ルーシー・メルブラッドへの報告
「以上が、報告になります」
録音の再生が終わり、魔晶から輝きが失われる。用のなくなった魔晶をポケットに仕舞い込みながらシェスカが端的に締めくくると、通信用の魔晶片から『ふむ』と悩ましそうなルーシーの吐息が返った。
『なるほど。大まかな組織の内情は把握しました。やはり、魔女教は俗世で疎まれている人種や境遇にある者を構成員として設立されている。魔女はその者たちの個性が輝ける世界を約束し、束ねている……と』
「はい……掲げている理念そのものが嘘なのかは分かりません。魔女教徒を率いるための体のいい嘘なのかどうか」
『おおよそ、嘘ではあると思いますがね。魔女の目的など自分に都合のいい世界を築くための征服にほかなりません。そのために、弱者の立場にある者を惑わしているに過ぎないのですよ。まったく、度し難い』
なにより罪深いのは、とルーシーは平淡な声色に若干の苛立ちを交えて、
『魔女教そのものを家族と騙っているところですね。きっと、他人から優しくされる機会のなかった人たちです。その響きはなにより甘美かつ安息を得られるものでしょう。そんな心理を逆手にとるなんて、魔女とはつくづくおぞましい』
「……そう、ですね。姉妹なんて制度もありましたし。男性同士だと兄弟らしいです」
『大丈夫ですか?』
「へ?」
『フランシスカは大丈夫ですかと尋ねたんです。貴女も色々と苦労されてきたのでしょうし、魔女教に安らぎを覚えることはないですか?』
「な、ないです。ないですよ! 私は……全然」
魔女教に救いを求めて入信しているのならともかく、シェスカは勇者一行の一員として潜入しているのだ。魔女の発する甘言に陶酔することなど、ありはしない。
『ならば、いいんですけれどね。……これは経験則なのですが、居場所のない人間は正常な思考を失う傾向にあるので。……少し、心配で』
「正常な思考を失う……ってメルブラッドさんがですか?」
あの勇者一行の魔導士にして、賢良方正と謳われるルーシーでも取り乱すことがあるのか。にわかには信じられずに声を上擦らせてしまうシェスカに、ルーシーは微苦笑をこぼす。
『私なんて、もとより大した人間じゃないんです。人との接し方がわからず、社会にも馴染めない。仕事はおろか容姿も特に優れているわけでもないので妻としての貰い手すらいない。正真正銘の、落ちこぼれ』
私もひとりぼっちだったんです、とルーシーは呟く。
『寄り添ってくれるのは、本だけ。本だけは私の味方でいてくれました。架空の世界だけは……情報の渦だけは私をひとりにしないでいてくれた。そんなとき、私のもとに変な人間が来ました。「俺と冒険者をやってくれ」って、突然。戸惑う私に構うことなく、そいつは私を連れ出したんです』
「……それが、クリフさん」
『そうです』
僅かだが、ルーシーの口調が柔らかくなっている気がした。よほど、ルーシーにとって特別な記憶なのだろう。どこか弾んだ語調で、ルーシーは紡ぐ。
『クリフは強引でした。断ってもパーティーに入れましたし、無理だと諦めても魔導士の勉強をさせて。……でも、いつしか私はそれなりの魔導士になれて、クリフは勇者になって。私たちのパーティーは全員そうです。オルフェもナナイも、クリフに救われているんです。ですから、クリフだけは信じてください』
「……え?」
『フランシスカが、私たちを信じられなくても仕方ないことだと思います。けれど、クリフのことだけは……信じてください』
「……メルブラッドさん」
先刻の言葉にあったように、ルーシーはシェスカが魔女に誘惑されることを懸念しているのだろう。どうにか自分たちを信頼してほしいことを伝えるために、身の上話まで明かしたのだ。
随分と不器用な人だな。これまでルーシーの印象を覆すギャップに、シェスカは肩を竦める。
「心配は無用ですよ。言われずとも、私はクリフさんを信じています。いえ、クリフさんだけではありません。勇者一行の皆さんもです。もちろん、ルーシーさんも」
信憑性を高めるためと仲間としての関係性を深くためにファーストネームで呼んでみたのだが、果たしてシェスカの試みは通じたのか。
ドギマギするシェスカの鼓膜を突いたルーシーの反応は――
『……そう。なら……いいですが』
以前として無愛想な調子だった。
「……」
残念ではあるが、徐々に距離を詰めていけばいいだけのことだ。焦ることはないと自分を宥めているときだった。
カランカラーンと教会から、鐘が打ち鳴らされた。
「あ、そろそろ戻らないと……。すみません、また報告します」
『了解しました。くれぐれも気を付けてください。……ご武運を、シェスカ』
「――へっ」
完全に油断していた。
一瞬、聞き間違いかとも思ってしまったが、そうではないらしい。照れ隠しのように速攻で通信を切るルーシーに、シェスカは噴き出してしまう。
「可愛らしい人だな」
本当は勇者一行の誰よりも自分に近しい人なのかもしれない。思わぬ形で抱いたルーシーへの親近感に心を躍らせて、シェスカは通信用の魔晶片を外す。
「……さて、と」
いよいよ、今日から魔女教での潜入生活がはじまる。ルーシーから貰った助言も糧に、しっかりと臨もうと喝を入れるために頬を叩く。
そして、教会に向かおうと足を踏み出した――直後。
「なにしてんのよ、あんた」
まったく予期しないタイミングで声を掛けられて、シェスカはつんのめってしまう。危うく雪原に倒れそうになるところをなんとか踏みとどまると、呆れた面持ちで佇むリリィナの姿があった。
「リリィナ……シュリンカさん……どうして」
「どうしてじゃないっての。朝起きたらベッドにいないし。さっそく脱走でもしたのかと思って探し回ったんじゃない。なにしてたのよ、こんなところで」
「なにしてた……ですか」
幸い、ルーシーとのやり取りを聞き咎められていたわけではないようだ。密かに安堵しつつ、シェスカは適当な嘘で取り繕うことに。
「あ、あの……お、オーロラを見たくて……ですね。あんまりにも綺麗なので」
「……ふぅん。わからなくもないけどね、魔女様が生み出した芸術だし。でも、勝手なことをしないで。あんたが何かをしでかしたら、責任を問われるのは姉であるあたしなんだし」
「姉、ですか?」
「姉妹として組まされたでしょ、あたしたち。不服だけどさ。ま、そういうわけであたしが姉で、あんたが妹。あたしのことは姉様と呼びなさい」
「ね、姉様……」
シェスカとしてはリリィナの傲岸不遜ぶりにドン引きしてしまっていただけなのだが、リリィナは先輩への畏敬の念として受け取っているらしい。
満足そうに鼻を鳴らして、乱暴にシェスカの腕を握る。
「ほら、さっさと行くわよ」
「い、行くってどこに」
「は? 決まってるでしょ。朝の務めを果たしによ」
「あ、朝の務めって……ちょ、ちょっと」
まだ、シェスカは魔女教にやってきて一日しか経過していないのだ。当然、生活のサイクルなんてものを知る由もないが、リリィナが説明することはない。
困惑するシェスカに構うことなく、全速力でリリィナは雪原を駆ける。
あぁ、この人とはうまくやっていけそうにもないな。
ルーシーとの関係に兆しが見えた矢先に立ち塞がる新たな壁に、絶望するシェスカだった。




