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もう少し歩いていたい
それから数日後、涼真が休みの日。
理由は聞かなかったけど、店はいつもより静かに感じた。
夕方、テラスの片付けをしていると、海からの風が強く吹いた。
店内に戻ると、渚が一人でコーヒーを淹れていた。
「今日は平和だね」
「そうだね」
カウンターに並んで立つ。
会話は続かなかった。
でも、不思議と落ち着いていた。
「ねえ颯太」
「うん?」
「今日さ、帰り一緒に帰れる?」
手に持っていたグラスが少しだけ滑った。
「……涼真いないし」
軽く付け足すみたいに言う。
「まあ、たまには二人もいいかなって」
胸の奥が静かに揺れた。
閉店後、二人で店を出る。
商店街はもう暗くて、シャッターばかりだった。
並んで歩く距離が、少しだけ近い気がする。
どうでもいい話をして、笑って、また歩く。
それだけなのに、時間がゆっくり進んでいるみたいだった。
ふと、思った。
もしこの帰り道が、明日からなくなったら。
この並んで歩く距離が、当たり前じゃなくなったら。
その想像だけで、胸の奥が強く締まった。
そのとき、気づいた。
――ああ。
俺、渚のこと好きなんだ。
波の音が、遠くで聞こえていた。
理由なんてなかった。
ただ、このまま、もう少し歩いていたかった。
それだけだった。




