魔女教への潜入
「皆に伝える。わたくしたちの存在が世界に察知されました」
新参であるシェスカを歓迎し、魔女教の教えを正義であると掲げた魔女――アルテイシア・ガゼルはそれまでの穏やかな語調から一転、冷徹な声音をもってして空気を凍てつかせた。
「つい先日、結界付近に不審な気配を感知。警備にあたっていたミハイル、サリーがいまだに帰還をしていない。おそらく、返り討ちにあったのね。けれど、それも無理からぬことなの。相手は……勇者一行なのだから」
「ゆ、勇者一行ですか!?」
跪き、静かに聞き入っていた魔女教徒たちがにわかにざわつく。
魔女教としても、この事態は誤算であったらしい。しかも、勇者一行に勘づかれたとあっては悠長に構えるわけにもいかない。
激しく狼狽する面々に、アルテイシアは苦悶の表情を滲ませる。
「本当に目ざとい連中よ。少しでも自分たちに仇なす危険分子とみなせば、正義の名のもとに即刻排除をしようとしてくる。なまじ、自分たちを絶対的に正しいと思っているばかりに始末に負えないわ。よっぽど、自分たちのほうが悪だというのに」
いったい、クリフたちのどこが悪だというのか。すぐさま反駁したい衝動に駆られるが、奥歯を食い縛ることでどうにかやり過ごす。
「自分たちの生活を……世界を脅かす物を悪とし、守るものを正義とする。では、勇者を含めた多数の民衆は誰かの世界を脅かしてはいないのかしら? たとえば、自分たちとは異なる個性を持った少数派を虐げるとか」
「……っ」
意味深なアルテイシアの口ぶりに、シェスカは息を呑む。
多数派とは違う個性を持つ者――少数派。魔女教に入信する条件とされる資格はやはり本当だったのだ。
「皆。ローブを取り払いなさい」
「え……ですが、魔女様」
「いいから。すべてを曝け出しなさい」
唐突で不躾ではあったが、アルテイシアからの命令とあっては逆らえない。渋々ながらも、魔女教徒たちがローブを脱いでいく。
「え、え……え」
自分もやらなければならないのだろうか……というのは愚問だろう。一応、魔女教徒のひとりではあるのだ。ここで従わない選択肢は、シェスカにはない。
衣擦れの音が響く教会で、シェスカも倣ってローブを取る。極力、注目されないように頭を低くしながら他の魔女教徒たちを盗み見ると、それぞれが『少数派』とされる個性を有していた。
前列の茶髪の男性はキメラなのだろう。やせ細った肉体には、蜥蜴にも似た爬虫類の鱗が浮かび上がっている。
その後ろの女性は、シェスカが見たことのない肌の色をしていた。黒に近い褐色と表現すべきなのだろうか。どこか活発そうで野性的な色の肌は女性らしからぬ筋肉質でもあり、冒険者だったのかと邪推すらしてしまう。
他の魔女教徒も同様に独特な個性があり、隣のリリィナをみやると、膝をつく右足が半透明であることに気付く。それは間違いなく氷によって形成されていて、思わず注視してしまったことが仇となってしまったようだ。
じろりと睨んできたリリィナの目が大きく見張られる。
「あんた……その髪」
決してボリュームは大きくなかったが、静謐な教会には否が応でも反響してしまって。魔女教徒たちの視線が一気にシェスカに集中する。
「うっ……あの、えと」
最悪だ。これでは、全員にはっきりと顔まで認知されてしまう。
幸い、地味な顔立ちではある。苦肉の策として、赤髪でカムフラージュしようとすると――
「まぁまぁ、シェスカ! なんて美しい髪なの!」
やけに興奮したアルテイシアが、ドレスであることも構わずに駆け寄ってきた。
「え、えぇ!?」
アルテイシアの変貌ぶりもそうだが、口走った内容に度肝を抜かれてしまう。
この赤い髪を、美しいと言わなかったか?
「手触りも滑らかで色も鮮やかで珍しくて……とても素敵な髪ね。ご両親もそうなのかしら」
「いえ……その、両親には会ったことがないので……」
「あらあら、そうなの。でも、これは神様からの贈り物ね。貴女に与えられた、素晴らしい個性」
「神様からの……贈り物?」
聞き捨てならなかった。
この赤髪はそんなに良い物なんかじゃない。この髪を生まれ持つだけで、どれだけ苦しんだと思っている。後ろ指をさされて、嗤われて、畏れられたのかも知らずに。
「こんなもの、贈り物なんかじゃないです」
「シェスカ?」
「呪いそのものですよ。あることないこと吹聴されて、親は魔女なんだとか忌み子だとか好き放題に揶揄されて……誰も近寄りもせずに、いつもひとりぼっちで。こんなもの、いらない。もし、これを授けたのが神様なら、私は神様を赦さない!」
腸で煮えくり返っていた積年の想い。それを呪詛として解き放ったあとになって、シェスカは我に返る。
呆気にとられて、黙りこくる魔女教の面々。慌てて釈明をしようとしたところで、アルテイシアがシェスカの頬に手を添えてきた。
「そうだったの。辛かったわね。けれどね、シェスカ。貴女の髪は本当に美しいの。誰もが持っていない色を持っている。それってとても素敵なことでしょう? 尊いことでしょう? それを認めない人達がおかしいの」
「私は……」
「人間は臆病で愚かだから、自分たちとは少し違う個性を持つ者を異端としてみなし、排除する。所詮は人間も組織を形成して群れる生き物に過ぎないから、多数派というだけでも大きな力を有する。そして、人は多数派の総意を正義として疑わない。なによりも醜悪な考え方だと思わない? ついには多数決なんて選択方法すら構築してしまったし」
アルテイシアの指がシェスカの顔の輪郭をなぞる。肌を滑る魔女の手は酷く冷たいが、それだけに仄かに感じる体温の熱が余計に暖かい。
さながら、雪が降りしきるなかで灯る暖炉の火のようだ。
「とはいえ、それも仕方のない話ではあるの。だって、人間ってそういう生き物なのだもの。だからって、少数派であるわたくしたちがやられっぱなしというのもおかしいでしょう? そこで、わたくしは考えた」
多数派の生活圏を侵食し、自分たちこそが『多数』になればいいのだと。
「特別な個性がない者こそが異端とされる世界を創ってしまえばいいのよ。そうすれば、自ずとわたくしたちこそが正義となる。様々な個性が自由に生を謳歌し、輝ける世界となる。これこそが、魔女教の掲げる理念。布教すべき教えなの」
黒い帯が目元で巻かれているので細かな表情の差異までは判然としない。それでも、唇に湛える微笑と緩む頬から、満面の笑みを浮かべていることは間違いなかった。
「改めて魔女教は貴女を歓迎するわ、シェスカ・フランシスカ。貴女のその赤い髪が美しいと賞賛される新世界を、ともに築きましょう」
「……はい。よろしくお願いします」
別段、魔女の口車に乗ったわけじゃない。
魔女のやり方は邪悪そのものだ。自分たちが生きやすい世界を創るために、大勢の人々の生命を脅かす。なんと、欺瞞に満ちた思想なんだろう。
やはり、魔女は魔女だ。警戒心を高めながらも、シェスカは潜入任務のために肯定するフリをする。
「さてさて、難しい話はおしまいね。魔女教の信念も十分、みんなに伝わっただろうし。シェスカには、ここでの生活に慣れてもらわないと。――リリィナ」
「はい、魔女様」
「貴女がシェスカの直属の姉妹になりなさい」
「え、あたしが……ですか」
「そう。貴女も魔女教に入ってそこまで長いわけでもないけれど、相変わらず一匹狼を気取っているようね」
「……あたしは別に。仕えているのは魔女様であって、馴れ合うつもりは」
「リリィナ。学びなさい。過去の辛い出来事から、他人に不審になる子は多いわ。けれど、わたくしが創造したいのは互いの変わった個性を尊重し合う世界なの。人と絆を育むことは大切だわ」
「わかり、ました。魔女様からのご命令とあれば」
恭しく首を垂れて拝命するリリィナではあったが、内心では納得していないらしい。
すっくと立ち、シェスカに向けられた眼差しは鋭利な敵意すら籠っていて、まるで関係を築くつもりはないことを如実に物語っていた。
「リリィナ・シュリンカよ。精々、迷惑はかけないで」
「シェスカ・フランシスカ……です。善処します」
面倒そうな人が身近に付いてしまったな。
喉の奥から溢れ出そうになる溜息を押し込めて、シェスカは不格好ながらも友好的な笑みを作るのであった。