呼ばなかった距離
翌朝、目が覚めたとき、携帯の通知が一件入っていた。
店のグループLINEだった。
【店長】
すみません、今日断水で営業できません。
復旧未定なので本日休業にします。
しばらく画面を見たまま動かなかった。
バイトに行く準備をするはずだった時間が、急に空白になる。
もう一度ベッドに倒れ込む。
天井を見ながら、予定のなくなった一日をどうしようか考えた。
そのとき、大学の友達からメッセージが届いた。
「今日ヒマ? 一緒に江ノ島行かん?」
少し考えてから、「行く」とだけ返した。
特に理由はなかった。
家にいても、たぶん同じことを考える気がした。
午後の江ノ島は、平日なのに人が多かった。
観光客の声と、潮の匂い。
いつも通る道なのに、今日は少しだけ違って見える。
友達と他愛もない話をしながら歩く。
講義の話とか、最近のバイトの話とか。
笑っていたはずなのに、どこか気持ちが落ち着かなかった。
「ちょっと飲み物買ってくるわ」
そう言って、一人だけ列を外れる。
海沿いの通りを歩いていると、小さな食堂の前を通りかかった。
観光客向けでもなく、地元の人がふらっと入るような店だった。
何気なく店内に目を向けた、そのとき。
窓際の席に、二人がいた。
渚と、涼真だった。
向かい合って座っている。
テーブルの上には食べかけの定食が並んでいて、涼真が何か話していた。
渚が笑う。
店で見るのと同じ笑い方だった。
ただ、それだけの光景だった。
偶然見かけただけ。
本当に、それだけなのに。
足が止まった。
胸の奥が、ゆっくり重くなる。
声は聞こえない。
何を話しているのかも分からない。
でも、二人の間に流れている時間だけは、はっきり分かった。
仕事じゃない時間。
三人じゃない時間。
そこに自分はいない。
ガラスに映った自分の姿が、少しだけ場違いに見えた。
呼ぼうと思えば呼べる距離だった。
でも、呼ばなかった。
ただ、そうしない方がいい気がした。
「おーい、颯太!」
後ろから友達の声がして、我に返る。
振り向いて手を上げる。
もう一度だけ店の方を見ると、渚が箸を持ったまま笑っていた。
その笑顔が、今日は少し遠く感じた。
何でもないはず。
胸の奥に、小さな違和感だけが残った。
夏だけが、自分を置いて先に進んでいる気がした。




