治療の魔法効果と空中戦
治療魔法で捻挫を治して貰ったエノーラだが、ルーデルの顔を見る事が出来なかった。
それもそのはず、ルーデルにはあられもない姿を見られている。しかし、監視役の任務期間はまだ残っており、任務を放棄して逃げる訳にもいかなかったのだ。
ルーデルの姿を見ると、顔が赤くなるエノーラは監視役失格である。
途中から合流したカトレアは、そんなエノーラを不思議そうに見ていた。
「どうしたのよ?」
「い、いえ……なんでもありません」
「いや、明らかに何かあったじゃない。なんでそんなに顔が赤いのよ」
「だから、何でもないって言ってるじゃないですか!」
不毛な言い争いを続ける二人を放置して、ルーデルは湖の上で光の盾を作り出してその上に乗っている。魔力で水上を移動する盾は、まるでボードの様だった。
水上を、ルーデルは自由に動き回る。
すると、湖の中や飛んでいる子供のドラゴンによって水球が飛んできた。それを避けながら、ルーデルは楽しそうにしている。
「今のは惜しかったな!」
向きになるドラゴンの子供たちは、必死に水球をルーデルに当てようとした。時には水中から飛び出して不意を突き、時には空中から狙い撃つ。
しかし、ルーデルをとらえる事は出来なかった。
まるで背中にでも目が付いているように、全ての攻撃を避けきって見せたのだ。ただ、これは幼いドラゴンたちを相手にしているから出来た事でもある。
普段から注意深く見ていた事で、ドラゴンたちの癖を見抜いたのだ。
ミスティスがここまで深く考えて、幼い子供のドラゴンたちの面倒を見させていたかと言えば疑問だが、ルーデルは成長していた。
より、ドラゴンを理解したのである。本では手に入らない体感という経験が、今のルーデルをドラグーンとして一回り大きくしていた。
そんな光景を見たカトレアは、右手に火球を作り出すとルーデルに向かって投擲した。ルーデルが避けられるという前提の魔法による攻撃に、エノーラは驚いた表情を見せる。
当たれば怪我では済まないからである。
「何してんじゃ、このガキィィィ‼」
水面に火球が当たった事で、小さな水柱が出来る。ルーデルはその波にのまれて、盾から落ちると湖に投げ出された。
「カ、カトレア小隊長……」
「元気そうね、ルーデル。それよりも、この状況は何なのかな?」
『おい、そいつをあんまりイジメないでくれ。俺が殺される』
怯える自分のレッドドラゴンを見て、カトレアは舌打ちをする。リリムに何とか責任を押し付けてきたが、ミスティスに怯えている自分のドラゴンが情けないのである。
「はい。暇なので盾の新しい使い方を考えていました。ホバリングでは失敗しましたが、もっと有効な使い方があるのではないかと思いまして」
水面から顔を出してそう答えるルーデルに、カトレアは頭痛を覚える。
「……それよりも、アンタのドラゴンは? もうそろそろ時期的に厳しいんだけど」
「何度か戻ってきましたけど、もう少しらしいです」
「戻ってきたの! 何で連れて帰らないのよ!」
湖から這い上がるルーデルは、腰ミノの位置を直すとカトレアに向き直る。水が滴り、元から顔立ちも整っているルーデルは酷く綺麗に見えた。
そして、ほとんど裸である。
カトレアは息をのんだ。
「いえ、もう少しで完成するそうなんです。必殺のボスを倒すためのコンボが」
『コンボ! それに必殺! 何で止めないんだよ、馬鹿野郎!』
騒ぎ出すカトレアのドラゴンに、ルーデルは落ち着いて下さいとなだめに入る。冷静な振りをしているが、間違っているのはどちらかと言えばルーデルだ。
「サクヤなら大丈夫だと信じています。負けたとしても、必ず立ち上がってくれます!」
サクヤを信じるルーデルだが、レッドドラゴンには嬉しくもなんともない。寧ろ、本気で自分を倒しに来る方が問題だった。
サクヤに勝ったとしても、その後ろには恐ろしいミスティスが控えている。とてもではないが、勝てる気がしなかった。勝ってしまった方が、危険を感じるから恐ろしい。
流石に生まれて間もないサクヤに負けるのは癪だが、ミスティスには命を狙われかねない。カトレアのドラゴンは涙した。
「たく、何でこんなに情けないのよ」
『ふざけんな! 俺の責任でもないのに、ボコられる俺の身にもなれよ!』
楽しそうに話すルーデルとカトレアを見て、エノーラは余計に暗い感情を抱く。ルーデルに怒鳴り散らしているが、本人もルーデルも本音で会話しているのが羨ましく見えた。
そして、自分の持っていないものを、カトレアが全て持っているように感じたのである。
(お父様も、ルーデルも、才能もあって魔剣持ち……私には何もないのに)
ドラグーンになれなかった騎士が聞けば、エノーラを殴りたいような事を考える。不意に、エノーラは全てが馬鹿らしくなってきた。
才能の塊であるカトレアの態度もそうだが、才能が無いと言い張るルーデルにもエノーラは勝てないのだ。最初から分かっていた。
エノーラは正しくルーデルを評価し、恐れていたのだ。ドラゴンが他より劣っていたとしても、サクヤには他のドラゴンに無い物が沢山ある。
だからルーデルが雑用を放り出さないと判断し、課題をクリアしようと頑張った所で慌てたのだ。多少、人と違う所があるエノーラだが、彼女は正しくルーデルを評価していた。
まるで限界を迎えた糸の様に、音が聞こえるように切れてしまった。
その時だ。
湖に向かってサクヤが飛び込むと、後からミスティスが現れる。呆れ顔のミスティスは、サクヤの着地失敗を淡々と説明していた。
『だから言ったじゃない。もっと丁寧に降りなさいって……慌て過ぎよ』
湖から顔を出したサクヤは、ミスティスを見上げる。
『だって……』
サクヤ程の巨体が湖にダイブした事で、溢れた水がその場にいた全員に降り注ぐ。まるで波のように押し寄せてきた水で、靴までびしょ濡れだ。
カトレアが髪をかき上げると、サクヤの相棒であるルーデルを探す。一言文句を言ってやろうとしたのだが、既にルーデルはサクヤの下に飛び出していた。
「サクヤ、待ってたぞ!」
サクヤの頭部に取り付いたルーデルは、サクヤの頭部を撫でる。嬉しそうにするサクヤは、北の海での成果を自慢するのだった。
『エッヘン! サクヤはついに必殺のワン、ツー、フィニッシュを覚えたんだよ! これできっとボスも倒せるからね!』
嬉しそうにするサクヤだが、ルーデルが思い出したようにレッドドラゴンを探す。しかし、ルーデルと同じようにレッドドラゴンも飛び出していた。
カトレアを置いて……。
「あ、あの馬鹿竜‼」
カトレアの叫び声が、森に響き渡った。
◇
サクヤの準備も整った事で、急いで帰還する事になる。
ミスティスは少しばかり用事があり、カトレアはサクヤに乗せて貰う事になった。白馬ならぬ、白竜に乗ったルーデルに、少しばかり自分の理想を重ねたせいもある。
実際に、サクヤは大きいので一人二人が乗った所で大した違いは無い。ルーデルも帰る事になり、久しぶりに腰ミノだけの状態から脱する。
レッドドラゴンが逃げ出した事で、濡れたままのカトレアはエノーラから服を借りている。ただ、カトレアも決して小さい方ではないのに、胸の辺りがどうにも余裕がある。
「準備は出来ましたか?」
「大丈夫よ。エノーラ、アンタは先に帰って報告してくれる」
カトレアが服を着終わると、エノーラに先に戻って報告するようにと命令した。エノーラは敬礼をして命令に従うが、どうにもいつもの笑みでは無かった。
ルーデルが少し気になるが、本人がウインドドラゴンにまたがり早々に空へと昇って行く。
「どうしたのよ?」
エノーラが消えて行った空を、ルーデルは真剣な表情で見上げる。その瞳は、少し悲しそうだった。
「いえ、少し懐かしい気がしました」
「懐かしい?」
カトレアが胸元を気にしながら不思議そうにする。ルーデルは、カトレアを一度振り返るとカトレアの瞳を覗き込む。
「な、何よ」
少し顔が赤くなり、目を逸らすカトレアを見て何も言わずにサクヤの背に飛び乗った。カトレアは、少し驚いた後に頬を膨らませる。
少し期待したのに、ルーデルが何もしなかったからだ。
ただ、ルーデルはエノーラに昔のカトレアを重ねて見ている。憎む対象が自分ではなく、カトレアだという事までは理解していた。
時折、エノーラの視線が厳しくなる時には、決まってカトレアがいた。自分に向けられていた視線を、今はカトレアが向けられていたのだ。
少し気になったルーデルは、サクヤの背中に飛び乗るカトレアに手を貸しながら質問する。
「エノーラ、彼女とは昔からの知り合いですか?」
「は? 知らないわよ。確か学園では同期だったはずだけど……アンタ、あの子が好きなの? 黒髪の子はどうするのよ」
カトレアの嫌味に、ルーデルは気にした様子を見せない。その態度が、カトレアを苛立たせる。以前は憎んだルーデルの横顔が、今見ると理想に近かった。
それが余計に腹が立つのか、顔を背ける。
「サクヤ、そろそろ行こうか」
『うん!』
サクヤもゆっくり空へと舞い上がると、そのまま力強く羽をはばたかせる。ウインドドラゴンや、他のドラゴンには劣るものの、ルーデルはサクヤが飛び上がる感覚が好きだった。
首元や背中には騎士が乗るための機材や荷物が取り付けられる。サクヤは家でしたので持って来てはいないが、監視役であったルクスハイトが気を利かせて持って来ていたのだ。
カトレアは、普段は乗らない他のドラゴンの感覚に少しだけ落ち着かない様子だった。
◇
空中では、カトレアがサクヤの背を見ながら広さを実感している。
元から巨体のサクヤだが、カトレアのレッドドラゴンとて人から見れば巨大である。背中も、最初にまたがった時には広く感じた。
しかし、サクヤは別格である。ただ、それ故に問題もあるのだ。
「随分と広いし、安定してるけど……遅いわね」
「まぁ元はガイアドラゴンの亜種ですから、速度は期待しないで下さい。でもサクヤの強度や破壊力は並のドラゴンとは比べ物になりません!」
「それは何度も聞いたわよ」
ルーデルのサクヤ自慢に呆れるカトレアは、速度が遅い事で暇になってきた。普段からルーデルと話す事など無く、どう接していいかも掴めない。
以前の事を謝ろうとはするのだが、タイミングを測りかねていた。
憎み、嫌い、潰そうとした『あの時』の感情は、今思い出しても理解できない。黒い霧に乗っ取られていた事は知らされたが、どうにも憎んだ本人を前にすると謝り難かった。
素直になれないカトレアは、勇気を出して謝罪しようとした時……ルーデルが叫ぶ。
「サクヤ、真上だ!」
「え?」
『あわわわぁ!』
ルーデルが叫ぶと同時に、サクヤは進路方向を変えた。すると、真上からブレスが降り注ぐ。ドラゴンが放つ魔力の塊は、連続してサクヤを狙って降り注ぐ。
カトレアが真上を見た時に見えたのは、ウインドドラゴンのシルエットである。ただ、すでにドラゴンの住処からは離れており、野性のドラゴンという訳ではない。
「どうして……」
激しく急旋回をするサクヤの背で、普段感じた事の無い重力を感じる。だが、視線は襲ってきたウインドドラゴンから外さない。
ルーデルの監視をしていて気付いたが、ルーデルやサクヤは野生のドラゴンに襲われる事が無かった。なのに、ここに来てドラゴンの襲撃はおかしい。
縄張りに入った事で怒らせた訳でもないなら、原因が理解できなかった。
(不味い……この子じゃ振りきれない)
相手がウインドドラゴンである事を確認したカトレアは、サクヤでは逃げ切る事が不可能と判断する。最も火力が足りないとされるウインドドラゴンだが、恐るべきはそのスピードと空中戦である。
ブレスの連射性もドラゴンの種の中ではトップクラスであり、個体差はあるものの空中戦ではサクヤが不利だと判断する。
野生のドラゴンで、最も多い種がウインドドラゴンだ。竜騎兵団全体でも、野生のドラゴンではウインドドラゴンの数が多い。
リリムのウインドドラゴンを知るカトレアは、空中戦の不利を悟っていた。そして、相手のドラゴンは若く力のあるドラゴンである。
唯一、若すぎるという点が救いだろう。
ブレスにリリムのドラゴン程の力が無い。連射性もまだまだだ。
「ルーデル、避け続けなさい!」
カトレアがルーデルを見て指示を出すと、ルーデルはサクヤに指示を出す。
「はい! サクヤ、そのまま狙いを定めさせるな。このままジグザグに……ッ! 高度を上げろ!」
急に指示を変えたルーデルだが、サクヤは指示に従って高度を上げる。その真下を、ウインドドラゴンが通過していった。
カトレアが目を離した隙に、ウインドドラゴンはサクヤに取り付こうとしたのだ。ガイアドラゴンであるサクヤに取り付くなど、ハッキリ言えば馬鹿げている。普通のドラゴンなら避ける行動だ。
しかし、相手が真下を通過する時にカトレアは見た。
ドラゴンの背に人が乗っている事を……そして、相手がエノーラである事を。
「エノーラ……アンタが、なんで!」
高度を上げるサクヤよりも早く、エノーラとウインドドラゴンは上昇する。空ではウインドドラゴンに勝ち目がない。
地上に降りる事も考えたが、それでは上空からのブレスによる攻撃でなぶり殺しになる。
「……サクヤ、取り押さえるぞ」
「何言ってんのよ! 勝つ事も難しいのに、取り押さえるなんて出来ないわよ!」
ルーデルの言葉に反論するカトレアだが、ルーデルの意志は固い。そして、無策でもなかった。いや、策など最初から必要ないのである。
「できるな、サクヤ」
『負けないぞぉ!』
空中でサクヤが咆哮すると、エノーラのウインドドラゴンはブレスを放って応えたのだ。