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サイレント魔女リティ  作者: ゼットン
一章 世界のリアリティ
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魔女狩りをするために

 ミシェル村は、総人口にして五十名ほどの小さな集落だ。

 大きな賑わいをみせる王都マリアンヌから巨大な山を隔てているという土地柄もあり、流れ住む人は少ない。


 しかし、豊かな自然溢れる山が近くにあるため資源には恵まれ、王都から切り離されていても村人たちの生活が困窮することはない。それぞれ、猟や採取、作農や伐採などの役割を分担し、助け合いながら慎ましく生活をしていくというのがミシェル村の特色だったが、今日に至ってはミシェル村は異様な盛況をみせていた。


「さぁさぁ勇者御一行様! こんなみすぼらしい片田舎にようこそおいでくださいました。ささ、どうぞ! 大したもてなしも出来ませんが」


「勇者様! このブドウ酒はわたしたちが醸成したものなんです! ぜひ!」


「今期の燻製は塩っ気もさることながら薫りもよくてですね。酒の肴にもってこいなんですよ」


「は、はぁ。ありがとうございます」


 村人たちがこぞって特産品を持ち寄る中心には、困ったように微苦笑する金髪の青年がいる。そんな青年が座るテーブルには鎧を纏った女騎士、禿頭を光らせる偉丈夫、三角のとんがり帽子を被った女魔導士が囲んでいて、周囲に群がる村人たちが興奮のあまりに目を輝かせる。


「見ろ、本当に勇者御一行様だ! 冷静沈着な騎士のナナイ・ローデンブルグ様に勇猛果敢な重戦士のオルフェ・スタイン様、賢良方正な魔導士のルーシー・メルブラッド様。そして、英雄豪傑である勇者のクリフ・アイルノーツ様。伝説の最強パーティーが、目の前にいるぞ」


「本当に実在したのか……。でも、どうしてミシェル村なんかに?」


「さぁ? 観光かしら……」


 数多の魔物を打ち倒し、前人未踏のダンジョンを攻略してきた伝説の一行パーティー。なぜ、そんな彼らが辺境の集落に立ち寄ったのかと村人たちが小首を傾げるなかで、勇者であるクリフ・アイルノーツが言った。


「俺たちは観光できたわけじゃないんです。ただ、人探しをしていまして。探している人物がこの村にいらっしゃることを小耳に挟んだだけで――」


「細けぇことはいいじゃねぇか、クリフ。ここのブドウ酒、なかなかどうしてかなりイケるぜ。ラベルだけにこだわって深みもへったくれもねぇ王都の酒よかよっぽどな」


 事情を話そうとするクリフを遮ったのは、重戦士のオルフェ・スタインだった。

 オルフェは立派な光沢を放つ禿頭を撫でて、ブドウ酒の入ったビアジョッキを掲げる。


「オルフェおまえな……」


「羽目を外し過ぎよ、オルフェ。みっともない。美味しいお酒だからこそ静かに楽しむことができないの?」


 顔を真っ赤に火照らせるオルフェに苦言を呈したのは、鎧を纏った騎士、ナナイ・ローデンブルグだ。


 微かに緑がかってみえるほどの漆黒に染まりきった髪を肩口のあたりで切り揃えたナナイは、ビアジョッキに桜色の唇をつけながらオルフェを一瞥する。


 さながら酔い覚ましの冷水の役割すら果たすくらいに冷徹な目つきではあったが、その程度で怯む伝説の重戦士ではない。がははと豪快に笑い飛ばして、オルフェは口元を濡らすブドウ酒を拭う。


「相ッ変わらずつまらない女だなぁ、お前さんは。仏頂面で飲む酒になんの意味がある。騒いではしゃいでこそ意味があるだろうに」


「いい年こいて何を言っているの。少なくとも、はじめて訪れた場所でみせていい振る舞いじゃないでしょ。あなたも勇者一行のひとりなんだから」


「勇者一行ねぇ。いつからそう呼ばれるようになったんだか。だいたい、そんなもんに誇りを感じてるのはお前さんくらいだ。下手に有名になっちまったもんだから、おちおち夜の街にも出歩けない。ルーシーだって、落ち着いて本も読めないと迷惑していたよな?」


「面倒な話に私を巻き込まないでください」


 話の矛先を向けられ、露骨に不快を示したのは魔導士のルーシー・メルブラッド。三角のとんがり帽子からこぼれる髪は亜麻色に色づき、ウェーブがかっている。細い銀フレームの丸眼鏡の奥に控える瞳は暗い茶色に濁り、眠たそうなたれ目であることも相まって独特の雰囲気を醸し出す。


 まったくもって、ちぐはぐな人間が集まった一行。それを率いるクリフが、益体もない口論を打ち切る。


「はいはい、そこまで。ケンカなんかしたら、それこそみっともないって。俺たちがしにきたのはケンカでも観光でもない。人探しなんだ」


「人探し、ですか。この村にいる人間に勇者様が用件があると……? どんな人間なのですか?」


「あぁ、それなら見つかっているんです」


 疑問符を浮かべる村人たちに笑いかけて、クリフが群衆に視線を巡らせる。

 釣られて、その場にいる人間が辿った先には深々と俯くシェスカ・フランシスカがいて。どれだけ小さく縮こまろうとも、その赤い髪が災いして衆目から逃れることはできない。


「え、勇者様の探し人って赤ネコ?」、「嘘でしょ、どうして?」、「人違いかなにかだろ」。ざわつきだす村人たちに居心地の悪さを感じて身じろぎするシェスカだったが、彼女を庇うようにクリフが目の前に立ち塞がる。


「人違いなんかじゃありません。なによりも彼女の髪が証明をしているんです」


「私の、髪が?」

 それはシェスカも初耳だった。この忌まわしいだけの赤髪に、どんな意味があるのだろう。


「特別な技能も能力も必要ありません。この髪があれば、ぜひ彼女には俺たちの一行に加わってほしいと勧誘しにきたんです」


「えぇ!?」


「「「赤ネコが勇者様のパーティーに!?」」」


 シェスカだけでなく、ミシェル村全体に衝撃が走る。特殊な技能や能力の有無だけが問題ではない。そもそも、引っ込み思案で内気な彼女が冒険者になれる度量などあるはずもなく、更にいえば常に孤立しているので綿密な連携が不可欠とされる冒険者パーティーに良い作用をもたらすとは考えられない。


 いよいよ勇者の言っていることが理解できずに絶句するミシェル村の住人に、クリフは「整理をして説明します」と前置きをして、


「魔女が、生まれたんです」


 シェスカへの勧誘をも上回る鮮烈な一言を宣った。


「まじょ……まじょって、あの魔女ですか?」


「はい。王都マリアンヌの郊外にある森林に不可視の壁が観測されたとの報告があり、調査しにに行ったときのことです。我々は黒いローブを着た集団に襲撃されました。なんとか撃退には成功し、尋問をすると魔女を教祖とした組織――『魔女教』が結成されているとのことで。不可視の壁の正体は魔女が生み出した結界であり、周辺には魔障に侵された生物である魔物が生息していたんです」


「なんて……ことだ」


 魔障とは、生物が魔力を供給された際に起きる症状のことだ。

 前提として、生物には魔力はない。それは人間も例外ではなく、この世界に生きるすべての生命は自ら魔術の類を発動することはできない。

 しかし、魔力がないのは生物に限ってのことだ。鉱石や草木、水には微量ながらにも魔力が含まれており、人々はこれらから魔力を抽出。魔力のみを固めた『魔晶』に加工し、製品として市場に売り出している。


 この魔晶は、購買者が決めた文言をスイッチとして様々な効果を働かせる。『呪文』と称される文言を唱えることで、決して火事になることはない青い炎を燃やしたり、干ばつ地帯に小さな雨を降らしたり、暗がりに光を灯したりと利便性は計りしれない。


 一方で、それほどまでに強力で不可思議な力というのは誤って使用をすれば甚大な被害を生むことにもなる。その最たるものが、魔晶を生物の肉体に取り込むというものだ。

 無限にも等しい活力として魔力を得ることと引き換えに、肉体と魂は破壊されてしまう。正気を失い、行き場を失った魔力を見境なくぶつけるだけの怪物となってしまうのだ。


 これを魔障と呼び、魔晶取り扱い法――通称『魔法』によって魔晶の摂取は禁忌とされているのだが、それを犯した者がいる。しかも、相手はただの犯罪者ではない。


「魔女……ということは、魔障を発症していないということですか? 克服して、魔力を自在に操っているということですよね」


「そういうことになります」


「……なんてことだ」


 稀に魔晶を摂取しても、魔障にならない体質の者がいる。その者は理性を保ったまま魔力を行使する、魔術師と化す。

 無論、魔術師はその強大な力を悪用することも可能だ。私利私欲のために世界を侵略するなんて馬鹿げたこともやってのけてしまう。


 昔から、子どもたちに魔晶の危険性を説くことを目的とした童話があった。作中に登場する魔術師は女であり、『魔女』と名付けられたその存在は古くから恐れられてきたものだ。

 そんな魔女が、現実にあらわれた。ミシェル村の人間が混乱するのも無理はない。


「この事実は世間には伏せられています。それをいま、お話した。我々がどれほどの覚悟でこの地を訪れたのか、お分かりいただけましたか?」


「そ、それは確かに。ですが、ならばこそ理解できません。勇者様が赤ネコを……シェスカを必要とする訳が」


「単純なことです。複雑怪奇な理由があって、俺たちは彼女を探しにきたんじゃない」


 村人たちに向けられていたクリフの優し気な眼差しが、シェスカに移る。

 温厚にして温和、この世の善性を煮詰めた結晶とも見紛うほどの煌めきを内包するクリフの碧眼だが、なぜか途端に冷たくておぞましいものに思えて、シェスカは後ずさりをする。


「シェスカ・フランシスカは魔女討伐――『魔女狩り』において最重要となる鍵を有しているから」


「か、鍵……ですかな?」


「具体的には彼女の赤い髪ですね。俺たちが魔女教について調査を重ねていくなかで判明したことは、魔女教徒には独特な個性があることが共通していることでした」


「独特な……個性」


「例を挙げれば、肌の色が違ったり耳が尖っていたり、獣と合成をされた実験体だったりと、変わった経歴や特徴を持つ者が魔女教徒になっている。そこで俺たちは考えました。同じような特徴を持つ者を工作員として魔女教に送り込めばばいいんじゃないかと。そうすれば謎の多い組織の体制や魔女の正体、ひいては弱点までも掴めるんじゃないかと」


 距離を取ろうと、徐々に離れていくシェスカにクリフが歩み寄る。さながら、ダンスパーティーのパートナーをエスコートするような所作で腕を伸ばし、指先がシェスカの顎先に添えられる。

 そして、出来るだけ目線を合わせないようにと下に落ちるシェスカの顔が強引に上げられる。愕然として瞠目した先には、柔和なクリフの笑みがあった。


「赤ネコの蔑称は俺たちの耳にも届くほどだった。人間というのは実に愚かで退屈な生き物だよね。髪の色が派手というだけで、面白がった連中の噂話が伝播する。けれど、そんな君の髪が、武器になる。世界を救う武器にね」


「世界を……救う? 私が? む、無理です。それに魔女教への潜入なんて……うまくいくはずありません」


「無茶苦茶なことを頼んでいるのは百も承知だ。それでも、敵は魔女だ。人間の俺たちが打ち勝つには無茶をしないと敵いっこない」


 だから、とクリフは言葉を継いで、


「お願いだ。俺たちと世界を救ってくれ。多くの命を守るために、君が必要なんだ」 


「私が……命を、守る?」


 にわかには信じ難い。耳障りがいいだけの勧誘文句であるとも受け取れた。それでも、不思議とシェスカの胸は高鳴っていた。


 なぜなら、生まれてからずっと孤独だったシェスカにとって大勢の人から期待をされることはなかったから。


「お、おぉ! シェスカ! 頼んだぞ! 世界の命運はお前に託された」


「お願い、シェスカ! まだ子どもたちは小さくて。守ってちょうだい」


 村人たちが嬉々として願いをシェスカに送る。殺到する視線にはいつもとは一変した熱が籠っていて、シェスカの身体が熱く滾る。


「シェスカ! あなたの髪は呪われていなかったのよ。人々をお救いくださる神様からの慈悲だったのよ」


「……しっかりと与えられた使命を果たしてこい」


「マリアおばさん……カイルおじさん」


 シェスカの手を握り、感涙すら滲ませる養母のマリアと無愛想ながらも激励する養父のカイル。これまで見たことのないマーゴット夫妻の表情に面食いながらも、シェスカは高揚した。


 もし、世界を救えたなら。その後の世界において、きっと自分は一人じゃなくなる。多くの人々の中心に立てる。たくさんの笑い声のなかで、自分も笑顔を絶やさずに生きていける。


 何度も夢に見て、焦がれてきたビジョン。それを実現しえる好機が、巡ってきた。

 運命だと、シェスカは直感的に確信した。


「わかり……ました。勇者様からのお誘いに応じます」


 どうせここでクリフの勧誘を断ったところで、魔女が野放しのままならいずれは自分たちも被害を被ることになる。大きなリスクが伴うとしても、協力を惜しむ理由はない。


「おぉ、そっか。突然ことで戸惑いと恐怖もあるだろうに、君は強いな。俺なんかよりよっぽど勇者じゃないか」


「いえ、滅相もありません……」


「うんうん、そうと決まれば早速出発しよう。発つのは明け方だ。それまでに準備をしてくれ」


「わかり……ました」


 実感はない。覚悟も十分ではないし、いまだに葛藤も後悔もある。


 普段みたいに背中を丸めて地面を眺めて、逃げ出したい気持ちもある。けれど、勇者クリフの言葉が揺れるシェスカの心を支え、持ち上げる。


「ようこそ、シェスカ。君は今日から勇者一行の一員だ。勇者一行の暗殺者として、俺たちは歓迎する」


「勇者一行の……暗殺者」


 反芻して、口の中で転がす。

 自分が、あの伝説の冒険者パーティーの一員になった。しかも、課せられた依頼は最強最悪の魔女を討伐すること。極めて重要な使命の命運を握っている。


 天を仰ぐ。広大で果てしない空はすっかり漆黒の闇に染まってしまっているが、きらきらと明滅する星々が散りばめられていて。暗闇のなかでも懸命に輝く星々の光に、シェスカは目を細めた。

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