伝説とドラゴン
ドラゴンの住処へと到着したルーデルたち一行は、先ずは寝床を確保する。深い森に、湖や山まで存在する人の住めない神聖なる場所、と言うのが表向きの認識だ。だが、実際はドラゴンが住んでおり、危険な場所と言うだけなのだ。
危険地帯で、ドラゴンに守られながら寝床を確保できるルーデルは幸運と言えるだろう。
ただ、問題がすぐに発生する。
「どうしてついて来たの! それよりも、どうやって潜り込んだのよ!」
自分のレッドドラゴンに担がせていた荷物の中から、サクヤが出てきたカトレアは頭を抱える。契約者である自分に内緒にしたのも許せないが、最も危険とされるレッドドラゴンに不用意に近づいた事も許せなかった。
「はぁ、誰かが送り届けないと不味いかしら」
溜息を吐いたリリムを見て、カトレアは自分がアルセス家の屋敷までサクヤを送り届けようとする。しかし、レッドドラゴンは拒否する。リリムのウインドドラゴンも、出来れば戻りたくないと言うのだ。サクヤを送り届けて、レナに撫でまわされるのを嫌ったのである。
「私のドラゴンなんだから、言う事を聞きなさいよ!」
怒鳴るカトレアに、レッドドラゴンは頑なに拒否する。
『嫌じゃボケェ! あ、あいつには二度と関わらんと決めた! もう、プライドがズタズタだ。契約者ならそれくらい気づけよ!』
「知らないわよ! いいから送るの!」
カトレアが無理そうなので、リリムはウインドドラゴンに視線を向ける。だが、ウインドドラゴンも視線を逸らして拒否を示した。
「……二匹とも駄目だと困るのだけど?」
『我も困る』
結局、サクヤの同行を許可する事になった。
◇
「どうしてこんな事をした? 下手をすれば、処罰されてドラグーンになる事は出来なくなるぞ」
寝床を確保したルーデルたちは、警戒しながら森の中を進んでいた。寝床となる場所を縄張りとするドラゴンに、挨拶しに行くのが目的だ。湖に住むウォータードラゴンが、この辺りを支配している。カトレアやリリムのドラゴンよりも格上で、敵に回すと危険だとドラゴン二匹が忠告してきたのだ。
移動中、ルーデルはサクヤに腹を立てながら理由を聞いた。同じようにドラグーンを目指すサクヤが、将来を棒に振るような選択をした事に腹を立てたのだ。打算的な事を考えてついて来た雰囲気でもないので、ルーデルは理由を確認したかった。
「ちょ、ちょっと興味があったし、私も無関係じゃないのよ。黒い霧には会わないといけない理由もあるし……ねぇ!」
ルーデルの剣の鞘に手を添えると、剣に眠っていた猪と鳥も話を合わせる。サクヤの無茶振りに、二匹も話を合わせるので精一杯だ。
『う、うむ』
『そうだな。早く会わなければならなかったな』
サクヤの計画を知る二匹は、ルーデルだけには知られないように必死で思いつく理由を述べた。黒い霧が作り出した肉体に不備があり、調整が必要だと説明した。
「そうなのか? 何故もっと早く言わなかった。確かに体調不良が続いてはいたが……」
理解はしても納得は出来ないルーデルだが、悩んでいる内に湖に着いてしまう。深い森の中で、湖がある場所だけは日の光が十分に注がれていた。太陽の光を反射して、湖は綺麗に輝いている。
『ルーデルよ、失礼の無いようにな。相手は我らよりも格上のドラゴンだが、非常に気難しい』
ウインドドラゴンが説明すると、ルーデルの剣から二匹の声がする。
『以前のドラゴンではないか?』
『確かにな。気難しい割に話を聞いてくれた理解あるドラゴンだったが……』
湖で以前会ったウォータードラゴン。ルーデルはここで伝説と出会う……
◇
一学期が終了し、長期休暇になるとフリッツはアイリーンに王宮へ招待された。三年生になったという事で、個人トーナメントを控えるフリッツには長期休暇も自分を鍛える事に使いたかったが、アイリーンの頼みという事もあり王宮へと出向いた。
アルセス領の田舎で育ったフリッツは、冒険者として田舎を出て働いた事がある。地方の都市では名を上げたフリッツも大した物だろう。しかし、井の中の蛙だったフリッツは、外に出ても未だに自分の立場を理解していなかった。
原因はアイリーンだ。
アイリーンに対して、表向きは王女様として接するが、二人の時は呼び捨てである。アイリーン自身はそれを気に入っていたが、周りはそうではない。
平民出で騎士となり、自分に気さくなフリッツは、アイリーンの理想その物だった。だから許されたのだ。決してフリッツの力で認められた訳ではない。フリッツの歪んだ認識がここまで大きくなったのは、アイリーンのせいでもある。
王宮の離れに通されたフリッツは、灰色ドラゴンが飼育されている施設へと入る。そこには、アイリーンや数名の上級騎士が控えていた。フリッツを笑顔で迎えるアイリーン。
「フリッツ様、ようこそおいでくださいました」
「アイリーン様、今回はどういったご用件でしょうか?」
立ったまま会話を始めるフリッツを、誰も不敬とは言わない。これは、アイリーンが許したからだ。内心では、上級騎士たちも殴り飛ばしたかった。いや、斬り捨ててもよかった。
「このような場所にフリッツ様を招き入れて、大変心苦しく思っております。ですが、今後のクルトアを思うとどうしてもやらなければならない事があるのです」
神妙な顔で国の事を話すアイリーンに、フリッツは心を躍らせていた。国の危機的状況に、自分が頼られた事が嬉しかったのだ。人一倍、英雄志向が強かったフリッツにはアイリーンの言葉が甘美に聞こえる。
「詳しく聞かせて欲しい」
「はい。白騎士と黒騎士の噂は聞いておいでですか?」
フリッツは嫌そうな顔で頷いた。ルーデルとアレイストは、フリッツにとって許しがたい存在だからだ。そんな二人が、英雄ともいえる騎士に選ばれた事も許せない。子供の嫉妬である。
「黒騎士は成り上がりの貴族ですから、王宮でもそれなりの手を打てます。しかし、白騎士は悪名高いアルセス家のルーデルです。王宮もそれなりの対応を考えました。【近衛隊】がそれに当たります。ルーデルに強力な権限を与える事になるんです」
単純であるフリッツは、簡単にアイリーンの言葉を信じる。アルセス家はフリッツにとって悪である。権力を求めたのだろうと内心で思い込んだ。
「ルーデルは大公家の血筋ですから、その気になれば私や妹を娶る事も出来ます。そうなれば、クルトアは終わりです……フリッツ様、どうか助けて下さいませんか?」
「助ける? 僕に出来る事があれば助けるが……」
フリッツの言葉を聞いて、アイリーンは妖しく微笑む。
「ではフリッツ様、近衛隊長の選考会で使われるドラゴンがここに居ます。……このドラゴンと契約して頂けますか?」
アイリーンの計画も着々と進むが、妹であるフィナと違って詰めが甘かった。ルーデルがドラゴンの住処へと向かう事を軽視したのだ。死んでくれれば儲け物、くらいにしか思わなかった。フィナがもしもアイリーンの立場なら、必ず刺客を送り込んだであろう。
そして、実際はルーデルに近しい元婚約者の二人が護衛となっている。これはフィナの暗躍の結果であった。
◇
一方、湖ではルーデルが驚いて声も出なかった。ウォータードラゴンが湖から現れると、その大きさや美しさに見とれてしまったのだ。しかも、目の前のドラゴンの特徴を以前から知っていた。
リリムのドラゴンが、一鳴きして一匹のドラゴンを呼ぶと、格上の相手に対して取る礼儀を示す。その上で、状況を説明した。呼び出されたドラゴンが、ルーデルたちを見下ろす。特に興味もないのか、そのまま湖の中へと戻ろうとする。
ルーデルたちが滞在する事を許可したと同時に、ルーデルを背に乗せる気はないと示したのだ。
しかし、ルーデルは美しいドラゴンの背に大声で叫んだ。
「あなたは、マーティ・ウルフガン様のドラゴンですか!」
全員が驚くが、反応は様々だった。二匹のドラゴンは格上の相手に失礼だと驚き、カトレアやリリムは誰だそれ? と驚く。サクヤだけが、驚いた後にルーデルと同じように憧れた視線を向けていた。
「す、凄いわ! 本物のマーティ様のドラゴンに出会えるなんて!!」
だが、一番驚いたのはウォータードラゴンだろう。普段は人と話す気も無い気難しいドラゴンが、全員に聞こえるように声を直接頭に送り出す。懐かしそうにしながらも、ルーデルの言葉にテンションが上がっていた。
『驚いたわね。マーティの事を知っている人間がいるなんて……しかも【様】付けとは、分かっているじゃないアンタ! 名前を名乗りなさい』
「ルーデル、ルーデル・アルセスです!」
ウォータードラゴンはルーデルに近付いた。距離にして一メートルだが、ドラゴンと向かい合うのだから迫力が違う。ただ、現役のドラグーンである二人は、マーティの名前に覚えが無かった。
「先輩、マーティって誰ですか?」
「知らないわよ。ドラゴンが知っているって事は、元はドラグーンじゃないかしら?」
だが、二人のドラゴンはマーティを覚えていた。正確には噂を知っていたのだ。
『おい、あいつだろ? あの変なおっさんだよな?』
『馬鹿者! 下手な事を言うな!』
未だにドラゴンでは若い部類に入るレッドドラゴンは、マーティを馬鹿にした発言をした事で報いを受ける。
『そこのガキ! 今何って言ったぁぁぁ!!』
自分よりも大きな格上のドラゴンに、首を噛みつかれて湖の中へと引き摺りこまれたのだ。唖然とする周りを放置して、湖から水柱が何本も立ち上がる。激しい衝撃が何度も襲うと、しばらくして急に静かになった。ウォータードラゴンが再び顔を出すと、遅れてレッドドラゴンが湖に浮かび上がる。
気絶した自分のドラゴンを見て、カトレアは状況について行けなくなる。
「え? あれ! ちょっとどういう事よ!」
リリムに羽交い絞めにされて落ち着かせられると、話が再開した。
『まさかマーティの名前を、人の口から聞けるとは思わなかったわ。本当に懐かしい……うぅぅ、どうして勝手に死んだのよマーティの馬鹿ァァァ!! ずっと一緒だって言ったのに! 自分だけさっさといなくなって!!』
懐かしんだり泣き出したりと忙しいドラゴンだ、リリムはそう思いながら耳を塞いでいた。ドラゴンが泣くという事は咆哮である。まるで空気まで身体で感じるほどに振動するのだ。
ドラゴンが落ち着くまで待つと、ルーデルは大事そうに鞄から一冊の本を取り出した。ドラゴンの撫で方……マーティが残した本である。最後の方のページをめくると、マーティからドラゴンへの言葉を贈る。
「本に書かれていた物です。『愛しの君へ、私は先に死ぬだろうが、悲しまないでくれ。そして、囚われないでくれ。私は自由な君を死後も束縛したくはない。愛していたよ』」
口から砂糖を吐き出しそうな文章を、ルーデルはドラゴンに聞かせる。リリムは悶えて喜んでいたが、カトレアは表面上は恥ずかしそうにしていた。内心では、少女趣味であるカトレアもそんな事を言われたいと考える。
ルーデルが読み終わると、ドラゴンがすすり泣き始めた。その光景を見て、リリムやカトレアも涙する。きっと死に別れたのだろう。ドラゴンの口ぶりからそう判断した。ドラゴンに乗ったとしても、元は人間である。戦死する時はするのだ。
「美しい関係よね。でも早くに亡くなるなんて……」
「どこかの馬鹿竜にも見習って欲しいわ。まぁ、ドラグーンですから戦死ですよね……」
『何を言っているの? マーティが戦死する訳ないでしょ。八十歳まで現役を通したわよ』
「え?」
「はぁ!」
『最後の方なんか、偉い奴が毎日グチグチ嫌味を言いに来るもんだから、無視してたのよ。でも、マーティの前で私の事も馬鹿にしたから、マーティが怒ってねぇ……よく喧嘩していたわ。六十歳を過ぎてからも何度も謹慎処分を受けたわ。最後は辺境? って所に送られたけど、幸せだったわよ』
それって問題児とか言うレベルじゃないよね、などと二人は思いながらドラゴンを見ていた。その後も続くドラゴンの惚気話を、恋人のいない二人は嫌々聞いていた。反抗すると危険そうなので、表面上は神妙な顔で聞いているが、二人の顔は引きつっている。
『マーティが二十歳の頃からの付き合いだから、私なんか六十年くらいしか一緒にいなかったのよ! 何がずっと幸せにするよ! もっと根性を見せてもいいと思わない? 毎年くれたプレゼントや思い出だって……』
人間とドラゴンの感覚の違いを思い知った二人だが、ルーデルとサクヤは感動しながら話を聞いていた。
◇
ドラゴンの住処へと来た初日の夜。ルーデルは武器の最終確認を行っていた。テントの中で一通り終えると、夕食で仕込んでいた眠り薬を思い出す。危険性は無い物を用意して貰った。昼までは三人とも眠るだろう、そう思いながら横になる。
女性の飲み物に薬を入れるのは抵抗を感じたが、ルーデルにはどうしても譲れない目的がある。危険すぎる行動に、護衛である二人は納得しないだろう。そして、サクヤでは危険すぎる。三人には眠って貰う事にしたのだ。
すると、テントの外に人の気配を感じた。
「サクヤか?」
「ヘヘェ、入っていい?」
テントにサクヤを招き入れると、その両手には大事そうに絵本を持っている。ルーデルが読み聞かせたドラグーンの絵本だった。
「眠れないのか?」
薬が効いていない事を危ぶんだルーデルだが、サクヤの答えは単純な物だった。
「眠いけど、寝る前に読んで貰いたくて」
最後の夜になるかも知れないと思うルーデルは、本を読む事を承諾する。そうしてサクヤは、最後まで読み終わる前に寝てしまった。とても安心したように眠っている。
次の日の朝、全身鎧と剣を装備したルーデルは、二匹の案内でアンデッドドラゴンの待つ洞窟を目指す事にした。薬ですやすやと眠るドラグーンの二人には、事情を書いた手紙を置いてきた。
そして、二匹のドラゴンに頼み事をした。
『一人で行かせろだと? 勝手に動き回るのは得策とは言えんぞ』
『昨日のババアは人に対して『は』優しいから問題なかったが、次に会うのは問答無用で襲い掛かるかもしれねーな』
「問題ない。それに、ドラゴンと向き合う時は一人でないとな。……三人を頼むよ」
そのまま歩き去るルーデルを見送る二匹。そう、所詮ドラゴンを得ようとすれば危険は付き物なのだ。護衛がいてはドラゴンなど手に入らない。
ルーデルが歩き去ると、今度はサクヤが起きてくる。昨日の飲み物は、猪と鳥に話を聞いていたので回避する事が出来たのだ。荷物を置いて身軽になると、ルーデルを尾行する事にした。しかし、ルーデルが歩いた道に、二匹のドラゴンが立ちふさがる。
「何するのよ! 早く退いてよ!」
『無理だ』
『あいつとの約束だ。三人を守れとよ』
急ぎたいサクヤだが、ドラゴン二匹相手ではどうしようもない。ここまで来て、何も出来なかったでは意味が無いのだ。天にも祈る気持ちで、何とかできないか思案する。だが、無情にも時間だけが過ぎていく。
すると、一匹の大きなドラゴンが近付いてきた。マーティのドラゴンだ。
『面白い事をしてるわねアンタたち』
二匹のドラゴンがビビる中で、サクヤだけはウォータードラゴンにすがりつく。真剣な表情で、どうしてもアンデッドドラゴンの下へ向かうルーデルについて行くと説得する。
「助けて下さい! 私はどうしてもこの先に行かないといけないの! お願いだから……」
ウォータードラゴンの大きな瞳が、サクヤを睨みつける。一歩も退かないサクヤに、ウォータードラゴンは若かりし頃のマーティを思い出した。真っ直ぐで、必死な瞳。何かを決意し、命を懸ける瞳……
『その目は好きよ。背には乗せられないけど、私の後ろをついてきなさい』
『そ、それは困るのだが……』
『あ~あ、知らねぇぞ』
「あ、ありがとう!」
サクヤは、急いでアンデッドドラゴンの下へ向かったルーデルを追いかけた。時間にすれば数時間の遅れである。急がなくては間に合わない。