番外編 マーティを超えろ 7
ルーデルは、フィナとミィーにソフィーナを連れてドラゴンの住処へと来ていた。今の自分に何が足りないのかを知るために、マーティのドラゴンへと会いに来たのだ。
王女を連れ出しての旅だが、最早弟子としてしか認識していない。公の場では敬いはしても、私的な場では態度が豹変していた。
「基礎も出来ていないとは何事だ!」
「ちょ、ちょっと師匠! もう湖に落とさな……ギャァァァ!! (もう嫌、何も教えてくれないし、基礎ばかりなんてやってられない)」
無表情で湖に投げ飛ばされるフィナを見て、ミィーもソフィーナはハラハラしていた。ドラゴンの住処に来てから一週間来る日も来る日もフィナは基礎体力の向上と、魔法の基礎的な訓練の繰り返しだった。
しかし、ルーデルはマーティのドラゴンの下で、ドラグーンとしての必要技能を学んでいた。撫でに関しては免許皆伝をしており、ドラゴンからルーデルに教えられる事は無かったのだ。しかし、ドラグーンとしての技術に関しては教えられる事が沢山あった。
フィナを湖に投げ飛ばすと、ルーデルは再びドラゴンへと向き直る。
『随分と優しいわね。あんな事じゃ、あのお姫様は上達しないわよ』
「確かに、しかし仮にも王女ですから、これ以上は厳しいと思いまして」
『そうかしら? マーティは私の背中に乗りたいとか、馬鹿な事を口走った王子をぶん殴って私と一緒にこの森に逃げたわよ。……全員で』
全員、それはマーティのドラゴンであるウォータードラゴンが、当時のドラゴンたちのボスだったからだ。ボスが実家に帰ると言えば、契約者がいるドラゴンたちもついて来た。
これはドラゴンとの契約を結ぶ事を可能とした時に、ドラゴンと人との間で交わされた約束に違反したからである。ドラゴンは力を貸すのであって、人間に従う訳ではない。これを反故にしたのが、王族とあってマーティはドラゴンたちと共に森へと帰って行った。
『実家に帰らせて頂きますって言った時の、王族の顔は傑作だったわ! 城も破壊したし、二ヶ月ぐらいはここでマーティと過ごしたわね。マーティったら、腰みのと槍を持って楽しんでいたわ』
ドラゴンはその後、二か月後に王族が騎士たちを引き連れて謝罪した事を話す。しかし、クルトアの汚点であり、事実は歪められて後世に伝えられていたのだ。
「あぁ、確かに色々と書物に載っていましたね。でも、マーティ様の事は書かれていませんでしたよ? 殴り飛ばした事は書かれていましたけど、処罰されていないので嘘かと思っていました」
『嘘? 何を言っているのよ。あの時はマーティも若かったし、凄かったんだから! 引退しろって命令された時は老いていたけど、それでもあの時のマーティは凄かったわ』
思い出したのか、ドラゴンはその後ものろけ話を続ける。ルーデルも、憧れのドラグーンの話を聞けて嬉しそうにしている。しかし、湖から這い出てきたフィナやミィーにソフィーナには、独り言を呟いているようにしか見えない。
その後もルーデルの驚いている声や、時々話す技術的な話や、フィナに対する今後の対応をビクビクしながら三人は聞き耳を立てていた。
しかし、フィナは暇だったので、ビクビクする事に飽きるとミィーに対して撫でを試した。すると、ミィーはしばらくは時間がかかったものの、顔を赤くしたのである。
「ひ、姫様、それ以上は……私、おかしく……ッ!!」
身体を一瞬ビクリと反応させると、ミィーはその場に倒れ込んでしまった。
ソフィーナは、この時の無表情なフィナの顔を見たが、笑っているように見えたと後に部下に語った。
「ふ、フフッ! 私も出来るようですね。(なんだやれば出来るじゃん! これなら師匠がいなくても私は私の目標……モフ天の覇者になれるじゃない!!)」
「ひ、姫様、どこに行かれるのですか?」
自信を持ったフィナは、無表情でソフィーナに告げる。
「決まっているでしょうソフィーナ。今までは師匠の技術が必要でした。でも、今のままでも私は目標を果たせるんです。もう、師匠なんていらない。いえ、ルーデルは必要ないの」
「何言ってんの! 姫様、しっかりして下さいよ!! ルーデル殿は、今後の王国には欠かせない人物ですよ? それをいらないとか……今までの姫様の計画はどうされるんですか!!」
無表情のフィナは、ソフィーナに背を向けるとドラゴンと話すルーデルの下へと向かう。技術に溺れて道を踏み外したフィナは、ルーデルと決別すべく歩いて行く。
「いやいや、折角弟子入りしたのに、何で自分から無駄にしてんの? 人の話聞けよ!!」
最近特に、上級騎士として品格を落としているソフィーナは、フィナとルーデルが決別する事を心から憂いていた。無論、下心から来る心配だ。
ドラゴンとの話に夢中になるルーデルの背に、技術に溺れてしまった弟子の声がかかる。声から何やら嫌な気配を感じたルーデルは、振り返ってフィナの瞳を見ると全てを察した。
力に溺れた者の目をしたフィナを見て、今まで笑っていたルーデルも真剣な表情になる。
◇
『不味いわね。あの子の目は力に溺れた者の目をしているわ。確かに素養はあったけど、まさかこんなに早く溺れるなんて……』
『ねぇ、ルーデル遊んでよぉ』
『黙って見てなさいサクヤ。これから師弟対決よ』
マーティのドラゴンと、サクヤが見守る中、二人は湖に浮かんでいる丸太の上に立っていた。互いに退く事も避ける事も出来ない場所で、互いの技量をぶつけようと言うのだ。
欲しかった技術を手に入れたフィナは、最早ルーデルを不要と判断した。しかし、技術は欲しいので、自分の物になれと言い放ったのだ。
しかし、ルーデルもフィナの立場を考えてそれを即答で拒否。互いに譲らないまま、決闘という形に落ち着いたのである。
「師匠、いやルーデル。私の物になる事が嫌ですか? これでも一国の姫です。あなたの家の格にも問題はありませんよ。(さぁ、どうするのかしら? 私は勝とうが負けようが問題ない。すでに欲した技術は我が手の中に!! 後はルーデルさえ手に入れば完璧だけど、もう無理をする必要もない!)」
「俺が言えた立場ではない事は理解しているが、今のお前は間違っている。お前の婚姻は、王国全体の問題だと言ったはずだ。それに、お前は俺を見ていない……やはり弟子にしたのは間違いだったな」
互いに水の上に浮かんだ流れに任せて動く丸太の上で、微動だにしない。フィナも一応は幼い頃から、戦闘に関する教育を受けている。しかし、それはあくまでも護身のためと、運動不足を解消するためだ。
ここまで出来るようになったのは、今なら何でも出来ると思い込んだフィナが覚醒状態だからである。非常に危険な状態だった。仮にここでルーデルが見逃せば、フィナは間違いなく道を踏み外すだろう。亜人を撫でつくすまで止まらない、鬼となる。
ルーデルは弟子となったフィナのために、決闘を受けたのである。
「ルーデル、私で満足していれば良かったのに……あんな黒髪に騙されるから!」
「イズミは関係ない!」
湖の水面に魚が跳ねると、同時に二人は動き出す。何から何までルーデルが有利な状況だが、フィナは勝ち負けに固執していない。ただ、ルーデルを諦める、儀式のようなものだととらえていた。しかし、互いに距離を詰めた時に先手を取ったのはフィナだった。
「油断しましたねルーデル! (ウヒョォォォ!! 貰ったぁぁぁ!!)」
自分の持てる技術で、ルーデルに撫でを実行したフィナだが、ルーデルは無反応だった。慌てるフィナに、ルーデルは優しく抱き着いた。
「な、何で……」
驚いているフィナに、ルーデルは自分の勝利を宣言する。
「言ったはずだ。大事なのは……愛だと。お前も忘れていたようだな」
ルーデルが身体から魔力を放つと、無表情だったフィナに表情が生まれる。顔を赤くして切なそうな顔だが、初めて出た表情だ。遠くから見ていたミィーとソフィーナは、信じられないといった顔をして見ている。
「あ、あぐっ! (ヤバイ、超気持ちぃぃぃ!! 頭の中が真っ白に……あう)」
そのままルーデルがフィナを離すと、フィナはフラフラと湖へと崩れるように落ちていく。水しぶきを受けたルーデルは、黙って水に浮かんだフィナを見る。すでに表情は失くしていたが、顔はほんのりと赤かった。
二人の師弟対決を見守っていたドラゴンたちは、決着にそれぞれ反応が違う。
『マーティ、あなたの意志は受け継がれたわ』
サクヤはフィナに対して苦手意識があるのか、ルーデルが勝った事は喜んだが、複雑な心境だった。
『サクヤとも遊んでよぉ!』
ルーデルは自ら湖に飛び込むと、浮かんでいたフィナを抱きかかえて湖から這い上がる。地上に上がると、フィナを背負って声をかけた。
「どうだった」
「……負けました。ごめんなさい師匠。ごめんなさい……私、間違ってました。(やっぱ凄いわ。師匠は最高ね!)」
ルーデルはフィナを背負いながら、ミィーとソフィーナの所へと向かう。ルーデルは歩きながら背中のフィナに声をかける。それは厳しい師匠としてではなく、優しさを持った仲間としての言葉だ。
「お互いにまだまだ未熟だが、道は長いぞ。ついて来れるか?」
「はい」
「そうか、明日からもまた厳しいぞ」
「はい!」
二人が来るのを見ていたミィーとソフィーナだが、二人のノリについて行けなかった。それ以上にフィナに表情が出たが、とても人に言える表情でないのが問題だった。切ない女の顔でした、などと報告できない。
「ソフィーナさん、私は間違っているのでしょうか? 姫様が何をしたいのか、分からなくなりました」
「奇遇ね。私もお二人を理解できないわ。てっきり、婚前旅行だと言い張って、既成事実を作り上げるとばかり……」
二人が顔を見合わせて話していると、ルーデルが傍まで来ていた。話している内容を聞いたフィナは、二人に悟ったような感じで話す。だが、後になって既成事実を作っておけばと、後悔するのは学園に帰ってからの話である。
この時は賢者モードであったのだ。
「二人とも、婚姻は神聖な物ですよ。そんな不純な気持ちではいけません。ソフィーナはただでさえギリギリなのですから、もっと真剣になりなさい」
ミィーは尻尾や耳の毛を逆立てて、目を見開いた。理想の姫様がそこにいるのだ。いつものセクハラをするフィナの姿がそこにはない。
この時、ミィーは心底からルーデルを畏怖したと言う。絶対に逆らってはいけないと、自分の一族にも話したとか……
しかし、婚期の話を出されたソフィーナはそれ所ではない。自分が最も気にしている事を、普段は一番酷いフィナに指摘されたのだ。人間、事実を告げられるのが一番堪える。それも、一番酷い人物に……内心では腸が煮えくり返る思いだが、その場は頭を下げて従った。
内心怒り狂うソフィーナを見てルーデルは、ここで勘違いをする。血走った目や、震える拳を見て不満があると思ったのだ。髪の艶も失われていたので、ストレスをため込んでいると判断する。流石にイズミとの約束で撫でられない事を思い出すが、それ以外ならいいと考えた。
撫でられないが、日々ルーデルも成長している。マッサージなら問題ないのだ。自分自身では名案だと思って、フィナを背から降ろすと実行に移す。
「ソフィーナさんも大分疲れているようですね。俺の我がままでついてきて貰いましたし、マッサージをさせて下さい」
「は? 何を言って……ちょっと! その手を離して!! ……あっ」
その後、ドラゴンの住処に女性の艶のある声が響き渡った。余談だが、しばらくはソフィーナの機嫌が最高に良かった。




