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サイレント魔女リティ  作者: ゼットン
五章 静かなる魔女リティ
23/25

絶対に負けない

 森林を汚染する魔障の進行度は、以前に踏み入った際よりも進んでいた。


「先代の魔女からの侵食と同時に、新しい魔女による影響で魔障が増していますね。瘴気も濃いですし、魔物の生息地も拡大していると考えられます」


「油断は禁物ってこったなぁ。ったく、あとは残党をちまちま狩ればいいって思ってたのによぉ。なんだって、魔女なんか復活すんだよ」


「はいはい、お喋りもそこまでよ。魔物を寄せつけたり魔女教に勘づかれたりしたらどうするのよ」


 敵地に侵入し、周囲を警戒しながらも繰り広げられる勇者一行のやり取りは相変わらずだとはいえ、オルフェが口にするように油断をしているわけではない。


 極端に気を張って、緊張をすることは危険であることを熟知しているからだ。いざというときに、身体が強張ってしまっては対処ができない。そのため、仲間との何気ない雑談を通じて精神の安定を図ることはあるのだが、それには絶対的な支柱がいなければ成し遂げられないことでもある。


 それが、一行を先導するクリフだ。


 彼の圧倒的なカリスマ性と戦闘力が、一行の心に安定をもたらしている。まさに勇者の名を体現する在り方にシェスカが畏敬の念を抱いていると、クリフが歩調を合わせてきた。


「にしても、シェスカには助けてもらってばっかりだ。魔女教に関しては専門家を名乗れるレベルだな」


「からかわないでくださいよ。まず私を助けてくれたのはクリフさんじゃないですか」


「きっかけはそうかもしれないけどね。で、どう? 勇者一行の一員とし認められて、生活は変わった?」


「それは、まぁ。分かりやすく、私を見る目は変わりましたしね。私の赤い髪を綺麗だといってくれて、私を神に選ばれた者なんて持て囃す人もいるくらいです。住む部屋は格段に大きくなって、食べる物も上等なものになって、たくさんの召使いさんに身体を磨いてもらって、雲みたいにフカフカなベッドで眠る。贅沢なくらいに満たされた生活が訪れました」


「君はそれが許されるくらいに今まで苦しんできたんだ。ようやく報われたってことだよ」


「そうなのかもしれません。……でも、なんででしょう」


 慎重に刻んでいた歩みを止める。


 視界には魔障に侵された森林の中央で揺れる湖が映る。波が立つことのない凪いだ湖面を茫然と眺めながら、シェスカは怪訝そうなクリフに言う。


「新しく手に入れたモノのすべてが、私の空虚に空いた穴を埋めてくれることはありませんでした。途端に手の平を返すような浅ましい人々の称賛も、見た目ばかりが煌びやかな食べ物も服も待遇も私を満足させてくれません。なぜかわかりますか? そこには、愛がないからですよ。誰もシェスカ・フランシスカという人間を愛してはくれていなんです」


「……どうした、シェスカ?」


「本当の意味で私を愛してくれたのは、あの人だけだって気付きました。あの人がくれる言葉が……慰めが、抱擁がもたらすものが愛だったんです。なので、私もその愛に報いたいと思うようになったんです」


「シェスカ? なにを言って――」


「――いたいのいたいの、とんでゆけ」


 刹那、地面に含まれていた水分が凍り、小さな氷柱となってクリフへと殺到する。


「――ちっ!」


 素早くカリヴァーを引き抜き、猛然と襲い来る氷柱を打ち落とすクリフ。しかし、氷柱に気を取られるあまりに接近する影を察知するのが遅れる。


 黒いローブを纏う人影が、草叢から駆け抜ける。伝説の勇者が生んだ奇跡的な隙を見逃すこともなく、振り上げた足をクリフへと叩き込む。


「が、あぁ!」


 腹を狙う鋭い一撃。勢いよく風を切るそれに、クリフはカリヴァーをかざすことで土壇場での受け身を取る。


 がきぃんと甲高い金属音が鳴り響き、クリフが後方へと吹き飛ばされる。


「――愚妹、いまよ!」


「開け、ゴマ!」


 突如として襲来した黒いローブを着た者の要請に、シェスカは臆さずに応える。


 呪文を唱えて手を差し向けると、フランシスカ湖周辺の虚空に亀裂が走る。その隙間からは緊迫した展開とは裏腹に美しい虹色の帯が漂う夜空が垣間見え、クリフはなす術もなく謎の空間へと吸い込まれる。


「とりあえず、勇者はあたしたちに任せなさい。こいつらはあんたに頼むわ」


「わかりました。姉様たちも……無理はしないでください」


「するに決まってるじゃない。相手は勇者なんだし。……あんたも、無茶するんじゃないわよ」


「しますよ。相手は勇者一行の面々ですし。……けれど」


「えぇ」


「「――絶対に負けない」」


 異口同音に決意を吐露して、黒いローブの少女――リリィナとシェスカは笑い合う。そして、リリィナは入口が開放された結界へと急ぎ、シェスカは残された三人の勇者一行と対峙する。


 計画の第一段階は、存外にあっさりと成功できた。


「シェ、シェスカ? どういう、ことですか? クリフが消えて……え? しかも、いまのって魔術……」


「落ち着けよ、ルーシー。らしくもねぇ。嬢ちゃんが口走ったのは呪文で、それを引き金として魔術が発動した。あの黒いローブ着た奴は紛れもなく魔女教徒で、親し気に話していた。つまり、新しく生まれた魔女の正体ってのはよぉ」


「あなただったのね、シェスカさん」


 頭を抱えて取り乱すルーシーとは対照的に、冷静沈着に状況を精査したオルフェとナナイの敵意を剥き出しにした眼差しが突き刺さる。


 この一瞬で、シェスカを味方から敵と判断し、割り切った。勇者一行を名乗るには十分な思考力に、感嘆してしまう。


「ご明察です。私が、新しい魔女です」


「なんてこと……。あなた、わたしたちを裏切ったの? どうして? 魔女になにかされたっていうの?」


「いいえ、これは私の意志です。私にとって正義だったもの。それを見極めた結論が、これです」


「へぇ、そいつは随分と焼きが回ったもんだなぁ。嬢ちゃんが魔女になって世界を征服するってか? 魔障を広げた先にはお前さんを尊敬する人達もいるし、故郷だって

あるだろうに。いいのかよ、それで」


「……やっぱり、この世界はおかしいです。特に勇者というものが生まれてからは。絶対的な名声を手にした彼を人々は崇拝しています。彼が悪だと煽動すれば、疑うこともないくらいに。狂ってしまったものを戻すには、一度壊すしかないんですよ。でなければ、再生は望めない」


「そうかい。そうとなれば、加減はしねぇぞ」


 オルフェとナナイにとって、問答はそれだけで事足りるようだった。


 クリフの行方が知れず、また敵の本拠地に放り込まれたとあっては早急に救援しなければならない。それを踏まえ、臨戦態勢をとる二人にシェスカは笑う。


「加減はしない、ですか。舐められたものですね。手加減できるような立場でしょうか。貴方たちの目の前にいるのは、以前の私ではありません。――魔女、なんですよ?」


 体内で蠢く魔力の奔流を増幅させる。体温が急激に上昇し、滝のような発汗が流れる。ともすれば、炎で燃やされているのかと錯覚するくらいの熱に蹂躙されるシェスカが、「いたいのいたいの、とんでゆけ」と詠唱する。


 直後のことだった。シェスカの背後にあるフランシスカ湖が巨大な水柱をあげて、飛沫が雨のように降り注ぐ。


 脈絡もない衝撃にオルフェたちがたじろぐが、更なる驚愕が見舞う。フランシスカ湖のなかから、身体中に霜を張りつけた死体がぞろぞろと這い出てきていたのだ。


「なによ、これ」


「ご存知ありませんか? このフランシスカ湖の底には幾つもの死体が沈んでいるんです。その人達は『普通』の人たちとは違う個性や特徴、運命に呪われ、周りの多数の人間に諦められた成れの果て。マリアンヌとフランシスカ姉妹の伝承になぞらえて、この湖に沈めて清めれば、呪いは雪がれるそうです。そんなはず、ないのに」


「……」


「耳障りのいいまやかしをでっち上げて、臭い物に蓋をする。ただそれだけの悪行がまかり通ってしまう。それがこの世界なんです。魔女様はそれを正そうとしていただけなのに、どうして……殺されたうえに燃やされなきゃいけないんですか? 死を喜ばれないといけないんですか? 魔女様の無念を……同じ境遇にあった者たちの嘆きを受け止めてください!」


 シェスカの怨念にまみれた呪詛が、皮切りとなった。


 魔力によって凍った霜で動かれる死体が、群をなしてナナイたちに向かっていく。


「――ナナイ!」


「わかってる!」


 けれど、所詮は意志を持たない死体だ。勇者一行の戦士と騎士にとっては好敵手になるはずもなく、オルフェの剛腕とナナイの剛剣に薙ぎ倒されていく。


「……間近で二人の実力は目の当たりにしているんです。これも計算の内です」


 あくまでも死体たちの役割は時間稼ぎだ。


 湖全体の水を凍らせて、圧倒的な物量を有する武器とすればさしもの勇者一行とて防ぐことは叶わない。三人は氷の刃に串刺され、シェスカはクリフと交戦するリリィナたちのもとに駆けつけることができる。


 シェスカはすぐに湖に指を入れ、魔力を練ろうとするが――ズバチィ! と眼前を過ぎ去っていく稲妻がそれを看過しない。


「……ルーシーさん」


 稲妻が走ってきた方角を辿ると、魔晶を片手に睨んでくるルーシー・メルブラッドがいて。シェスカは湖から手を離して、ルーシーと向き合う。


「シェスカとは仲間であるとともに友達だと、思っていました。歳も同じで、似ているところもあったので。ですが、残念です。そうでは、なくなった」


「……そうですね。私も、ルーシーさんとは争いたくはありません。どうですか? ルーシーさんも魔女教には入りませんか? あそこには、あなたの孤独を……痛みを分かち合う者がたくさんいます。きっと、救われるはずです」


「いいえ、結構です。私はとうに救われているのですよ。クリフに……ナナイとオルフェに。もし、出会う時さえ違えばあるいはあったのかもしれませんが、そうはならなかった。ですから、私はシェスカを討ちます」


「……そうですか。やはり、ルーシーさんは気高いですね」


 見込みはなかったものの、決裂してしまった交渉には落胆せざるをえない。


 つい漏れそうになる溜息を噛み殺して、シェスカは魔力を高める。


「勇者一行の魔導士相手とはいえ、いまの私は魔女です。遅れを取るつもりはありません」


「おや、忘れていませんか? 私はすでにシェスカの呪文を知っているのです。十分に勝機は――」


「はい。なので、布石は打ってますよ」


「……へ?」


 思わせぶりなシェスカの一言にルーシーが虚をつかれた瞬間だった。

 湖の中から、勢いよく飛沫を巻き上げてなにかが飛び出る。藻掻くようにして暴れるのは爛れた死人の腕であり、近くにあったルーシーの足首を捕まえる。


「……ひっ」


 ルーシーが短い悲鳴を上げるが、すでに遅い。凄まじい力で湖の中へと引きずりこまれる。


「いや! いやぁああああああ!」


 絹を裂くような断末魔が森林に響き渡る。


 シェスカはその様を冷ややかに見下ろしながら、


「魔導士であるルーシーさんを警戒しないわけないでしょう。ナナイさんたちと戦わせている多勢の死体はカムフラージュです。湖の中にまだ死体を忍ばせていることを感知させないための」


 吐き捨てるようにそう呟いて、必死に地面に爪を突き立てるルーシーの手を蹴り飛ばす。なんとか陸地に留まっていた支えを失ったルーシーは湖へと姿を消す。


 ほどなくして湖の中から水面に気泡が浮き上がる。ぱちんと子気味よく弾けるとともに、赤黒い液体が湖へと滲んでいく。


「ルーシー!」


 ナナイが叫んで向かおうとするが、進路は死体たちに阻まれる。


 たとえ、ナナイとオルフェが優れた冒険者であろうと単純な物量差を押し返すことは至難の業である。


 突破するだけでも苦戦を強いられる二人を尻目に、シェスカは湖に指先を浸す。そして、口にされる呪文に呼応するように現れたのは、首筋から夥しい血を垂れ流しながらも、全身を蝕む魔術の氷に操られた、ルーシーの死体だった。


「……は? お前さん、なにを……ルーシーに、なにをした!」


「なにを……って、魔術で操作しているだけですよ。他の死体と同じように。ある意味では、死は平等です。物言わぬ骸になってしまえば、そこに個人の差異は生まれません」


「ふざけないで! そんなもの、平等でもなんでもない! 個人ごとの特色が損なわれるなんてこと、生物としての生とはいわない! それぞれに特徴と役割、才覚があるからこそ世界は彩られるのよ!」


「……そうかもしれませんが、それは綺麗な色を与えられた者の詭弁ですよ。汚いと蔑まれ、見向きもされない色を押し付けられた人間のことを考えていないんですよ。アルテイシア様は、そんな人達でも綺麗に輝ける世界を望んだ。生きるものすべてが、オーロラのように光る世界を」


「そんなものはまやかしだ! 現実をみろ! そんな夢物語、叶うはずがない!」


「あははっ、勇者一行の貴方たちがそれを言ってしまいますか。おとぎ話みたいな伝説を打ち立てた貴方たちですら。ですから、この世界は終わっているんですよ」


 ナナイとオルフェの説得を一笑に付して、シェスカは傀儡と化したルーシーを一瞥する。すると、ルーシーは魔晶を握り、宙にかざす。


 照準を、ナナイとオルフェに合わせて。


「ちっ、やるしかねぇのかよ。おい、ナナイ! ルーシーを叩くぞ! 魔術を受けたら、さすがにまずい! ……って、おい、どうしたんだよナナイ?」


「で、きない。ルーシーを……仲間を傷つけるなんて、わたしには」


「なに言ってんだ! あれはルーシーじゃない! ルーシーの死体だ!」


「だとしても……わたしには……」


 恐らく、過去に仲間に裏切られたことが災いしているのだろう。自らの意志で敵対したシェスカとは異なり、無理矢理に操られているルーシーを敵として認識できないナナイは、身体を震わせる。


 普段こそ確固たる自我を持ち、毅然とした態度で振る舞うナナイにしては滅多に拝めない、弱々しく縮こまる情けない姿に、シェスカは笑う。


「オルフェさん、どうやらあの話は本当だったようですね。冒険者は正義感が強い奴が多い、でしたっけ? 効果は絶大ですね」


「き、さま……なんてことを!」


「更に、ナナイさんは昔に仲間から裏切られています。余計に仲間を傷つけることはできないでしょうね。伝説的な勇者一行とはいえ、所詮は人間です。磨かれた技術が武術、鍛えられた肉体があろうとも心の傷がもたらす痛みには抗えない」


「こ、の悪魔が! いますぐに、その首を刎ね飛ばしてやる――!」


「あはっ、威勢は十分ですが……いいんですか? 私にばかり構っていて。まだ、死体たちは動いていますよ?」


「――え?」


 激怒によって頭に血が昇り、集中力を欠いてしまったようだ。オルフェは肉薄する死体の群れに気付かず、二の腕に噛みつかれる。


 岩のように隆々とした筋肉を千切ることは不可能であるはずだが、死体たちの歯は魔術による氷にコーティングされている。


 容赦なく肉は嚙み切られ、オルフェは苦痛に呻く。


「ちくしょう! 離せ!」


 すぐさま腕を振り回すが、歯は深く肉を抉っていて、振り払うことは叶わない。四苦八苦している間に次々と死体は食いついてくる。


「が、ああああぁああ!?」


「オルフェ……ルーシー……」


 絶叫を迸らせるオルフェに、立ち尽くすナナイ。そんなナナイにも、死体は群がっていく。


 肉を食い破り、咀嚼する音が響く。血が溢れ、命が潰えていく様をシェスカはただ静かに見詰めていた。

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