察の警備をなんとか掻い潜り、ある人と共に曾爺ちゃんの家を探索したものの、あるのは叔父の私物ばかりで何もなかった。ここなら何かあるかと思っていた開かずの間とやらも入ったのだが、やはりあるのは空っぽの空間ばかり。物置には埃っぽい空気しかなかった。結局、無断で侵入したことがバレて怒られてしまったものだ。

「まったく――どこにいるってんだよあのくそオヤジ」

 思わず悪態を吐いてしまうのも仕方ないというものだろう。

 あまり認めたくはないが、親族の中で叔父に最も懐いていたのは俺なのだ。せっかくだから引越し祝いついでに荷物を整理するのを手伝ってやろうと向かったものの、着いたときにはもうもぬけの空だった。

 ただ――。

 俺は自分の携帯を手に、あの頃のことを思い浮かべた。

 あの日、俺は叔父から一つの着信をもらったのだ。


 ―― 頼む、今すぐ爺ちゃんの家に来てくれ。

 ―― 来てくれって……もう向かってるからいいけど、なんだよ叔父さん。予想以上にエロ本の処理が大変だったとか?

 ―― 違う。誰かいるんだ。さっきからずっと玄関の前で戸を叩いてる。ったく、一体なんなんだよ……! この家はっ……! 札付いてた箱開けたら手が出てきたしっ……。

 ―― 叔父さん? どうしたんだよ。

 ―― あ、ああ、悪い。取り乱した……。いいから、早く来てくれ。お願いだ。


 それっきり、叔父とは連絡は取れていない。

 この話を神社を経営している友人に話したところ、なぜか専門の人を紹介された。どうも、これはいわゆる幽霊とかそういうものが関わっているらしいのだ。もしかしたら、これは神隠しのようなものなのかと俺は唖然とした。

 それと、先ほどある人と言ったが、曾爺ちゃんの家に一緒に侵入した人はその専門の人だったりする。

 何の収穫もなしにあの家を出ると、専門の人――柳さんは青ざめた顔で俺に忠告した。


 ―― もう君はこの件に関わるな。これは君のような子どもが手を出していい問題じゃない。それに、君が探している叔父さんはもう亡くなっている。


 なぜなのかと問い詰めても、柳さんは首を振り、念を押すばかりで話してはくれなかった。

 ――納得ができない。

 突然なんの根拠もなく叔父はもう死んだと言われても、俺には納得ができない。

 だからだろう。周りに反対されても俺はここに残っているのだ。

 それこそ、己が納得できる何か――生きているという希望が完全に途絶えるまで。

 もしかしたら、と。沈黙し続けている携帯を見つめる。

 俺は淡い希望を込めて、通話ボタンを押した。


 無機質な通話音が、テレビの音に混じって耳を支配した。

 一秒一秒と時間が経つにつれ、儚い希望が削ぎ落とされていく。苦しみに囚われないよう、己の心臓が硬くなっていくのを感じた。

 ――ブツ。

 相手が電話に出た音を聞いて、俺は思わず声をあげてしまった。

「叔父さん?! 叔父さんなの?!」

 まさか本当に出るとだれが思うだろう。携帯電話から聞こえてくる声は、紛れもなく叔父のものであった。しかし、生憎と所々声が遮られるほどのノイズが走ったせいで、叔父の居場所は突き止められずに携帯の通話は切れてしまった。それがとても悔しい。あれほどまでにノイズが激しいと、俺にできるのは叔父を励ます言葉を投げるだけだ。

 ――絶対に助けるから。

 最後に、自分が叔父に叫んだ言葉。どうか、この声だけでも届いて欲しいと俺は強く思った。


 その時、先ほど通話をしたばかりの携帯が着信を知らせる音を奏でた。

 ノイズのせいで相手の声も聞き取りづらくあったためテレビの電源を切ったせいか、思ったよりもの騒音が部屋を支配した。

「はい、もしもし」

『どうも、半月ぶりかな? 比木谷君』

 どこか人をからかうような口調をした男の声が耳に入ってくる。間違えるはずもない。柳さんだ。

「はい、お久しぶりです。それで、なんの御用で?」

 俺の意思に反して口調が刺々しくなるが、それも仕方がないことだと開き直る。

 この男は生きている叔父を死んでいると言い放ったのだ。許せることではない。いや、大人ならば軽く流して許すのだろうが、俺にはまだそんな寛容な心はない。

『君を今不機嫌にしていることについてなんだけど』

「叔父のことですか?」

 関わるなと言った男からこの話題を振られるのに意外性を感じて、俺は戸惑いを隠せずにいた。それに、この男俺を苛つかせた自覚があったのか。なら治す努力をしろよ。

『そうそう、君の叔父さんね。――比木谷君、まだ叔父さんの家にいるだろう?』

 冷や汗が背筋を伝った。

 図星であったからだ。思わず唾が喉を鳴らした。

「それが、なにか」

『私は言ったよね? 関わるなって』

「それで、納得できるわけがないってわかってるでしょう」

 この男がわかっていないはずがない。人の心を見透かすように話す男だ、わかっていなかったら今までの柳さんとこの柳さんは別人であると俺は仮説を立てた。別人だったら罵詈雑言言っても平気だろうかと考え、それでもこんな口調の人間に対し喧嘩は売りたくないなと俺は渋い顔をした。

『さあ? それは自分で考えてごらんよ。そのほうがきっと有意義だ』

 ――ああ、こんちきしょう。やっぱりうざってえ柳だ。こいつ。

 柳のように人の言葉を避けて、自由に心を揺さぶってくる。

 腹が立ってしかたがない。

 だが、今はそれよりも大切なことがあるのだ。

「……一つ、相談があります」

 言い返すのを我慢した。大分だ。怒りっぽい自分にしては頑張った。

『ああ、聞いてあげよう。でも、早く家を出たほうがいいんじゃないかな』

「は? なんで――」


『だって、すぐそこまで君の大好きな叔父さん来てるよ』


 は、とひきつった声をあげたと共に、ドアを強く叩く音が聞こえた。

 それはドアのみならず空間も揺らした。空気を、壁を、俺の視界に入っている全てが叩いているそれに弄ばれているように見えた。

『ほら、早く逃げないから』

 それにしては楽しそうだな性悪野郎。

 もはや泣き笑いであったが、今頼れるのはこの携帯と繋がっている柳だけだ。

「ど、どうすれば――」

 まだ足りないとばかりに、金属で固められたドアが震える。

 この空間では一人。間接的な繋がりで言えば柳を入れて二人。しかも相手は土下座しても助けてくれなさそうな悪魔。なんて頼りないパーティーなのだろう。俺は今すぐ声をあげて泣きたかった。

『電話しちゃったからねえ。自業自得というのかな、こういうの』

「なんで知ってるんだよっ……?!」

 もしかしたら監視カメラでも仕掛けられているのかと、俺はすぐさま辺りを見回した。

『あ、やっぱりしたんだ電話。こちらから干渉しなければ相手は気づかないものだから、接触してきたということは君からなんらかの刺激を与えたってことだもの』

 だから関わるなって言ったのに、と柳はそれはそれは嬉しそうに笑う。

「じゃあ今どうしたらいいんだよっ……!」

 扉を叩く音は変わりなく、次々と俺の心臓を揺さぶってくる。もう本当に勘弁してくれ。

『だ――ら――い――――ブツ』

 ――切れた。

 大きなノイズが柳の声を遮ったと同時に、電話が切れた。

「――は、はは……」

 もう笑うしかないだろう。目から涙が一粒あふれ出したが、これはもう男とか女とか関係ない恐怖ではないだろうか。はっきりと口にしよう。柳使えねえ。

 ドンッ――! 柳に対し悪態を吐いたことに機嫌を損ねたのか、ドアが一層大きく歪んだ。

 いやごめんなさいやっぱり使えます使え過ぎますだから助けにきてください。

 願いを乞うはずの相手がそこにいないのに、俺は土下座の姿勢に入っていた。

 頭を床に擦りつけると、しん、とドアを叩く音が止んだのに気がついた。

「いなくなった、のか?」

 まさか、そんな。

 恐怖からの開放からか、俺は知らず知らずに安堵の笑みを浮かべ、なにを思ったのか外を見ようと窓を見た。


 見慣れた顔だった。記憶のものよりも青白く見える。そう、まるで死体のように青々とした肌だった。

 その青々とした肌が窓にへばりついているのを見て、俺は悲鳴をあげようとしたが、それは生憎と恐怖に覆い尽くされて声がでなかった。

 嬉しそうに笑うその笑みは、俺に長い沈黙を与えるに十分だったと言っておこう。


 楽しんでいただいたでしょうか。初ホラーだったということもあり、どこから手をつければよいのかわからなくなってしまったりと悩みもしたものの、夏のホラーに間に合ってよかったです。

 みなさまが楽しめたのならば僥倖、つまんねーと思われたのならば自分の修練が足らなかったのでしょう。しかし、それでも最後まで読んでいただきありがとうございました。もしまた機会があればまた違うものを書かせていただきます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 怖さはありませんが、主人公と甥が巻き込まれた不条理な状況がどのようなものなのか、そういう謎を知りたくて最後まで一気に読んでしまいました。 主人公と甥の立場が入れ替わった作品中盤が、小説を読み…
[一言]  お疲れ様です。楽しく読ませて頂きました。  一行ずつ、読み手に伝えたい事が詰まっている文で、将の焦りや困惑がしっかりと伝わってきました。  あと、--←これの使い方がすごくうまいと思いま…
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