〈無理心中しようとした早紀に訪れた奇跡〉
〈どこをどう逃げて来たんだろう〉
そんなことも分からず早紀は幼い娘のひかるとあやめをつれて山の麓の町にやってきた。
〈ここなら誰も追ってくる人はいない。あてもなくどうやって来たのかわからないんだから〉
でも、早紀はそれで良かった。
もう私たちのことなど誰にも何も知られたくない。
何も思われたくない。
早紀はそう思っていた。
タクシーにお金を払うと残高は数百円になった。それが全財産。そもそも早紀は何ももたず手ぶらで娘と一緒にここに来たのだ。
もう日も暮れ、夜になっている。このまま親子三人で山に入っても良かったが、五歳の娘のひかるが「お腹すいた」といい、妹のあやめもそれに続いて「お腹すいた! お腹すいた!」とぐずった。
こんな田舎、コンビニもなければチェーン店もない。
それに私たちはここで、目の前にある山の中で一緒に死ぬのだ。人生をおしまいにするのだ。
〈死んでしまえばお腹が空くことはない〉
早紀はそう思い、
「もう少し待って。もう少し待てばおいしいものいっぱい食べれるから」と早紀は嘘をついた。
ぐずる娘と手を繋いで、早紀は山に向かって曲がりくねった道を歩いた。
しかし、山まではかなり距離がある。曲がりくねった道を歩いていくと明かりが見えた。
「あ、ママ、明かりが見えるよ」
曲がりくねった道に木々の間に一軒家の明かりが見えた。
一軒家の傍にある古びた立て看板をみた。
「旅館だって。ママ、今日はここに泊まるの?」
「え、今日はもうどこにも泊まらないよ」
「疲れた、疲れた!」とあやめがしゃがみこんでしまった。
「あやめちゃん⁉」
「ママ、今日はここに泊まろうよ。それにもう疲れたし、お腹ペコペコだよ」ひかるもしゃがみこんでしまった。
早紀もさすがに二人の娘にしゃがみこまれ、今日はもう無理だな、と思ったが旅館に泊まるお金もない。
「参ったなぁ」早紀は頭を抱えるも、どの道、もうお金は必要じゃないんだからいいか、と開き直った。
「じゃぁ、この旅館に泊まろうか?」
「ヤッター」「泊まる泊まる!」とひかるとあやめが元気に騒ぎ出した。
ひかるとあやめは早紀の手を引っ張った。早紀は二人の娘に引っ張られながら旅館に旅館に向かった。
呼び鈴も何もない玄関。旅館というより錆びれた田舎の家という感じだ。
「ごめんください」早紀は両開きの古びたドアを叩いた。
内側から鍵を外す音がしてドアが開いた。
「誰だい?」八十歳ぐらいのお爺さんが出てきた。
「あの、ここ旅館ですか?」
「旅館はもうやってないだ」
「そうですか」
お爺さんは早紀が連れてきていた二人の女の子をみた。
「でも、泊ってきなさい。この町には旅館なんてもうないから」
「いいんですか?」
「構わんよ」
奥からお婆さんが出てきた。
「夕飯は食べたのかい?」
「いえ、何も」
「なら食べてきなさい。これから夕飯の用意するから」
早紀、ひかる、あやめはごしょうばいにあずかることになった。
居間のテーブルに魚料理や山菜や野菜の天ぷら料理が並んだ。
「田舎料理で大したものないが食ってくけ」
「ありがとうございます」
早紀はひかるの膝を叩いた。
「ありがとうございます」それにつられてあやめも「ありがとございます」といい、母子は「いただきます」といってご飯を食べた。
よっぽどお腹が空いていたのかひかるは野菜の天ぷらを天つゆにじゃぶじゃぶつけてご飯にのせて頬張った。その姿を早紀は微笑ましくみた。
お婆さんとお爺さんは母子の姿を微笑ましくみた。
「ご飯はいっぱいあるから沢山食べな」
「ここには何しに来たんだい」
「え、ああ、山菜取りに」
「そうかい。なら山に入るのかい?」
「はい」
「なら、鈴を渡そう」
「鈴?」
「最近、この山にも熊が出るから気を付けないとな。あんまり奥に行かないことだ」
「そうですか」
お爺さんは目を逸らした。
早紀と二人の娘はお婆さんが用意してくれたお風呂に入った。部屋にもどると布団が敷かれてあった。
「まぁ、ゆっくりしてくれ」
早紀とひかるとあやめの三人になった。
「明日は山に行くから、もう寝ましょう」
ひかるとあやめが布団に入った。早紀が部屋の明かりを消した。
暫くするとひかるとあやめの寝息が聞こえた。
よっぽど疲れていたのだろう。
ここ数日、あてもなくただただ遠くへ遠くへ、連れ出したからかな。
〈でも、それも明日で終わる。何もかも終わる〉
早紀は目を閉じた。閉じた瞼に過去が静かに流れた。
恋愛結婚したにも関わらず、少しずつ夫か暴力を受けるようになり、暴力がエスカレートし、離婚したこと。
清掃員をしながら、足りない生活費を稼ぐためにアパートで売春をしていたこと。
「ただいま」といってひかるとあやめがカギをあけてアパートの部屋に帰って来きて売春をしているところをみられてしまったこと。
「全く、男連れ込むんだったら、ガキ帰ってこさせるな! 萎えるんだよ」
男に万札を放り投げられながら言われた。
〈結局、どこにいてもぞんざいに扱われる。そんな人生ももうすぐ終わる〉
早紀の目から一筋の涙が流れた。
早紀は目を開けた。
暗闇の中、ひかるとあやめの寝息を聞いた。
〈東京で人間の食い物にされ、明日は山でクマの食い物になるのね〉
早紀はふと微笑んだ。
〈せめて食い物になるんだったら、私たちが死んだ後に食べて。怖い想いはしたくないから〉
早紀は目を閉じた。早紀もすぐ眠った。早紀もまたここ数日の逃避行で疲れていたのだ。
その夜、早紀は夢を見た。
早紀はステージの下からステージを見上げている。
そのステージに立っているのは、大人になったひかるであり、あやめだった。一目でわかった。
「ひかる? あやめ?」
二人は歌い、早紀の回りにいる観客が熱狂していた。
大歓声だった。
「今日は、私の大切な人が見に来ています!」ひかるが言った。
「いつも招待しても恥ずかしがって見に来てくれなかった人。私たちのママです!」
あやめがいった。
ひかるはステージから手を差し出した。
スタッフが早紀の前にステージに上がる階段を置いた。早紀は階段を上がる。ひかるとあやめが早紀の手を取る。早紀はステージに上がるとひかるに抱きしめられ、あやめも早紀を抱きしめて来た。
「ひかる、あやめ」夢の中の早紀は大人のひかるとあやめに戸惑っていた。
「みんなも私たちを愛してくれてるのはわかってる! でも、ママは子供のころから私たちを愛してくれるの。ママが世界で一番私たちを愛してくれてるって言ってもいいよね」あやめが観客に向かって言った。観客は歓声で答えた。
「ママ!」あやめは再び早紀を抱きしめた。
夢の中にいる早紀は終始戸惑っていた。
「三人とも愛してるよ!」と観客の一人が叫んだ。
それに観客は歓声で呼応した。
早紀は目を醒ました。
朝だった。
早紀はひかるとあやめを見た。
ひかるとあやめは寝相悪く眠っていた。
早紀は突然、上半身を起こしたまま顔を布団に突っ伏し号泣した。
「私は、自分の絶望をよそに娘の未来を殺そうとしたんだ!」
早紀は寝ている娘を起こすことなく、服を着て部屋を出た。
するとお爺さんが竿を持っていた。
「随分早く起きたんだね。お嬢ちゃんたちは?」
「まだ寝てます」
「そうかい」
「釣りに行くんですか?」
「早朝の方が釣れるんだよ」
「私も一緒に行っていいですか?」
「構わんよ」
早紀はお爺さんと一緒に渓流に釣りに行った。
陽はかなり登り、水面に反射しキラキラ光っている。
「釣れなかったですね」
「まぁ、そんな日もある」
「もしかして、私が一緒に来たからですか」
「そんなことはないよ」
「いえ、そんなことあります」
お爺さんは早紀を見た。早紀は目を伏せた。
「私、今日、朝起きるまで、山の中に入って娘を殺して、私も死のうと思ってたんです。無理心中しようと思っていたんです」
「でも、辞めたんだね」
「夢を見たんです。大人になっているひかるとあやめが私の前に現れたんです。大観衆の前でアイドルになっていたんです。そして、二人は私に向かって世界で一番私たちのことを愛してくれている人って言ったんです。無理心中しようとこの悪魔のような私に向かって!」早紀は嗚咽をしながら全てを吐露した。
「でも、もう心中するつもりはないだろ」
「はい。死ぬんだったら私一人死のうと」
「別に死に急ぐことはない。それに死んだら娘さんが可哀そうだ。なんせ世界で一番愛してくれている人なんだから」
「いや、それは夢で」
「夢でも何でも娘を愛してるんだろ?」
「はい」
「なら娘を応援すればいいじゃないか! アイドルになるのを応援すればいいじゃないか!」
「アイドルになるのは私の見た夢で」
「夢でもなんでもいいじゃないか。娘の推しになればいいじゃないか」
「推し?」
「知ってるぞ。推しっていうのはファンとは違って、特別な大好きっていう意味らしい。ここにきた若者がそういっていた。まぁ、俺には違いがよくわからんがな」お爺さんは笑った。
早紀はお爺さんが無理心中のことを冷静に受け止めたことに少し驚きをもっていた。
「あの、ここに心中に来たこと、嘘だと思っています?」
「んん……」お爺さんは視線を逸らした。
「もしかしたら、なんか、薄々気づいていたのですか?」
「普通、こんな何もないところに若い親子がやってくることはない。あるとしてもキャンプに来る人ぐらいで、手ぶらで来る人はいない。そういう人は大体、そんな感じの人が多いから」
「そうですか」
「でも、うちに泊まって思いとどまる人がほとんどだ。そして、その中にはこの町に住みつく人も少なくない」
「そうなんですか……」
「まぁ、ここはきせき町だからな。そんな奇跡も起こる」
「きせき町?」
「なんだ、町の名前も知らずにやってきたのか?」
「きせき町のきせきって、あの奇跡のきせきですか?」
「いや、違う。けど、いつしかあの奇跡の奇跡になった。海外ではミラクルシティっといってたまに物好きの外国人が遊びに来るよ」といってお爺さんは笑った。
「……」
「あんたも色々大変だろうが、まずここで心を落ち着かせて、冷静になって、何が幸せか、どうしたら親子三人が幸せになるのか、探せばいい。いつまでうちにいてもいいから」
「いいんですか?」
「ああ、構わんよ」
「でも、泊めていただくにも、お金、ありません」
お爺さんは笑った。
「ここでお金を使うことなんてほとんどない。お金なんて一か月に一回見るか見ないかぐらいだ」
「でも」
「どうも、お金のことをいう人が多いな。世知辛い世の中だ。人間はな、この世にお金が存在しないときから人間として生きてるいんだよ。幸せに暮らしてきたんだよ。それをお金がどうたらこうたらと争い、人として大切なものを失っている。心が小さくなっている。飯食って腹いっぱいになればいいじゃないか。楽しく生きていければいいじゃないか」
「お言葉に甘えて良いんですか」
「甘えるも何にもそんな甘いことを言っているつもりはない。普通のことを普通に言ってるだけだ」お爺さんは笑った。
早紀も自然と笑みが出た。
忘れていた。人のぬくもり……。
「人にはぬくもりがあるんですね」自然と口をついて出た。
お爺さんは笑った。
家に着くと早紀の帰りを待っていたのか、ひかるとあやめが早紀を見るなり「ママ!」と言って駆け足でやって来た。早紀は膝をついて二人を受け止め抱きしめた。早紀は自然と涙が零れた。早紀は二人を深く抱きしめ、二人に涙を見られぬように顔をふり、ひかるとあやめの服で涙を拭いた。それが面白いのかひかるとあやめは笑った。
お爺さんは早紀の肩に手を乗せた。
早紀はお爺さんを見上げた。
「この子たちに人のぬくもりを伝えるのはあんただ」
「はい」
早紀はまたひかるとあやめを抱きしめ、涙を拭く訳ではなく顔を振った。二人が笑うから。
ひかるとあやめは無邪気に笑い、早紀とじゃれた。
〈おわり〉
実家に戻り、母の遺品を全て捨ててしまった自分の罪と最近の世知辛いニュースからこんなドラマを書いてみました。
ちょっとしたショートストーリー、1時間のドラマで使えるような気もするけど、自分にはプロになるチャンスも運もないので「小説家になろう」に載せます。




