兄弟と少年の喧嘩
闘技場の貴賓室では、ルーデルとフリッツが向かい合って話しているのを王女たちが眺めている。お互いに応援する相手が違うが、真剣そのものだった。アイリーンは両手を胸の前で握りしめ、フィナは無表情だが内心では……
(フリッツ終了ぉぉぉ!!! 師匠にボコボコにされろよ。そして面倒臭いから姉の中の評価を落としてしまえ! モフモフしてないフリッツなどお呼びじゃないのよ!)
周りの上級騎士たちも、そんな真剣な王女たちを前にして複雑そうな心境だ。顔には出さないが、アイリーンの護衛たちは平民出のフリッツの言動や態度に不満がある。そんなフリッツを慕うのが王女であるため口にも出せない。
フィナの護衛であるソフィーナも、ここ最近でフィナの性格を把握していたから内心は複雑だ。自重しないフィナの内心は想像もできないが、ろくな事は考えていないだろうと想像している。そして、フリッツと向き合うルーデルの真剣な表情に少し顔が熱くなるソフィーナ。
会場も先程の静寂から多少持ち直し、歓声が聞こえてきだしていた。
◇
「上級生なんかに負けるなよフリッツ!」
「実力の違いを見せ付けろぉ!」
「誰が最強か教えてやってくれフリッツ!」
下級生たちのそんな罵声に、上級生たちは複雑な心境だ。三年生の大半は昔の自分たちを思い出し、ルーデルのクラスメイトたちは腹を立ててその罵声を聞いている。二年生はアレイストに勝ったルーデルを知っており、なおかつ第二王女とルーデルが仲がいい事を知っているから何といっていいか分からない。
「聞こえますかこの歓声が……これが世間の声ですよ先輩」
向き合う二人は試合開始前に少し話をしている。審判も空気を読んで少しならいいか、と黙認した。
「魔力の使い方で疑似的な魔法剣を発動させる。そしてそれを応用した防御……調べましたよ。だからいっておきます……もうお前には追いついたし、超えている」
「そうか。それよりも弟の件は礼をいっておこう。これならクルストはまた立ち上がれそうだ」
フリッツの言葉にあまり興味を示さないルーデル。しかし、弟であるクルストの事では感謝していた。だから単純にお礼をいいたかった。だが、そんな態度にフリッツは腹を立てる。
そして審判が開始の合図を宣言した。
それと同時に魔力がフリッツの身体を覆い、木剣にも大量の魔力が流れ出す。まるで光る鎧と剣を持った姿に会場は驚きの声を上げた。その魔力の鎧と剣に、下級生たちは興奮して勝利を確信した。
「これが俺の本気だよ! お前の弟には見せる必要すらなかったけどな!」
木剣をルーデルに向けて叫ぶフリッツ。しかし、ルーデルは木剣を右手に持っているが構えずにいた。それどころか木剣に魔力すら流そうとしない。
「本気を出さないから負けたとかいういい訳でもするつもりか? どうしようもない屑だな貴族っていうのは……だったら保健室のベッドの上で後悔でもしてろよ屑がぁぁぁ!!!」
一瞬にして間合いを詰めるフリッツが木剣を振り下ろす。だが、その瞬間にフリッツはリングに身体を叩きつけられ胸にルーデルの右足が乗っていた。いや、踏みつけられていた。
「全力で耐えて見せろ」
そういったルーデルの言葉を理解する前に、フリッツは物凄い衝撃を感じる。そして口から血を吐いた所で意識を無くしてしまった。
◇
開始から数秒で終了した試合を見て、リュークやユニアスはそれぞれ違った表情をしていた。リュークは困ったような顔をしている。
「はぁ、全く面白味のない試合だな。もう少し観客を楽しませる事を考えたらいい物を……戦闘の上級者なら唸りそうなものだが、これだと下級生には理解できないだろうな」
不用意に飛び込んだフリッツの攻撃を身体を逸らして避けたルーデルは、そのまま左手でフリッツの腕を掴んだまま足払いをかけた。転んだ、というよりもリングに叩きつけられたフリッツの身体を右足で踏みつけて押さえると……そのまま何かしらの攻撃を仕掛けたのだ。
それも二人を中心にリングが円形に抉れる激しい攻撃だ……フリッツは、そのまま口から血を吐いて意識を失い試合は終了。
「面白れぇ……やっぱりあいつは最高じゃねーか」
逆にユニアスは、その獰猛な笑顔で隣に座るアレイストやクルストをドン引きさせていた。ルーデルが何をしたかは分からないが、それでも先程の攻撃は背筋に嫌な汗が流れるほどに強力だった。自分が認めた友人は、知らない間に強くなっている。
「来年の二学期が楽しみだ」
そんな事をいって喜ぶユニアスに、横に座るアレイストはユニアスから視線を逸らして頭を抱える。
(ど、どうする! こんな攻撃方法知らないっていうか何あれ!? 僕はこのままだとルーデルに勝てない……どうしたら)
いつの間にか更に離された実力差に落ち込むアレイスト。クルストはリング上で立つ兄を見てそのまま安心して試合の疲れからか意識を失った。そんなクルストをイズミが客席から立ち上がって後ろから支えてやる。
◇
会場には変装した二人のドラグーンが紛れ込んでいた。少しおしゃれをしたリリムとカトレアは、ルーデルとフリッツの試合を見て驚きを隠せずにいる。自分たちと戦ってからまた強くなっていたのだから当然だが、それと異常ともいえる成長速度。
二人は先程までのルーデル登場してきた時の興奮を抑え、貴賓室に目を向ける。学園に待機させてある自分たちのドラゴンにも声を送り、準備を整えた。
『あの人の子、いや、ルーデルが勝ったようだな。嬉しいか契約者よ?』
『マジかよ! 声が聞こえてたけど瞬殺じゃねーか! 相手はどんだけ弱いんだ? しかも前の試合で散々威張り散らして……格好悪っ!』
そんな自分たちのドラゴンの返事に苦笑いした。自分の事は契約者と呼ぶドラゴンが、ルーデルの事は名前で呼ぶのだ。そしてカトレアのドラゴンは口が悪い。
「さて、お姫様の方は大丈夫ですかね」
カトレアが貴賓室とリング上のルーデルを交互に見ながらリリムに質問する。別に王女が無理な行動に出るとも思えないが、一応はそのために呼ばれているのだから注意はしないといけない。
リング上ではフリッツが担架で運ばれていくし、会場は何ともいえない空気に包まれている。あまりの実力差に理解できない者たちが卑怯だと喚き散らしたり、そんな下級生たちに上級生がヤジを飛ばしたりし始める。
「合図はないみたいね。でも、いい物が見れたわ」
貴賓室を見ながら、リリムは先程のルーデルの勇姿を思い出して頬が赤く染まっていた。そんな先輩をカトレアは溜息を吐いて見る。
「もう婚約者じゃないんですけどね……」
◇
一方、そんな二人のドラグーンが心配している貴賓室ではちょっとした騒ぎになっている。
「い、今のは無効です! あんな試合は認められないわ!」
フリッツが負けた事を認められないアイリーンは、そういって周りに抗議した。しかし、結果は意識を失ったフリッツの完全な負けである。運だとか不運で負けた訳ではない。完全な実力差で負けたのだ。
「何度やり直しても結果は変わりませんよお姉さま」
(あなたの王子様が師匠に勝つなんて無理に決まってるでしょ。何といっても師匠はモフ天を目指すために私の夫になる人なんだから……あれ? なら師匠も王子様でよくない? 【モフ天の君】とかどうかな。ヤバイよすぎる!)
無表情なフィナの物言いに、姉であるアイリーンは余計に腹立たしくなる。妹の事情を知っている? ため、口には出さないが腹立たしかった。
「……絶対に許さない」
アイリーンの呟きは誰にも聞こえない。フィナもリング上のルーデルを無表情のまま見つめるだけだ。周りの上級騎士たちにも聞こえないアイリーンの呟きには、複雑ともいえる感情が込められていた。
◇
無事? に三学期も終了しようとしていた頃、退院したクルストは学園の校門前に来ていた。アルセス家からの迎えの馬車が来ていたのだ。卒業式には恥だから出るな、と両親からいわれているし、そのまま辺境まで馬車で送られるクルスト。
寂しさや情けなさやらで不安だらけのクルストだが、そんな見送りの場には少なくない人数が見送りに来ている。三公のリュークとユニアスを始め、バーガスにバジル、アレイストと護衛に囲まれたフィナまで見送りに来ていたのだ。だが、ルーデルはその場にまだ来ていない。
「な、なぁ、なんで兄貴のルーデルが来てないの? 気まずくて何話していいか分からないんだけど!」
アレイストがその場の雰囲気を言葉にして周りに助けを求めるが、誰もが視線を逸らして助けようとはしない。周りの人間もルーデルが居ると想って来たのだ。こんな状況など考えてもいなかった。
無言のまま時間が過ぎたり、気を利かせた誰かがクルストに声をかけるが会話が続かない。そんな状況がしばらく続くと、バスケットを持ったルーデルがイズミと共に現れた。アレイストや周りは、その二人の仲良さそうな雰囲気に少し腹を立てる。
「遅いぞルーデル!」
リュークの声にルーデルは頭をかいて謝る。
「す、すまない。まさか実家に帰らないとは思ってなくてさ。辺境に行く途中で腹がすくだろうと思って、食堂でサンドイッチを作ってきた」
バスケットを突き出すルーデル。イズミも持っており、それは馬車に居る使用人に渡しに行く。そしてルーデルはクルストにバスケットを渡した。
「イズミが手伝ってくれないともっと時間がかかったな。途中で会う事が出来てよかったよ」
「私にいえばすぐに準備してきたんだ。ルーデルは思いつきで行動し過ぎる」
そんな二人の会話を聞いて、周りは何でこいつら付き合わないんだろう。とか、黒髪ぃぃぃ!!! とか想っている。
「う、受け取ってやる」
未だに兄であるルーデルとどう接していいか分からないクルストは、憎まれ口を叩きながらバスケットを受け取る。ルーデルはそんなクルストに声をかけた。
「生き残れよクルスト。そうしないと夢も叶わない」
何といっていいか分からないクルストは、そのまま馬車に向かった。いいたい事を昨日考えていたというのに、全く伝える事が出来ない。周りはそんな兄弟を微笑ましく見ている。だが、クルストが向かうの魔物の多い緊張状態が続く帝国との国境である。
もしかしたら、もう会えないかも知れない。皆がそう想いながらクルストに声をかけ馬車を見送る。馬車が校門を出て離れていくと、クルストが窓から身を乗り出して叫んだ。
「あ、ありがとうございました兄さん!!!」
ルーデルはそんな弟の乗った馬車を見えなくなるまで手を振って見送った。
◇
昼になり、休憩として止まった馬車の中でクルストはバスケットを開けてサンドイッチを取り出した。中には小さな水筒も入っており、そして形の悪いサンドイッチと綺麗な形をしたサンドイッチが入っていた。
「ふ、ふん。この形の悪いのが兄さんの作った奴だな」
そういってかぶりつくクルスト。
「な、何て不味いんだ……しょっぱいじゃないか」
夢中でかぶりつき、水筒の中のグリーンティーで胃の中に流し込むクルストは泣いていた。
「ありがとう……ありがとう兄さん」
泣きながら食べるクルストは、少しだけ嬉しそうな顔をしてルーデルの言葉を思い出す。
「生き残って、今度は面と向かってお礼をいう……絶対に生き残るから……」