躾けと親子
ルーデルがドラグーンの宿舎に戻ると、そこには現役団員たちが待ち構えていた。
アレハンドが引き連れた団員たちは、名門出の騎士たちである。アレハンドの派閥であるが、どうしても実力主義であるドラグーンでは地位の低い者の方が多い。
ただ、今回は行き過ぎたルーデルの行動に対し、厳しく当たるという姿勢を見せるために呼び出したのだ。これは、自分たちの権力を示す行為も多少は含まれていた。
ルーデルが自分たち貴族派のドラグーンであると示したかったのだ。逆に地位の低い者や派閥に加わらない貴族の騎士たちは遠巻きに見ている。
子爵の地位の当主までは現役のドラグーンとして働けるが、伯爵程の地位になると当主はドラグーンになる事は無い。
伯爵家以上の家の出でも、家を継ぐ必要のない者たちがドラグーンになるのだ。対して、ルーデルは次期大公である。
アレハンドの立場では、ルーデルを派閥に組み込んで派閥のリーダーに据えるか、繋ぎを作っておきたいのだ。厳罰を申し渡した後に、助ける形で恩を売ろうと計算もしている。
彼なりに貴族社会を生き残ろうと知恵を絞るのだが、空回りをしている。
ただ、ボロボロのエノーラとファルクを見たアレハンドは顔色が一気に赤くなった。ボロボロのドラゴンもそうだが、娘の服が妙に肌蹴ているのが許せない。
怪我を治療した跡があるだけに、気が動転する。
「何があった! カトレア、この状況を説明しろ!」
感情的になるアレハンドに、カトレアは無表情で近付くと耳打ちする。
「副団長、人払いをしていただきます。因みに、貴方が拒否すると不利益をこうむりますよ」
カトレアを睨みつけるアレハンドだったが、その堂々とした態度に怯んでしまう。顔には出さないが、カトレアの意見に従う事にした。
この場でなくても恩は売れると考えたのだが、こうした所もあって彼は団長になれなかったのだ。
◇
遠巻きに見ていたオルダートは、アレハンドがカトレア、ルーデル、エノーラを連れて行く所を見送ると部下の一人に指示を出す。
ある程度の事情を察すると、あらかじめ予想していた通りに行動する事にした。
「おい、王宮まで大至急飛んでくれ。次期大公様のお帰りだ、ってな」
「はっ!」
オルダートに命令された騎士が走り去ると、オルダートは自分のドラゴンの下へと向かう事にした。ルーデルの帰還を知らせるために先に報告をしていない事と、エノーラとそのドラゴンのボロボロな状態。
そして、サクヤが怪我はしていないが表面が煤けている。
カトレアのドラゴンが先に帰ってきた理由は知らないが、オルダートには大体の事が理解できていた。
(エノーラの嬢ちゃんは、ルーデルかカトレアに噛みついたな。それを報告しない辺り……カトレアの奴、上手くやるつもりか?)
カトレア自体は、性格に難はあるが優秀であると評価している。そして、カトレアが先に報告をしない辺りで薄々何かあったと感じていたのだ。
サクヤとファルクが訓練場に近付いた事で、見回りをしていた他のドラグーンから知らせが急遽来た時からおかしいと感付いていた。
オルダートは、数名の部下を呼び出すと更に命令する。
「おい、次期大公様を、副団長の話が終わったら俺の所に連れてこい。俺はそのまま王宮に連れて行くから、副団長に後は宜しくと伝えておけ。ついでに先代の団長、副団長も呼び出しておけよ」
「はっ! ……しかし団長、副団長はこの事を知っているのではないのですか?」
オルダートの命令に疑問を持った騎士が聞き返すと、オルダートはニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべる。
「知る訳ないだろ。俺はしばらく王宮にいるから、細かな作業は副団長様に押し付けておけ。アレハンドの事は、先代たちが上手くまとめるだろうしな」
アレハンドはオルダートに対抗心があり、素直に言う事を聞けないのだ。しかし、先代の団長や副団長が絡めば話は変わってくる。
上手くアレハンドの事を押し付ける事が出来たと、オルダートは上機嫌になる。
軽い足取りで自分のドラゴンの下に向かうオルダートを、部下は溜息を吐いて見送った。
◇
訓練場にある会議室で、ルーデルはエノーラに当り散らすアレハンドを見ている。
会議室の椅子や机を巻き込んで吹き飛んだエノーラは、力なく倒れ込んだままだった。ルーデルが止めようとするが、カトレアはそれを手で制す。
カトレアは、落ち着いたままアレハンドとエノーラを見ている。
「こ、この馬鹿娘が! お前はドラグーンになっておきながら、なんたる失態を……」
激高するアレハンドに、ボサボサになった髪からエノーラは父を見ている。しかし、答える力が無いのか、それとも答える気が無いのか口を開かない。
「ドラゴンを私闘で使った挙句に、上司を襲うだと? 気は確かか!」
倒れた娘の胸倉を掴みあげると、アレハンドはその力でエノーラを持ち上げる。これ以上は見ていられないと、ルーデルは止めに入る。
「副団長、それ以上は……」
だが、止めようとしたルーデルに、アレハンドは怒鳴りつける。
「これは親子の問題だ! お前は口を挟むな!」
ルーデルは、その言葉に一歩足が引き下がった。自分では到底理解できない親子関係を前に、どう言葉をかけるべきか悩んでしまう。
親子の会話などほとんどした事が無いルーデルは、拳を強く握りしめて俯いてしまう。
すると、頭をかきながらカトレアが会話に割り込んだ。
「副団長、これはすでに親子だけの問題ではないんですけどね。私もルーデルも被害者で、そして貴方の娘が加害者です。それに、私の実家は子爵家ですが、ルーデルの実家は大公家……キャンベル家も子爵家ですよね?」
ルーデルは気にしないが、爵位とは貴族として無視できないものである。ドラグーンであっても一騎士であり、ましては今回はルーデルが被害者である。
「……娘は自害させる」
悔しそうに呟いたアレハンドに、ルーデルは目を見開いた。だが、カトレアは大体理解していたのか、驚いた表情を見せない。
「な、何故ですか!」
エノーラではなく、ルーデルがアレハンドに詰め寄った。声には怒気が混じっており、普段は礼儀正しいルーデルには珍しい。
「今回の問題を表ざたにしないで貰えるのはありがたい。だがな、それでは済まんのだよ」
アレハンドの説明に、ルーデルは許せなかった。自分が口を出していい問題ではないが、移動中に聞いたカトレアを襲った理由を思い出す。
『認められたかった』
エノーラの歪んだ気持ちにより残念な結果に終わったが、それでも許せない。
「親が子供に死ねと言うんですか!」
「どうせそうなる! それなら、父親である私が処分した方が、先祖にも申し開きが出来る」
ルーデルは、カトレアが制止する前に飛び出した。
ルーデルの右拳がアレハンドの左頬に沈むと、次の瞬間にはアレハンドが吹き飛んでいた。今度はカトレアが目を見開いて驚いている。
「あ、アンタは何してんのよ!」
まさか殴り飛ばすとは思っていなかったのか、カトレアはルーデルを押さえ付ける。エノーラもルーデルの行動に驚いていた。
「……認められないのは、本当に辛いんですよ。誰にも見向きもされないのは、本当に悲しいんですよ。でも、認めて欲しい人に認めて貰えないのも辛いんだ!」
吹き飛んだアレハンドは、まさか殴られるとは思っていなかったのか無防備だった。そのため、吹き飛んで壁に激突すると気絶してしまう。
「だから何なのよ! アンタが副団長を殴る理由なんて……」
「こうすれば俺は副団長に借りが出来ます。上官を殴り飛ばしたんですから、これでお相子でしょう?」
「なるか馬鹿! 子供の喧嘩じゃないのよ!」
ルーデルが副団長を殴り飛ばしてしまい、この問題は結局ウヤムヤになる。カトレアがルーデルを拘束し、そのまま懲罰房に放り込まれる事になる。
その後、待ちくたびれたオルダートによって、ルーデルは解放されるのだった。
◇
「ギャハハハ、それでカトレアに懲罰房に放り込まれたのかよ。しかし、よく殴ったな。スカッとしたろ!」
俺も上司を殴りたかっただの、自分は殴るななどを言ってくるオルダートに、ルーデルは少し驚いていた。もっと厳しい態度で来ると思っていたからだ。
カトレアの態度から、オルダートの対応が信じられなかった。
『ムー、ルーデルは悪くないよぉ!』
サクヤが飛びながらルーデルを擁護するが、オルダートにサクヤの声は聞こえない。
懲罰房から一時的に解放されたルーデルは、オルダートと共に王宮へと向かっていた。
「申し訳ありませんでした」
よくよく考えたルーデルは、自分が不味い事をしたと実感していた。肩を落として、団長であるオルダートに謝罪する。だが、ドラゴンの住処の事では未だに謝罪していない。
オルダートは、ドラゴンの住処で過ごしてきた事も含めての謝罪だと思ったのだ。しかし、ルーデルには相棒であるドラゴンの一大事に協力しただけであり、謝罪する気が無かった。
「まぁ、反省してるならいいんじゃないか? お前を罰しても碌な事にはならないし、かえってアレハンドに貸しを作れて良かったじゃねーか。殴り飛ばしたのは不味いけどよ、流石にエノーラの嬢ちゃんに比べると可愛いもんだ」
堂々と言ってのけるオルダートに、ルーデルも安心感がわいてくる。だが、流石にカトレアの態度から、それは不味いのではないかという気持ちもあった。
「そんな問題でしょうか?」
ルーデルは、自分が言える立場ではない事は理解しつつも規律が乱れないか心配している。
「いいんだよ。ドラゴンに認められるような奴らは、俺以外は頭のネジが吹っ飛んだ連中ばっかりだから。良く考えろ……まともな人間は、ドラゴンを従えようなんて思わないからな」
オルダートは、その頭のネジが吹っ飛んだ連中の団長である事を忘れたかのような発言をする。ルーデルはそんなオルダートに、憧れの視線を向けていた。
「アレハンドの奴にしてもエノーラの嬢ちゃんが憎い訳でもない。あいつなりに愛してはいたのさ。……まぁ、罰としてお前と同じように懲罰房一週間かな?」
「自分が言うのもおかしいですが、その程度で許されますか?」
「だ、か、ら、お前は特別なんだよ。他と同じに扱えないの! ただ、俺としてはそれをすまないとも思うがな」
オルダートが真面目な顔になると、ルーデルも姿勢を正す。オルダートが、ルーデルやエノーラの件を上手く処理する事にしたのは既に聞いている。
冗談を交え、戦力が減ると仕事が増えると笑っていた。しかし、ルーデルもオルダートが色々と気を使っている事が理解できていた。
評価試験での事や、今回のドラゴンの家出の件にしても逆にオルダートから謝罪があったほどだ。
次期大公という事への嫉妬や妬みから、ルーデルへは厳しい評価になったという。加えてルーデル自身は白騎士……だが、オルダートは今の状態を止めさせる気は無いと言う。
「今回の評価にしてもそうだが、正直言ってこんなのは日常茶飯事だ。俺が言って止めさせれば、他の面でお前は苦労する事になる」
「そうでしょうね」
今までの事を思いだすと、どうにも違うとはルーデルには言えなかった。例え次期王位が見えていたとしても、そこには反対する派閥もある。
平民で言えば、アルセス家を恨む者もいる。
個人ではなく、ルーデルはアルセス家という看板を背負っているのだ。オルダートは、ルーデルにそれらを弾き返せるくらいの実力を示せと言っているのだ。
「良くも悪くもお前は普通じゃない。そしてこれからも同じだ。……エノーラの嬢ちゃんもそうだが、立場ってもんがある。今回の件がただの騎士なら首が飛んだだろうがな。ルーデル、お前はそれを忘れるな。お前に求められるものは、とんでもなく大きいぜ」
「……自分はドラグーンになりたかっただけなんですけどね。まぁ、なろうとすると周りがそれを認めようとはしませんでした。なった後の事は最近考え出したんですよ。今にして思えば、馬鹿でしたね」
ルーデルは、幼い頃からの事をここに来て思い出す。誰もが無理だと笑った。誰もがお前には無理だと言う。そして、まるで世界までが自分を認めようとはしなかった。
そんな中で、認めてくれた人たちの顔が浮かび上がる。
ルーデルは、優しくサクヤの背を撫でた。サクヤとの約束を思い出すと、決意の籠った瞳で前を見る。
「若者の一途な夢ってのはいいねぇ。でもな、今のお前はドラグーンの一員だ。その事を覚えておくんだな。……さて、説教もここまでだ。王様や重鎮を言い包める魔法の言葉でも考えておけよ」
「大丈夫です! 自分はこれで二度目ですから!」
学生時代の事を思いだしたルーデルは、素直にオルダートに答える。しかし、オルダートの反応は望んだ答えが返ってこなかったのか、少し困惑していた。
「お、おう……」
オルダートは、少しだけルーデルを見ると考え込んでしまった。
◇
ドラグーンが使っている施設では、エノーラが懲罰房に入れられている。
狭い部屋の隅で、エノーラは体育座りをして顔を膝の間に埋めていた。着ている服は、騎士服から囚人が着るような粗末な物に代えられている。
懲罰房に入れられて数時間すると、一人の足音が近付いてくる。その足音に覚えがあり、エノーラは更に頑なになる。
余計に身を縮めると、足音が自分の懲罰房の前で止まる。
「惨めなものだな」
「……」
エノーラは答えないが、体が震えている。
「オルダートが上手く処理をしてくれたようだ。お前の罪も懲罰房だけで済む。…………すまなかったな」
それだけ告げると、アレハンドは懲罰房から歩き去る。エノーラは、意外な言葉に這いつくばるように入り口に向かうと、父の背に声をかける。
「お父様、わ、私……」
大人になった娘を振り返ると、アレハンドはただ頷くだけだった。アレハンドが惨めと言ったのは、アレハンド自身に対しての言葉だと気付いたのだ。
「私は小さな男だな。先代の団長や副団長に言われたよ……全く、本当に要領のいい奴だ。お前にも謝っておく。お前は私には勿体無い娘だよ」
苦笑いをするアレハンドは、それだけ告げると歩き去ってしまった。どうにも気まずそうな顔をしているが、顔の左側を見せようとはしない。
エノーラは、その言葉を聞いてそのまま鉄格子にすがり付いて涙を流すのだった。
「ごめん、ごめんなさい。お父様……」
◇
この日の団長と副団長の記録がある。
後に、ルーデルの破天荒振りを示す資料になるのだが、それはまたの機会に語られるだろう。
『冗談で王様を言い包めろと言ったら、二度目だから大丈夫と言われた』
『カッとなって娘を殴ったら、ルーデルに殴られた。左頬が腫れて痛いし、人前に出れない』
ドラグーンになり、竜騎兵団入団を果たしたルーデルの伝説はこうである。
『一年目に訓練場と施設を破壊し、その後はドラゴンが家出をしてそのまま自身も数ヶ月間をドラゴンの住処で過ごす。上官を殴り飛ばし、そのまま王宮で……そしてお披露目では……』
一年を半分残してなおこれだけの伝説を作り上げている。
この資料が、後年酷く疑われる事になる。とても現実的ではないと判断されるのだ。
王様を言い包めるのは二度目、上官を殴り飛ばす。これはとてもではないが、信じられない出来事である。
通常なら厳罰に処されるべきであり、創作だと疑われたのだ。
だが、他の資料でもルーデルのとんでもない行動が記されており、本当か嘘か分からなくなるのだった。