3話〜レイとイリシア〜
【イリシア視点/薄暗い森にて】
私は、悪魔としての任務で、人界との境界に近いあの薄暗い森に駐在していた。
たまに、人間を乗せた馬車が遠くを通り過ぎる気配を感じていたが、私は人間を不必要に害する主義ではないため、ただ見過ごすつもりだった。
しかし、風に乗って微かな泣き声が聞こえ、私は気になった。
そっと馬車から距離を置いて近づくと、古木の根元に、ぼろ布にくるまれた赤子が横たえられていた。
そして、母親らしき女が、泣いている。
「ごめんね……自分の子供を捨てるなんて、酷いことだと分かっているの。本当にごめんね……レイ。どうか、元気に育って……」
彼女は、レイの黒髪と黒目に触れることさえ恐れているようだった。人間界でそれは悪魔の象徴であり、忌み嫌われる色なのだと、知識としては知っている。
一瞬、「かわいそうだが、人間界の出来事だ」と冷たく心を閉ざし、踵を返そうとした。しかし、その時、荒れた土を踏む、低く唸るような音が聞こえた。魔物がレイに向かって忍び寄っている。
――見殺しにするわけにはいかない。
四天王としての誇りか、それとも単なる気まぐれか。考える間もなく、私は一瞬で魔物を討ち滅ぼし、赤子のそばに駆け寄った。魔物が倒れた瞬間、レイは激しい恐怖から解放されたのか、さらに大きな声で泣き出した。
「大丈夫ですか?」
声をかけたが、赤子からはもちろん何の返事もない。しかし、その小さな身体を抱き上げた瞬間、私は衝撃を受けた。
この赤子から発せられている魔力のオーラが、ただごとではない。私の体内にまで響くかのような、膨大で、純粋すぎる魔力の流れだ。そして総量は一般的な魔族が持つ魔力量を遥かに上回っていると、感じ取れた。
黒髪と黒目。人間が「悪魔の象徴」と断じ、恐怖し、忌み嫌ったその色が、もしかしたらこの子の膨大な魔力と才能を象徴しているのかもしれない。
私は、この特別な力を秘めた子を、このまま死なせるわけにはいかないと直感した。
感情に流されることは、悪魔、特に四天王として許されないが、私はこの子を育てたい、と強く願った。この子の才能を開花させ、私の手で最強の存在へと育て上げたい。
私はレイをしっかりと抱きしめ直した。
「心配するな。私はお前を見捨てない」
まずは魔王様の許可を取らなければ。四天王として常に任務をこなしている私ならば、多少の横紙破りは許されるはずだ。私は決意を胸に、すぐさま魔王領へと帰還の道を取った。
【魔王領、魔王城にて】
魔王領へと足を踏み入れると、当然ながら周囲の魔族たちからの視線が矢のように突き刺さる。好奇、軽蔑、警戒。多種多様な感情が向けられているのを感じたが、私はそれを完全に無視した。
だが、私の胸の中にいるレイの小さな身体が、周囲の空気の異様さに耐えかねて微かに震えているのを感じた。
「怖がらなくていい。私がついている。」
そう囁くと、レイの震えは少し和らいだ。
魔王城の玉座の間に入ると、張り詰めた空気と、屈強な魔族たちの威圧感が襲ってくる。魔王様との対面は、四天王といえども緊張する瞬間だ。
しかし、今回は違った。魔王領の歴史上初めて、人間を居住させる許可を取るという前代未聞の請願だ。私の緊張はしたが、腕の中のレイの重みを感じるたびに、この子のためならという強い信念が湧き上がり、立ち向かえる気がした。
魔王様や他の幹部たちからの詰問に、私は「運命を感じた」という抽象的な理由と、「魔力量が桁外れだ」という具体的な事実を、自信をもって伝えた。レイの未来を懸けたやり取りは緊迫したが、最終的に、魔王様は私の功績を鑑み、提案を受け入れてくれた。
この言葉によって、魔王領にレイがいること、そして四天王である私がレイを養育することが、正式に決定したのだ。
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【レイ視点/現在】
ボクは今、イリシアさんの家で生活している。
イリシアさんの家は、人間の貴族が住むような豪華な屋敷だ。
ボクはまだ一歳なので、もちろん言葉を話すことも、自分で行動することもできない。
そんなボクを毎日、丁寧に世話してくれるのは、イリシアさんだ。
イリシアさんが抱き上げてくれるとき、確かな安心感と深い愛情だ。赤子のおむつ替えやお風呂までしてくれていると思うと、少し恥ずかしいし、申し訳なくもなる。
本当にいつも感謝しています。こんなボクを育ててくれて、本当にありがとうございます。
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【イリシア視点/現在】
私は今、レイを自分の家で、慈しむように育てている。
レイの小さな顔、すやすやと眠る寝息、そして時折私を見上げて笑う表情を見ていると、自然と顔が緩む。本当に可愛い。
育児の知識が皆無だったため、私は人間界の領地まで赴き、人間用の赤子の世話道具、ミルク、服を一式買ってきた。初めての育児で、これで合っているのか、レイを困らせていないか、いつも不安だった。
だが、新しい服を着せたり、おもちゃを揺らしたりしたときに、レイが手足をばたつかせてキャッキャと喜んでいるようにも見えたので、私はそのたびに安堵した。喜んでいる姿もまた可愛い!
四天王としての仕事もあるが、今はレイの成長を見守る時間が何よりも楽しく、優先すべき大切なものになった。
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こうして、忌み子として捨てられたボクと、四天王であるイリシアさんの、魔王領という異世界での新たな生活が始まった。




