先輩と妊婦
闘技場では、丸い石造りのリングの上で男女が向き合っている。
一人は居合の構えを向けるイズミで、もう一人は左手を前に出し木剣を下段に構えるルーデルだ。ただ、下段に構えているように見えるが、本人は力を抜いて左手に意識を集中している。
白騎士であるルーデルの武器は、盾である。光を放ち、あらゆる攻撃から守る光の盾……切り札を最初から使う用意をした。
周りにいる去年のアレイストとの戦いを知る観客は、イズミが光の盾を斬れるのか興味がわいてくる。
イズミ自身も、本気になったルーデルに気を引き締める。一度笑ったルーデルは、その表情を真剣な物へと代えると雰囲気が変わる。
イズミは木刀の柄を握りなおすと、目を見開いて今までで最高の一撃を繰り出した。直後、闘技場の壁には横一閃の傷が発生する。
ルーデルは防がなかった。誰もが斬られたルーデルを想像するが、本人は上空へと逃げたのである。高く飛んだルーデルを見て、多少の心得のある観客は勝敗が決まったと決めつける。
上空にいるルーデルと、構えを取るイズミ……イズミの勝利を気の早い観客は信じてしまう。上空では、構えた左腕をリングに向けたルーデルは、頭部が下を向いて逆さの状態だった。
「少し失敗したな。調整が難しい」
先程の行動を思い出し、ルーデルは今後の課題を見つける。イズミの斬撃を回避した時、ルーデルは少々変わった移動方法を実践した。
これはマーティが考案し、以後ドラグーンで正式に採用された戦闘スタイルだ。ただ、完全に物に出来た者が少なく、今では緊急時の移動手段でしかない。
イズミがルーデルの動きに不可解な点を見つけると、探りを入れるために斬撃を飛ばした。観客席では、リュークが激しく指示を飛ばして必死にバリアを防いでいる。
その瞬間、観客たちは信じられない光景を目にした。
ルーデルが空中で姿勢を正すならまだしも、激しく軌道を変えたのである。斬撃を避けたかと思うと、次の瞬間にはリングに着地しており、その場から瞬時に移動する。
ルーデルの通った跡には、イズミの斬撃が降り注いだ。その全てがルーデルをとらえる事が出来ていない。
「これは……ッ!」
イズミが先読みをして木刀を構えると、そこにルーデルが木剣を振り下ろして来る。受け流すつもりが、予想もしない動きに翻弄されて受け止めてしまった。
ルーデルの重い一撃に、態勢を崩したイズミは瞬時に飛び退く。ルーデルと接触した瞬間に、イズミは大体の事を理解した。
「これは、魔法か?」
肌に感じるのは、不自然な風の流れである。ルーデルを中心に巻き起こる風は、再びルーデルを空中へと押し上げる。
最早人とは思えないその動きに、観客は声を出す事も出来なかった。
イズミが居合の構えを解くと、中段で構え直す。ためる構えである居合の構えでは、不利を感じたのだ。今はリング上に立つルーデルへと剣先を向けた。
「随分と無茶苦茶な扱い方をする」
息を整えたイズミの呟きを受けて、ルーデルは更に加速した動きを見せる。なれない人間が見れば、瞬時にルーデルがイズミの後ろに現れたように見えるだろう。
イズミも後ろへと振り返るが、振り向いた先にはルーデルの木剣が顔の頬へと優しく触れる。イズミが木刀を手からこぼし、膝を着くと審判は高らかにルーデルの勝利を宣言した。
◇
ルーデルとイズミの試合を見たリュークは、先程のルーデルの動きの秘密に気が付いた。
「無茶をする。わざと魔法を暴発させるなど、私では思いつかないぞ」
無事に一回戦でのレナ命名の特殊フィールド【バリア】の維持に成功したリュークは、安堵の溜息を吐きながらイズミに手を差し伸べるルーデルを見ていた。
レナも隣で、リュークに先程の兄の動きの説明を求める。
「ねぇねぇ、リュークさん。さっきの動きって私にも出来る?」
「あの動きか? いや、出来はするだろうが進められないな。あれは危険すぎる。力技に見えるが、されには相当に繊細な魔力のコントロールが必要になるな。下手をしたら暴発で身体が吹き飛ぶはずだ」
レナはリュークの説明を聞くと、笑顔になる。
「何だ、なら私も覚えられるね!」
「いや、だから危険……」
「よ~し、頑張っちゃうよ! あ、リュークさん魔法得意だよね? 私に教えてよ」
レナがリュークの白いローブを指先で掴んで引っ張ると、リュークは真顔で……
「任せておけ、君を立派な魔法使いにしてみせる」
近くで、次の配置について話し合うために傍にいたバーガスは、自分の雇い主を前に何とも言えない顔をしていた。
普段は無表情で、冷たい印象を周りに与えるリュークが、レナの前では年齢よりも幼く見えるのだ。元から対人関係は苦手なようだったが、ここに来て少しずつ改善されてきている。
ただ、恋した相手が問題だ。見目麗しい貴族のご令嬢ならまだしも、相手はルーデルの妹でお転婆な娘だ。しかも立場的に恋は実りそうもない。
レナは背も高く、もう少しでリュークに届きそうである。外見は美人だが、男装をしているせいで髪が長くなければ絶世の美男子にも見えなくはない。
(ルーデルの妹もぶっ飛んでるなぁ……今は十三歳だっけ? 二年後かぁ)
将来学園に来る事になるであろうレナを見て、バーガスは自分に泣きついて来た教師陣を思い出した。きっと二年後の学園も大変なんだろうと思いつつ、早く雇い主が自分に気付いて欲しいとも思うのだった。
丁度その頃、貴賓室で王族の相手をしていた学園長は、悪寒を感じたと言う。
◇
次の試合は、初戦よりも盛り上がる事も無く無難に消化された。
ユニアスと五年生の試合だったのだが、ユニアスが余裕で勝利を収めた。王族とは別の貴賓室では、自分の息子の晴れ姿を見るためにユニアスやリュークの両親が観戦に来ていた。
だが、今回は異常な盛り上がりを見せたので、犬猿の仲と言える大公同士が同室になっている。他の部屋も全て侯爵や伯爵たちが埋め尽くしており、内装的に大公を迎えるにはこうするしかなかったのである。
一応、両家には確認を取ってあるので、問題は起きないと学園側は判断した。しかし、根深い物がある両家である。
ユニアスの試合が終わると、ディアーデ家の当主が大声で笑う。
「もっと盛り上げても良いのだがな。あいつも、もう少し周りに気を使ってくれれば……」
実は、ユニアスはリングを傷つけないように戦っている。理由は簡単だ。ルーデルと早く戦うためには、リングの修復作業が邪魔だったからである。
「ふん、ならば貴様が気を使ったらどうだ? 先程から煩くてかなわん」
リュークの父であるハルバデス大公は、出された飲み物に口を着けながら吐き捨てた。睨みつけるディアーデ大公と、その陣営……大公の貴賓室は非常にギスギスしていた。
しかし、彼らには距離があり言い争いが起こらない。中央に空いた席には、本来ならアルセス家の面子が来るはずだったのだ。しかし、この大会には誰も来ていない。
それが二人には妙だった。出来過ぎる息子に腹を立てたのだと思ったが、ここまで公の場で嫌う理由が思いつかないのだ。
下手をすれば、自分たちは出来の悪いアルセス大公の前に膝をつく所まで来ている。自尊心の強い男が、自慢の息子となったルーデルを見に来ないのが不思議だった。
彼らは息子からルーデルの話を聞いている。貴族としては友情に流されて貰っては困るが、人として見れば友人が出来たのは良い事だ。相手が多少問題ありの家系である事が、本当に悔やまれた。
「ふん、あの男も執念深い事だ。そんなに認めたくない物かな? 十分に自慢できる息子ではないか」
「発言に気を付けろよ。じきに陛下と呼ぶかも知れんのだぞ」
ディアーデ大公の発言に注意したハルバデス大公だが、実は息子のリュークからルーデルの人となりは聞いている。彼から見れば、貴族失格である。だが、成長した息子を見れば、人としては良かったのかも知れない。そう判断できた。
ルーデルが王になる確率は、決して低くはないのだ。リュークが友人である事が、今後大きくハルバデス家に貢献するとも考えてもいる。
(王のあり方として、人を惹きつけるなら周りが支えれば問題あるまい)
もう一人の大公であるディアーデ大公は、どちらかと言えば武力に傾倒している貴族だ。今までにない程に強力なドラゴンを得たルーデルは、それだけで陛下と呼んでも問題なかった。
何しろ、彼にとって強いと言う事は大事だからだ。象徴としての強さを求めている。ルーデルに前線に出る事など求めない。指揮をしろとも求めない。
ただ、兵士に戦えと命令できる王が欲しかったのだ。その点で言えば、ユニアスから聞いたルーデルは合格である。
二人の大公が、ルーデルを認めたのは皮肉かも知れない。貴賓室の中央に空いた空間が、妙に寂しく見える。
◇
ユニアスの試合後、次の試合は素早く行われていた。
ルーデルとイズミの試合では、リングがボロボロであり修復に時間を要したのである。そして、ここで平民の期待を背負うフリッツが登場した。
王族のいる貴賓室では、アイリーンが喜んで窓越しに手を振る。それを見て王も王妃も首を振り、フィナは報告に来たドラグーンの相手をしている。
貴賓室に入ってきたのは、カトレアとリリムである。フィナとの縁があり、王族へ警備状況を知らせるために連絡役を仰せつかった。
ただ、部屋の雰囲気の微妙さに二人も困っている。
「どうしました?」
フィナが、困る二人に助け舟を出すと、カトレアが報告を行う。リリムが入った時に、近衛隊の面々の目つきが鋭くなったのだ。アイリーンはフリッツに夢中でリリムの事に気が付いていない。
「はっ、上空の警備に問題なしと報告に……」
「そうですか、なら貴方たちも試合を見て貰えますか? 学園長は父上と母上の相手で忙しいので、解説してくれるかしら」
フィナの我がままでドラグーンを引き留めたのではない。部外者が入り込んだ事で、両親が落ち着きを取り戻したから残す事にしたのだ。
これ以上、アイリーン以外での面倒事は、フィナも御免だったのだ。リリムが一時的に護衛をしているドラグーンへ事情を伝えに行くと、フィナは少しだけ残念に思う。
少しでも愛人が傍にいた方が、フィナには良かったからだ。ソフィーナが本当の理由を知れば、きっと『我がままでしょ』と言うだろう。
「しかし、宜しいのですか? 上級騎士の方々もおられますが」
カトレアが周りを見ると、かつて上級騎士として見た顔が、今では近衛隊に移籍していた。最近ようやく辺境から戻ってきたカトレアには、今までの王宮での出来事は理解できていなかった。
「良いのです。ソフィーナがししょ……ルーデル様に熱を上げるので、解説してくれないのですよ」
ソフィーナをからかったフィナだが、本当にソフィーナが慌てだした。戦闘に興味の無いフィナは、特に今回は解説を求めていない。だが、想像以上にソフィーナが顔を赤くするので、カトレアも口を出す。
「え、でも結婚されて……」
「およしなさいカトレア! ……触れないで上げて」
フィナの心遣いが、ソフィーナの心を抉る。カトレアは、ソフィーナが結婚していると思い込んでいたのだ。顔を合わせた事はあるが、特に仕事以外の会話をした事の無い二人。
更にリリムが部屋に戻ると、部屋の空気は更に悪くなっていた。
リリムが戻ってくる頃には、フリッツの試合は終了している。リングの修復にも時間はかからず、次はアレイストとミリアの試合である。
妹がリングに上がった事で、姉であるリリムも立派になった妹を見て誇らしくなった。しかし、横ではフィナの後ろに立つソフィーナとカトレアがネチネチと女の争いを行っていた。
◇
リングに上がったアレイストは、深呼吸をする。
今まで感じなかった熱気や、独特の雰囲気にのまれないように心を落ち着けるためだ。落ち着けなくてはならない理由は、対戦相手が大好きなミリアだからだろう。
木剣を持つアレイストと違い、ミリアは訓練用の弓を持っている。矢の先にはゴムがついており、突き刺さりはしない物だった。だが、当たれば本当に痛い。
闘技場は噂の黒騎士の登場に、一気に盛り上がる。リングまで揺れそうな勢いでの声援に、アレイストは少し恥ずかしくなった。
自分は声援を貰うに、相応しくなったのか? そんな思いが、アレイストの中にある。ただ、この状況をアレイストを知る人物達は違う視点で見ていた。
◇
「え、黒騎士さんはエルフさんが好きなの!」
レナの大声に、周りの観客も反応を示す。リュークはレナの質問に答えられるのが嬉しいのか、全てに偽りなく答えている。
「あぁ、だがそのエルフのミリアは、実はルーデルが……」
「おい若旦那! 妹に兄貴の色恋事情を語るなよ!」
流石に不味いと思ったのか、バーガスがリュークを止めに入る。だが、あっちへ行けとジャスチャーで指示を出すリュークに、渋々と従ってバーガスは移動した。
移動した先には、お腹の大きくなったバジルと、隣に座るイズミの姿がある。お腹が大きくなった理由は、勿論……
「もうすぐ産まれるのですか?」
「えぇ、元気な子が産まれて欲しいわね」
イズミが控室から観客席へと移ると、バジルと再会したので隣に座ったのだ。今では露出の高い服装はしておらず、一見して気付かなかった。
バーガスがバジルに近付いて、体調を気遣うと周りから視線が集まる。話している内容から、バーガスとバジルが夫婦だと周りが気付いたようだ。
「ちくしょう、俺の方が顔は良いのに……」
「勝ち組め」
「月夜ばかりと思うなよ」
男たちの嫉妬の視線を浴て、バーガスは肩を落とす。
「なんで俺がこんな目に……」
嫁を心配したら男たちの嫉妬に怯え、雇い主は七つも下の子供に恋をしている。彼もルーデルに大きく人生を変えられた人物の一人である。
◇
「ねぇ、アレイスト」
「な、何!」
ミリアとは告白以降疎遠になっている。アレイストも、告白以降顔を合わせても何も言えない状態が続いていた。何ともギクシャクした関係の二人である。
出会ってから背も高くなった二人は、昔は学園の校門での出会いが初体面である。あの時から二人とも大分変っていた。
ミリアは女性へと変貌し、アレイストは自分を見つめなおした。そんな二人だが、……
「あなた、本当に最低よね」
「え!」
ミリアの表情は本気で怒りに満ちていた。客観的に見てみよう。……アレイストは、ハーレムの主である。ミリアに告白した時には、すでに複数の女性と付き合っている。
ただ、暴力キャラであるセリとジュジュには、それなりに痛いイベントもこなしている。勘違いされて壁に吹き飛ぶくらいに殴られたり、剣の錆びにされかけたり。
そして他の女の子も、それなりに癖の強い感じである。でなければ、早々にアレイストから手を引いているはずである。
しかし、周りから見ればそんな事は関係ない。複数の女性を、学生の内から囲っているのが許せないのだ。
「あんなに女子に手を出して、私にまで……後悔させてあげるわ!」
「え、えぇぇぇ!! 何でだよぉ!!」
ミリアが弓を構えたので、審判はしれっと開始の合図を告げてリングから退散した。