VS勇者
雲一つない蒼穹に鳥が羽ばたく。吹く風に梢が靡き、葉が一枚ひらひらと宙を泳ぐ。
やがて舞い落ちた地面には折り重なる死体の山があり、シェスカは死臭が立ち昇る山の前でうずくまっていた。
「はぁ……はぁ……やったんだ」
山を形成する死体のなかには、青ざめた巨漢と鮮血に染まる女騎士、霜が張りついた魔導士が混ざっている。そのどれもが瞳から光を失っていて、シェスカは勝利を確信する。
とはいっても、達成感が込み上げるわけではない。元々は仲間だったのだ。口の中に広がるのは苦味を含んだ徒労感と罪悪感だけ。
「……でも、これで終わりじゃない」
勇者一行は、三人ではない。肝心の勇者そのものの生死が判明していない。
クリフの相手はリリィナを含めた魔女教が務めているが、果たして。元冒険者やキメラなど、いくら勇者でも苦戦を強いられそうな者たちがいるので既に決着がついているかもしれないが、なんにせよ確認しなければならない。
まだ魔力に肉体が順応できておらず、更に多くの死体を魔術で操作するといった荒業をしてしまったせいもあって、疲労が重くのしかかる。うっかりすると、卒倒してしまいそうではあるが、そんなことは許されない。
一刻も早くに急行しようと起き上がるシェスカだったが――前触れもなく、結界の入口である虚空が裂けた。
「なん、で。まだ呪文は唱えていないのに!」
もしかして、リリィナが勇者を打ち倒した報告でもしにきたのだろうか。シェスカの淡い期待は、裂け目から飛び出した剣によって切り伏せられる。
虚空の裂け目から突き出た剣は――紛れもなく、聖剣カリヴァーであった。
「あーあ、思ったより手こずったな。伊達に魔女に仕えているわけじゃないね」
参った参ったと爽やかに笑って、クリフ・アイルノーツは裂け目から登場する。
魔女が創造した結界に放り込まれたというのに、まるで観光旅行から帰ってきたといわんばかりの気楽ぶりに、シェスカは呆気にとられる。
一方のクリフは地面へと降り立つなり、気安くシェスカに笑いかける。
「やぁ、シェスカも生きているようでなにより。他の三人はどうした……って、なるほど」
答えを返すよりもシェスカの背後に積み重ねる死体の山が代弁してくれたようだ。
クリフは目を細めて、顎を引く。
「ひとりで勇者一行の三人を殺すなんて、さすが魔女だ。侮れない」
「あ、あなたこそ……魔女教はどうしたんですか? 三~四十人はいたはずです。みんなは、姉様はどうしたんですか!?」
「ん? 魔女教のみんな? あぁ、これが結果だよ」
詰問するシェスカに、クリフは退屈そうに息を吐いてなにかを放り投げる。
ぼとりと生々しく地面に捨てられたのは――氷細工で作られた、義足だった。
「……そんな」
「いやぁ、手強かったよ。みんな強かった。特に足が魔女の魔術で作られた子はね。カリヴァーに対抗できる足を持った人間なんていないからさ。まぁでも、勇者の敵ではなかったね」
「魔女教をこの数時間で全滅させたっていうの? そんなバカなことが……」
「それを言ったら、君もだよ。この短時間で勇者一行の三人を殺るなんて、偉業もいいとこだ。犠牲は大きいが、お蔭で俺はもっと強くなれそうだ」
互いに仲間を喪い、絶望するシェスカであったがクリフは対照的だった。嬉しそうに顔を綻ばせて、カリヴァーの刃を撫でる。
「なんでこの剣が聖剣とされているか、シェスカは知ってる? 悪を斬って正義をなすと、性能が上がるんだよ。切れ味はどんどん研ぎ澄まされていき、その力は剣の概念をも覆す。たとえば、斬撃を矢のように放つことができるようになるとか……さ!」
ぶぅん、と大気を切ってカリヴァーが振り降ろされる。途端、目には見えない鎌鼬の刃がシェスカの頬を掠め、赤髪を切り落として過ぎ去っていく。
「魔女教という悪の組織を滅ぼし、カリヴァーの進化は格段に遂げられた。あとは、大切な仲間を手に掛けた憎き魔女を殺すことで、こいつは何人をも寄せ付けない兵器となるはずだ」
「そのためなら、仲間の死を悼むことはないんですか? 喜んでしまうんですか?」
「そうだよ。俺と聖剣は、他人の生き血を啜って生きていく。カリヴァーの完成をもって、俺は神となる」
「ふざけないで! 絶対にさせない。あなたが神になるなんてことは! 私が止める!」
激昂し、シェスカは地面を濡らす血だまりを凍らせて、赤黒い剣を形作る。
「へぇ、威勢はいいけど随分と無理をしたみたいだね。剣を作る程度の魔術で限界って感じか。こりゃ、二回目の魔女狩りも簡単に終われそうだ」
荒く肩を上下させるシェスカを嗤い、クリフはカリヴァーを振るう。
再び、不可視の刃が空気を切り裂きながら猛進してくる。とても回避が間に合いそうにもなく、シェスカは血液で作った剣で防御するが、衝撃を緩和することはできず、後方へと弾き飛ばされる。
「がっは……!?」
背中を木の幹に打ち付けられ、肺から酸素が絞り出される。息苦しさに噎せ、咳き込むシェスカだが、クリフが休む暇を与えるわけもない。
次々と鎌鼬は投じられ、シェスカは命からがらの逃避を余儀なくされる。
「魔女とはいっても、結局は成り立ての新人だ。進化したカリヴァーには敵いっこない」
「……ぐ、う。これが正義……なんですか? アルテイシア様の目を奪い、あなたは捨て子から冒険者に成った。単純な実力をつけるだけでは飽きたらず、神に成り代わるためにあなたはルーシーさんの孤独を利用し、オルフェさんの傷を慰め、失意のナナイさんを拾った。仲間と育む絆は偽りで、あなたは皆さんを騙し続けた。それが正義というんですか!?」
「そうだよ。嘘であろうと偽りであろうと、露見しなければそれは真実と変わりない。多くの民衆が認めてくれる以上、どうあれ正義だ」
「そんなものは、私は認めない! 正義は、数が多ければ示されるものじゃありません! すべての人々が幸せになるためになされる行いこそが正義です!」
「だからさぁ、君もいい加減に理解しろよ。そんな綺麗ごとが叶う世界じゃないだろうが」
「わかっていますよ。ですから、一度壊すんですよ。こんな腐りきった仕組み自体を、根っこから!」
「それこそが悪だろうに。どうして、少数派のために世界が壊れなくちゃならないんだよ。そんなもの、弱者のエゴだろうが!」
矢のように飛んでくる鎌鼬の雨をどうにか凌いでいたシェスカだったが、行動を予測したクリフの一撃が、脇腹を捉える。
鮮血が吹き出し、鮮烈な激痛が訪れる。シェスカは慌てて患部を魔術で凍らせるが、その隙にクリフが懐に潜り込み、シェスカの首を掴み上げる。
「いいか、シェスカ。この世界で正義をなしたいなら、強くなれ。手段を問わず、力をつけるんだ。そして、他の者の追随を許さない圧倒的で絶対的な力をもって多数の人間を頬を打ち、煽動しろ。それしか、正義をなす勇者になる方法はない」
「……あ、あはは……まるで暴君の言い草ですね。……クリフさん、あなたは言いましたね。嘘がバレなければ、それは真実と変わりないと。けれど、私は知ってしまったんですよ。なら、見逃せるはずがないでしょう」
「あぁ、それはそうかもね。なら、さっさと死ねよ」
首を絞めるクリフの握力が増す。呼吸が困難になり、意識が薄れる。締まった喉から不明瞭な呻きが漏れ、霞んだ視界に天高く振り上げられるカリヴァーが映り込む。
やがて、闇を打ち砕かんと輝く白銀の剣がシェスカの首を狩ろうと薙ぎ払われるが――その直後に、からんと乾いた金属音が耳をついた。
「なん、だ?」
クリフが困惑したような声を上げると、締め上げられていたシェスカが解放される。突然、新鮮な空気が肺になだれ込んできたことによるショックに激しく喘ぎながら、生理的に込み上げてきた涙を拭ってシェスカが目撃したものは――地面に突き立つカリヴァーと動揺に目を白黒させるクリフだった。
「カリヴァーが……急に重く……なんでだよ。しかも、抜けない!?」
がむしゃらにカリヴァーの柄を握って引き抜こうと奮闘するクリフだが、カリヴァーはびくともしない。
そんな間抜けな光景を目に、シェスカはほくそ笑む。
「……聖剣も愛想をつかしたようですね……。その剣は、正義をなす勇者にしか抜けないものですから……。といっても、」
眼前にあるカリヴァーに、シェスカも触れてみる。しかし、聖剣が応じることはない。凛とした光を湛え、沈黙を貫く聖剣に、シェスカは吐き捨てる。
「私も正義の使者ではないようですが。ねぇ、クリフさん」
勇者たる資格を失い、正気が保てないクリフの頬に手を添える。驚愕と狼狽、興奮によって赤く染まる耳元に唇を寄せ、シェスカは囁く。
「――正義って、なんなんですかね?」
刹那、真っ赤な血の塊が草葉に零れ落ちた。クリフの瞳が大きく見張られて、ゆらぐ瞳孔が自身の腹部へと下ろされる。そこには、腹の肉を刺し貫く氷の刃があって、クリフは多量の血を吐き出して倒れ込む。
「……終わった、のかな……」
血の海に沈むクリフを眺めて、シェスカも仰向けに寝転ぶ。
すっかり魔力は空っぽだ。脇腹の裂傷を塞いでいた氷も溶けてしまい、取り返しのつきようもない血液が溢れてしまっている。
身体の節々が痛くて仕方がない。涙と唾液、鮮やかな血液に汚れるシェスカは、まるで穢れを知らない澄んだ青空を睨む。
「……アルテイシア様。わたし……やりましたよね? よく、やりまたよね? 赤ネコってバカにされていたあの頃から、成長……しましたよね? ですから、褒めてください。頭を撫でて、よしよしって抱き締めて……私の髪を綺麗って、言ってください。いま……私もアルテイシア様のそばに……いきます、から」
きっと、あの人は空の向こう側にいる。
そう信じて伸ばされるシェスカの腕が――力なく地面に落ちた。
そして、物語は冒頭へと巻き戻る。




