少年と猪とクラスメイト
猪の形をした魔物は、赤い瞳を不気味に光らせ雄たけびを上げてルーデル達に襲い掛かった。動く事も出来ないクラスを背に、ルーデルは体中の魔力を使って剣で突進を受け止める。そして反応できたイズミが、刀で猪に斬りかかるのだが……
「なっ! 固くて斬れない!」
刃こぼれした刀、そして耐えきれなくなって吹き飛ばされるルーデル。猪はそのまま後ろ脚で地面を何度か引っ掻くと……再びルーデル目がけて突進する。身体を木々にぶつけたルーデルは、全身に痛みを感じた。
「くっ!」
ルーデルはそれを今度は避けて、魔法を猪に向けて放った。火や風と言った下級魔法は、猪に命中するが猪に傷はつけられなかった。
「上等だ!」
体勢を立て直し、猪に立ち向かうルーデル。その姿に、遅れて反応した何人かの生徒達が魔法や手に持った武器で攻撃する。
数は力である……だが、疲弊したクラスと吹き飛ばされて怪我をしたルーデルに何時までも戦えるほど、魔物は弱くはなかった。
だが、ルーデルは諦めない。ドラグーンはクルトア最強である。それは負ければ後がない事も意味している。ドラグーンが負けるという事は、国の敗北を意味する。……いつか読んだ本の内容が、ルーデルの頭の中をよぎった。
猪の立派な下あごから突き出される牙が、そんなルーデルに襲い掛かる……
全身の力を振り絞ってルーデルは剣を振るった。そして結果は……猪の牙が地面に突き刺さり、ルーデルは力負けしてまたしても吹き飛ばされた。しかし、牙を折られた猪は逆上してルーデルに襲い掛かる。立ち上がるのにも苦労するルーデルに、その猪の体当たりを避ける事は無理だった。
「はい、そこまでです」
声がすると同時に、後方で控えていた護衛たちが一斉に襲い掛かる。彼らの魔法は猪を焼き、剣や槍での攻撃は猪を切り裂き貫いた。……学生と段違いの戦闘力を見せ付けられたルーデルやクラスメイト達。
全ては一瞬で終わった。自分達が手も足も出ない相手……それを一瞬で倒した護衛たちを前に、ルーデルは悔しさが込み上げて来る。磨いてきた剣術も魔法も何の役にも立たなかった悔しさと、助けられなければ死んでいたという現実。
それらがルーデルは悔しくてたまらなかった。
◇
「棄権する? 馬鹿言うな! ここまで来て棄権するなんてできない!」
体を引きずるようにして立ち上がったルーデルにイズミが言った言葉は、『棄権しよう』と言った言葉だ。悔しさと情けなさで、周りの見えなくなったルーデルは反対した。
「ルーデル……」
俯いてしまうイズミ。ルーデルの気持ちを察したのかそれ以上言えなかった。
「もう少しなんだ……」
そう、ゴールである目標地点までもう少し……あと半分だ。これは棄権するしかない。疲弊しきったクラスに、怪我をしているルーデル。続行は命懸けとなってしまう。
そんなルーデルを見たバジルは、内心で
(現実って残酷よね。あの化け物が出てこなければ、ゴールはできたかもしれないのに……まぁ、子供には今の状況判断が出来なくても当然か)
バジルは護衛から見てこれ以上の続行は不可能と判断し、何名かを教員の元へ送っている。後はどうやってルーデルを諦めさせるかだが、これ以上子供に付き合うのも面倒だと割り切って、ルーデルに自分を売り込む事を諦めた。
判断力の無い雇い主は、バジル自身が願い下げだったのだ。だが……
「わ、私達ならもう少しやれる、よね?」
「そ、そうだなまだいける!」
「もう少しだから頑張るよ」
クラスメイトがイズミとルーデルの事を見て、自らそう言った。それが保身からなのか、それともルーデルの事をきにしてなのかは分からないが……
そんなクラスメイトを見たルーデル。そこで、みんなの状態がこのまま続行できないとはじめて理解した。傷だらけなのは仕方ないが、武器もボロボロで疲れ切った顔をしている。このまま続行しても危険だと……
ルーデルは右手に握り拳を作る。そうしてしばらくして、握り拳を解いて発言した……
「俺達のクラスは……棄権する」
◇
「へぇ、意外とまともね」
離れた場所にいたバジルは、そんなルーデルを見て感想を述べた。貴族の子弟が頑張ろうとしたのも驚きだが、それを見てルーデルが棄権を決意したのにも褒めた発言だ。だが、ちゃっかりとルーデルが切り落とした猪の牙をその手に持っている。
他はどういう訳か、黒い霧になって消えてしまったのだ。この牙のみが、異常であった猪の証拠となってしまった。……しかし、バジルはその牙がとても綺麗に見えた。まるで極上の素材のように……そして、そのまま自分の荷物にしまうのだった。
学園の規定で、ギリギリまで助けない。もしくは、助けてと生徒が棄権する意思を示さない限り手を出せない護衛たち。その規定を利用してタイミングよく救出はしたが……このままでは好条件で雇って貰えるか分からない。
もう少しルーデルが粘らなければ……
◇
「歩ける、と言っているのに……」
全身を強く打ったルーデルは、イズミとバジルの両人に肩を借りて歩いている。最初は無理をして自分の足で歩いたが、すぐに体が悲鳴を上げたのだ。魔力を使用しての肉体疲労と全身の打ち身は、それだけきつかったのだろう。
「歩いて皆について来れないなら、仕方ないだろう。もうすぐ着くからそれまでの我慢だ」
「流石はアルセス家の嫡男様、でも……身体は悲鳴を上げていますよ」
イズミは純粋に心配して、バジルはその自慢の体を武器にルーデルに近づくために……そうした思惑で二人に肩を借りて森の出口に到着していた。
はた目から見たら実に羨ましい光景だ。他の護衛たちも、自分を売り込むために貴族の子弟にごまをすっていた。
そう、はたから見たらルーデルが美人を侍らせているように見える。
そして運が悪い時に、アレイストのクラスが自力でゴールしていたのだ。ボロボロのルーデルのクラスに、アレイストのクラスは見下した態度を取る。自力でゴールした事で、少し気が大きくなっていたのだ。
「お前ら棄権したの? こんな雑魚しかいない森で何してんだよ」
「情けない奴らだな。貴族の面汚し共が……」
「アレイストも何か言ってやれよ」
そして、クラスの誰かがアレイストにも声をかける。アレイストにとってこのイベントでは、ルーデルがクラスを疲弊させて『ゴールできないのは知っていた事だ』。イベントでそんな光景を見た覚えもある。そして、両手に花状態のルーデルもそのイベントに登場していた。
アレイストの記憶では、棄権して美人の護衛とクラスで一番の美人『イズミ・シラサギ』に肩を借りて、堂々と棄権した馬鹿なルーデル。……そう記憶していた。
このイベントでは絡みはない。だが、アレイストにも欲が出た。ここでイズミや美人の護衛に好印象を与えておこうと……
「棄権した癖に両手に花か……お前舐めてるのか? 周りの迷惑も考えたらどうだ」
その言葉や、アレイストのクラスからのヤジにルーデルのクラスも頭にくる。自分達は途中で危険な魔物に遭遇して命懸けだったのに……ここまで馬鹿にされる必要があるのか? と……ルーデルもイズミとバジルから肩を借りるのを止めて、アレイストの前に出る。
「棄権したのは事実だけど、こっちは危険な魔物と遭遇したんだ。それに、迷惑をかけてるのも理解している」
ルーデルとしては、クラスを疲弊させてその上、続行しようとした事を言っているつもりだった。しかし、アレイストは二人の美人の事を言っている。
「へぇ、どんな魔物だよ?」
ルーデルはアレイストに説明する。獰猛な猪の魔物で、黒い身体に白い模様と赤い瞳……その特徴を説明し終わると、アレイストは笑い出す。
「そんな魔物は、この森に生息しないよ馬鹿。いいか、そんなに危険な魔物が居るならこの行事は行われない。それも分からないで、そんな言い訳をするなら恥をかくぜ」
言い終わると、イズミとバジルを見てから、そのままクラスメイトを引き連れて歩き出したアレイスト。二人にしても何こいつ? と言った感じである。
「ご、ごめんよルーデル」
「今度は頑張るからさ」
「あいつら信じないなんて……教師に説明して貰うか?」
立ち尽くすルーデルに、クラスメイトが慰めの声をかける。しかしルーデルは、アレイストのクラスがほとんど傷を負っていない事を驚いて見ていた。自分達は、森での歩きだけで怪我をしていたというのに……ルーデルには悔しさがこみあげていた。
もっと自分は準備できたはずだ。クラスの指揮を任された時から情報や装備を揃えていれば……ルーデルはクラスメイトに振り返る。全員を見渡して
「皆、今回は俺のミスだ。すまなかった……それでも、次回の指揮を任せてくれるなら俺は、今度こそクラスをゴールさせてみせる。いや、一番だ! 今度は一番を目指す! だから、次も任せてくれないか……勝手な事を言って悪いが、頼む!」
頭を下げるルーデルに、周りは困惑する。きっと自分達の所為にされると思っていたのに……そんなクラスから一人、また一人と賛成の声が挙がる。勿論、最初の一人はイズミだった。