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サイレント魔女リティ  作者: ゼットン
一章 世界のリアリティ
5/8

魔女教徒の秘密


 ミシェル村から目的地に到着するまで、およそ丸三日間を要した。


 数々の依頼を達成してきた勇者一行としてはこの程度の道のりは珍しくもなかったが、はじめての長旅に加えて、慣れない馬車に揺られるシェスカは疲弊してしまう恐れがある。そのため、適宜馬車を止めて休憩を挟もうとしていたクリフたちの段取りは思わぬ誤算に見舞われる。


 退屈しのぎに語ってみせた自分たちの冒険譚に、シェスカが夢中になってしまったのだ。


 例えば、熱砂が敷かれた砂漠地帯での依頼において、希少な水源を荒らすならず者の集団を討伐したときのこと。住人からの報酬は規定通りに金銭として与えられるはずだったが、喉が乾くあまりにクリフたちは水を求めた。そのときに飲んだ水は、どんな美酒をも上回る甘露であったという話には、改めて水の大切さを学んだ。


 例えば、未開拓地である無人島の調査依頼を受けたときのこと。未開拓とされていながらも島中には人為的な罠が張り巡らされていて、命からがらに罠をかいくぐった先に、先住民族が残したとされる石碑や財宝が隠されていたという話には、まだまだ世界には多くの未知が秘められているのだと、その雄大さを痛感した。


 そして、勇者一行の伝説として一番に語られる邪竜の討伐では、勇者一行が中心となって多くの冒険者が団結をすることでなしえた奇跡であり、シェスカは人々の力と勇敢さに畏敬の念を覚えた。


 ミシェル村に閉じこもっていた自分では到底知ることのない世界の姿は、まさに御伽噺さながらであり、シェスカは興奮をしながらクリフたちの話に耳を傾けた。


 そうこうしているうちに、気付けば目的地まで辿り着いていたらしい。合図もしていないのに馬車が止まり、一行は下車する。


「なに……これ」


 長いこと馬車に揺られ、若干の車酔いから深呼吸するシェスカの鼻腔をくすぐったのは、新鮮な空気ではなく饐えた悪臭だった。


 たまらず鼻を摘まんで振り仰ぐと、周囲は黒ずんだ木々が建ち並んでいて。朽ちた幹と折れた枝、枯れ

落ちた葉からは黒い鱗粉のようなものが舞い、異様な雰囲気が森林全体に漂っている。


「これが魔障よ」


 見たことのない光景に絶句していると、ナナイが隣に並んだ。


「魔女教と魔物を観測して約十日。結界や魔物が放つ微弱な瘴気に汚染されて、草花までも魔障されてしまった。このまま奴らを野放しにすれば、同じような被害が広がっていくことになる」


「これと……同じことが」


 郊外の森林にしか魔障は及んでいないために人々に影響はしていないが、あくまで現状に限った話だ。人口の多い王都マリアンヌとの距離もさほど遠くはないということもあって、迅速な対処は不可欠になる。


 その中核に、自分はいる。重くのしかかる責任に強張るシェスカの背中を、クリフが軽く押す。


「いまから気負っても仕方ない。とりあえず、準備からはじめるぞ」


「準備、ですか?」


 いったい、なにをするのだろう。


 皆目見当もつかないが、ひとまずはクリフたちに付き従うしかないだろう。一抹の不安を胸に、シェスカがクリフたちに引き連れられた場所には、一軒の小汚い小屋が建っていた。


「まさかこれが結界……なんてことないですよね」


「なっははは! 冗談きついぜ、お嬢ちゃん。これはどっからどうみてもただのオンボロ小屋だわな」


「そ、そうですよね」


「だから、言っただろ? 準備をするってさ。まさか、着の身着のままの状態で魔女の懐に潜り込むわけにもいかない。皮くらいは、繕わないと」


「皮を繕う?」


 相変わらず意図の汲めないクリフの言葉に眉根を寄せるシェスカだったが、クリフが答えることはない。にやりと意味深な笑みを作ってみせてから、小屋の扉を押し開ける。 


 ぎぃぃぃと耳障りな軋みを立てて、小屋のなかを日の光が照らす。経年劣化によるものなのか、黒く朽ち果てた床には真っ赤な液体が広がり、轍のような赤い軌跡が室内の中央へと伸びている。シェスカが何気なくその先を追うように小屋を覗き込んだ途端、凄まじい異臭が鼻腔を劈いた。


 先刻の、魔障に侵された森林の比ではない。それよりも更に生臭く、生理的な嫌悪感を煽るものであり、自然と溢れる涙を拭って踏み込むと、部屋の中央には――木製の椅子に四肢を結ばられ、拘束された人らしきモノがいた。


 らしき、というのは椅子に縛りつけられるその者には人間にはない特徴が備わっていたからだ。肉付きが薄く、みすぼらしさが浮き出てしまっている痩躯は人間そのものであるが、その身体には夥しいほどの剛毛が生えている。更に、灰色にくすんだ髪を割いて、獣にも似た耳が突き出ており、コケた頬には長いヒゲがある。覇気を失い、淀んだ瞳はひどくつぶらで、白目がない。


 そう、これはまるで――


「こいつは犬と合成されたキメラだ」


 クリフが端的に正体を明かし、部屋の中央へと進む。ぴちゃぴちゃと床に充満する血だまりを踏み、憔悴しきっているキメラの顔を無造作に掴み上げた。


「やぁ、ワンコロ。元気にしてたかい? 元気だよね。そうじゃないと困る。君にはまだ一仕事残ってるんだから」


「き、さま……。あくま、め」


「おいおい、悪呼ばわりされる道理はないな。俺は勇者で、君は魔女教の教徒。どっちが正義で悪かなんてものは明白だ」


「魔女教の教徒? この人が?」


 そうか、とシェスカは遅まきながらに合点する。クリフたちがミシェル村にやってきた際に、言っていたはずだ。


 調査任務に赴いたときに魔女教の教徒を名乗る集団に襲撃されたが、これを撃退。尋問にかけたのだ、と。


「結界や魔女教の概要は吐いてもらった。あとは、どういう基準を持つ者が魔女教徒になれるのか。そして、具体的な入信の仕方も教えてもらおうか」


「だ、れが。すでに魔女様のことは裏切ってしまっているが、わたしにだって譲りきれない意地というものがある」


「へぇ、そいつはご立派な。――ルーシー、やってくれ」


「……わかりましたよ」


 辟易したように溜息をついて、ルーシーが前に立つ。外套をまさぐり、取り出したのは琥珀色の魔晶で。馬車のなかでシェスカに呪文や使い方を説明してみせたその魔晶をキメラに定め、


「爆ぜろ」


 呪文を、唱える。


 直後、青白い光が閃き、稲妻が宙を切ってキメラへと駆け抜ける。


「――が、ああああああああああ!?」


 室内に上がる、キメラの甲高い絶叫。思わず耳を塞いでしまうシェスカだったが、まるでクリフたちは意に介することはない。


 黒い煙を立ち上げて項垂れようとするキメラの髪を鷲掴みにし、互いの額と額を擦り合わせる。


「どう? 喋る気になった?」


「……くた、ばれ」


「ふぅん。本当に痛みには強いな。今まで散々やられてきたから、耐性は十分ってか。となると、やっぱりアレしかないか。オルフェ」


「あいよ」


 今度は、オルフェがキメラのもとへと立つ。傍らにいるルーシーの手元から魔晶をひったくり、岩のように頑強な腕に力を込めて、粉々に砕いてみせた。


「や、やだ。やだ……やめろ」


「うるせぇな。キャンキャン吠えるんじゃねぇよ」


 なにかを察してかぶりを振るキメラに、オルフェは生唾を吐きかける。そして、おもむろにその場でジャンプをしたと思えば、腰をコマのように回転させて、キメラの顔面を蹴り飛ばした。


 骨が割れる鈍い音が炸裂する。抜けた何本かの歯が床に散らばり、真っ赤な血がこぼれる。


「とっとと口を開けろってんだ」


 渾身の一撃に、麻痺してしまったのだろう。閉ざされていた口が開けられ、だらしなく垂れた舌を引っ張って、魔晶の粉を塗り込む。


「んー!? んー!?」


「ジタバタ暴れんなっての。ったく、キメラっつーのは無駄に生命力だけはたけーんだからよ」


 激しく椅子を揺らして抵抗するキメラだったが、伝説の勇者一行の重戦士を担う男には意味をなさない。


 結局、魔晶の破片を強制的に飲まされたキメラの身体が――びくりと震えた。やがて、震えは大きなっていき、痙攣へと発展する。


 ガタガタガタガタ。凄まじい痙攣に椅子までも揺れ動き、キメラの肉体が不気味に膨張をはじめる。


「な、に。なにが……起きてるの」


「獣化よ」


 掠れた呟きを漏らすシェスカに捕捉したのは、ナナイだった。冷徹な視線をキメラに注いだまま、淡々と紡ぐ。


「キメラというのは、人間に他の動物の特性を盛り込むことはできないかという試みから生まれた実験体よ。人体と動物の体を組み合わせるときに使用されるのは魔晶。肉体に盛られる動物の融合度の度合いを決めるのは、人体に注入される魔晶の濃度による。これが濃ければ濃いほどに、その者の人間性は喪われる」  


「つまり……あの人は完全な犬になってしまう」


「そういうこと。キメラとしては最も恐れる事態ね」


 人間と獣との狭間にいる存在である、キメラ。本来は人間であったはずの者が獣のほうに傾倒してしまえば、人間としての感情や理性をなくしてしまう。その心理的な攻撃は、確かな効果をもたらした。


 全身を覆う獣毛は更に厚くなり、膨らむ。側頭部付近にあった人としての耳が小さく萎み、代わりに頭から生える獣耳が肥大化する。手の指はぼとりと床に落ち、掌には肉球が浮き出る。先ほど抜けた歯を補うようにあらわれたのは、鋭い犬歯だった。


「や、ダよぉ。イヌになんカ、なりダク、ないよぉ」


「おーおー、そうか。ならとっとと喋ることだな。どうすれば、魔女教に入れるんだ」


「……」


 投げかけられたオルフェの質問が最後通告であることは、キメラも悟っているのだろう。しばらく逡巡してはいたが、観念したように言った。


「ワタシたちガ、キていたローブがあるデショウ。アレをシカルべきモノがキれば、ケッカイはトオれる」


「然るべき者? それはどういう人間です? なにか、常人にはない特徴や経歴があればいいのでしょうか?」


「……ソウ。マジョさまはイキバのないモノたちをスクッてくださるイダイなオカタ」


「……ふぅん。じゃあ、たとえばこの子みたいな人間が『然るべき者』ってやつになるのかな?」  


 そこで、話の矛先がシェスカへと向けられる。


 勇者一行に注目をされ、たじろぐシェスカだったが、安心させるようにクリフが笑う。無意識に退こうしていたシェスカを導くように手首を掴み、キメラの眼前へと連れ出す。


 白目のない、つぶらな瞳がシェスカを捉える。怯えるあまりに、立ち竦むシェスカになにを見出したのか。


 人間のそれより小さくなってしまっている瞳が大きく見開かれた。


「ソノ、カミは……。ソウ、アナタもさぞツラかったでしょう。ニンゲンというのは、ジブンたちとすこしチガウだけでサベツをするオロカなイキモノだから」


「……私は」


「まぁ、ワタシにクラベレばヒサンさはウスレるけど、ジュウブンにシカクはある。マジョさまはとてもジヒブカイの」


「そりゃあ、よかった。じゃあ、この子が君のローブを着ればあの結界は突破できるわけだ。それが知れただけでも収穫だ。……シェスカ」


「は、はい」


 名前を呼ばれて、向き直る。


 再び対面したクリフの顔には笑みはなく、恐怖すら感じさせるほどの凄みが宿っていた。


「そういうことだ。ローブを着て、結界に潜入してくれ。通信機能を内臓した魔晶をもたせる。連絡はこ

れで密に行う。あと、映像を撮ることができる魔晶もあるから、できれば内部の映像も頼む。けど、くれぐれも無茶はしないでくれ」


「……了解しました」


 録音と撮影の機能を有した魔晶を渡され、シェスカは浅く息を吸う。


 いよいよ、はじまる。世界を救うための大事な任務が。


「……アナタ、マジョキョウにもぐりこむの? マジョさまをコロスために? こんなセカイをスクウために?」


「……え?」


「よくかんがえて。こんなセカイ、すくうカチなんかない。アナタだって、カミがアカいってだけで、クルシメられたでしょう?」


「……」


「マジョさまこそ、ワタシたちをすくってくださる。セカイをただしてくださる、キュウセイシュなの。だから――」


 それ以上、キメラの言葉が続くことはなかった。


 シェスカとキメラとの間にナナイが介入し、抜刀する。銀色の剣閃が半円を描き、再び鞘へと納まる。


 ぶしゃあああと、勢いよく鮮血が首筋から噴出する。より色濃くなり、拡大していく血だまりへとキメラの生首が転がり落ちた。


「戯れ言をほざくな。貴様らはどこまでも邪悪な害悪であることに変わりない。シェスカさんも、惑わされないように」                             


「は、はい。気を付けます」


 釘を刺されて、シェスカはハッとする。確かに、キメラの話に耳を貸そうとしていた自分がいる。


 しかし、相手は魔女とその信徒たちだ。簡単に欺かれてはならないと、シェスカは自戒する。


「……聞きたいことは聞けたな。シェスカは魔女教に入る条件を達成しているみたいだし、これさえあれば結界と抜けられるらしい」


 後頭部を掻いて、クリフが小屋の壁に近づく。打たれたフックに引っかかる布をとって、シェスカたちに広げてみせると、背中には睫毛の長い吊り目をモチーフとした独特の模様が刺繍されていた。


「これが魔女教徒たちが着ていたローブだ」


「……目、ですよね? なんで目の模様なんか……」


「たぶん、組織としてのマークなんだろうけどな。魔女教なんかが考えることはわからん。そこも含めて、しっかりと内情を探ってくれ」


「わかりました」


 頷いて、ローブを手にする。


 存外に上等な素材で作られているからだろうか。手触りはシルクと錯覚させるくらいに滑らかであり、部屋に差す僅かな光を弾くほどに艶やかでもある。色は漆黒というほどに黒いために、白いインクで描かれた目のマークが余計に際立っている。


 まさに、魔女教という謎多き組織を象徴とする不気味でおぞましい衣装だった。


「……」


 ばさりと翻して、ローブに袖を通す。


 悪目立ちする赤髪を隠すようにフードを目深に被る。クリフから手渡された録音と撮影の魔晶を仕舞い、耳には通信機能を果たす魔晶の破片を嵌め込む。


 クリフの言う『準備』は整った。あとは結界の先に入り込み、魔女教へ潜入をするだけだ。


 ドキドキと心臓が暴れる。身体が妙な熱を帯びて、シェスカはポケットに手を突っ込む。


 そこには、マーゴット夫妻から送られた両親の形見とされる懐中時計があって。固く、ひんやりとした質感に熱を冷ましながら、シェスカは呟く。


「いってきます」

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