2-2 彼女はカリオカ(2)
舞彩亜が軽音部のオリエンに行っていた、その同じ時間。
工は、アニ研(アニメ・マンガ研究部)の部室である視聴覚室の前に来た。
部室のドアは開きっぱなしになっている。
ドアを入ったすぐ脇には机が置いてあり、その机の前に人が座っている。
受付担当の生徒だろう。
座っているのは男子生徒。
着ている黒地のTシャツの前面には、有名なアニメヒーローとそのロゴがプリントされている。
その上に薄いカジュアルジャケットをはおり、紺のジーンズ、底が分厚いスニーカーはグレーとブルーの柄。
この学校では服装は自由なのだということがわかってはいても、制服姿、制服を自分なりにアレンジした姿、完全な私服姿、と入り混じっている光景を実際に見るたび、まだ工は不思議な感じがする。
でも、楽しいな、こういう光景……。
工は心の中で思った。
そして立ち止まって一回、深呼吸すると、意を決して入口に足を踏み入れた。
「あ、ようこそアニメ・マンガ研究部へ!
どうぞ、本日の案内パンフです!」
工が受け取ると、パンフには歓迎のあいさつ文と、このオリエンテーションのプログラムが記されていた。
工は別の男子部員に案内されて、新入生のために並べてある椅子のひとつに座った。
そして、ゆっくりとあたりを見回してみる。
中にいる部員は5、6人といったところか。
彼らはきょうのオリエンの当番なだけで、これが部員全員ではないのかもしれないが。
いっぽう、工が来る前から来ている新入生らしき生徒が20名前後。
男子が多いが、女子も6、7名はいる。
やはり事前に聞いていたうわさどおり、人気があるようだ。
見た目だけで判断はできないが、工が見るところ、アニメやマンガファンとおぼしき子が多い。
二人三人で連れ立ってきている子たちもいて、その子たちは聞いている限りずっと、いま映像配信サイトで配信中、または地上波TVで放映中のアニメの話をしている。
それはそうだろう。
「アニメ・マンガ研究部」なのだから、それらに興味のある人間がいちばん集まるに決まっている。
まあ、小説、せめてライトノベルが好きな者がこの中にいるとすれば、それだけでも見つけものだ。
自分はアニメやマンガにもある程度は接しているから、彼ら彼女らの話にはそこそこついていけるとは思う。
だから、もし小説好きがいなかったら、この部にはいちおう籍を置いてときどき顔を出すだけにして、自分だけで小説を書くことにメインの時間を割くというのでもよい。
工はそんなふうに考えて、この部に過度な期待はしないようにしようと思った。
そうこうしているうちに、開始時間が近づいてきた。
いつのまにか新入生のための席はほとんどふさがっていて、空いているのは工の隣の席がひとつと、斜め前の席がひとつだけのようだ。
その工の隣の席に、ひとりの女子生徒が入ってきた。
工に頭を下げて、少し恥ずかしそうに言った。
「あの……ここ、座っていいですか?」
工はその女子生徒を見た。
おとなしそうな感じだが、なかなか整った顔立ち。
制服をアレンジせずにきちんと着ている。
きれいに手入れされた黒髪を肩のあたりまで伸ばしていて、背の高さは160cmぐらいか、この年齢の女子としてはふつうだろう。
全身の体格も細過ぎず太過ぎず、均整が取れていて美しい。
彼女の全身が醸し出している上品な雰囲気は、どこぞのお嬢様といった感じだ。
しかし見ようによっては、学園ものアニメに出てくるヒロインのコスプレのようで、この部にドンピシャと見えなくもない。
「どうぞ。空いてますから」
工はその女子生徒に答えた。
少し笑顔を見せ、素っ気ない調子にならないようにしたつもりだが、果たして伝わったかどうか……。
女子生徒は、ありがとうございます、と礼を言って軽く頭を下げると、その席に座った。
工は横目で、彼女の横顔をちらっと見た。
横から見る顔形も、なかなか整っていてきれいだ。
けっこう可愛い子だな……。
……この部にこの子も入るのだとしたら、今後何度も顔を合わせることになるわけだ。
話が合う子だろうか。
小説とか、興味あるかな。
そう思いながら、ふと舞彩亜のことが思い浮かんだ。
いまごろ、どうしてるだろうな、舞彩亜さん……。
軽音部、いい感じだといいな……。
工は、あれやこれや浮かぶ妄想を振り払い、前を向いた。
すると、もうひとつ空いていた斜め前の席に、男子生徒がやってきて両隣の生徒たちに声をかけた上で座るのが見えた。
その男子生徒はふつうの黒髪ショートカット。
銀縁のメガネをかけていて、私服姿。
薄茶色のカジュアルジャケットを着て、紺のジーンズをはいているようだ。
後ろ姿しか工からは見えないので、それ以外の様子はわからない。
しかし、一瞬見えた横顔は、意志の強さが感じられるような精悍な顔立ちだった。
アニメって感じではないな。
彼も、小説とか読むかな……。
そうしているうちに、オリエンテーションの開始時間が来た。
ひとりの部員が立って、新入生たちの前に来た。
その姿を見て、工は思わず声がもれた。
……へ?
波立っているくせ毛、度数の強そうな丸い黒縁メガネ。
そしてファッション。
なんと形容したらいいか、もし現実に道頓堀の「くいだおれ太郎」が生きた人間として存在していたら、こんな感じではなかろうか、というふうに見える。
いや、本当に「くいだおれ太郎」と同じ格好をしているわけではない。
だが、紺色のシャツの上に赤と白の縦ストライプの入ったジャケット、下も同じ柄のスラックス、靴はふつうのローファー。
普段からこんな服装なのだろうか。
それともこのオリエンでのウケをねらった勝負服か。
工は周りに感づかれない程度に、ふぅ、とため息をついた。
こりゃ、存在自体がアニメかマンガの登場人物そのものだな……。
その部員がみんなを見て、話し始めた。
その外見とはうらはらに、意外と落ち着いた声だった。
「……新入生のみなさん、お待たせいたしました!
今年もたくさんの新入生のみなさんに興味を持っていただき、ありがとうございます。
ただいまから、みなみ学園高校アニメ・マンガ研究部、略してアニ研の新入生オリエンテーションを開催したいと思います。
わたしは司会を務めます、部長の高品です。
これからおよそ1時間ほどになりますが、どうかお付き合いください。
よろしくお願いします!」
彼の前に座っている新入生たちが、みんな拍手した。
高品はお辞儀をして、アニ研について説明を始めた。
「えー、まず本日のオリエンテーションですが、次のようなプログラムになります。
まず、このアニメ・マンガ研究部の概要、歴史とこれまでの活動実績について。
次に、現在の部員数、部内の活動について。
えーと、先に言っておきます。
アニメやマンガを読むだけでなく、自分で創作をされたいというかた。
大歓迎です!
投稿サイトに公開してみたいかた、コミケ出展したいかた。
当アニ研は、投稿サイトに自分の作品を発表している部員が複数おります!
そして、アニ研は毎年コミケに出展をしております!
ですので、わたしたち先輩が、強力にバックアップいたします!
そしてプログラムの最後に、みなさんからの疑問にわたしたちがお答えする、Q&Aのコーナーもちゃんとご用意しております!
という順番で進めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いします。
それでは、最初にアニメ・マンガ研究部の概要、歴史、これまでの活動実績について、説明いたします!
このアニメ・マンガ研究会は、当校、すなわち、みなみ学園高校の中でも例年、いちばんの人気を誇る部の一つであります。
まず当アニ研部の歴史をさかのぼるとですね、いまを去ること10年前……」
***
高品とほかの部員による、アニ研の活動内容についての説明がひととおり終わった。
最後に高品が付け加えた。
「えー、で、このオリエンを聴いた上でさっそくアニ研に入部を希望されるかたは、ぜひわたしかお近くの先輩部員に声をおかけください!
ここで入部届を書いて提出していただけます。
いったん持ち帰って、よく考えてから後日入部届を出していただいてもぜんぜんオッケーです!
それでは、本日のオリエンはここまでとなります。
さきほども質問タイムは設けましたが、個別に聞きたいことがあるかたは、お気軽にわたしなり部員にお尋ねください。
それでは、ここでいったんお開きといたします。
ありがとうございました!」
アニ研のオリエンが終わり、新入生の3分の2ほどはぞろぞろと出ていった。
残りの3分の1は、入部を前向きに検討している者たちだ。
あの部長、服装に似合わず、意外とまっとうな人のようだな……。
工はまた、ふぅ、とため息をついて思った。
もちろん工は残って、いくつか質問したのちに入部届を出そうと思っている。
入部届の用紙にも、すでに記入済みだ。
ふと顔を上げてみると、隣りに座っている女子生徒、そして斜め前に座っていた銀縁メガネの男子生徒も残っていた。
二人とも、手には入部届の用紙。
おお、二人とも入部するつもりなんだな。
工は内心、期待した。
高品部長の前に、質問をしたい新入生たちが列を作っていた。
工もその列のあとに並んだ。
すると、工の隣の席に座っていた女子、そして銀縁メガネの男子も工の後ろに来て並んだ。
「この部に、入るんですね?」
女子が工に尋ねてきた。
「ええ、オリエンの前から入部はほぼ決めてました。
オリエンを聴いて活動内容もいいと思ったんで」
女子はにこっと笑顔になった。
「わたしも、初めからほぼ決めてました。
ただ、わたしはどっちかっていうとアニメやマンガ以上に、小説が好きなんですけど……」
工は、おっ!と思ってその言葉に飛びついた。
「ほんまですか!
ぼくも、小説がいちばん興味あるんです。
どんなものを読みますか?」
女子はちょっとの間、考えるように頭をかしげてから答えた。
「わたしがいちばん好きなのはラノベ……ライトノベルで、でもそれ以外にもいろいろ読みますよ。
いわゆる純文学とか、ミステリーも読みますし」
我が意を得たり。
工は彼女に答えた。
「ぼくと同じですね。
ぼくもラノベ、純文学もミステリー、エンタメも、いろいろ読みます。
……お好きな小説、なんですか?」
女子生徒はいくつか好きな作家と小説を挙げた。
渡航、伏見つかさ、佐伯さん、村田沙耶香、村上春樹、エミリー・ブロンテ、フランソワーズ・サガン、ヘルマン・ヘッセ、アガサ・クリスティー……。
その多くは工も読んでいたし、工も好きな作家、小説たちだった。
「話、合いそうですね」
「そうですね。
小説の話ができる人がいるか、不安だったので、うれしいです……」
順番が来たので、工は高品部長にいくつか質問をして、入部届を出した。
次に、女子生徒も同じように高品と話したが、質問というよりは、好きなアニメやマンガの話で高品と盛り上がった感じだった。
そして彼女も入部届を出した。
高品が二人に言った。
「いやー、オリエン直後に二人も入部していただけるとは、なんともありがたいです!
どうかこれから、よろしくお願いしますね!」
工と女子生徒もあいさつを返した。
「こちらこそ、これからよろしくお願いします!」
高品部長と女子生徒の会話を聞いていて、彼女の名字が「角野」というのだとわかった。
「角野さん、っていうんですね」
彼女は答えた。
「あ、名前を言ってなかったですね。すみません。
わたしは角野雫と言います。
よろしくお願いします」
「ぼくは寺崎工といいます。
こちらこそ、よろしくお願いします」
二人の間に、先ほどの銀縁メガネの男子生徒がやってきた。
正面から見る姿は大柄で体格もよく、顔もやはり精悍だ。
しかし、銀縁メガネがその精悍さに、より繊細な印象を加えている。
男子生徒は、よく通る大きな声で二人に話しかけてきた。
「もう入部届、出したんですね。
ぼくも出しました!
これから同じ、このアニ研部ですね!」
工と雫は顔を見合わせて笑った。
雫が言った。
「よろしくお願いします。
角野雫といいます」
男子生徒が続けた。
「こちらこそ、よろしく。
ぼく、柄山創人といいます。
将来は次代を背負って立つような作家になりたいと考えておりまして、現在はそれを実現するために小説を書いて、投稿サイトにアップしております。
……あ、ここに入部する以上、もちろんアニメ、マンガも好きであることは言うまでもありませんが、しかしゲームも音楽も小説も、つまりいろいろなことに興味を持っている人間であるということはあらかじめ申しておきましょう。
……あなたがたもお好きですかな、小説や音楽、ゲームとか?」
なかなか自信満々というか、志の高い男だ。
工が目を輝かせて答えた。
「いま、ちょうど角野さんと小説の話をしていたところです。
なので、小説が好きだという人、しかも自分でも書いている人というのは、ちょうどぼくも期待してました!
こういう話のできる人が増えるのはうれしいですね!
あ、ぼくは寺崎工といいます。
よろしくお願いします」
柄山創人は、
「いやー、入部早々、話のできそうな同学年の人たちと知り合いになれるというのは、ええもんですなあ!」
と言って、がはははは、と豪快に笑った。
雫と工も、ちらっとおたがい目を見合わせて、いっしょに笑った。
工は、目の前の柄山創人と角野雫の二人を見ながら、いっぽうで舞彩亜のことを思い浮かべ、そして思った。
確かにこいつは、楽しいことになるかもしれないな。
……しかしそれにしても、舞彩亜さんのほうはどうやったろう……。
あー、そもそもなんで、ぼくはこんなに舞彩亜さんのことばかり気になるんだ……。
***
「工くーん!」
舞彩亜が工の姿を見つけると、声を上げた。
工も気づいて手を上げて近づいた。
時刻は、きょうのオリエンがすべて終了した午後4時45分ごろ。
二人は、もうほかの生徒もだいぶ減った、校舎の1F廊下で待ち合わせしていた。
「どうでした、舞彩亜さん。
……あれ、望月さんはいっしょやなかったんですか?」
舞彩亜は笑顔だったが、少しお疲れ気味のようにも見えた。
「七海ちゃんは、ほかの新入生の子たちと打ち合わせするって先に行ったわ。
新入生メンバーでバンド組むらしいんよ。
ふつうの新入生歓迎会とは別に『新歓演奏会』いうのがあってな、そこで新入生が1曲演奏できる機会があるんや。
そこで演奏するためのバンド。
それにしても、七海ちゃんの行動力、すごいわ。
入部届出した新入生の子たちに次々声かけて、口説いていって。
あたしはとても、あんなことできん……」
「え、すご!」
工は思わず声を上げた。
「舞彩亜さんも、もちろん演奏するんですよね?」
舞彩亜は、少々不安そうにもじもじしながら工に答えた。
「んー、まあな……。
なんかは弾き語りしようと思うとるけど……」
工はうれしそうに声を強めた。
「いいじゃないですか。
演奏するべきやと思いますよ、舞彩亜さんは」
数秒の間、無言でいたのちに舞彩亜は、はぁ、とため息をついた。
「……まあ、そうなんやけどさ。
そやけど、なんの曲やったらええのか、思いつかんのや……」
工は腕組みをしてしばらく考えていた。
そして、いつものように淡々とした口調で言った。
「いま舞彩亜さんがいちばんやりたい曲、得意だと思う曲で、ええんやないですか。
帰ってからよく考えてみてください」
工の言葉を聴いて、舞彩亜はしばし考え込む。
……あたしがいまいちばんやりたい曲……。
話題を変えるように、舞彩亜は明るい調子で工に尋ねた。
「……それより、工くんのほうはどうやったん?
アニ研、よさそうやった?」
工も腕組みをして考えるようにしながら話した。
「悪くないと思います。
入部届も出しましたけど、同じく入部した1年生に、二人も小説が好きだという人がいました。
これで、とりあえず同じ話ができそうな人がいることはわかりました」
舞彩亜も、わがごとのようにうれしがった。
「よかったやん!
楽しい部活になるとええな!」
工はまだ考えているように様子で言った。
「そうですね……」
舞彩亜は工の様子にちょっと首をかしげたが、それでも元気よく言った。
「ほな、帰るか、工くん!」
「はい」
思い出して舞彩亜は工に言った。
「そうそう、さっき言った新歓演奏会。
だれでも聴きに来てええそうやから、あたしが出ることが決まったら、工くんも来てくれるとうれしいな」
「もちろんですよ。
絶対聴きに行きます!」
二人は廊下から階段をゆっくりと下りていった。
……そうは言ったものの……。
帰り道を工と歩く間、舞彩亜の頭の中は同じ考えがぐるぐると回り続けていた。
実は、舞彩亜の中では、すでにひとつの曲が浮かんでいた。
けれど、その曲をこのタイミングで、人前、特に工の前で歌うことにはためらいを感じる。
……どうするべきなんやろな……。
***
翌日の夕方、ローザ先生のギター教室。
舞彩亜はローザ先生に、高校での「新歓演奏会」のことを話していた。
ローザ先生はレッスンの際、いつも生徒のすぐ右隣、斜め向かいに自分の椅子を置いて座る。
この位置関係だと、おたがいに相手のフレットと指使いが見やすいからだ。
きょうもローザ先生は、同じ位置に座りギターを抱えて、舞彩亜がちょっと熱のこもった調子で新歓演奏会について説明するのを、ふん、ふん、と静かにうなずきながら聴いていた。
「……って感じで、なにか1曲、弾き語りしようと思うてんですけど……。
けど、どの曲にしたらええのか、迷ってて……」
ローザ先生は、舞彩亜の言葉に、
「ふーん、なるほどねえ……」
と言うと、ふふっ、と笑って言った。
「なら、あれがええやん、舞彩亜ちゃん。
『|Ela é Carioca』。(彼女はカリオカ)
……いまの舞彩亜ちゃんには、ぴったりやと思うけどな!」
舞彩亜はその曲名を聞いた瞬間、みるみる自分の顔が赤くなるのを感じた。
「……え!?」




