第一章
再会は、雨の匂いをしていた。
雨は、思い出の裏側から降ってくる。
慎はそう思いながら、ワイパーの速度を一段上げた。フロントガラスを叩く水滴は、一定のリズムを刻むことなく、まるで気まぐれな感情のように散っては流れ落ちていく。ハンドルを握る指先に、わずかな汗。冷房は効いているはずなのに、胸の奥だけが妙に熱かった。
この道を通るのは、何年ぶりだろう。
正確な年数を数えようとして、やめた。
数えたところで、戻るものはない。
信号が赤に変わる。ブレーキを踏むと、助手席のシートに置いた紙袋がかすかに揺れた。中身は、コンビニで買ったコーヒーと、誰かに頼まれたわけでもない甘い菓子。家族の好物でもなければ、自分の好みでもない。ただ、なぜか必要な気がした。
――また、こういう無意味なことをする。
慎は自分の癖をよく知っていた。意味のない行動で、意味のある感情をごまかす癖。
青に変わった信号を確認して、再びアクセルを踏む。
目的地は、病院だった。
正確に言えば、病院の裏手にある、小さな喫煙所。
そこに彼がいるかもしれない、という曖昧な情報だけを頼りに、慎は車を走らせていた。
彼――悠人。
その名前を心の中で呼ぶたび、胸の奥で何かが軋む。音のしない破裂。もう治ったはずの古傷が、雨に濡れて再び痛み出すような感覚。
最後に会ったのは、いつだったか。
あの日も、確か雨だった。
慎は無意識に、左手の薬指を親指でなぞった。そこには、今も指輪がある。外す理由も、外さない理由も、どちらも説明できないまま。
妻の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
優しくて、強い人だ。
慎は彼女を愛している。嘘ではない。子どもたちの寝顔を見れば、胸がいっぱいになる。守りたいと、心から思う。
それでも――。
雨音が、急に大きくなった。
病院の看板が見えてきたところで、慎はウインカーを出し、裏道へとハンドルを切った。舗装の甘い道に入ると、車体がわずかに揺れる。
喫煙所は、記憶の中と変わらず、ひどく地味だった。錆びた屋根、プラスチックの椅子が二脚、灰皿が一つ。
そして。
そこに、悠人はいた。
痩せた。
それが、最初に浮かんだ言葉だった。
ベンチに腰掛け、雨を避けるように背を丸めている。その横顔は、昔と変わらない部分と、明らかに変わってしまった部分が、痛々しいほど同居していた。
慎は、車を停めたまま、しばらく動けなかった。
声をかければいい。 それだけのことなのに。
ドアを開ける音が、やけに大きく響いた。
「……久しぶり」
自分でも驚くほど、平坦な声だった。
悠人は、ゆっくりと顔を上げた。
視線が合う。
ほんの一秒。
それだけで、何年分もの時間が押し寄せてきた。
「……来ると思わなかった」
悠人の声は、少し掠れていた。
「俺も」
慎は、それ以上の言葉を続けられなかった。
雨は、まだ降り続いている。
再会は、祝福でも奇跡でもなく、ただ静かに、避けようのない現実として、そこにあった。




