任務と敵意
「やってられるかぁぁぁ!」
無表情で書類を片付けていくフィナは、その金色の髪を振り乱しながら叫んでいた。しかし、表情は全くない。それがかえって怖いのだ。
だが、慣れてきたミィーは、そんなフィナを見ながらお茶とお菓子を用意している。ソフィーナが準備するよりも、不味かろうがミィーが煎れた方がフィナの受けがいい。
「エルフも狼族も傍につけたのに、何で手を出さないのよ師匠! それでもモフ天の君なの? それとも私を焦らしてもて遊んでいるの?」
「ルーデル様はモフモフにこだわりがありませんからね」
「そうね。どちらかと言わなくてもドラゴン一択ですものね」
フィナの仕事を手伝いながら、ソフィーナもミィーも書類を整理していく。今ではフィナの行動や発言にも耐性が付いたのか、落ち着いたものだ。
「ちくしょう……狼族で、可愛らしい娘をつけたのに! ドジッ子隊長を無理して引き抜いたから、仕事が増えたのよ! しかも、アレイストの奴が『ミリアと別れたくない』とか……イライラしたから、特別監視官に推薦してやったわよ!」
「姫様、そういうの酷いと思います」
恋愛や婚期にかんして、思う所のあるソフィーナはフィナを睨んでいた。ミィーも、流石にアレイストが憐れなのか、フィナに肯定的な視線を向けていない。
その事に気が付いたのか、フィナは慌ててフォローする。
「だ、大丈夫よ、ミィー。アレイストはもうじき八人目の婚約者が誕生して、本当に干からびるから」
「それ駄目じゃないですか? 何か恨みでもあるんですか、姫様」
干からびた黒騎士を思い浮かべるソフィーナは、学園にいる婚約者たちを思い起こす。一人は剣の腕に長けた女性騎士で、すでに飛び級が確定している。
アレイストのために頑張ったのだろうが、鬼気迫るものを感じていたのできっと苦労するだろうと予想がついた。
二人目の虎族の娘は、フィナがあの手この手で親衛隊に引き抜いている。この時ばかりは、フィナの手腕にソフィーナも脱帽だ。ただ、自分の欲求のためにしか働かないという、問題点もあるのだが。
「はぁ、一国の姫君が、学園生活を書類に埋もれて過ごすなど……」
少しだけフィナの現状を憐れむソフィーナだが、フィナは無表情でミィーに抱き着いて色々と揉んでいた。本人は大変幸せそうである。
「まぁ、いいか」
ソフィーナはいつもの光景を前に、仕事に戻るのだった。
――自分の仕事でもない書類仕事をする事に、既に抵抗が無いのが問題であろう。二人とも、毒され過ぎである。
◇
ベレッタの港町では、ミリアがルーデルの監視をしていた。
港の方で作業をするルーデルから離れたイズミは、ベネットを前に騎士団詰所で話し合いをしている。
「住む場所をどうにかしろだと?」
「はい」
相談内容は、ルーデルと一つ屋根の下に寝泊まりしている事だ。ミリアがあまり問題視していないのも不味いが、基本的にイズミはこの状況を好んでいない。
将来を考えれば、ルーデルの迷惑になるのではないかと考えているのだ。
「何故だ? 貴様らは監視と同時に、次期大公であるルーデルに宛がわれたのではないのか? 私や周りもそう理解していたが?」
ベネットに悪意がある訳ではない。次期大公のルーデルに、傍で世話をする者がいない方がおかしいのだ。若く綺麗なイズミとミリアは、ルーデルの妾候補、もしくは使用人や都合の良い女として見られていたのだ。王都での出来事を知らないベネットたちには、理由を付けて『特別監視官』などという役職まで用意したと思い込んでいた。
「……命令書に他意はありません。本当にルーデルの監視が目的です」
「そうか」
イズミが誤解を解くと、エルロンというドラグーンも使うので大きな机や椅子にチョコンと座るベネットは考え込む。
「流石にそれは不味いな。ルーデルだけでなく、お前たちの今後にも影響が出る。私の方で何とかしたい所だが……」
難しい顔をするベネットの尻尾は、申し訳なさそうに椅子から垂れていた。
しかし、名案を思い付いたのか、尻尾は急に元気を取戻し左右に揺れる。
「ならば二人は私の宿舎に来い」
「宜しいのですか? それに、あまり離れるのは得策ではないのです」
何をしでかすか分からないルーデルを、夜とは言えあまり離れては監視役の意味が無い。イズミの言葉にベネットは笑う。
「赴任して数日であいさつ回りも出来ないのはしょうがないが、隣に誰が住んでいるのかは知っておくべきだな」
「まさか……ベネット中隊長が?」
イズミの言葉に、ベネットの尻尾は激しく左右に振られていた。よほど嬉しかったのか、本人も上機嫌である。
「私も今日は早めに帰る。お前たちは今日にでも私の家に来るといい。幸い宿舎は隣だから、荷物はルーデルの所に置いておいても構わんだろう」
「それはそうですが、迷惑にはなりませんか?」
「こちらも勘違いをしていたからな。それに、私の部下が問題を起こしては、私の責任でもある。上司として対応しているつもりだ」
キリッとした表情のベネットだが、対照的に尻尾は嬉しさを我慢できないように振り回されている。
(この人は何が嬉しいのかな?)
ベネットと言う人物が、気になってしょうがないイズミであった。
◇
その日の内に、イズミはミリアに事情を話してベネットの宿舎である民家に荷物を持って訪れていた。
「あのままでも良かったじゃない」
別に家を替える必要が無いと言うミリアに対し、イズミは大反対した。それこそ、命令してまでベネットの家にミリアを引きずってきた。
「世間体と言う物がある。私もお前も、結婚前の女である事を自覚しろ」
「はいはい……」
どうにもミリアは、閉鎖的なエルフの里で育ったせいか世間体を気にしない。いや、気にする必要がある閉鎖的な環境で育ってきたのだが、彼女の特殊な立場からどうにも疎かった。
ミリアの姉であるリリムの事もあり、周りにどう見られても関係ないという感じなのだろう。
リリムの件をルーデルから聞いたイズミは、頭が痛くなる思いだった。価値観の違いを認識していても、イズミはこの事でルーデルが不利になるのは避けたいのだ。
気にし過ぎかもしれないが、ミリア以上に周りに疎いルーデルだ。誰かが気にしなくては不味い。
隣の家も、ルーデルに与えられた家と同じ作りをしていた。家に入ると、エプロンをしたベネットが出迎える。
「来たか。荷物は空いている部屋に置いてくるといい」
魚介を使ったスープの匂いと、肉の焼ける匂いがする。わざわざ、自分たちのために用意してくれたのか、台所には三人分の皿の用意が済んでいた。
「泊めて貰うのに、料理まで……申し訳ありません」
「気にするな。一人では余る事も多いが、三人もいれば残す事もあるまい。赴任して間もないお前たちへのお祝いも兼ねている。遠慮せずに食べろ」
料理もそうだが、何気に部屋も片付いている。掃除に五月蝿いミリアですら、部屋を見渡しては悔しそうに――
「な、中々やるじゃない」
――などと呟いていた。
きっと彼女の目から見ても、綺麗なのだろう。半年以上もの王宮内の掃除を経て、ミリアは掃除にこだわりを持つようになっていた。数日だけ一緒に暮らしたイズミは、何度も注意を受けている。
(ベネットさん凄いなぁ……それに料理も出来るのか)
ただ、どうしてもイズミは気になる事があった。
料理中に尻尾を振りたくないのか、エプロンにしまってある彼女の尻尾も可愛いが、問題は可愛らしいエプロンである。外見的に似合っているフリルの付いたエプロンは問題ないが、刺繍されたキャラクターは間違いなくデフォルメされた猫である。
鼻歌でも歌い出しそうなベネットは、料理の仕上げを行っていた。
(狼族なのに、猫が好きなのかな)
どうでも良い事が気になるイズミであった。
◇
「さて、困ったな」
イズミたちが出て行った家で、ルーデルは考え込んでいた。
イズミとミリアが出て行った事は、彼にとっても安心できる事だった。流石に、結婚前に男と暮らしていては、彼女たちに要らぬ迷惑がかかる。
ただ、問題があった。
「何をしていいのか分からんな」
――そう、ルーデルは一人暮らしをした事が無い。修行や勉学に励んで来た時も、寮では使用人たちが部屋の世話をしていた。
イズミたちは知らないだろうが、貴族の子弟は寮付きの使用人たちが掃除洗濯をしていたのだ。加えて、ルーデルは一般的な料理が出来ない。
それこそ、野外訓練で行うような食事は一応は作れるが、一人では何をしていいのか分からない。
下手に卒業後にドラグーンになったために、下っ端の掃除洗濯を飛ばして来たのも影響しているのだろう。精鋭であるドラグーンには、竜舎の掃除はあっても衣食住で困る事が無かったのだ。
「今更二人に聞きに行くのも失礼だしな」
椅子から立ち上がったルーデルは、取りあえず昨日の残り物を温める事にした。かまどを前に、魔法で火を起こすと鍋を温める。
イズミが作ったスープがあるため、今日明日は持つだろう。
しかし、その後はどうなるのか?
「まぁ、なるようになるだろう」
二十歳を過ぎて、初めての一人暮らしを行うルーデルであった。
◇
三日後――
女性陣は、ルーデルの家で顔を引きつらせていた。
汚れたテーブルに加え、台所は洗っていない皿が山住になっていた。それ以外にも、洗濯をしていないのか汚れた衣類がそこらじゅうに置かれている。
「ルーデル、これはどういう事だ?」
ベネットがルーデルを睨みつけると、本人は困った顔をしている。
「どういう事だと聞かれても……何故かこうなりました」
ベネットが、ルーデルの頭を平手で叩くとため息を吐く。男がこういった事が苦手なのは知っているが、それでも酷過ぎると再び部屋を見渡した。見えない所を思うと、気が重くなる思いだ。
今日の作業中に、イズミがルーデルを心配してしっかり食べてるか聞いたのが事の発端である。
早寝早起きが出来ているルーデルの、家に上がる事が無かったのも問題だろう。
(今更言ってもしょうがないけど、これは酷過ぎるよ部下君!)
しっかり食べているかという質問に、ルーデルはこう答えた。
『携帯食はまだあるから大丈夫だ』
どこが大丈夫なのか、イズミとミリアが二人がかりで問い詰めていた。そこにベネットが心配して現れたのである。
「まったく……貴様は任務以前に、生活もまともに出来んのか」
「も、申し訳ありません」
貴族であるルーデルを一人にした事が問題であるが、ここまで酷いとはイズミもミリアも思っていなかったのだろう。成績優秀なルーデルの弱点だった。
既に日は暮れているので、今からでは洗濯が出来ない。掃除を行えば、夜中になってしまいそうな勢いだった。
「はぁ、今日は私が食事の用意をしてやる。イズミとミリアは、台所の片付けをしたら戻って来い」
自分の家に戻るベネットは、食材も何もないルーデルの家で作るよりも、自分の家で大量に作った方が早いと思い移動する。
(男の人は何が好きなのかな? やっぱり肉料理だよね)
すぐにエプロンを装備すると、尻尾を振り回さないようにエプロンの中に入れる。食材の入れてある箱には、魔法で作られた氷と共に魚介類や肉などの食材が入っていた。
(う~ん、何を作れば……)
そう思っていると、隣の家から怒鳴り声が聞こえてきた。ミリアの声である。
『何でこんな事も出来ないのよ! というか、どうしてこんな部屋に住んでいられるの? 信じられない!』
『す、すまん』
(アワワワ、部下君が怒られてる。流石に仕方がないと思うけど、ミリアちゃん怖い)
急いで支度をしたベネットは、料理が出来る頃に現れた三人を見る。ミリアがピリピリとした雰囲気を出し、ルーデルは肩を落としている。イズミは、そんなルーデルに明日の朝は洗濯を教えるからと慰めていた。
「本当に駄目な奴だな。今日は特別だ」
テーブルに並べられた食事を前に、ルーデルは久しぶりのまともな食事だったのか喜んでいた。その顔を見ると、表情には出さないがベネットも喜んでいる。
(やった! 嫌いな物はないみたい)
四人で座って食事をすると、話はやはりルーデルの生活の事になった。流石に明日からやれといっても、ルーデルに出来る訳がない。当分の間は、イズミとミリアで対処する事になった。
そして、話題は料理へと移る。
「美味しいか?」
ベネットが嬉しそうに食事をするルーデルを前に聞くと、本人は元気よく答えた。すでにおかわりも三杯目に入っている。
「はい! 中隊長は料理がお上手ですね」
「世事は良い。お前ほどの家格ならば、幼い頃より最高の料理人の食事を食べていたはずだ。私にだってそれくらいは分かる」
「そうですか? 自分はあまり味にはこだわりがありませんでしたから」
ルーデルの幼少期に詳しくないミリアは、ルーデルが何を食べてきたのか気になったようだ。イズミも、酷い扱いを受けている事は知っていたが、食事の内容を聞いた事は無い。
「どんな物を食べていたの?」
「……先ずは野菜と栄養価の高い物だな」
「栄養価の高い物を食えるだけでもありがたい事だ。で、どんな風に調理していた(話を聞いたら、今度試してみようかな)」
ベネットも貴族の料理に興味があるのか、ルーデルの答えを待つ。
しかし、返ってきた答えは想像以上であった。
「いえ、普通ですよ。生のまま」
「な、生?」
ミリアが驚いている。
「おかしいのか?」
イズミは周りを見てベネットとミリアの反応を不思議がっている。生の料理があると思い込んでいたのか、驚いた様子が無い。
「……それはサラダか?」
「いえ、普通に丸かじり近い感じです。苦いので妹は丸呑みしてましたね。基本的に冷めた物が多かったな? パンも堅かったと思うし、肉は味が薄かったような……」
笑っているのはルーデルだけである。
話を細かく聞けば、どうにも次期大公の食事とは思えなかった。
「それで食堂の料理は最高と言っていたのか……」
「アンタ、幾らなんでも普通じゃないわよ」
「……これも食うか?」
「頂きます!」
ベネットが自分の肉料理も差し出すと、喜んで食べるルーデルであった。その姿を見て、ベネットは内心で泣きそうになる。
(部下君、可哀想……明日から料理頑張らないと)
「中隊長の料理は最高です!」
本人が喜んで褒めると、ベネットも嬉しくなる。
「当分は食わせてやる。倒れられても困るしな……どうした二人とも?」
すると、イズミとミリアがベネットを見ていた。
「あ、あの、自分たちにも料理を教えて欲しいのですが」
「ん? 構わんが」
「本当ですか!」
顔を近づける二人に、ベネットは鬼気迫るものを感じた。
(え、何? ちょっと二人が怖い)
◇
次の日の朝、イズミは約束通りにルーデルに洗濯を教えている。
(そういえば、数日はミリアがみんなの分を洗濯していたな)
男物の下着を洗うのに、抵抗は無かったのか気になる。いや、嬉々として洗濯していた光景が目に浮かぶと、考え過ぎだと頭を振った。
タライを前に、自分の洗濯物を洗うルーデルは戸惑っている。
「水が汚れたんだが?」
「それだけ泥だらけなら、汚れもする。水は交換しないでそのまま洗うんだ」
「魔法でこう……」
「出来なくはないが、ルーデルはここでは衣類も貴重だと知っているだろ? 失敗すると本当に着る物で困る事になる」
魔法で解決する事を提案したが、断られるとそのまま作業に戻る。そんなルーデルの背中を見ていると、どうしても手伝いたくなるイズミであった。
しかし、ベネットに自分でさせるように言われている。
家の庭で洗濯を終えると、そのまま干して終了である。大量に干された洗濯物を見て、まだまだな所もあるが、これで一応は大丈夫だと思う事にした。
家の中は、朝からミリアが最低限の掃除を行っている。
「食事の時間だ。三人とも来るといい」
庭越しにベネットが声をかけてくると、家の中にいるミリアも連れて三人はベネットの家へ向かった。すると、玄関の辺りに青い髪後ろでしばった男が立っていた。ベネットと何か話をしている。
「随分と時間がかかったな」
「無茶を言わないで下さいよ。これでも急いだんですから」
自分たちよりも年上に見える男性騎士は、ドラグーンのローブを肩にかけている。イズミたちが出てくると、ベネットが男性騎士に自分たちを紹介した。
「私の部下のルーデルと、その監視役の二人だ。名前は黒髪がイズミで、緑の髪をしたのがミリアだ。覚えておけ」
「へぇ……。僕はキース。キース・エルロンだよ。宜しくね」
男性騎士は、見事な笑顔でイズミたちに近付くとそのまま挨拶とばかりに手を取った。ただし、その握り方はどうにも好きになれない。なれなれしいというのが、イズミの率直な感想である。
触り方も、少しいやらしかった。
「あ、あの」
そうしている間にも、キースは左手を右肩に持っていく。ただ握手をしているだけだが、まるで下心が透けて見える様だった。
「何かなえ~と……」
「イズミです。手を離して頂けませんか」
「どうして?」
飄々としたキースは、笑顔で抵抗している。その表情に、イズミはかつてない程のどす黒い感情がわいてくる。
――嫌悪、憎悪。
それらに似た感覚が、イズミを支配したと同時にキースを敵と認識したのだ。イズミは、真顔でキースを睨みつける。
イズミの中で、どうしても好きになれない人間が誕生した瞬間だった。
そして言うのだ。
「いいから、ルーデルの手と肩にかけた手を離せ」




