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婚約破棄された令嬢は、自分の未来と誠実な騎士との恋の予感を選ぶ

作者: 野花ことり
掲載日:2026/10/28


 王宮の大広間で、アルベルト王太子は私の手を取ることなく、婚約解消を告げた。


「エレノア・ベルク伯爵令嬢。君との婚約を解消する」


 楽団の演奏が止まった。


 華やかな衣装に身を包んだ人々が、一斉にこちらを振り返る。私は手にした扇を握りしめた。骨組みが指先に食い込み、痛みを覚えても、力を緩められなかった。


「……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」


「隣国との間で、王女との婚姻を前提とした協議が進められている。交易の安定と国境の防衛を考えれば、王家にとってはこちらの縁組のほうが有益だ」


 殿下の声には迷いがなかった。


「両国の今後に関わる話だ。王家として、この縁談を受け入れる方針を明らかにする必要がある」


 隣国との婚姻が国益につながることは、私にも理解できた。


 けれど、国のために必要な決断だったとしても、私に何の説明もなく、この場で婚約解消を告げる必要があったのだろうか。


「……このことを、私は今初めて伺いました」


 殿下の眉がわずかに動いた。


「君には、いずれ説明するつもりだった」


「いずれ、ですか」


 私は扇を握り直した。


 王家の方針を公に示すことと、私に何の説明もなく婚約の終わりを告げることは、同じではないはずだ。


 殿下の隣に立つため、私は努力してきた。


 財務を学び、各地から届く報告書に目を通し、交易の条件や貴族たちの利害関係を把握するよう努めた。数字を覚えるだけでなく、その変化が商人や職人、領民の暮らしにどのような影響を及ぼすのかも考えてきた。


 王太子妃として恥ずかしくない女性になり、殿下を支えられる存在になりたかった。


 そして、いつかは一人の女性として、私自身を見ていただきたかった。


「殿下は……一度でも、私を愛してくださったことがあるのでしょうか」


 せめて、それだけは知りたかった。


 アルベルト殿下は、わずかに眉を寄せた。


「君は王太子妃として申し分のない女性だと思っていた。それは嘘ではない」


 私の能力も教養も、王家に尽くしてきた姿勢も、認めてくださっていたのだろう。


 けれど、それは私が尋ねたことへの答えではなかった。


「だが、君を愛したことはない」


 握りしめた扇が、かすかに鳴った。


 どれほど努力しても、人の心までは得られない。


 頭ではわかっていたはずのことが、今になって、ひどく残酷な事実として突きつけられた。


 私は左手の薬指を見下ろした。


 王家の紋章が刻まれた婚約指輪。これまでの私の立場を示す、その証だった。


 ベルク家と王家の関係が、私たちの婚約だけで成り立っていたわけではない。それは分かっている。


 けれど、私が殿下の婚約者であることには、両家の関係をより強固なものにする意味もあった。


 その役目を失っても、これまで殿下のために尽くしてきた日々まで、なかったことになるわけではない。


 私は指輪を抜き取り、殿下へ差し出した。


「承知いたしました。今までありがとうございました」


 殿下が、意外そうに目を見開いた。


 泣いてすがるとでも思われていたのだろうか。


 それとも、私がどんな思いで指輪を差し出したのか、今になって考えていらっしゃるのだろうか。


 確かなことはわからない。


 ただ、もう何も尋ねなかった。


 殿下は一瞬ためらったあと、指輪を受け取った。


「……失礼いたします」


 私は背筋を伸ばし、大広間を後にした。


 扉が閉まる直前、楽団の演奏が再び始まった。


 人々はまた談笑し、夜会は何事もなかったかのように続いていく。


 私だけが、あの場所で置き去りにされた気がした。


 ◇


 回廊に出て、ようやく息を吐いた。


 涙は出なかった。泣いてしまえば、どうにか保っていたものまで崩れてしまいそうだった。


「エレノア嬢」


 振り返ると、回廊の先にレオン・アシュフォードが立っていた。


 遠征から戻った彼は、報告のために王宮へ出仕していたらしい。大広間の扉が開いたとき、回廊にいた彼と目が合った。殿下が私に婚約解消を告げる場面を彼は目にして、追いかけてきたのだ。


「お送りいたしましょうか?」


「……同情しているの?」


 思いのほか、きつい声が出た。


 レオンは気を悪くした様子もなく、首を横に振った。


「いいえ。一人でいたいのであれば、無理に付き添うつもりはありません」


「ずいぶん気を遣ってくれるのね」


「何と言えばよいのか、わからないだけです」


 いかにも彼らしい答えだった。


「それで、どうなさいますか?」


 慰めも、王太子への批判もない。ただ、私がどうしたいのかを尋ねている。


 そんなことを聞かれたのは、いつ以来だろう。


「……送ってくださる?」


「喜んで。ただ、私は頭の中まで筋肉でできておりますので、道中であなたを楽しませる自信はありません」


「⋯⋯そんなこと、期待していないわ」


「それはよかった。今から面白い話を考えるところでした」


 真面目な顔で言うものだから、冗談なのか本気なのかもわからない。


 それでも、おかげで張り詰めていた肩から、少しだけ力が抜けた。


「お願いするわ」


「承知しました」


 私は自分から、彼の腕に手を添えた。


 レオンは何も言わず、私の歩調に合わせて歩き始めた。


「……何も聞かないのね」


「聞いてほしいことがあるのですか?」


「そういうわけではないけれど」


「では、話したくなったら聞きます」


「あなた、もう少し気の利いたことは言えないの?」


「申し訳ありません。こういうとき、何と言えばよいのか……」


 レオンは本当に困っているようだった。


 慰められたいわけではない。かといって、一人きりでいたいわけでもなかった。


 私は自分の気持ちを、うまく説明できずにいた。


 そんな私に彼は付き合ってくれている。


「いいの。ありがとう、レオン」


 自然と言葉がこぼれた。


「……そう言っていただけて、安心しました」


 その声に安堵がにじんだ気がして、私の心も少し軽くなった。


 昔から知っている人なのに、こんなふうに二人で歩いたことはなかった。


 殿下の隣に立つときは、いつもふさわしい振る舞いを考えていた。何を話し、どう微笑み、どうすれば役に立てるのか。


 けれど、レオンの隣では、何も考えずに黙っていてもよかった。


 その心地よさに、私はそっと息をついた。


 ◇


 馬車寄せに着くころには、夜風が冷たくなっていた。


 私の侍女が、ベルク家の馬車のそばで待っていた。私たちの姿を認めると、ほっとしたように駆け寄ってくる。


「お嬢様、お待ちしておりました」


「待たせてごめんなさい。こちらはアシュフォード卿よ。屋敷まで送ってくださるの」


「アシュフォード卿、お嬢様に付き添ってくださり、ありがとうございます」


 侍女が礼をすると、レオンも丁寧に応じた。


「いえ、お気になさらないでください」


 そのやり取りを見届けてから、レオンは私のほうへ向き直った。


 夜風に冷えた腕をさすると、レオンが私の様子に気づいた。


「冷えますね。よろしければ、これを」


 彼は自分の外套を脱ぎ、私の肩に掛けた。


「あなたが寒いでしょう?」


「鍛えておりますから」


「そういう問題ではないわ」


 口を尖らせると、レオンは一瞬考えた。


「……おっしゃるとおりです」


 あっさり認められ、私は拍子抜けした。


「もっと反論するかと思ったわ」


「反論できる材料がありませんでしたので」


「騎士なのに?」


「騎士でも、寒さには勝てません」


 あまりにも真面目な顔で言うものだから、私は思わず笑ってしまった。


 こんなふうに笑えたのは、今夜初めてだった。


 レオンは私の顔を見て、わずかに目を見開いた。


「……何かしら?」


「いえ。笑っていただけたので、よかったと思いまして」


「別に、あなたが笑わせたわけではないわ」


「そうですか」


 それ以上、彼は何も言わなかった。


 外套の襟元を整えていると、レオンがこちらをうかがっていることに気づいた。


「なに?」


「香水はつけておりませんが、外套に汗の匂いが残っているかもしれません。気になるようでしたら、おっしゃってください」


「大丈夫よ。……私が香水を苦手なこと、知っていたの?」


「以前、王宮の夜会で、香水の強い方から少し距離を取っていらっしゃるのを見かけました」


「よく気づいたわね」


 レオンは少し口ごもった。


「……気づけば、あなたを目で追っていることがありました」


 思いがけない言葉に、私は返事に困った。


 彼はいつから、私を見ていたのだろう。


「そんなに見られていたら、うっかり変なこともできないわね」


「申し訳ありません。そんなつもりでは……」


「ふふ、冗談よ。謝らないで」


 私は彼の顔をのぞき込んだ。


「でも、どうしてそんなに私を見ていたの?」


「それは……うまく説明できません。ただ、一度お礼を申し上げたいと思っていたのです」


「お礼?」


「以前、騎士団で私が誤解を受けたときのことです。あなたが話を聞いてくださったので」


 記憶の片隅にしまわれていた出来事がよみがえった。


 まだ彼が若い騎士だったころ、任務上の判断をめぐって責任を問われたことがあった。私は関係者の話を聞き、記録を確かめた。彼の判断だけでなく、報告の経緯にも目を向けたのだ。


「……あのときのこと?」


「はい。あなたは、私の話を聞いてくださいました」


「当然のことをしただけよ。話も聞かずに判断するのは、公平ではないもの」


「そうかもしれません。ですが、あのときの私は、そうしてもらえるとは思っていませんでした」


 レオンはそこで言葉を切った。


「その節は誠にありがとうございました」


「こちらこそ。覚えていてくれて、ありがとう」


「お礼を言われるようなことではありません」


「私が言いたいの。受け取ってちょうだい」


 レオンは少し迷ったあと、素直にうなずいた。


「……はい」


 やがて、馬車の扉が開かれた。


「お嬢様、どうぞ」


 侍女に促され、私は馬車に乗り込んだ。レオンも馬車に乗り込み、侍女が同乗していることを確かめてから、向かいの席に腰を下ろした。


 扉が閉まり、車輪がゆっくりと動き始める。


「外套は、屋敷に着いたらお返しするわ」


「いえ、そのままお持ちください。今夜は冷えますから」


「でも、あなたが寒いでしょう?」


「私は騎士ですから」


「さっきは、騎士でも寒さには勝てないと言っていたわ」


「そうでしたか?」


「もう。自分で言ったことでしょう?」


 呆れてため息をつくと、レオンは少しだけ気まずそうに口を閉じた。


 その様子がおかしくて、私はまた笑った。


 侍女は向かいの隅で静かに控え、窓の外へ視線を向けていた。


 人目を気にせず二人きりで話すわけにはいかない。それでも、侍女がそばにいることは、今の私には不思議と気にならなかった。


 レオンは、何を考え、何を大切にしているのだろう。


 もっと知りたいと思った自分に、私は少し驚いていた。


 ◇


 屋敷に着くと、レオンは先に馬車を降り、私に手を差し伸べた。


「足元にお気をつけください」


「ありがとう」


 その手を借りて地面に降り立つ。


「今日は、本当にありがとう」


「こちらこそ。お話しできて、楽しかったです」


 意外な言葉に、私は彼を見上げた。


「あなたも楽しかったの?」


「はい。……ただ、少々緊張しておりました」


「どうして?」


「それは……」


 レオンは言いかけて、口を閉じた。


「……いえ。今は、まだうまくお伝えできそうにありません。次に会うときに、お話ししてもよろしいでしょうか」


「今は教えてくれないのね」


「申し訳ありません」


「あら、騎士でも言葉に鎧を着せたいことがあるのね」


「……あります。鎧で守れるのは体だけですから。心までは守れません」


 思いがけず真面目な返事が返ってきて、私は言葉に詰まった。


「……あなたは、そういうことを平気で言うのね」


「何か、おかしなことを言いましたか?」


「いいえ。あなたらしいと思っただけよ」


 レオンは不思議そうにしていたが、それ以上は尋ねなかった。


「では、今日はこれで失礼いたします」


「あっ、外套は、近いうちにお返しするわ」


「はい。お気をつけてお過ごしください」


「ええ。送ってくれてありがとう、レオン」


「おやすみなさい、エレノア嬢」


 彼は深く一礼すると、騎士団へ戻っていった。


 私は、その背中が見えなくなるまで見送った。


 殿下と過ごす未来ばかりを考えていたころには、レオンとこんな時間を過ごす日が来るとは思いもしなかった。


 肩に掛けられた外套には、まだ彼の体温が残っている気がする。


 返すのが惜しいと思った理由は、自分でもよくわからない。


 ただ、次に会ったときには、今日言いかけたことを聞いてみたいと思った。


 ◇


 自室に戻り、扉が閉まった途端、張り詰めていたものがほどけた。


 誰もいない部屋は、いつもと変わらない。窓辺の花も、資料の積み重なった机も、昨日までと同じ場所にある。


 変わってしまったのは、私の立つ場所だけだった。


 王太子妃になるために学び、振る舞いを身につけ、殿下を支えられる女性になろうとしてきた。


 その未来がなくなった今、私はどんな日々を送りたいのだろう。


 考えても、答えは浮かばなかった。


 ふと、机の上の交易や領地経営の資料が目に入った。王太子妃に必要だからと学んできたものだった。けれど、数字の向こうにある人々の暮らしを知ることは、以前から嫌いではなかった。


 仕入れ値が変われば、商人の利益だけでなく、職人の暮らしも変わる。税の仕組みが変われば、領民が手元に残せる金額も変わる。


 私は机に向かい、一冊の資料を手に取った。


 今すぐ将来の目標を決める必要はない。何を望んでいるのか、まだ分からないのだから。


 それでも、何を学ぶかまで誰かに決めてもらう必要はない。


 私は頁をめくった。


 ◇


 数日後、王宮から使者が訪れた。


「隣国との交渉は、現在も続いております。王女殿下との縁談については、婚姻を前提とした協議が進められておりました。


 そのような折に、王家が長年の婚約者との婚約を夜会の場で解消したことが、隣国にも伝わりました。先方から直接、懸念が示されたわけではございませんが、王家としても、今後の交渉において両国の信頼を損なわぬよう、慎重に進める必要があると考えております」


 私は、使者の言葉を黙って聞いていた。


「隣国との交渉を進める必要があったことと、エレノア様への説明を欠いてよいことは、別の問題でございます。エレノア様に事前の説明もないまま、婚約解消をあのような場で一方的に告げたことは、王家として配慮を欠く対応でございました」


 使者は深く頭を下げた。


「王家を代表して、お詫び申し上げます」


「……お詫びは、承りました」


「ありがとうございます。もう一つ、エレノア様にお伺いしたいことがございます」


「何でしょうか」


「エレノア様がこれまで財務や交易について学ばれ、各地からの報告にも目を通してこられたことは、王家も承知しております」


 使者は、慎重に言葉を選んだ。


「今後、王太子妃としてではなくとも、王家のためにお力をお貸しいただくことは可能でしょうか」


 私は、すぐには答えられなかった。


「もちろん、今ここでお返事をいただきたいということではございません。まずは、エレノア様ご自身のお考えを伺いたく存じました」


 王家は、私の能力を惜しんでいる。


 そう理解する一方で、胸の奥に小さな痛みが走った。


「……私が王家のために働くことを、望んでいらっしゃるのですね」


「はい。エレノア様は、数字の変化だけでなく、それが商人や職人、領民の暮らしに及ぼす影響まで考えてこられました。その見識を、今後も生かしていただけないかと考えております。


 ですが、これまでの対応で、エレノア様のお気持ちを十分に尊重できなかったことも承知しております。だからこそ、今後、王家のためにお力をお貸しいただけるかどうかは、エレノア様ご自身のお考えを伺ったうえで決めたいと考えております」


 私は、膝の上で手を重ねた。


 王家のために学んできたことは、確かに多い。けれど、これからも同じように働きたいのかと問われれば、すぐには答えられなかった。


「……今は、まだ決められません」


 私は使者をまっすぐに見た。


「学んできたことを、これからも生かしていきたいとは思っています。ですが、それを誰のために、どのように生かすのか。今はまだ、自分自身で考えたいのです」


「承知いたしました。ご意向を無視して、お力をお借りするつもりはございません」


「ありがとうございます。王家のために働くかどうかも含めて、これからのことは私自身で考え、決めたいと思います」


 婚約者としての役目を失っても、私の気持ちまで王家に差し出す必要はない。


 それだけは、もう譲りたくなかった。


 使者は深く一礼した。


「お言葉は、王家に正確にお伝えいたします」


 使者が帰ったあと、私は机上の資料に目を落とした。


 まだ理解できていない箇所がある。今は、それを一つずつ学んでいくことしかできない。


 そう思った矢先、部屋の隅に置いていた外套が目に留まった。


『では、話したくなったら聞きます』


 レオンの言葉がよみがえった。


 自分の気持ちを、自分の言葉で伝える。あの人になら、それができるかもしれない。


 ◇


 私はロウに行き先を告げ、侍女を伴って馬車で騎士団の詰所へ向かった。


 外套を返すだけなら、使いの者に届けてもらうこともできた。


 それでも、使いの者に任せず、自分で届けに行くことにした。


 先日の礼を伝えたい。それに、レオンともう一度話してみたい。


 そう思っている自分を、私はまだうまく説明できずにいた。


 詰所に着くと、入口で応対してくれた騎士にレオン・アシュフォードの名を告げた。来訪の用件を伝えると、彼は私を来客用の応接室へ案内してくれた。


 ほどなくして、レオンが姿を現した。


 彼は私に気づくと、驚いたように早足に近付くいてきた。


「エレノア嬢?」


「仕事中にごめんなさい。この前の外套を返しに来たの。それから……あなたに聞いてほしいことがあるわ」


 外套を差し出すと、レオンはそれを受け取った。


「私でよければ、聞きます」


 案内された椅子に腰を下ろし、私は膝の上で手を重ねた。


「私、これから何を目指して生きていけばいいのか、わからなくなったの」


 レオンはすぐには答えなかった。慰めの言葉を探しているというより、私に何を伝えるべきか、慎重に考えているようだった。


「……以前、国境偵察の件で、あなたに話を聞いていただいたことがありましたね」


「ええ。覚えているわ」


「あのとき、あなたは私の立場だけで判断せず、記録を確かめ、双方の話を聞いてくださいました」


「そうするべきだと思ったからよ」


「私は、あなたが殿下の婚約者だから、私の話を聞いてくださったのだと思っていました。けれど、違った。あなたは、ご自身が正しいと思うことをなさったのですね」


 私はすぐには返事ができなかった。


 王太子妃になるために、私は多くのことを学んできた。


 物事を一方からだけ見ず、事実を確かめ、自分の頭で考えること。それが正しいと信じていたからこそ、あのときもそうしたのだ。


 けれど、いつしか私は、学んだことも、身につけたものも、すべて王太子妃になるためのものだと思うようになっていた。


 殿下との婚約がなくなった今、それらに何の意味が残るのだろう。そんな思いが、心のどこかにあった。


 けれど、レオンは覚えていてくれた。


 私が誰かの婚約者だったからではなく、私自身が考え、判断したことを。


 婚約がなくなっても、私が学んできたことまで失われるわけではない。


 そう思えた。


「ありがとう、レオン」


 私が誰かの婚約者だったからではなく、私自身が考え、判断したことを認めてくれた。


 そのことが、何よりも嬉しかった。


 私は、この人ともっと話してみたい。


「それから……この前、次に会ったときに話したいことがあると言っていたでしょう?」


 レオンは、少し困ったように目を伏せた。


「はい。ですが、まだうまく言葉にできそうにありません」


「そう。では、話せるようになったら聞かせてちょうだい」


「……ありがとうございます」


 その返事に、私は小さく笑った。


 これから何を望み、何を選ぶのか。まだ、はっきりとは分からない。


 それでも、今度は自分で考え、自分で答えを見つけていきたい。


 そして、いつかまた、言いかけた言葉の続きを聞いてみたい。


 そう思えた自分を大切にしたかった。


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