元女神様 前篇
この物語は、女神では無くなった少女の物語である。
◇
学園に来た元女神は、その扱いを巡ってルーデルたちが悩んでいた。単純に神殿跡地に置いて来たら死んでしまうし、女神的な能力も魔力も無くなった少女には生きていく手段がないのだ。十五歳程度の年齢と、美しい黄金の髪に芸術ともいえるスタイルは見事なのに、中身が残念でしょうがない。
現在も男子寮の食堂で朝食を食べているが、スプーンとフォークを危なっかしく使って料理を食べては口の周りを汚している。身体を手に入れてからは、色々と問題も多かった元女神。ルーデルとアレイストの予定よりも時間がかかった理由は、女神のお世話が原因だ。
「おいそこのババア、何でそんなに汚すんだよ。テーブルとか服もベトベトだろうが」
アレイストが元女神を見ながら注意すると、元女神何とかしようとして……それでも駄目だから、諦めていい返す。
「う、五月蝿いのよ。それにアンタに世話になっていないわ。私の世話をしてるのはルーデルよ!」
そう、元女神が身体を手に入れてから、ほとんどの世話はルーデルが行っていた。アレイストは子育ての経験がないが、ルーデルは腹違いの妹であるレナの面倒を見ているので経験があるのだ。
「世話をするのはいいが、それよりもお前は俺が授業を受ける時はどうするんだ? 俺たちはこれから授業だぞ」
ルーデルが犬の躾け方という本を見ながら、元女神に聞くのだ。元女神は授業というのを言葉でしか知らずに、不思議そうに首をかしげた。
「私もついて行けばいいじゃない」
その言葉に、元女神という話を信じてはいないリュークが答える。
「お前は学園の生徒ではないから、授業には参加できない。それよりも早く名前を名乗ったらどうだ? 呼びにくい上に他の人間に説明しにくいんだが」
ユニアスは、朝食を食べていて元女神に興味無さそうにしている。男四人の態度が気に入らないのか、元女神は椅子から立ち上がり、泣きながら抗議した。
「私だって元女神です! とかいうの疲れるのよ! みんな微妙な顔をするし……この私の美しさが女神たる証拠じゃない」
確かに美しいだろう。口元や服を汚していなければ神々しくも見える。ルーデルは本を閉じて元女神を見る。
「元女神、食事中は席に着け。そして周りの迷惑にならないように静かにするのがマナーだ」
「うぅ、分かったわよ」
「よし、偉いぞ元女神。これはご褒美のプリンだ」
「やったぁ!」
そういってルーデルは、自分のデザートであるプリンを差し出した。それに喜ぶ元女神……アレイストはそんなルーデルと元女神、そしてルーデルの手元にある本を見て呟く。ルーデルがドラゴン関係の本を読まないで、犬の本を見ている時に気付けばよかったのだ。
「お前……ルーデルに犬と思われてるぞ」
プリンを美味しそうに食べていた元女神が固まった。
◇
「何よあの罰当たり共! あいつらがいなくても、私は一人で生きていけるわ」
怒りながら学園を歩く元女神。ルーデルたちが授業に向かう前に、朝食とプリンを食べ終えてから食堂を飛び出してきたのだ。口元や服は汚れたまま……それを見た学園の関係者たちは、元女神が首から下げているカードにアルセス家の関係者である表示を見て注意するのを止めていた。
「いいわよ、やってやるわよ。私一人で生き抜いてやるんだから」
そうして元女神は、先ずは寝床を確保しようと考えた。理由は分からないが、首から下げているルーデルに貰ったカードを見せると大体の場所には入れる。それを利用して自分の住む場所を見つけようとする元女神。細かい人間のルールには興味が無いのか、学園であるという事もあまり理解していない。
「そうね……あの建物なんか私の神殿に相応しいわ」
女神が目指したのは、男臭くない住まいである女子寮だった。そのまま女子寮に近付くと、入り口付近で止められる。責任者である女性騎士や、女性兵士が数人で囲んだ。
「何!? 何なのよ!」
「色々と聞きたい事はあるが、先ずは身分証を見せなさい」
元女神は慌てながらも、ルーデルから貰ったカードを女性騎士に渡す。少し汚れたカードを女性騎士が布でふくと、溜息を吐いて元女神を女子寮に通した。汚さないように、と注意をして。
そのまま中に入る元女神を見送る女性騎士に、新人の女性兵士が不思議そうに聞いてみる。
「あのぉ、いいんですか? あんな子を女子寮に入れて」
「あなた新人だったわね。よく聞きなさい……この女子寮はここ数年、王女様がいるおかげで平和だけど、その前までは糞ガキ共が私たちの隙をついて侵入を繰り返していたのよ。流石に今では、王女様がいる女子寮に侵入する男は一人しかいなの」
「えっ! 一人は侵入しているんですか! それって大問題ですよね? ここに配属される前は、下級貴族なら傷を付けてもいいから侵入を防げ、といわれましたよ」
「……ルーデル・アルセス。三公の嫡子の一人よ。彼は正面から堂々と女子寮に入るわ」
「おかしいですよね。そんな事が許される訳がありません! 王女様がいるんですから、大公の子供でもそれなりの処罰があって当然じゃないですか!」
新人が正論を述べて上司に食いつくが、女性騎士はそのまま真剣な顔でいう。
「絶対に逆らってはダメよ。権力とか暴力が恐ろしいからいっているんじゃないの、彼は……ルーデル様にはそれよりも恐ろしい奥の手が……」
微妙に震えて俯く上司の姿に、新人がゴクリと唾をのむ。いったいこの学園では何が起きているのだろう……そう、真剣に悩む新人をよそに上司の俯いた顔はほんのり赤かった。
◇
「何だか見た目よりも小さな部屋が多いのね? でもこの辺は大きな部屋が多いわ。ルーデルの所と部屋の並びは似ているから、きっと豪華な部屋がある筈……そこを私の部屋にしてやるのよ」
一人で喋りながら歩く元女神。そんな彼女が歩いている先には、上級騎士が護衛するフィナの部屋があった。男子寮と似た作りをしているので、元女神はそこが一番いい部屋だと判断してその部屋の前にいく。勿論、ルーデルから貰ったカードを示すのを忘れない。
(凄いわねこのカード。私が説明しても信じない人間たちが、このカードを見るという事を聞くんだから……でも、ちょっと悔しい)
「……アルセス家! ちょ、ちょっと待っていろ。いえ、お待ちください」
不審者を見るような目をしていた上級騎士が、カードを見ると顔色を変えて部屋に入っていく。そうすると、部屋からはバタバタと凄い物音がした後に豪華な扉が勢いよく開け放たれた。
「師匠のペットってどこよ! きっと凄いモフモフ……もふ、も、ふ? ちょっとモフモフどころか、薄汚れた女じゃない。ソフィーナ、これはどういう事よ」
(師匠のペットってカードをぶら下げた客人が来たっていうから急いだのに、ここに居るのは口も服も汚したただの女じゃない……はぁ、テンション下がるわ)
無表情で飛び出してきたフィナに驚いた元女神。そんな状況でも自分を貶したフィナに腹を立てていい返す。
「私は女神よ。元だけど……いくらなんでもその対応は酷くない? それにペットってどういう……」
元女神が怒りをぶつけようとするのだが、フィナは全く興味が無いのかソフィーナと話し込んでいた。
「つまりアレかしら。私に自分の女を見せ付けてモフ天の夢を諦めろ、そういった師匠の挑戦という訳ね」
「違いますよ姫様。なんでそんな解釈をするんですか? ルーデル殿の関係者でしょうし、それなりの身分かもしれませんよ。もしかしたら伝言を頼まれたのかも……」
「嘘をいわないで、師匠なら空気を読まずに私に直接話しかけてくれるわよ。こんな回りくどい事なんかする必要が……そうか! そうだったのね!」
急に元女神を無表情で見るフィナ。元女神がそんなフィナに驚いたり怖がったりしていると、フィナが大声で宣言する。
「あなた、師匠の新弟子ね! 姉弟子である私に挑戦するとは、師匠が技を競えといっている証拠……いいわ、私の実力を見せてあげる!」
「な、私はこれでも女神、ってちょっと服を剥ぎ取らないで! 破いたらルーデルに叱られるの!」
元女神の服を剥ぎ取ろうとするフィナ。そんな状況でも無表情であり、元女神は急に服を剥ぎ取られる事に恐怖してその場から逃げ出した。半泣きで着崩れた服をそのままに、その場から走り去る。
「何してんですか姫様!」
「見ての通りよ。まぁ、当然私の勝利だったわね」
(ふっ、他愛無い妹弟子ね。師匠の目も節穴よ……あんなモフモフに向いていない子を弟子にするんだから、これは師匠を超える日も近いわね)
「ルーデル殿の婚約者かもしれないんですよ!」
ソフィーナの言葉に身体を一度ビクリ、と反応させたフィナ。
「ま、まさかそんな……」
(有り得ないわ。師匠に婚約者なんて絶対にあり得ない! だって私が父上にお願いして、裏工作や噂を流して婚約者を潰しているのに! こうなれば禁断の母上の力も借りて事を成さねば、モフ天の夢が潰えてしまう)
気落ちするフィナ。ソフィーナは、いつもと違うフィナに気付くとルーデルの事を好きなのだろう。というような勘違いをする事も無く。
(きっとこの人は、また碌でもない事をはじめるな)
自分の主を理解し始めるソフィーナだった。
◇
半泣きで、怯えるように女子寮を歩く元女神。堂々と歩いていた最初と違い、今では慎重に女子寮を歩いて出口を探している。時々、半裸に近い女子生徒が歩いているので、見つからないように歩いていた。
しかし、フィナから逃げ出した時に道を間違えると、そのまま迷子になってしまう。もう、フィナに怯えて半泣きなのか、迷子だから半泣きなのかも元女神にも分からなかった。
「ちくしょう、馬鹿にして……いつか復讐してやるんだから」
元は女神と思えない発言をしつつ、元女神は出口を目指して歩いていた。そんな女神の下に、真の女神が現れる。
「おや、君はルーデルの所の……」
「はぅっ!」
元女神が後ろを振り返ると、そこには優しそうな顔をしたイズミがそこにいる。最初に紹介された事もあり、元女神もイズミの顔は覚えていた。その優しそうなイズミの登場に、今度は泣きながら感謝する元女神。どこか救いの女神にも見えるイズミを前にして祈りだした元女神がいう。
「め、女神様」
「え?」
祈るような仕草をする元女神の反応に、イズミもしばらく考え込むのだった。