景色の見え方
それからの日々は、何かが大きく変わったわけじゃない。
店は相変わらず忙しくて、
三人で働いて、
三人で笑っていた。
ただ、前と同じはずなのに、
どこかだけ少し違っていた。
最後の注文を出し終えて、三人でカウンターの中に並ぶ。
洗い場の水音と、エスプレッソマシンの蒸気が小さく抜ける音だけが響いていた。
「ねえ涼真、この前言ってたやつさ」
渚がふと思い出したように言う。
「映画の続き、もう見た?」
「ああ、昨日ちょっとだけ」
「ずるい、先見るタイプなんだ」
軽く笑い合う。
何気ない会話だった。
特別な意味なんてないはずだった。
俺もすぐ隣に立っているのに、その話題に入るタイミングが見つからなかった。
入れないわけじゃない。
ただ、
入る必要がない会話だった。
二人のテンポが、自然に噛み合っていた。
言葉は多くないのに、次に何をするのか分かっているみたいだった。
前からそうだったのかもしれない。
会話が途切れた瞬間、渚が当たり前みたいに涼真の方を見る。
次の言葉を待つみたいに。
その視線の動きが、あまりにも自然だった。
胸の奥で、何かが静かに沈んだ。
誰も何も変わっていない。
笑っているし、
空気も悪くない。
俺はグラスを拭きながら、同じ場所を何度もなぞっていた。
「颯太、それもう乾いてるよ」
渚が笑う。
「あ、ほんとだ」
自分でも気づかないうちに、手が止まっていたらしい。
エスプレッソの蒸気がまた小さく鳴る。
白い湯気が上がって、すぐに消えた。
「今日さ、駅まで競争しよ」
渚が突然言った。
「子どもじゃん」
俺が笑うと、渚は楽しそうに目を細めた。
「負けたらジュースね」
「やるか」
軽口を叩きながら外に出て、歩き出す。
いつもの帰り道。
変わらないはずのいつもの時間。
少し前までなら、この距離が特別に思えた。
隣を歩けることに意味を探していた。
でも、その日は違った。
前を歩く渚の隣に、自然に涼真が並ぶ。
歩幅がぴったり合っていた。
どちらも意識していないみたいに。
颯太は、少し後ろを歩いた。
置いていかれたわけじゃない。
自分から、少しだけ速度を落としただけだった。
二人の背中を見ながら気づく。
ああ、これでいいんだ。
胸は痛まなかった。
少しだけ、寂しいだけだった。
渚が振り返る。
「颯太、遅い!」
「体力温存してるだけ」
「ずる」
笑いながら手を振る。
その瞬間、ふっと力が抜けた。
もう、並ぼうとしなくていい。
追いつこうとしなくていい。
三人でいることは変わらない。
ただ――
景色の見え方が、少し変わっただけだった。
駅の灯りが近づく。
信号待ちで三人が並ぶ。
渚が自然に涼真の袖を引いた。
何気ない仕草だった。
誰も気にしないくらいの。
「ジュース、結局誰の負け?」
「颯太じゃない?」
「なんでよ」
笑い声が夜に溶ける。
その中で、颯太は思った。
好きだった時間も、間違いじゃなかった。
ただ、それが終わっただけだ。
信号が青になる。
三人で同時に歩き出す。
今度は、ちゃんと同じ速さだった。




