猪と鳥と黒い霧
黒い霧に乗っ取られた名も無き女神が、ルーデルとアレイストの二人と寂れた神殿内で向き合っている。ルーデルが剣を抜こうとすると、アレイストが先に剣を抜いてルーデルの前に歩み出た。神殿内は憑りつかれた女神のせいでボロボロで、長椅子などの障害物はほとんどなくなっている。
動きやすいが、そこはあくまでも屋内だ。入り口は一つしかなく、撤退する時には苦労するだろう。女神にどんな攻撃方法があるのか分からない二人だが、アレイストはルーデルの前に出た手前、退く事が出来ない。
「前に見た鳥モドキと同じか? それでも関係ない。僕は臆病なままではいられないんだ!」
アレイストの右手に持った剣に炎がまとわりついた。それも出力が高いのか、炎は神殿内の温度を一気に跳ね上げる。邪魔になると判断したルーデルが、後方に飛び退くとそのままアレイストと憑りつかれた女神を見守る。
『魔法剣とは芸の無い男だ。こんな男の為に苦労してきたかと思うと馬鹿らしい。だが、今の目的はルーデルの殺害で世界の意志など関係ない! 貴様を殺してルーデルも殺してやろう!!!』
「馬鹿にするなぁぁぁ!!!」
宙に浮かんだ状態の女神が、アレイストに急接近する。アレイストはそんな女神に魔法剣を振り下ろすが、女神は左手で魔法剣を受け止めた。驚くアレイストと、その表情が面白いのかニヤニヤと笑う女神。そのまま床に足を付けると、見た目からは想像できない力でアレイストの剣を持った左手で投げ飛ばす。
ルーデルは先回りしてアレイストを受け止めるが、女神の左手に火傷の跡はない事に気付いた。
「わ、悪い」
「アレイスト、あいつは危険だ。魔法の炎を素手で受けて火傷一つしていない」
「……それでも、退けないんだ」
ルーデルの注意を聞いて驚いて女神を見ると、確かに傷一つ着いていなかった。それでもアレイストは立ち上がると、また一人で立ち向かう。
『まだ理解できないのか? お前程度では勝てないと理解しろ。貴様の命など興味が無いんだ……だから、ルーデルを見捨ててこの場から去れ』
女神はゆっくりと歩いてアレイストに近づく。しかし、アレイストは深呼吸をすると剣を握りなおして構えた。
『システムとはいえ、この身体は女神の物だぞ? 貴様はそれを理解しているのか』
「それがどうした!」
アレイストは左手に魔法を発動しながら右手に持った剣を振るう。その攻撃は、女神受け止められるのだが、アレイストはそのまま左手の魔法を女神に叩き込んだ。
『無駄だ。魔法はこの身体に効果が無い。この身体は魔法によって再現された物で、そこに実体を加えたのだからな。だから、こんな事も出来るんだ』
女神がアレイストと同じように左手に魔法を集める。しかし、その規模はアレイスト以上であった。炎が女神の左手に集まると、その熱で神殿内に火がついてしまう。
「魔法が無効なんだろ。だからさっきの攻撃を何も考えずに受けたのか? それならお前も大した事が無いな……アレは特殊魔法だよ。一時的に障壁を破壊して魔法を相手に充てる事が出来る特殊な魔法さ」
アレイストが、女神の魔法に驚きつつもはったりで引きつった笑い顔を作ると説明する。それは魔法騎士といわれる存在が使用できる特殊攻撃だ。一度だけ相手の魔法無効という障壁を破壊する、ゲームならではの魔法といえた。
『だからどうした? たった一度の攻撃でこの身体を倒す事が出来ると思っているのか? その程度は計算しなくてもいい問題だな。貴様と私の実力差はそれほどにあると理解しろ』
「……そうかい」
女神が左手をアレイストに向ける。そんな中でアレイストは、作戦が成功する事を祈るような気持ちで女神の攻撃を待ち受ける。確かに自分の攻撃では大したダメージは与えられないが、お前自身の攻撃ならどうだ? そうしてアレイストは、ゲームをプレイしていた転生前ではあまり使わなかった魔法を使用する。
「カウンター!」
『ほう』
魔法が放たれると、アレイストは攻撃を反射するカウンターの魔法を使用した。この魔法をあまり使わない理由は、格上の敵と戦う事がゲームでは無いからだろう。恋愛がメインのゲームであるから、戦闘に関しては緩い設定となっている。
そしてもう一つ、この魔法が使えない理由がある。
『成功率が低いそんな魔法に賭けたのか? やはり貴様は、実力が伴わないただの子供だな』
女神はアレイストの賭けが、成功しても失敗しても問題ないといった感じでその結果を待ってみる。絶対的な実力差を前に、女神は世界がどう動くか興味があったのだ。きっとアレイストは自分と戦っても死ぬ事は無いだろう。いや、自分が死ぬかも知れない。そう諦めた感情が女神を支配していた。
そんな気持ちでアレイストを見ていた。そしてルーデルも、二人の戦いを見守るが、どこか諦めた表情をした女神に気付く。
そして結果はまるで決まっていたかのように、アレイストのカウンターが成功する。強力な魔法が、女神に牙をむくと女神はその魔法を避けようともしなかった。
「見たか!」
自分の魔法を受けて吹き飛んだ女神は、その衝撃で祭壇を破壊して倒れてしまう。そして仰向けになりながら燃えた身体が修復し、ルーデルでもアレイストにでもなく、世界に問いかける。
『そうまでして排除するのか。我という存在を生み出しておいて、私という存在の生きる意味すら否定するのか! 絶対的な力でルーデルを殺そうとすれば、アレイストという存在を前に出してきて……そんなに我らが不要なのか!!!』
黒い霧の正体は、設定が生み出した物語を動かす黒子である。裏からアレイストの為に行動し、ルーデルの邪魔をしてきた存在だ。猪も鳥も女神に憑りついた黒い霧と同じ存在である。元は一つであった存在が増えたのは、ルーデルが運命を変えてきた証拠でもある。
憑りつかれた女神は白い瞳から黒い、黒い液体の涙を流す。
『もう最後に残った私は、我らの願いも果たせないのか……』
「何をいってるんだお前」
女神の叫びにアレイストは理解が追い付かない。そしてルーデルは、燃え盛る神殿の中で女神の方へと歩き出した。そうしてバジルから受け取った剣を抜く。その剣は最初に遭遇した猪の牙から出来た剣。鉄と素材となる牙を混ぜ合わせて生み出されたルーデルの剣である。
片手剣というには少し長く、装飾品は最小限に施された戦う事を考えられた剣。その剣から魔力を感じ取った女神は、また笑い出す。
『そうか、そうなのか! 最初から私は負ける事が決まっていたのだな。その剣は我の身体の一部であり、この女神の身体すら傷を付ける事が出来る武器か。どうやら世界は、その時が来るまでどうしてもお前を生かすらしい……さぁ、私を殺せルーデル!』
剣を天に向けかざすルーデルは、目を閉じた。
◇
それは少し前の事だ。戦闘を繰り広げる二人を黙って見ていたルーデルは、悩んでいた。
女神とアレイストの戦闘を見守るルーデルは、自分の新しい相棒である剣が震えている事に気が付いた。まるで女神に反応して、いや、黒い霧に反応するかのように震える剣。
(なんだこれは? 何が起きている)
『私の役目は終わったが、仲間をこのままにしては終われない……お前に頼める立場ではないが、最後に協力してはくれないだろうか? そうすればお前は我ら……私の分身から解放される』
それは野太い男の声に聞こえた。そうしてルーデルが頭に浮かんだのは、基礎課程の時に見た猪の姿だった。獰猛で暴れ回る黒い身体と白い模様の悪魔。
牙に籠った最後の意志が、黒い霧となった存在に、変わり果てた自分自身の半身を助けようとする。最後に止めを刺して分身を救おうとしているのだ。
『私を使えば奴の身体に傷がつく。今のお前なら容易く倒せるであろう』
(仲間を助けないのか)
『救うとは、奴を指名から解放する事だ。私の使命は達成されたから後は消えるだけだが、分身の使命はお前を止める事にある。だが、お前は諦めないのであろう? ならば分身を、私の半身を救ってくれ。達成できない我らの使命を終わらせてくれ』
考えるルーデルは、アレイストの一か八かの賭けが成功して吹き飛んだ女神の叫び声が聞こえてきた。それは全力で挑んでも運命に勝てなかった敗者の姿だった。
ルーデルは気を引き締めて歩き出す。決意をし、剣を抜いて女神に向かって歩き出す。
◇
剣を天に向けて掲げるルーデルは、剣に魔力を流し込む。そうして考えるのだ。
(本当に倒せば終わるのか? 運命だからと負ける存在を殺して終われるのか? いや……それでは、俺は納得できない)
化け物となった女神は、ルーデルを見て自分の最後の時だと確信して目を閉じる。だが、その時は訪れる事は無かった。代わりに自分に近い存在を感じて、女神は急いで目を見開く。懐かしく、分かれる前の自分自身の姿に懐かしさと悲しさがこみ上げる。
「な、なんだよこいつら! ルーデル、いったい何をしたんだ!」
アレイストが燃え盛る神殿で見た物は、二匹の魔物がルーデルの横に立つ姿だった。一匹は覚えがある。あの時の鳥モドキだと気付いたアレイスト。しかし、もう一匹の猪の化け物は記憶にない。
『あぁぁ、我だ。私が分離する前の我らだ』
手を伸ばす女神に、近づいた猪と鳥の化け物。姿は違うが、黒い身体に白い模様が仲間である証だといっているようだった。
『もう終わりだ半身よ。我らの役目は終わったのだ』
『さぁ、戻るといい。また一つになればお前はもう一人ではない』
『ここまで来て諦めるのか!? 我らが揃えばルーデルも倒せる。使命が果たせるではないか……なのに、なのに何で半身までが私を無視してルーデルを救おうとするのだ!』
女神がまた黒い涙を流すが、寄り添った猪と鳥の身体に触れて気が付いた。半身たちは、ルーデルの魔力で形を作られた仮初の身体だという事に……
『結局、私は目的は果たせないのか』
不気味な猪と鳥をその手で抱き寄せる女神は、そのまま意識を手放そうとする。だが、そこにルーデルの声がかかる。
「そのまま終わっていいのか。お前たちは運命に逆らって負けたままでいいのか」
『世界の意志には勝てぬ。お前は運命をここまでは変えてきたが、最後を変える事は不可能だ』
『それはいつかお前も理解する事だろう。世界は、絶対にお前の運命を望んだ形に持っていく』
猪と鳥の答えにルーデルは納得できなかった。これまでも何度も邪魔されてきた。その度に努力すれば願いは叶う、いつかは認められると信じてきたのだ。
「俺の運命は決まっているのか? それでも俺は、ドラグーンになりたいんだ! それしかないんだ! 俺にはそれしか……どんな運命でも超えてやる。そのために、ここまで努力してきたんだ。諦めたらそこで終わるんだぞ」
その言葉を聞いて、唖然としていたアレイストは心が痛くなる。転生できると喜んで、自分は強いと勘違いしてきた。そうして踏み台としてしか見ていなかった存在が、ここまで意志があって苦労してきた事を頭ではなく心で理解する。
「ルーデルお前……」
『図々しい事だ。お前のおかげで我らは産まれ、存在してきたというのに。だが、お前が最後まで運命と……世界と戦うなら助けてやろう。その時が来るまでお前を助けてやってもいい』
『何をいう、気でも狂ったか!』
『こいつを助ける? それは我らの使命ではないな』
女神はルーデルの言葉を聞いて、提案をしてきた。意外な申し出に、猪と鳥は反対する。
女神はそんな半身の言葉を、笑って手で制する。女神が、黒い霧が思ったのは、自分たちとルーデルが同じように世界の設定と戦おうとしている事だった。倒すべき敵が、同じ敵と戦っているような感覚……
『ルーデル、お前が運命と戦い続けるなら私は手を貸そう。しかしだ、お前が運命に逆らわず、流されるようなら……諦めた瞬間に私がお前を殺してやる』
「好きにしろ。俺は絶対に諦めない」
『その言葉を忘れるなよ。お前には世界が邪魔をして、ドラゴンは得られないだろう。それを私が助けてやる。だから忘れるな、お前が諦める時がお前が死ぬ時だ』
ドラゴンを得られないという言葉に過剰に反応しそうになるルーデルだが、黒い霧に乗っ取られた女神の言葉に驚くと共に笑顔となる。まるでそれは少年の笑顔だった。
「本当か!」
『……現金な奴め。では、私はいく……』
黒い霧が女神から離れると、神殿内が黒い霧で覆われて視界が奪われた。そうしてルーデルとアレイストが視界を取り戻すと、そこには元の金髪の女神が全裸で倒れていた。そして、神殿内は炎に包まれ今にも崩れそうになっている。
アレイストと女神の戦闘の激しさに、ここまで耐えた事を評価してもいいだろうが、ルーデルとアレイストは女神を担いで急いで神殿の入り口へ駈け出した。
飛び出すとほとんど同時に倒壊する神殿。そして、女神がその衝撃で目を覚ました。半透明から実態を得た女神は、動かし難い身体で立ち上がる。そうして見てしまった。自分を崇め奉る神殿の崩壊した様を……
「ちょ、ちょっと!!! 何なのよこれは!!!」
◇
ルーデルとアレイストは元女神の前で正座をしていた。すでに日が昇ろうとしているからか、辺りは明るくなり始めている。
「なんて事してくれたのこの罰当たり共! 私の神殿返してよ、返しなさいよ!」
裸で泣き叫ぶ女神の前で正座をする二人は、堂々と女神を見ていた。目を逸らせなかった、というのが正しいのかも知れない。元女神という事もあり、確かにその姿は神々しく見えない事も無い。いや、女性の裸を見て興奮してそう見えるのかも知れない。
「で、でもさ。破壊したのお前だし」
視線を女神の身体に合わせたまま反論するアレイスト。ルーデルも確かに悪い気はしたが、乗っ取られた上にお菓子が大好きで威厳の無い女神が哀れに見えていた。
「それに誰も来ないんだろう? しかも身体を手に入れて、この場所での生活はきついぞ」
「何? いい訳しか出来ないのこの罰当たり共が! 身体を手に入れたって、私は魔力の……あ、あれ? 何で私が裸なのよ! しかもただで裸を見たわねこのスケベ!」
今度は裸を見られて泣き出す女神に、アレイストが保存食である食べ物を渡す。それを奪うように受け取ると、女神はそれを食べながら文句をいう。
「この程度で私の恨みが晴れると思わない事ね。絶対に償いをするまで憑りついてやるんだから」
いっている事は悪霊と変わらない内容だ。その物言いと、態度に二人が興味を無くして立ち上がって帰ろうとする。
「ど、どこに行くのよ」
「俺たちは学生だから学園に帰るんだ。世話になった。神殿は必ず立て直してやるから、ここで待っていろ」
「勇者にもなれなかったし、もうここには用は無いんだよね」
二人の言葉に心細くになる女神。食べ物で口の周りを汚しながら、ルーデルの足に飛びついて離れない。
「置いてかないでぇ! こんな寂しい所に一人っきりは嫌よ私」
泣いてすがりつく女神に、呆れたアレイストがいう。
「お前はここでずっと一人だろう? それに僕たちは学園に行くから、ペットは連れて帰れないんだよね」
「ペットって何よ! これでも女神なの。それに私は、女神たちと時々集まるから一人ぼっちじゃないの! でもこの身体だとあの場所に行けないから、本当に一人になちゃうぅぅぅ」
「……どうするアレイスト」
「いや、僕に聞かれても」
「捨てないでぇ、何でもするから捨てないでよぉ!」
困り果てる三人は、その場でしばらく考えた。
◇
学園へ戻ってきたルーデルとアレイストは、予定よりも時間がかかってしまう。それは身体を手に入れた女神の面倒を近くの村で見ていたからだ。そうして学園に戻ってきた二人は、いつものメンバーに女神を紹介していた。
「……という訳で、女神の面倒を見る事になった。挨拶をしろ」
ルーデルが全員に説明し終わると、村娘が着る服を着た女神が頭を下げる。頭を上げると笑顔でいうのだ。
「これからお世話になります!」
全員が呆れて声も出せなかった。強くなるといって出ていったルーデルとアレイストだが、帰ってきてみれば少し年下の女の子を連れてきた。これには普段から付き合いのある、イズミもリュークにユニアスすら反応できなかったのだ。
(どうしよう、流石にここまで斜め上の想像はできなかったな。もしかしたら、ドラゴンでも連れて来るかもとは考えたけど……女神? を連れて来るなんて、私の想像力が足りないのかな?)
イズミはルーデルの想像を超えた行動を予想できずに驚いていた。
(だからルーデルとアレイストが、二人だけで行動するのは反対だったんだ! 見てみろ、空気の読めない二人が行動した結果はサッパリ理解できない! )
リュークは女神と名乗る少女を連れてきた二人に呆れていた。最後にユニアスは思う。
(俺も行けばよかったな)
そうした微妙な空気が流れるその場で、アレイストが呟いた。空気の読めないアレイストは、周りが何に困惑しているか理解できなかったのだ。神殿での出来事を話したが、女神という物を普通の人は見た事の無い、という事を知らないのだ。
「あれ、みんなどうしたの? お土産が気に入らなかった?」
ルーデルとアレイストが選んだ、微妙な置物のお土産を手に持った三人はいう。
「そこじゃない!」
「馬鹿なのか貴様ら!」
「確かに微妙だな……」