空艇冒険譚 オーバー・ザ・レインボー 短編 赤の飛猿
空。
白い雲が浮かび、何処までも広がる青。その頂点から降り注ぐ太陽の光。その中で、一人の男が金属の床に水の滴るモップを打ちつける。
「風に流ぁれて雲流れぇえ」
投げっぱなしな調子の歌に乗って、床をみがくモップ。
そのモップを操るのは、くすんだ茶色のレザージャケットに黒い革ズボンといった姿の一人の青年。
逆立った赤茶色の髪に、その下の額を飾る八角形のレンズ二つのゴーグル。鋭い眉と目元は不機嫌そうに吊りあがり、その鋭さをより一層増している。唇も同じように歪み、そこから音程も何もかも知ったことかと言わんばかりの歌が吐き出される。
「流れるまぁんまにぶつかってぇえ」
モップを振り回す手は黒い革手袋に包まれており、その手首から肘にかけて、髪と同じ色をした毛皮の腕甲に覆われている。
そして尻からは、同じく赤茶色の毛に包まれた、長い尾の様な飾りがぶら下がっている。
いや、飾りのようにも見えるそれは、よく見れば筋肉に従って動いているように見える。さらにその腕の毛皮も、後付けのものにしてはあまりにも、髪や眉毛と毛色、毛質が揃っている。
「ちぃぎれとんで消えちまうぅ……っと」
猿を思わせる尾と腕毛を持った青年は、そう歌を締めくくって、モップを床に叩きつける。
「ったく、俺一人でこの甲板全部とか、無茶言いやがる」
モップから飛沫が飛び散る中、猿の特徴を備えたヒト、マシラ族の青年は、自分の踏む足場を見渡す。
マストの無い広々とした甲板。のびのびと運動さえ出来そうな広さを持つその外周には、等間隔に設置された機銃と、大人の胸ほどの防壁が備わっている。
その防壁を越えた先、船の外には一面の青。境界線のない一繋がりの青が広がっている。
そう、白い雲を交えた一繋がりの青。それが遠く、遠くへ、果てなく続いている。
不意に青年の頭上に覆い被さる影。それに青年が顔を上げると、そこには一面の黒が。いや、暗い影を履いた巨大な岩が、風に流されるように空を流れていく。
頭上を通り過ぎる岩を、青年はモップに寄りかかる形で見送る。
甲板の後ろ。そこにあるブリッジの向こうへ流れていく巨岩。青年はそれを見届けると、モップを肩に担いで手近なへりに歩み寄る。そうして防壁の天辺に肘を乗せて、下を覗きこむ。
「まあ、潮霧に真っ逆さまな所を拾われた以上、文句は言えねぇか……」
防壁から身を乗り出して、鼻から溜息を漏らす青年。
その視線の先。赤く輝く船体のはるか下には、底のうかがい知れない濃密な霧が沈澱し、蠢くように流れている。
“墓場”や“怨念の吹き溜り”とも呼ばれるそれに眉をひそめて、青年は乗り出していた体を引く。
そして、濁り水の張ったバケツを片手に提げると、甲板の一角に足を向ける。
歩を進めるその先では、赤い巨鳥が翼を休めている。否、鋼鉄で出来たそれは、翼を備えてこそいるものの断じて鳥ではない。
空を突き裂くような鋭い鼻先。そこから広がる胴体は、つるりと風を受け流す流線型を描いている。胴体後部から尾羽のように伸びるスタビライザー。その両脇には、弾頭のように細まる先端を前にしたスラスターが、それぞれ一基ずつ備わっている。
その胴体の半ばから大きな赤い翼が広がる。その鋼鉄の翼の下には、27mmリボルバーカノンが二門、腕にも似た形で固定されている。
前方へ伸びた砲身の間。曲線を描くガラス風防の下には、様々な計器とトリガー付きの操縦桿が一本。その根元には踏み込み式のペダルがあり、斜め十字を描くシートベルトを備えたメインシートへ続く。
操縦席の後ろは、収納スペースを改造したサブシートとなっており、パイロット以外の人間を一人乗せられるようになっている。
そのがらりとした後部座席を見つめて、青年は鋭い眉を歪める。
「……ノエル」
そして青年は、その後部座席を占領していた人の名を呟いて、歯噛みする。
「勝手に怪我なんぞしてやがったら、承知しねえからな……」
そんな荒々しい呟きは風に乗り、一面の青空へと溶けていく。
アン・フォール。この世界に生きる人々は、自分たちの暮らす場所をそう呼んでいた。
果ての無い空に、大小様々な島がぽつぽつと浮かんでいる世界。宙に浮かぶ島々には、様々な人々が暮らしている。
尾や体毛、指などにサルの特徴を備えたマシラ族。
多種族と比べて際立って小柄な体躯ながら、人ならぬものの声すら聞き留める長い兎の耳を備えたコニーリョ。
鱗を持つ強靭な皮膚。大きく頑健な体。そしてその外観からは考え付かない程の器用な指。それらを備える生まれながらの職人、トカゲ人間のドレイク族。
最も大きく屈強な肉体に恵まれ、指先や口には鋭い爪と牙。獅子や虎のような体毛と尾を持つ、誇り高き戦闘種族、牙王。
そして優れた視力を備え、腕と一体化した翼により、原初の時代ではこの天空の世界を唯一渡り飛ぶ事の許された鳥人、ヒュムグリフ。
肉体的な特徴を始めとした多くの違いを持つ、個性豊かな彼ら五種族の人間。多くの違いを持ち、争う事もある彼らではあるが、この天空世界には彼らが団結せざるを得ない共通の敵が存在している。
虹。
五つや七つ、あるいはそれ以上とも言われる数の鮮やかな色の光によって作られた壁。
一見すると美しいそれは、数多の異形の怪物の潜む巣窟であり、また人間を侵食する毒の塊でもある。その色鮮やかな魔窟は、人々の生活圏を明確な境界で区切って人々をその内に封じ込めている。
取り囲むように生活圏を侵す脅威を前に、人々は力を合わせて支え合い、この空を生きていた。
そんな天空世界の一空域、ヴァトゥラグラス。
そのほぼ中央に位置する交易島ロスクロス。機工都市ヴァトゥールと農耕島グラスディアとの交易の中継地点として栄えたこの都市には、様々な人間が集まってレンガや木材など雑多な建材と建築様式で建てられた家屋、商店が立ち並んでいる。
そんな街の大通り沿いにある一軒の宿屋、ガジュマル亭。その木造二階建ての建物の一階部分を構成する食堂で、種族もまばらな、堅気の者には見えない連中が数人のグループを作って盛寂様々な食事を取り囲んでいた。
豪勢な食事を囲んで談笑する者、あるいは水と安いパンでつつましく空腹をしのぐ者。そんなそれぞれの稼ぎに応じた食事を進める者達は、一般的に探空者と呼ばれている。
探空者。
それは虹の中から現れる怪物を倒す事、虹に塞がれた航路を探して切り拓く事、そして主に虹の壁の中に隠された力ある遺産の発掘を主な仕事とした冒険家である。またそこから、荒事絡みの何でも屋としても人々に知られて頼られている者達である。
そうした探空者向けの宿屋でくだを巻く者の一人として、八角形二つのゴーグルを額に乗せたマシラ族の青年の姿が有る。
「……ったく、しけたメシだぜ。ま、ろくな仕事が無え今じゃしょうがねぇがな……」
そう言って青年は舌打ちを一つ。水気の無いパサパサのパンを口へ放りこみ、続けて水を口に含んで咀嚼する。
そこで不意に店のドアがベルを盛大に鳴らして開かれる。
「おーいケヴィン! 準備して準備! 仕事、仕事持ってきたよッ!」
明るい声を弾ませながら店内へ飛び込んでくるのは、背の半ばまで届く長い黒髪を持つ小柄な若い娘。
その頭の両脇から長い髪を割って覗く、後ろへ伸びる黒い毛に覆われた長い耳。そして腰にちょこんと収まった黒い毛玉の様な尻尾から娘が兎人間のコニーリョ族だと見てとれる。
「わ、と! ゴメンね!?」
コニーリョの娘は白い肌に輝く黒目がちな大きな目をくりくりとさせながら、丈夫なレザーのジャケットとホットパンツに包まれた、メリハリの効いた体をくねらせて探空者達の席の合間を潜り抜けてマシラ族の青年の元へ向かう。
「ほらほらケヴィン! 早く支度しようよ!」
そう急かしながら、娘が慎ましい食事の乗ったテーブルに手を突くと、皿が揺れて小さく音を立てる。それにマシラの青年ケヴィンは口の中で噛みほぐしたパンを呑みこむと、傍らのコニーリョの娘を咎めるように鋭い目でじろりと見据える。
「ノエル。もうちっと落ち着けよ……ただ今俺は、慎ましくも大切なメシの途中なんだよ。少ない稼ぎの中から絞り出した、なけなしのメシ代を使った、な」
そのケヴィンの目と言葉を受けて、コニーリョのノエルは頬をひきつらせてテーブルに突いた腕を引く。
だがケヴィンはそれを許さずに捕まえると、ノエルへ鋭い視線を注ぎながら言葉を続ける。
「そんな俺のメシからパン屑一片でも落としてみろ。そんな事になったら、悲しい事に俺はお前に説教しなくちゃならねえ。そうしなくちゃ他の誰でもない、俺が納得しねえからだ」
そこまで言って、ケヴィンはようやくノエルの手首を解放して腰掛けた椅子に体重を預ける。
するとノエルは掴まれていた手首を擦りながら、椅子を軋ませるケヴィンを見やり、唇を尖らせる。
「分かってるわよ。生まれて十七年、ずっと腐れ縁が続いてるんだから」
抗議する様に手首を撫でながら、顔と口調の両方で不機嫌さを主張するノエル。
それに対してケヴィンは鼻息を一つ。半眼で傍らに立つノエルを見やる。
「ハン、どうだかな。だったらいい加減、俺の物をどうこうしないように、ちったぁ落ち着いて動けってんだ」
「なによ、その慎ましい節約生活をどうにかしようと思って、せっかく仕事を取って来たっていうのに!」
そう言ってノエルは唇を尖らせたままそっぽを向いて返す。それにケヴィンは決まり悪そうに後ろ頭を掻きむしって、半眼を幼馴染みから外す。そして対面の席を指差して座るように促す。
「で、どんな仕事だ?」
ケヴィンはノエルが腰を落ち着けたのを一瞥し、取ってきたという仕事の内容を尋ねる。するとノエルは軽く息を吐くと、懐から折り畳んだ紙を取り出す。
「商船の護衛よ。ヴァトゥール行きの、シャイロックさんの船」
「ふぅん……で? 報酬と条件は?」
テーブルに契約書広げながらノエルは説明する。それをケヴィンはテーブルに頬杖を突いて軽く流して、続く重要な部分へ移るように促す。
するとノエルは予想通りだと言わんばかりに、呆れ気味の苦笑を浮かべて頷く。
「ハイハイ。報酬はクロス銀貨で千。拘束期間中の食事は向こう持ちよ。ただ、弾薬と燃料費はボーナス扱いに交渉するのが精一杯だったけど」
そのノエルの説明を聞きながら、ケヴィンは持ってきたノエルの契約書の内容に目を走らせる。そうして書面の隅や行間に細かい注意書きが無い事を確かめると、頬杖から顔を上げて頷く。
「十分だろ。いやむしろ駆け出しの二人組に、よくこんだけ出させる気にさせたもんだ。上出来だろ」
そう言ってケヴィンが口の端を吊り上げて笑みを浮かべる。すると、ノエルは長い耳の先を触りながら照れ笑いを返す。
「でしょでしょ!? もっと褒めて褒めて……って言いたいところだけど、ここまでの条件を引き出せたのは、ケヴィンがバディ持ちのライダーだったおかげなのよね」
ノエルの口から出た優遇の理由。それを聞いてケヴィンは笑みを浮かべたまま鼻を鳴らし、椅子にもたれかかる。
「なぁるほど、そう言うことか。親父ゆずりのライデンシャフトさまさまってワケかよ」
バディとは単座、ないしは二人乗りの複座型の小型飛空艇の総称である。
一般的には大型艦の艦載機として、サイズゆえの小回りの良さを活かして活躍する飛空艇である。しかし細かな燃料補給こそ必要ではあるが、少人数での旅の翼としての使用にも耐えうる頼もしい鋼鉄の鳥である。
その使用免許を持つものはライダーと呼ばれ、その多くは探空者や傭兵として生計を立てている。だが己の翼となるバディを所有しているか否かで、その扱いには大きな差が生じる。
「フリーのライダーは己の翼を持って初めて一人前」と言われるほど、バディの有無は死活問題に関わる重要な物なのである。
「そいじゃ、今度の墓参りには、好きだった酒でも供えてやるとするかね」
探空者であった父の遺産のおかげでありつけた好条件に、ケヴィンは亡き父への感謝を口にして残りのパンと水を口に含む。
そんな硬いパンをもそもそと咀嚼する幼馴染みの顔を眺めながら、ノエルはテーブルに両肘を突いて頬杖を突き、眉と耳とを八の字に下げる。
「もう……おじさん達のお墓参りくらい普段からそれくらいお供えして上げなさいよね。ホンットにバチあたりなんだから」
だがケヴィンはノエルの軽く唇を尖らせての一言を鼻で笑い飛ばすと、口の中のパンを胃袋へ流し込んで立ち上がる。
「ハン。二人ともいなくなっちまった以上、生きてる息子の俺が五体満足健康に過ごすのが最高の親孝行だろうが」
そう言ってケヴィンはあごをドアの方へ振ってノエルにも立ち上がるように促す。
「おら行くぞ! せっかくお前がもぎ取ってきた仕事だからな」
「そもそも、私がアンタの食べ終わりを待ってたんだけどね」
苦笑交じりにそう返しながら、ケヴィンに従い立ち上がるノエル。そうして二人は連れ立って店を出て依頼主の待つ港へと向かった。
積んできた荷を降ろしている商会の貨物船。その護衛らしき傭兵団の旗を掲げた船。そんな類いの大小様々な飛空艇が泊まるロスクロス三番港。
バディを預けてある事もあり、歩き慣れ親しんだ港。その中を、ケヴィンとノエルは荷を担いだトカゲ頭のドレイクや毛深いマシラの間を潜り抜けて進む。
頭上を鳥の顔をして翼の腕をしたヒュムグリフが通り過ぎる中、ケヴィンは小柄な幼馴染みが人波に飲まれないように先を切って進みながら、停泊する飛空艇を一通り眺めて後ろのノエルへ振り返る。
「どの船だ?」
「ほらアレ、あの奥の貨物船」
依頼主の船を確かめるケヴィンに、ノエルはケヴィンの鼻下ほどまでの背丈を伸ばして一隻の飛空艇を指差す。
「ああ、アレか」
ケヴィンはノエルの指さす先を辿り見て、そこにあった濃紺の箱型をした貨物船と、その傍に立つ人影を見て頷く。
そうして目標を改めて認識したケヴィンは、ノエルを引き連れて目的である貨物船へ真っ直ぐに向かう。
船の前に立つ、長く白いひげを蓄えた男。ゆったりとした外套の裾から白く長い尾を生やした、船の所有者らしきマシラの老人。
「ども。護衛のご依頼いただいた探空者のケヴィンとノエルです」
その老人へ片手を軽く上げて砕けた挨拶を送るケヴィン。その上げた腕にノエルが慌てて跳び付く。
「ちょっとお!? 挨拶するならちゃんとしなさいよッ!?」
そしてケヴィンの腕にぶら下がったまま、引きつった笑みを老人へと向ける。
「し、失礼しました、シャイロックさん」
冷や汗混じりに相棒の無作法を謝るノエル。
だが、シャイロックはじろりと長く伸びた白い眉毛の下から若者二人を睨みつけ、その頭から足の爪先まで値踏みするように見て軽く鼻を鳴らす。
「フン。ならず者相手は慣れている。頼んだ仕事をこなしさえすれば、証文どおりに報酬は渡す」
その依頼主のしわがれ声に安堵の息を吐くノエル。それをケヴィンは腕を下げて地面へ降ろす。
「へいへい、そいつはありがたいことで。そんじゃ、バディも積んで、仕事にかからせてもらうとしますかね」
「そうしてくれ。わしは今すぐにでも出発したいのだからな」
どこか苛立った調子の商人シャイロック老。その様子にケヴィンは眉をひそめる。だがそれ以上はあえて突っ込むことなく、依頼主へ軽く会釈を送る。
「おっとコイツは失礼。置いてかれない様に急いで用意させてもらいますわ」
そうしてケヴィンは踵を返すと、父の遺産を受け取るべく、それを預けた倉庫へと歩き出した。
愛機のライデンシャフトも加えて、すぐにでも出港しようとするシャイロックの商船へ乗り込んだケヴィンとノエル。
そんな急ぎ足で始まったヴァトゥールへ向けての航空。しかし始まりこそ慌ただしくバタついたものではあったが、虹から溢れ出たはぐれ者の怪物と遭遇する事も無く、順調そのものといった調子で航路を進んでいた。
だが白い月が雲間に輝く夜。ケヴィンが赤いバディを駆って哨戒飛行に出ている時に事件は起きた。
「ン? アレは……?」
雲の隙間からチラつく光。月光を照り返してのモノらしいその光を、ケヴィンがゴーグル越しに見つける。そして操縦桿を傾けて、体を預けた赤い巨鳥を左へ旋回させる。
風を引き裂いて身を翻すライデンシャフト。そして光を隠した雲と、航路を巡航速度で進むシャイロック船との間へ向かって後部スラスターを噴かす。
冷えた夜風を切って赤い鳥はそのボディを月光に煌かせて飛翔。その進む先を横切ろうとするように、左上空に浮かぶ雲が内側から出て行こうとする者によって伸び、突き破られる。
雲を破り現れた、ライデンシャフトに数倍するサイズの影。その正体は円筒を縦横に積み繋げで申し訳程度の翼を付けたその小型艇。蜂を思わせる黄と黒の船体には、金貨を運ぶ蜂のマークが刻まれている。
「空賊か!?」
それを認めて叫ぶケヴィン。そして操縦桿を倒して自身の翼を左へロール。傍を横切る船体をかわしながら口元のマイクに向かって叫ぶ。
「こちらケヴィン! 空賊を発見! 仕掛けてくるぞッ!!」
すれ違ったライデンシャフトへ向けて、蜂の空賊船が砲門を傾ける。それを視界の隅に留めて、ケヴィンは舌打ち一つ。相棒の舵を切りながらスラスターペダルを踏み込む。
音を立てて加速する鋼鉄の鳥。そのすぐ後ろを砲弾が光の軌跡を残して通り過ぎる。
「ン、グ! 食らえッ!」
叩きつけるような風に歯を食いしばりながら、ケヴィンは正面に巨大な蜂の尻を補足。ライデンシャフトの両脇に装備したリボルバーカノンの引き金を引く。
鳥、というよりは獣の咆哮にも似た音を立てて火を噴く翼下の砲。
真直ぐに空を裂いた弾丸は空賊船の尻を叩き火花を散らす。だが蜂のマークの船はすでにその射線から逃れようと動いており、その心臓部には届かなかった。
「クソが! 仕留めそこなったッ!」
ケヴィンは射線から逃れた標的の姿を目で追い、悪態混じりに体ごと操縦桿を倒す。そして濃紺のシャイロック船へ向かおうとする派手な空賊船の出鼻を、リボルバーカノンで牽制する。
ライデンシャフトの吐き出す弾丸に、度々装甲を削って火花を散らしながらも致命傷を追う事なく逃げ続ける空賊船。円筒を組み立てたようなその船体を正面に見据え、ケヴィンは操縦桿のトリガーを引きながら顔を顰める。
「チッ! しぶとい奴!」
火花を散らしながら、またも照準から逃れる蜂の船。それにケヴィンは舌打ちし、照準をつけ直そうと愛機に追いかけさせる。
しかしその照準に派手な空賊船を入れた刹那、まるで違う方向からシャイロック船へ砲撃が突き刺さる。
「何だとッ!?」
砲火に火の手を上げる箱形の商船。その姿にケヴィンはゴーグルの下で目を剥き、その砲撃の根元を探る。
すると砲撃を繰り返しながらシャイロック艦へ向けて突き進む中型の飛空艇が一隻、雲の合間から姿を現す。
赤字に金色の紋様で彩られた竜の顔を思わせる艦首。そこから続く流線を主体とする船体。その機体の半ばと尾部にそれぞれ一対、正面から見るとちょうど鋭いXを描く様に備わったスラスター付きの翼。
金色で飾られた赤竜は自身よりも数段大きなシャイロック船へ、猛然と砲撃を放ちながら迫る。
「新手かよッ!? くそったれが!」
箱形の船からの迎撃をものともせずに突っ込む赤い機竜の姿にケヴィンは毒づき、自身の翼をより危険な襲撃者へと向ける。
それに乗じての仕返しを狙ってか黄と黒の空賊船から放たれる砲撃。それをケヴィンはライデンシャフトを傾け、胴を軸にロール回転させて回避。また正面の赤竜からも放たれる迎撃の機銃も、その火線の隙間へ期待を捻じ込むようにしてかわす。
「ンなろぉおッ!!」
雄叫びを上げてのトリガー。それを受けて火を噴いたリボルバーカノンが機銃を撃ち抜き、破壊する。
そして引き金を引いたまま操縦桿を両手で引く。それに続き赤竜の装甲板すれすれに機首を真上に向けるライデンシャフト。その直後、ケヴィンを乗せたバディはスラスターを噴かせ、赤く輝く竜の船体に並行する形で空を駆け昇る。
その勢いのまま赤い竜の背の上へ抜け、錐揉み回転して機首を切り返すライデンシャフト。その見据える先ではシャイロック船へ襲いかかる空賊船を赤竜の船が砲撃で牽制。そのお返しとばかりに蜂の様な黄と黒の船も竜へ砲撃を放つ。
「空賊同士でも撃ち合いかよッ!? クソややこしい!!」
商船を取り巻き、三つ巴の様相を呈した戦況。それにケヴィンは苛立ちのままに吐き捨てながら、赤い竜のブリッジへ己の翼を向かわせる。
だがそれを機銃から放たれた弾丸が牽制。行く手を阻まれたケヴィンは操縦桿を捻って風切り迫る弾丸をかわしながら引き金を引く。
舌打ち交じりに放ったリボルバーカノンの弾丸はブリッジの表面を削り火花を散らすにとどまる。
そのまま竜とすれ違う様にしてライデンシャフトは離脱。そしてシャイロック船へと機首を向けた空賊船目がけて突進しながらの弾丸を放つ。
その一撃は空賊船の機首を捉え、怯ませることに成功。そうしてライデンシャフトは飛び交う砲弾をすり抜けながら空賊船と護衛対象である箱形の船との間をすり抜ける。
「クッソ! 他の護衛機はまだ出さねぇのかよッ!!」
未だに健在なまま塞がっている商船のカタパルトを睨み毒づくケヴィン。そのまま歯噛みしながら操縦桿を切り返し、赤い竜に追われる形で襲撃をかけようとする空賊船を牽制しようとライデンシャフトを急がせる。
そしてトリガーからの牽制の射撃。それが空賊船の軌道を逸らした刹那、思いがけぬ方向からの砲弾がライデンシャフトを掠める。
「なッ!? まさか!?」
それに驚き翼を操りながら砲撃の根源を見やるケヴィン。その瞬間、シャイロック船が自衛用に備えた砲台が火を噴く。
「俺ごと、撃つッ!?」
轟音を上げて迫る弾丸にケヴィンはとっさに操縦桿を捻る。直後、重い衝撃が機体を揺るがし、バランスを失した赤い鋼の鳥は真っ逆さまに潮霧へと墜ちていく。
「う、お、おぉおおおおおおおおおおおッ?!」
グングンと近づく淀みの吹き溜り。巻き上がった飛沫が頬に叩き受けられる中、不意に上方向へ引き戻される衝撃がケヴィンを襲う。
「う、ぐっ!?」
その衝撃にケヴィンは呻き声を漏らし、体へシートベルトを食い込ませながら気を失う。
「……う、うう……」
やがて闇に閉ざされた意識から立ち直ったケヴィンは、顰めた顔に瞬きを繰り返しながら辺りを見回す。
「ここは……どこだ?」
乗り慣れた愛機の操縦席とはまるで違う開けた空間。機械に覆われ、ガラス窓の外に夜空の広がるまるで見覚えの無い部屋にケヴィンは顔を顰める。
「確か俺は潮霧に向かって落っこちて……それにしちゃあ妙な景色だが……」
呟きながら腕を支えに身を起こすケヴィン。
「人の船に妙だなんて、随分な挨拶じゃないかな?」
「あぁ?」
そこで背後から不意に投げ掛けられた女の声に、ケヴィンは頭を抑えながら振り返る。
「墜ちていく所を助けてやったのだから。感謝の一言くらいあってもよいと思うのだけれど?」
そう言って首を傾げるのは、操舵輪に手をかけた小柄な少女。
捻れ一つ無く光沢のある銀色の長髪。それをまとめて作ったポニーテール。その銀髪と対照的な褐色の肌。自信の光を宿して輝く釣り目がちな碧眼。そして大きなそれの下に続く頬には鮮やかな赤い鱗があり、その間で笑みを形作る唇からは白い八重歯が輝く。
ノエルとほぼ同じ背丈ながら、起伏の少ない細身の体。それを包む金糸で飾られた艶やかな赤いコート。その裾からは白いタイトなズボンに包まれた脚と、赤い鱗に覆われたトカゲの尾が覗いている。
一目で分かるほど質の良い衣装から覗く特徴から、少女がトカゲの特徴を備えたドレイク族である事が分かる。だが銀髪に赤い鱗を備えた少女の体躯は、ドレイク族としてはあまりにも幼い。
「そうか、そいつは助かったぜ。で、この船の責任者は何処にいるんだ?」
身なりの良い少女の求める通りに礼を言い、船の責任者の所在を尋ねるケヴィン。すると少女は舵輪に片手を乗せたまま、空いた手で自分の赤い鱗に包まれた頬を指さす。
「艦長なら、目の前にいるじゃないの」
「いや、嬢ちゃん。艦長ごっこは分かったから、本物出してくれよ、な?」
艦長を自称するドレイクの少女。それにケヴィンは片手をひらひらと左右に扇いで返す。
だがその瞬間、ケヴィンの身は一回転。その勢いのまま硬い床へと叩きつけられる。
「あ、がっ!? な、なにが……」
うつ伏せに倒れ、痛みに呻くケヴィン。そこへすかさず、上から圧し掛かる様な力がかかり、マシラの青年の体を床へ縫いつける。
「うぐ!?」
「……ヘレナお嬢様に失礼な口をきくな……無礼者」
重みと共に圧し掛かる静かな声。それにケヴィンは抑え込まれた身を捩って声の主を振り仰ぐ。
射抜くような青い瞳。白いフリル付きのカチューシャを乗せた、緩いウェーブを描くオレンジがかったショートボブの金髪。ケヴィンを上回る長身と起伏に富んだ肉体。それを包む白黒のエプロンドレス。
そんな俗に言うメイド服に身を包んだ女は、女とは思えないほどの膂力でケヴィンを抑えつけつづける。
「止せ、リーザ。放してやりなさい」
そこへかけられるドレイクの少女の声。
「……はい。お嬢様」
それに従ってケヴィンの体にかかっていた重圧が消える。
圧力から解放されたケヴィンは床に叩きつけられていた体を擦り解しながら立ち上がる。
「牙王族か」
そして自分を押さえつけていたメイドへ振り返り、そのスカートから伸びる先端にオレンジがかった金毛のふさの着いた尾と、耳の縁を彩る毛を見て、雌獅子の牙王であると理解する。
呟くケヴィンに対して、リーザと呼ばれた雌獅子のメイドはその青い瞳をぶつけながら、主人である赤いドレイクの後ろへ控える。 ヘレナはそんな従者を一瞥すると、小さく笑みを溢してケヴィンへと向き直る。
「手荒な事をしたね。すまなかった。幼く見られるのには慣れているし、その印象も時には利用できるから構わないとは言っているのだけれどな」
ヘレナの口から出た詫びの一言。ケヴィンはそれに軽く頷き返して口を開く。
「いや、助けてくれたみてえなのに、ガキ扱いしたのは俺が先だからな。で、一応聞いときたいが、アンタの歳は?」
そうして素直に自分の非礼を詫び返し、そのついでに質問を添える。するとヘレナは牙の覗く笑みを深めて頷く。
「今年で三十六になる。と言っても、他の種族にして見れば十八歳程度になるのかな」
「さんじゅ……ッ!?」
目の前の子どもにしか見えないドレイク娘の年齢に絶句するケヴィン。
他種族に比べて倍近い寿命を持つドレイク族にして見れば、ようやく成人と見なされる年頃であり、十分に若者の範囲内である。だがその数字のインパクトにただケヴィンは目を剥くばかりだった。
「フフフ……その驚きの顔はいつ見ても面白い。第一印象ではまず子ども扱いされる容姿も、これが見られるならばよし! というものだよ」
金糸で飾られた幅の狭い肩を小刻みに上下させて笑うヘレナ。
「あまりよい趣味ではありませんよ。ヘレナお嬢様」
その背後で不意にドアが音を立てて開き、黒い燕尾服を着た鳶色の髪の男が現れる。
やや鉤鼻気味の高い鼻。鋭角な線で組み立てられた色白の顔に、きちんと首の後ろで結んで整えた鳶色の髪。そして燕尾服を乱れなく着こなした執事然とした男は、ケヴィンへ目を向けて軽く会釈をする。
「無事に目を覚まされて何よりです。私はハール家のご長女ヘレナ・ラ・ハール様にお仕えする執事、ヴィクター・アリデッドと申します。以後、お見知り置きを」
「あ、こりゃ丁寧にどうも……」
ヴィクターと名乗る執事の丁寧なあいさつに釣られて礼を返すケヴィン。そしてふとその眉根を寄せると、ヴィクターとリーザを従えて舵輪を握るヘレナへと目を向ける。
「ヘレナ・ラ・ハール……? ヴァトゥール技師の名門ハール家のッ!?」
「いかにも。ヘレナ・ラ・ハールである。そう言えばまだ名乗ってはいなかったな。ハッハッハッ!」
改めて名乗り、豪快に笑い飛ばすヘレナ。
「それでは貴方の名前もお聞かせいただいてよろしいでしょうか?」
それに続く、ヘレナの右斜め後ろに控えていたヴィクターの問い。それにケヴィンは頷き返す。
「あ、ああ。俺はケヴィン。船の護衛を依頼された探空者だ」
「ほう、同業者か。ますます密輸船の護衛にはもったいないな」
身分と請け負った仕事の内容を含めてのケヴィンの名乗り。
それを聞き、口の端から白い牙を覗かせるヘレナ。その笑みに乗せての言葉にケヴィンは眉をひそめて一歩足を踏み出す。
「密輸船だ? どういう事だ、おい!?」
ケヴィンの叩きつけるような問いに、リーザが反射的に構える。だがそれをヘレナが手で制し、ケヴィンを見据えながら口を開く。
「どうもこうも、言葉通りの話さ。我々はシャイロックという商人が密輸している虹の貝と言う品の奪還、もしくは破壊を依頼されているの」
「彼が運んでいるこの虹の貝という品は、虹の中で手に入る、その毒を凝縮した塊です。研究分析のためにしかるべき場所では高価で取引されています。しかし、問題となるのはそこではありません。これを放置すれば毒が染み出し……虹と、それに由来する怪物たちを呼び寄せるのです」
ヘレナの説明を継いで密輸品の詳細を語るヴィクター。その説明を締める不吉なフレーズに、ケヴィンは険しく歪めた目元をピクリと震わせる。
「虹を、虹の怪物を呼ぶ、だと……!?」
ケヴィンは絞り出す様にして、ヴィクターの口にした言葉を繰り返す。そして目を伏せ俯くと、一度深く息を吸って吐く。そして顔を上げてヘレナたち三人を見返して口を開く。
「なるほど。で、アンタらはその大層な仕事を果たす為に俺から情報を聞き出そうってことか? 当てが外れて残念だったが、俺は雇われの護衛の探空者だ。積み荷は調べちゃ無えし、詳しい事は何も知らねぇ。役に立つ情報は何も持っちゃいないぜ?」
そう言って腕を組むケヴィン。それを探る様にヘレナは舵輪に手をかけたままマシラの青年を覗きこむ。
「ふむ? という事は、私たちの言葉を信用してくれたという事かな?」
小首を傾げてのヘレナの問い。対してケヴィンは腕組みを解かずに猿の尾を一振りする。
「ああ。少なくとも俺ごと撃とうとした雇主よりはな」
そう言うとケヴィンは重ねてもう一度尾を振り、腕組みを解いてヴィクターの入ってきたドアへ目をやる。
「もう用件は済んだろ? アンタらに出来た借りはいずれ返す。俺を行かせてくれ」
そう言ってドアへと向かうケヴィン。ヘレナは歩みを進めるマシラの青年の動きを目で追い、牙の覗く唇を開く。
「どこへ行くの? どうするつもり?」
その問いにケヴィンは足を止め、ドアを見据えたまま額のゴーグルに手をかける。
「あの船に殴り込む。撃ってくれた借りと、奪い返さなきゃならないモン。清算しなきゃならない俺の物が山ほどある」
目的を告げ、足を踏み出すケヴィン。
「待て、ケヴィン」
だがその一歩が床を叩くと同時に、ヘレナの声が続く一歩を留まらせる。その呼びとめる声をケヴィンは煩わしげに睨み返す。
「何だ? まだ何かあるのか……? 俺は急いでるんだ」
針の先を向けたような剣呑な雰囲気をヘレナへ向けるケヴィン。だがヘレナは笑みを崩さずに言葉を続ける。
「では単刀直入に言おう。ケヴィン。この私の船、リントヴルムに乗り続けてもらいたい」
「ああッ!?」
ケヴィンがそのヘレナの提案に、怒鳴り問い返す。しかしそれでもヘレナはまるで怯まずに、ケヴィンへ宥め様とするように手で制する。
「まあ落ち着け。私がお前を助けた本題は、情報欲しさにではない。お前のバディ操縦技術を欲しいと思ったから、ここで失うのが惜しいと思ったからこそなの」
「ほう、そりゃあ光栄なこって。で、俺にアンタの仲間になれって?」
ヘレナの口説き文句に腕組み、足で床を叩きながら返すケヴィン。それにヘレナは大きく目を見開いて二度、三度と瞬きするものの、吹き出す様に笑みを零す。
「ふっ……ふふ。私の物に、か。面白い事を言う。が、私は手駒を求めているわけではない。信頼できるライダーを探空者の仲間として欲しいの」
ヘレナはそこで一度言葉を切ると、舵輪に寄りかかる様に体重を預けて言葉を続ける。
「それに、今は私たちの目標は共通している。一人で出て行って、燃料を過剰に消耗する事もないと思うけれど?」
その言葉を受けて、ケヴィンは尾を振り舌打ちを一つ。出口に向いていた爪先を切り替えて、体ごとヘレナへと向かい合う。
「チッ……俺にこれ以上借りを抱えろってのかよ……」
苦々しく吐き出した言葉を切って、ケヴィンは後ろ頭をかきむしる。だが口からだばあっと息を吐きだすと、口角を吊り上げて軽く鼻を鳴らす。
「まあいいさ。命の借りの分は、働いて返してやるさ」
片眉を上げての苦笑交じりにそう言うケヴィン。するとヘレナは柔らかく目を細めて唇を緩める。
「お、この船の乗組員になるつもりになってくれたのかな」
それにケヴィンは尾を一振り、軽く鼻息で吹き飛ばす。
「ハッ……! 運賃を借りにしとくだけだ。腕を高く買ってくれてるのはありがてえがな、俺一人で決めれる話でもねえんだよ」
「そうか、それは残念。では気兼ねしない様に運賃分の仕事はしてもらおうかな」
勧誘をかわされたにも関わらず、笑みを崩さないヘレナ。そうして傍らに控えた執事、ヴィクターへ目を向ける。
「と言うわけだ。ヴィクター、世話は任せる」
「かしこまりましたお嬢様」
左胸に右手を添え、恭しく主命を請け負うヴィクター。
「ではケヴィン殿、こちらへ……」
「おう」
そして顔を上げたヴィクターについていく形で、ケヴィンはヘレナの居る操舵室を後にする。
「だがくそっ……ちっとはやまっちまったか……」
甲板へ叩きつけた濡れモップの柄に寄りかかりながら傍らの赤く輝く愛機を一瞥し、ここに至った経緯にため息をつくケヴィン。
しかし後悔している様な口ぶりながらも、愚痴とため息を吐き終えれば、その体は熱心ではなくとも甲板みがきのために動き続ける。
そうしてケヴィンは愛機・ライデンシャフト近くの甲板をみがき続ける。
そこで不意にそびえる艦橋の根元にあるドアが硬い音を立てて開く。
「お疲れ様ですケヴィン殿。ひとまず片づけて、食事にしましょう」
扉を開いて現れた燕尾服の男ヴィクター。
「おう」
その誘いにケヴィンは頷き、甲板に当てたモップの頭を蹴って上下反転。入れ替えたそれを右肩に担いで、濁り水に満たしたブリキバケツを掴む。
汚れた水を捨て、タンクに溜めた雨水で使った掃除用具をすすぎ洗い、甲板への出口近くの用具置き場へともどすケヴィン。それを待っていたヴィクターは、ケヴィンを先導する形で船内の奥へと進む。
黒い燕尾服の裾に案内される形で、武骨な金板の廊下を進むケヴィン。そして潜ってきた甲板へと続くドアへ振り返り、正面の長身の男の背中へ目を戻す。
「この船、いい技師が乗ってんだな。さすがヴァトゥールの船だ。親父譲りのポンコツが、まるで若返ったみてえだったぜ」
ケヴィンは墜落させられかけたはずの愛機の姿を思い出し、その破損の形跡一つない状態に素直な感嘆の言葉を投げ掛ける。するとヴィクターはその鋭い線で構成された横顔をケヴィンに見せ、柔らかく微笑む。
「そうでしょうとも。整備、設計、発明。こと機械にかけて、お嬢様は確かな腕をお持ちです」
そのヴィクターの言葉に、ケヴィンは片眉を持ち上げる。
「あ? どうしてそこでお嬢が……って、まさか!?」
察して驚きの声を上げるケヴィン。それにヴィクターは笑みを深めて頷く。
「ええ。ケヴィン殿のライデンシャフトは、お嬢様が直々に修理、整備されました。ご満足いただけて何よりです」
「はあ!? お嬢様とか言われてる船の持ち主が自分から整備や修理までするのかよ!?」
正面へ向き直る長身の執事。ケヴィンはその背を追いかける歩の勢いを緩めずに、問いかける。
「ええ。常識などというものは解体して、発想の部品に使われる様な方ですから。この船、リントヴルムもお嬢様ご自身が設計し、建造に携わった探空者用の高速巡空艇なのです」
そう言って再び微笑んだ横顔を見せるヴィクター。それを聞き、赤茶色の髪に覆われた頭に手を置くケヴィン。
「破天荒なお嬢さんだろうとは思っちゃいたが……そこまでかよ。そんなんじゃ、傍にいるアンタらも苦労するだろうによ」
そう言ってケヴィンは先を歩く執事へ苦笑を向ける。だがヴィクターは同情の色のあるそれに頭を振って返す。
「確かに、求められるものは多いです。ですがそれ以上に、お嬢様と共に過ごすのは楽しいものですよ?」
「そういうモンかねえ……」
笑みを零し、頭に乗せた手で頭をかくケヴィン。
「着きましたよ。ケヴィン殿」
「お、おお」
不意に足を止め、艦内食堂と書かれたプレートを指さすヴィクター。それにケヴィンは慌てて足を止め、先に食堂へ入った燕尾服の背中を追い掛けて部屋に入る。
鳥肉と種々の根菜、葉を重ねた野菜を合わせて煮込んだスープに、保存を重視した水気の少ないパンとドライフルーツ。それらの乗った盆を受け取ったヴィクターとケヴィンは、向かい合ってテーブルの一つに着く。
ケヴィンは湯気を立てるスープから覗く鳥肉を銀色に輝くスプーンで裂き解して、救い上げたスープと共に口へ運ぶ。
「お、あっつ!?」
口に広がる熱に目を白黒させ、慌てて熱だけを逃がすケヴィン。そんなケヴィンを眺めながら、ヴィクターはパンを裂いて肉と野菜の旨みの融けたスープへ浸し、軽く冷まして口の中に入れる。
そして熱に苦戦するケヴィンと、慌てず咀嚼するヴィクターは揃って口の中の物を呑みこむ。それに続き、ケヴィンはスープに再びスプーンを差し込む。
「ところで、お嬢さんはドレイクで、あのメイドさんは牙王。で、アンタは? 俺のお仲間かい?」
ケヴィンは猿の尾を振って目の前に座る執事へ尋ねる。それにヴィクターは鳥と野菜の煮込みへスプーンを入れながら首を横に振る。
「いえ、お嬢様や姉さんとは違って分かりにくいでしょうが、私はヒュムグリフです。翼こそありませんが、一応ここには羽毛もあるんですよ」
そう言って自身の肩を指さすヴィクター。それを聞きながらケヴィンは具と共に掬いあげたスープに息を吹きかける。
「へえ、そうなのか……って、姉?」
訝しげに片眉を上げて冷ましたスープを口に含むケヴィン。それにヴィクターは頷く。
「ええ。リーザと私は同じ孤児院出身で、同じ養父に育てられた義姉弟なのですよ」
ヴィクターはそう言うが、異種族同士で血のつながった兄弟というのはありえない話でも珍しい話でもない。
異種族同士の間で子を授かれば、その子はどちらかの親の種族として産まれる。例えば父が牙王、母がヒュムグリフで、長子はヒュムグリフ、次子が牙王と言う事例もある。また両親が同族であっても祖父母に異種族がいれば隔世遺伝として両親と違う種として産まれることもある。なお、そうして産まれた混血児の場合。その種族が本来持ち得ない特徴、能力を供えている事もある。
「そうだろうな、アンタらまるで似てねえし」
だがスープを飲み込んだケヴィンは、義姉弟だと言うヴィクターの言葉をあっさりと首肯する。それにヴィクターも苦笑混じりに頷き返す。
「ええ、よく言われます。義姉弟だと説明すると皆さん揃って納得されて」
「だろうな。むしろ俺としては、アンタの方が弟って事にまだ納得いかねえんだけどよ」
「それもよく言われます。実際私たちは揃って二十一で、リーザの方が誕生日が早いので姉ということになってるんですよ」
そうして談笑を交わしながら食事を平らげていく二人。
やがて盆の上がほとんど片付いたところで、ケヴィンが真剣な顔で話を切り替える。
「ところでよ、あの船はもう見つかったのか?」
低く抑えた声での問い。それにヴィクターは目を伏せて首を横に振る。
「いいえ。航路を変えたらしく、未だに補足は出来ていません」
「そうか」
言葉短く答えて、しかめっ面を見せるケヴィン。
「ですが、船その物が見つかっていないだけで、おおよその目星はついています。こうなれば、もう逃がしません」
言いながらきれいに平らげた盆に手を置くヴィクター。
刹那、その言葉に応えるかのように響く警報。食堂の壁に輝く赤い警告の光とけたたましい音に二人の男は椅子を蹴って立ち上がる。
「見つかったか!?」
「そのようです! ケヴィン殿はライデンシャフトで待機を!」
「おう!」
そして二人は艦内食堂を飛び出し、それぞれの持ち場へと床を踏み鳴らして走る。
硬質な足音をリズミカルに響かせて廊下を駆けるケヴィン。そして甲板へ続くドアを叩き開け、正面から殴りつけてくる風の中を愛機に向けて駆けこむ。
その勢いのまま愛機のボディへ手をかけ、四肢の力を使って弾むようにコックピットへと躍り込む。
そして背中に馴染んだ革シートへその身を預け、交差するシートベルトで手早く体を固定。続けて額に引っ掛けていたゴーグルを下ろして、通信用のマイク付きヘッドフォンを装着する。
「こちらケヴィン。甲板のライデンシャフトにて待機中。状況を知らせてくれ」
通信機の電源スイッチを跳ね上げ、合わせておいた周波数へ問いかけるケヴィン。すると僅かなノイズに混じり、耳に当てた受信機から女の声が流れ出る。
『……ZA、ZA……こちら、リントヴルムブリッジ。ヘレナ・ラ・ハールである。密輸船を二時の方向に補足した』
ヘレナからの通信を受けて、右斜め前を見やるケヴィン。
すると分厚い雲が流れ、その影に隠れていた濃紺の箱型が姿を現す。それを愛機の上から認めたケヴィンは、八角形のゴーグルレンズの下で目を研ぐ様に細める。
「会いたかったぜ……」
ケヴィンは小さく呟き、笑う様に白い歯を剥く。そして眠る己の翼を目覚めさせてそれを操る操縦桿を握り込み、スラスターペダルへ靴底で触れる。
「ブリッジ! ロックを解除してくれ! あの船に風穴開けて突っ込んでやる!」
発進のために構えながら愛機を縛るロックの解除を要請。
『待て、合図はこちらから出す』
「ああッ!? どういうつもりだ!?」
蹴られた発進要求に怒鳴り返すケヴィン。だが通信機の向こうのヘレナは動じた様子も無く、僅かなノイズを挟んで言葉を続ける。
『……リントブルムで距離を詰めてから、砲撃の牽制に合わせて発進してもらう。お前にはリーザ達に先行して密輸船へ突入して欲しい。まだ待て』
身を預ける形で共同歩調を取っているヘレナからの指示。それにケヴィンは言葉を噛み殺しながら、正面に収まった箱形の船の横腹を睨む。
爆音を轟かせ、シャイロック艦の進路を塞ぐように飛翔する砲弾。それは雲を箱形の飛空艇の鼻先をかすめてその向こうにある雲を貫き抉る。
それに速度を緩めながら、シャイロック艦も反撃の砲弾を発射。リントヴルムの追撃を牽制する。
砲弾の応酬を交えての鬼ごっこ。思う様に距離の詰まらないそれに、ケヴィンは焦れたように歯噛みしながら操縦桿を執る手の握開を繰り返す。
焦れるケヴィンの前でじりじりと、しかし確実に詰まる密輸船との距離。それにケヴィンは腹の内で渦巻く苛立ちを吐き出す様に息を吐く。
『……ZA、ZAZA……そろそろ出てもらうけれど。準備はいいかな?』
「遅いぞッ! さっさと出せッ!」
不意の耳障りなノイズに続いての確認。ケヴィンはそれを打ち返すように口元のマイクへ怒鳴り返す。
『ハハッ、分かった。ロックを解除する。次の三連射に続いて出ろッ! こちらの砲撃に、落とされてくれるなよ?』
焦れを乗せた怒鳴り声を笑い飛ばし、砲撃の中へ飛び出すケヴィンへの警告まで添えるヘレナ。
「ハン! アンタが欲しいと抜かしたのはその程度の腕前かよ!?」
機体をロックが外れる振動を腰の下から受けながら、正面を見据えて操縦桿を握り直すケヴィン。
『ハハハ、ならばよし! 行くぞ! 三連射、テェーッ!!』
号令に従い放たれる砲撃。それは空を裂いて濃紺の箱型の頭上を掠める。
続く二射目。角度を変えたそれは右手の雲へ隠れようとする船の右脇を通り過ぎてその行く手を塞ぐ。
そして三射。それは左へ浮かぶ浮島を穿ち、その瓦礫で箱形の船体を叩く。
『行けェッ!!』
「オオオッ!!」
ヘレナからの合図とほぼ同時に、ケヴィンはそれをかき消す様な雄叫びを上げてブーストペダルを踏み込む。
スラスターの咆哮。そして爆発的な加速に乗ってライデンシャフトが走る。
自衛砲による反撃が放たれる中、鋼鉄の赤い巨鳥はその翼を広げて甲板を加速し続ける。
風防越しにさえ滑り込んでくる風に歯を食いしばりながら、ケヴィンは操縦桿を引き倒してライデンシャフトを浮かせる。
そこへ正面から迫る砲弾。それにケヴィンはライデンシャフトの発進と同時に体ごと操縦桿を右に倒す。
赤竜の背から錐揉み状に飛び立つ赤い巨鳥。
砲弾を腹側へ流しすれ違いながら空へ躍り出たバディ。それは主と共に、正面の箱型の船へと飛翔する。
「食らいやがれェッ!!」
リントヴルムへ向けられた尻側の砲座。その一つを照準に納めて、ケヴィンは愛機が翼下に備えたリボルバーカノンのトリガーを引く。
直撃。そして腹に詰めた火薬の引火で爆散する砲台。
ライデンシャフトは火の手を上げるそれを真下にすれ違い、ケヴィンは甲板へアンカーを撃ち込もうと左手のレバーに手をかける。
だがその瞬間、甲板から白い単翼のバディが飛び出す。
「チッ!」
それにケヴィンは舌打ちを一つ。とっさに操縦桿を左へ倒して機関砲の射撃をかわす。
翼で風を裂きながらシャイロック船を追い抜くライデンシャフト。赤い翼はケヴィンの操るままに弧を描いてターン。
「ハッ! 捨て駒ほしさに依頼掴ませたってことかよッ!!」
そして同じ様にターンしようとする密輸船の護衛機を正面に収めるや否やトリガー。
火を噴く二門のリボルバーカノン。横薙ぎの連射はバディの一機を貫き、撃ち落とす。
眼下に広がる雲へと墜ちていく黒煙の尾を引く護衛のバディ。
それを一瞥で見送りながら、ケヴィンは操縦桿を引いて下方向に伸びた左翼を軸に愛機を切り返す。
「……今行くぞ、無事でなかったら許さねえからな」
そして呟き、再度突入の為に正面に捉えたシャイロック船へライデンシャフトのブーストペダルを踏み込む。
だがその刹那。ケヴィンとそのバディの前を横切る影。
「なに!?」
とっさにペダルを踏む足を緩めて減速。そして横切った影を一瞥し、その姿に絶句する。
虹色のヒレを翼のように広げた魚。だがその半ばから後ろには水かきを供えた一対の長い足が続き、空を蹴って飛翔する。
「虹の怪物……ッ!?」
そんなトビウオとカエルを切り貼りしたような醜い化物。そしてシャイロック船の向こうで揺らめき、化物を生み出しているおぞましいプリズムに、ケヴィンは歯を食いしばる。
「クソがあッ!?」
箱形の飛空艇へ群がる化物へ怒声と共に火を噴く機関砲。その砲弾で行く手を遮る化物を砕きながらケヴィンはペダルを踏み込む。
そこへ迫る怪物に取り付かれたシャイロックの護衛機。
「く!」
不意に現れたトビウオカエルで出来た繭に、ケヴィンはとっさに舵を切る。が、塊となって膨らんだそれをかわすには足りない。
しかし次の瞬間。バディを核としたトビウオカエルの塊が爆散。
「な!?」
飛び散る肉片の合間を愛機に掻い潜らせるケヴィン。その操縦に従って煙と残骸をすり抜けたライデンシャフトの横へ円柱を組み合わせたような船が滑り込む。
『こちら空賊ミエーレ一味! ソコの赤いの! アンタの牽制で助けられたお礼に、助太刀に入ってあげるわよ!』
拡声器を通しての女の声と、黄と黒の船体に瞬かせた光信号とで助太刀を主張する金貨を運ぶ蜂の空賊船。
「はぁッ!?」
そんな乱入者に思わず目を剥くケヴィン。その耳へノイズ交じりの声が投げ掛けられる。
『……ZA……ケヴィン、好きにさせておけばいい。便乗して強奪する口実にしているだけだろうが、放っておけば大した害はない!』
『ドキィ!? ミエーレ様、なんでバレたんでょおぉ!?』
『こンのおバカ! だまっときゃ誤魔化せたんだよ!?』
ヘレナの指示を傍受していたのか、マイクで拡大した漫才を放り出す空賊たち。そのやり取りに、ケヴィンは思わず噴き出して正面に目標へ目を戻す。
「ハッ、違いねえ」
そしてトリガーと同時にブースト全開。正面に迫るトビウオカエルを蹴散らしながらシャイロック船へ向けて突っ込む。
『ア!? ちょいと待ちなって! ナニやってんだいお前達、遅れてんじゃないよ!』
『アイマム!』
先行するライデンシャフトに続き、慌てて加速する空賊船。
砲撃を放ちながら追いかけてくるそれをよそに、ケヴィンはコクピットを軸に愛機を左右に振って化物やその残骸を掻い潜っていく。
そして密輸船の上部。ガラス張りの操舵室を正面に愛機を突進させる。
「どけえぇえええ!?」
艦の制御を放り出して我先にと逃げまどう乗組員。それらが転げ回る中へ、ケヴィンは機関砲でガラスを突き破りながら愛機と共に飛び込む。
連なり響く破砕音。操舵席をその嘴で突き崩してライデンシャフトは静止する。
強引に取りつくや否や、ケヴィンはコクピットから顔を上げて愛機のエンジンを止めずにシートベルトを外して飛び降りる。
「ノエル! どこだノエル!?」
煙の上がる操舵室の中、返事を求めて呼び掛けながら辺りを見回す。
ゴーグルの下で探し物を求める険しい目は、部屋の外へと続く扉を見つける。
外れかけの飾り扉へケヴィンは走り、左の肩から体を叩きつける。
その体当たりに負けて外れる扉。それを押し倒すようにしてケヴィンは扉の向こうにある空間へ転がり込む。
「なんだ!? 何者だ!?」
絨毯敷の部屋で転がり受け身をとったケヴィンは、その勢いのまま身を起して狼狽したしわがれ声の根元を睨む。
「てンめえ!!」
「お、お前は!?」
怯える長髭の老マシラへ踏み込むケヴィン。するとシャイロックは一抱えほどの箱を持ったまま壁に背中からぶつかる。
「ふ、復讐のつもりか!? 止せ! 金なら最初の約束の二倍、いや三倍出す!」
金の話を盾にするように切り出すシャイロック。それにケヴィンは無言のまま目を鋭く細めてさらに踏み込む。
「ひ……! な、ならばこれが欲しいと言うのか! やらん! これはやらんぞ!? これをワシから奪った所でお前程度では二束三文にもできん!!」
シャイロックは息を呑み、抱えた箱を体の影にかばう。
そんな見苦しい老人の姿に焦れたようにケヴィンは舌を打ち、脇腹を左足で蹴りつける。
「おゴッ!? な、にを……? ヒィッ!?」
そして腰の鞘から抜いた大振りのダガーを突きつける。
「いらねぇよ、金もそんな下らねぇものもよ……ノエルを、俺の仲間をどこにやった!?」
老人の腹越しに押し込む蹴り足。それで壁を軋ませて尋ねるケヴィン。
しかし呻き声しか漏らさない老人。その鼻先へ肉厚の短剣を当てる。
「答えろッ! どこにやったッ!?」
そして低く唸る様な声色で重ねて質問をぶつける。
「こ、この奥の倉庫だ……あのウサギ娘……お前の事でうるさかったから、倉庫に……閉じ込めさせたッ」
「テメェエッ!? 俺のモノによくもぉおおおッ!?」
喘ぐような老人の答え。それにケヴィンは脳天へ逆上する血液のままにダガーを引き、その刃をシャイロックの右腕へ突き刺す。
「あぁっぎゃぁあっはぁああああああああああッ!?」
引き抜いた刃に続く鮮血を散らしながら悲鳴を上げるシャイロック。そして大切に抱えた箱を取り落とす。床に墜ちた箱はそのはずみで三つのプリズムの巻貝と金貨を吐き出す。
「あぁはぁああ……ッ!? わ、ワシの! ワシの金ッ!! ワシの、虹の、貝ィイイイッ!?」
シャイロックは崩れるままに床に膝をつき、散らばり転がる財産へ血に染まった枯れ木の様な手を伸ばす。
そんな老人を見下ろしながらケヴィンは右足を大きく引く。
「フンッ!」
「げぶぅあ!?」
そして振り子の如く放った蹴りで這いつくばった老人の脇腹を蹴り飛ばす。その威力のままに老商人の体が浮き上がり壁を叩く。
そうして床にうつ伏せになったシャイロックへ唾を吐きかけて、ケヴィンは血だまりの中で動かなくなった老人の示していた倉庫を見やる。
ケヴィンは握った刃を汚す赤を振り払いながらそのドアへ踏み込み、刃物から自分とノエルとを隔てる板へぶち当たる。
「オォオッ!?!」
気合の声と体重を乗せた肉厚の鉄が木製の板へ深々と突き刺さる。ケヴィンは亀裂の中心で楔となったそれを手放し、立て続けにその平らな柄尻へ蹴りを叩きこむ。
「ラァアアアッ!!」
蹴りを撃鉄として扉をを貫くダガー。続けてケヴィンは鋭く歪な風穴を開けた扉へ大きく振りかぶった蹴りを何度も、何度も打ちつける。やがてその蹴りに負けてドアは錠側と蝶番側に割れ、暴力的な乱入者へその口を開く。
「ノエルッ!? どこだ!?」
ゴーグルを上げて叫びながら、ケヴィンは大小様々な木箱や飾り箱の積まれた空間に踏みいる。そしてこれまでの生を共に過ごしてきたコニーリョの娘の姿を探す。
「……ンンッ!? ンンンーッ!?」
「ノエル!!」
呼びかけに応えるくぐもった声。その根源を求めてケヴィンは右手の空間へ振り向く。するとその暗がりの奥に、荒縄の轡と拘束を受けてうつ伏せにもがくノエルの姿が見つかる。
「待ってろ、今外してやる!」
木片の中に転がるダガーを見つけて拾い上げて駆け寄り、刃こぼれしたそれでノエルを縛る荒縄に当てる。
鋸の様に短剣を使って拘束を切り裂き、轡を外してやるケヴィン。
「ケヴィン! ケヴィンッ!!」
するとノエルは助けに駆けつけた幼馴染みの首へ腕をまわして抱きつく。その柔らかな感触と温もりとにケヴィンもその頬を緩め、空いた手をノエルの背中に回して軽く弾ませる。
「勝手に怪我なんぞしてねえだろうな……?」
「うん、うん!」
安否の問いに、抱きついたまま繰り返し頷くノエル。ケヴィンはその背で弾ませていた手を肩へ回して抱きしめる。
「ああ……それならいい」
抱擁と共に安堵の息を重ねる二人。だがそこへ爆音と震動が襲いかかる。
「ノエル、脱出するぞ! この船は虹に呑まれる!」
「わ、分かった!」
そして立ち上がるケヴィンとノエル。だがその瞬間、湿った足音がケヴィンの背を叩く。
「ケヴィン! 後ろッ!!」
それとノエルの警告に息を呑み、振り返るケヴィン。だがその右腕に牙が食らいつく。
「ぐぅあぁッ!?」
腕に喰らいつく虹のヒレを持つ魚蛙。その牙の痛みにケヴィンは呻き、ダガーを取り落とす。
だがすぐさま苦悶の呻きを噛み殺すと、己の腕に食いついた化物へ膝を撃ち込む。それによって食いつきの緩んだ隙に醜い怪物の体を振り払い、手近な木箱へ叩きつける。
「この!」
そして落とした短剣を左手で素早く拾い、木箱の側面をずり落ちる虹の化物へその刃を突き入れる。
ギィエェエエエエエエエエ
耳障りな悲鳴を上げて崩れるサカナカエル。ケヴィンはそれを貫いていた刃を引き抜き、噛まれた腕をかばう様に倉庫の入り口へ刃ごと左半身を突き出す。
「ケヴィン! すぐに治療するから!」
「いや、待て!」
ジャケットの裏や手袋の裏側に隠していた軟膏や包帯を取り出すノエル。だが治療にかかろうとするその手を、ケヴィンの声と壁向こうからの濡れた足音が遮る。
それに続いて、狭い倉庫内へ踏み込むサカナカエル。その目とプリズムのヒレがぎらりと光を放つ。
「ま、まだいたのッ!?」
その姿に悲鳴にも似た声を上げるノエル。だがそれに追い打ちをかける様に、二匹、三匹、四匹と次々と魚とカエルをつぎはぎにした化物が踏み入ってくいる。
「くそったれがぁ……」
ケヴィンは抑えた声で毒づき、利き手とは逆の手で短剣を突き出しながら、背後に丸腰のノエルを庇う。
そうして威嚇の短剣を構えたまま、ひたひたと足音を鳴らしてにじり寄る化物の群れにすり足で後退りする。
「け、ケヴィン……」
「何だ? 早く下がれ……って」
背後のノエルからのか細い声に一瞥をやるケヴィン。その瞬間、壁にぴったりと背中を付けたノエルの姿が目に入り、その言わんとしていた事を察する。
「ハッ……袋のねずみって奴かよ」
逃げ場のない状況。それを皮肉を添えて笑い飛ばし、正面に迫る敵へ向き直るケヴィン。
湿り気のある足音。そして滴り落ちる血の滴が床を叩く音が薄暗い倉庫に大きく響く。その中でケヴィンは正面の敵を睨み据えたまま、音が鳴るほどにダガーの柄を硬く握りしめる。
「来てみやがれッ! 俺のモノには絶対に食いつかせやしねえ……! よだれ一滴付けさせるかよッ!!」
そして雄々しい叫びと共に逆に踏み込み、刃を突き出すケヴィン。
ギィエエッ!!
その一撃は同時に跳びかかったサカナカエルを真っ向から刺し貫く。
「ぐ!?」
だが串刺しになった化物が崩れるよりも早く、左すねに食いつく二匹目。その背びれへケヴィンは短剣を突き入れ殺す。
その隙にケヴィンの両脇をすり抜けようとする怪物。
「させるかッ!!」
だがそれをケヴィンは許さず、左の肘と右の蹴り、そして壁と木箱とで挟み込んで潰す。しかし虹の色を帯びた化物たちはまるで怯んだ様子も無くケヴィンの左肩、そして猿の尾へと食らいつく。
「ぎゃ、ああっ!?」
「ケヴィン!」
ケヴィンは肩に食いついたものを褐色の毛を血に染めた右手で掴んでもぎ取り、尾に食いついたものはノエルが木片の魚眼に突き刺して怯ませ剥がす。
そして右手にもぎ取ったものを踊りかかってきた化物へぶつけ、左手のナイフを振るって牽制するケヴィン。
「ハァ……ハァ……ッグ!」
ケヴィンは咬み傷から溢れ出る血を滴らせながら、肩を上下させて喘ぐ。
その様子を体を傾け窺い覗く化物たち。まるでなぶり楽しむ様なその目に、ケヴィンは弱みを見せまいと喘ぐ息を噛み殺して短剣を突き出す。
だがそれを虚勢と見抜いているかのようにカエルの足を深く沈める化物の群れ。
その姿に固唾を呑むケヴィン。
だがその瞬間。倉庫に開いた入り口へ閃く光の軌跡が降り注ぐ。
破壊の力を伴うそれに撃ち抜かれて飛び散る化物たち。それに続き、開かれた倉庫へ一つの影が滑る様に踊り込む。
その影は床を埋め尽くす化物達を腕や足を振るって軽々と蹴散らし踏み越えていく。そして迎え撃とうと跳ね上がった化物を真正面から蹴り砕き、その場にステップを踏むようにして立ち止まる。
「リーザか!?」
獅子の尾を左右に揺らし、優雅に一礼する長身のメイド服。
その名を呼ぶケヴィンに対し、リーザは下げた頭をあげて口を開く。
「……お嬢様の命により、お迎えに上がりました」
「姉さん。ケヴィン殿は……? 良かった。生きているようですね」
抑揚なく用件を告げるリーザに続き、顔を見せるヴィクター。リボルバーを両手に提げた男の安堵の声に、ケヴィンも笑みを返して頷く。
「ああ、おかげさまでな……う、ぐ」
そう答えて幽かに呻くケヴィン。その体をノエルが素早く支える。
「ケヴィン。この人たちは?」
「俺を助けてくれた物好き連中さ」
ノエルの知らない顔に対する警戒を解くケヴィン。それに続き、拳銃を構えたヴィクターが倉庫の外へ一発発砲する。
「とにかく急いで脱出を。大物が迫っております故、お嬢様は仲間たちが脱出次第この船ごと沈めるつもりです」
ヴィクターは脱出指示を伝えながらさらに五発発砲。そして手首のスナップで空薬莢を吐き出させる。それにケヴィンは体の痛みを堪えて頷く。
「分かった! 行くぞノエル!」
「う、うん!」
先行するヴィクターとリーザ。それに続き、ケヴィンとノエルも連れ立ってシャイロックの個人倉庫を抜け出る。
部屋を出た一行の目に飛び込んでくる、灰白色の欠片と布の切れはしの散らばる赤黒い水たまりの跡。
「……食われやがったか」
「ええ、私たちが来た時にはすでに、虹の貝も……」
そこにあったものと今結果として存在する残骸から事の顛末を察するケヴィンと、それを肯定するヴィクター。
そんな老商人の残骸から目を外して、一行はライデンシャフトの突っ込んだ船の管制室へ出る。
「すっかり虹に包まれちまってるじゃねえか……」
あやつる者を失い、徐々に高度を下げているらしい船体と、ガラス壁の向こうで蠢く豊かな色どりに舌打ちするケヴィン。そうして赤い翼へ向かうケヴィンとノエルをよそに、ヴィクターとリーザはガラス天井をぶち抜いたアンカーへ向かう。
「私たちはこちらから。あまり時間はありません。お急ぎを」
「分かってるって」
轟音を響かせ揺れる船。それをものともせず赤い機竜へ続くアンカーへ取りつくリーザとヴィクター。それにケヴィンは左腕を上げて応える。
「では、御無事で」
その言葉と共に二人を乗せて巻き戻されるアンカー。その一方でケヴィンとノエルは唸り続けるライデンシャフトにたどりつく。
「早く乗れ、ノエル」
「でもケヴィン。その腕じゃあ……せめて止血だけでも」
後部座席へと促すケヴィンに、治療を進めて食い下がるノエル。だがそこへ一際大きな振動が船体を襲う。
そしてキャノピーの向こう。そこに長く太い何かがうねる様に飛ぶ。
「いいから乗れッ!」
「ひゃあっ!?」
ノエルを押し込み、自身も愛機へ乗り込むケヴィン。刹那、再び巨大な振動が船を襲い、巨大な頭が壁を砕いて管制室へ躍り込む。
「四ツ目かよッ!!」
斜めに交差する様な二対の目を備えた大蛇の頭。大口を開けて迫るそれに、ケヴィンはトリガーと同時にリバースブーストを点火。
鋭い牙の生えた口へ銃弾を撃ち込んで迎え撃ちながら、その反動を利用して愛機を操舵室から離脱させる。
後ろ飛びに空へ踊り出るライデンシャフト。
そのコクピットでケヴィンはトリガーごと握り込んだ操縦捍から手を離さずに右ペダルを踏み込み、ブースト。シャイロック船のキャノピーを内側から破り出る四ツ目大蛇の頭を飛び越えかわす。
「シートベルトはしたか!?」
「だ、大丈夫!」
ケヴィンは左手でシートベルトを締めながら、伝声管越しに後部座席のノエルへ問う。そして返ってくる答えに、操縦捍を両手で握り直して右へ倒す。
「よし! ちいっと荒っぽく行くぜ!」
それに従い、前方を塞ぐ尻尾をかわすライデンシャフト。
さらにその行く手を塞ぐように飛び迫るサカナカエルの群れ。
「邪魔だあ!!」
それにケヴィンは狙いもつけずにリボルバーカノンを発射。連なり放たれた銃弾は化物の作る壁に風穴を開ける。
そしてこじ開けた風穴へ己の翼を捻じ込みすり抜けるケヴィン。その勢いのまま機体の上下、左右への捻りで飛んでくる怪物を避け、その合間の射撃で撃ち落としていく。
「ケヴィン後ろ!」
「なにッ!?」
伝声管からの警告に背後を見やるケヴィン。その目に箱形の船に胴の半ばまで沈めたまま迫る翼持つ四ツ目の蛇の姿が飛び込む。
「クッソがぁ!?」
小型の怪物を食いつぶしながら迫る大蛇の頭。それに毒づきながらケヴィンは正面へ向き直り、血で滑る操縦桿を握り直してブーストペダルをベタ踏みする。
悲鳴を上げながらもスラスターを吹かして加速するエンジン。その速度を緩めずにケヴィンは群がる怪物を次々とかわして飛翔する。
『……ZA、ZAZA……しろ……! ZAZA! 上昇し……ッ!!』
そこへ不意に響くノイズ交じりの通信。それにケヴィンは言われるままに従い操縦桿を力の限り引き倒す。
それに従い急上昇するライデンシャフト。
『今だッ! 艦首ドラゴンクライ! テェエエエエエッ!!』
直後、通信機越しに鋭い号令が耳を貫く。それに続き、巨大な熱線がライデンシャフトの真下を通り過ぎる。
「なぁあッ!?」
「なに、これ!?」
背中の下を過ぎる極太の熱線。それを赤い翼の尾翼越しに見下ろし、揃って驚きの声を上げるケヴィンとノエル。
その二人の視線の先で、長大な肉体を持つ翼持つ大蛇は取りついた密輸船もろともに熱線に沈む。
僅かな黒焦げの炭塵となり、蠢くプリズムと共に空へ霧散する怪物たちと密輸船のなれの果て。
その一方で艦首の竜の口から熱い吐息を零しながら、赤き機竜リントヴルムがライデンシャフトの下へゆっくりと滑り込む。
『……ZA、ZA……どうだ? 我が艦の切り札の威力は?』
明滅する光での信号も交えて船を誇るヘレナ。それにケヴィンは笑みを零して口を開く。
「ハッ……まったく大したもんだぜ……おかげで、俺は何も無くさずに済んだ……」
そう答えるケヴィンの目の先では、黄と黒に彩られた派手な船が黒煙と小さな煌きを零しながらよろよろと空を飛んでいる。
それに笑みを深めて、ケヴィンは操縦桿を返してリントヴルムの巨体にライデンシャフトを並走させる。
「……コイツは、でかい借りができちまったな……アンタの船で、住み込みで働かせてもらうとするぜ」
『ハハッ! そうか!? ならばよし! ようこそ、我がリントヴルムへ、歓迎しよう!』
ケヴィンの答えを聞き、ヘレナがリントヴルムの艦橋から上機嫌に笑い飛ばす。
「ちょ、ちょっと待ってよケヴィン!? 私に何の相談も無しに!?」
それを受けて伝声管の向こうで色めき立つノエル。その声にケヴィンは顔を顰めて伝声管へ返す。
「……うるせえな。あの船には借りを山ほど作っちまったんだ。これを返さねえ限り俺は絶対にあの船から降りねえぞ!」
「それはいいけど! なんで私に一言の相談も無しに決めちゃうわけ!?」
「別に構やしねえだろうが!? お前は黙ってろ!?」
「そういうこと言う!? 人の事を俺のモノ俺のモノって言っといてえッ!?」
激しく言葉をかけ合う二人。そんな乗り手に揺さぶられる様にライデンシャフトの機体が青い空に左右に揺れる。
そうしてより大きな赤に寄り添いながら、赤く輝く翼は空を行く。
どこまでも、果てしなく続く青い空を。