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サイレント魔女リティ  作者: ゼットン
四章 悪辣たるマイノリティ
20/25

シェスカの帰郷

 陽が沈み、空が濃紺へと塗り替わる。星が瞬き、満月が優しい月光を降り注ぐ。眼下にある王都では、式典が終わろうとも賑わいが収まることはなく、祭典といった建前で人々は夜の中でも構うことなく騒ぎ立てていた。


「……シェスカ様。よろしいのですか? 故郷に帰られるのも、明日でよいのでは?」


 酒を呷り、大声で歌う民衆を冷めた目で見詰めていると、遠慮がちに尋ねられる。


 意識を戻すと、眉をハの字に歪めた御者の顔があった。


「……はい、大丈夫です。はやく……故郷のみんなに会いたくて」


「……左様でございますか。まぁ、魔女の懐に潜り込まれていたのですから、ふるさとが恋しくなるのも当然ではありますしね」


 ミシェル村に帰郷する真意は別にあったが、都合よく御者は曲解してくれたようだ。とくべつ手こずることもなく、シェスカは馬車に運ばれて、王都を出立することができた。


 王都からミシェル村までは三日ほど要する。加えて、今回の道中にクリフたちはいない。どうしよもない退屈と孤独感が去来するが、問題はない。


 ひとりなら、馴れている。


「……魔女様」


 アルテイシアから譲り受けた魔晶を天井にかざす。


 幌の隙間から漏れる月光を浴びて、煌々とした輝きを帯びるそれを抱き締めて、シェスカはひたすらに唱えてた。


 いたいのいたいの、とんでゆけ。いたいのいたいの、とんでゆけ。


 柔らかく包み込むアルテイシアの体温を思い出す。鼓膜を揺する涼し気な声音を甦らせる。赤髪を梳き、何度も頭を撫でる感触に身を委ねる。


 瞼を降ろす。荒く乱れていた呼吸が安定し、睡魔が訪れる。


 ――世界が残酷なのは分かってる。でも、どうか……どうか、いまだけは甘い夢を見せて。


 からからと馬が牽引する馬車の車輪が回る音に耳を傾けながら、切に願うシェスカだったが、生憎とそれが叶うことはない。


「……カ様。シェス……様。――シェスカ様!」


 鋭く名前を呼ばれて、肩を揺さぶられる。


 顔を顰めて、目を擦る。すると、険しい表情からほっと破顔する御者が映った。


「なかなか目覚めませんで少し焦りました。着きましたよ、ミシェル村に」


「え、もうですか?」


「もうなにも、三日経っていますからなぁ。よほど、お疲れだったのでしょう。食事も摂っていませんからな、故郷でゆっくりと羽根を伸ばしてくだされ」


 それでは、と会釈をして御者が手綱を引き、去っていく。


 ぽつねんと取り残されたシェスカとしては唖然としてしまうが、背後を確認することでようやく納得する。


「……帰って、きたんだ」


 どうやら、本当に疲弊しきっていたようだ。


 視界にはたくさんの木々と山々に囲まれた閑静な集落が広がっていて、それは紛れもなくミシェル村であった。久しぶりに嗅いだ故郷の空気に、シェスカは緊張する。


 もう、甘くて優しい幻には浸っていられない。戦わなければ、いけないんだ。


 薄く息を吐いて、ミシェル村に踏み入ろうとした――直前に、


「あっ! 赤ネコじゃねぇか!」


 という声が聞こえて、身体が震える。条件反射で背中を丸めて俯こうとしてしまうが、戦う意志を固めたばかりなのだ。負けていられないと鼓舞して、シェスカは愛想笑いを振り撒く。


「ど、どうも。ただいま帰りました」


「おいみんな! 赤ネコだ! 赤ネコが帰ってきたぞ!」


 まだ朝であるために人影はなかったが、少年の呼び声に家々から顔が覗き出す。慌てて少年を注意しようとするが、すっかり興奮してしまっているようだ。大声を上げ続けて村を駆け回り、村人たちがぞろぞろと家から姿をあらわす。


「おぉ、シェスカ! シェスカじゃないか! よー帰ったな!」


「噂でしかなかったけど、マジで魔女を倒したのかよ! すげぇな!」


「お蔭さんで王都の市場にも俺たちの村で獲れた特産品が優先的に並ぶんだってよ! これもシェスカの――いや、シェスカ様のお力あってのことよ!」


「いえ……私は別に。それより、マリアおばさんとカイルおじさんはいますか?」


「あぁ、マリアとカイルなら……」


「――シェスカ!」


 たちまち周囲を囲まれ、脚光を浴びるシェスカだったが、今はそれどころではない。村人たちの顔を順に確認していると、人垣を割いて輪の中心に飛び込んでくる者がいた。


 はぁはぁと息を切らし、張り付く髪を払って露わになったのは――頬を紅潮させて瞳を潤ませるマリア・マーゴットの必死の形相だった。


「あ、あんた……無事なのかい? 怪我は? なんともないのかい?」


「……はい。平気です。なんともありません」


「そうかい……そうかい。よくやったねぇ、本当に。頑張った……よく頑張った」


「あぁ、まったくだ。魔女を狩るなんてこと、長いこと猟師やってる俺でもできやしねぇさ」


 ふくよかなマリアに抱き締められ、背中に手を回そうかと戸惑っていると、今度はカイルがやってくる。いつもは仏頂面ばかりで愛想のないカイルにしては珍しく、朗らかな笑みが浮かんでいた。


「大儀だったな。お疲れ……シェスカ」


「本当に。大変だったねぇ……お帰りなさい」


「おじさん……おばさん。ただいま」


 村を離れていたのはおよそ一か月ぶりだろうか。そこまで長い期間でもなく、村には良い思い出もないために感慨は湧かないと高を括っていたが、腐っても故郷ではあるようだ。


 見慣れた村人たちの顔ぶれに、不器用な調子で頭を撫でるカイルの骨ばった腕の感触、鼻腔をくすぐるマリアの匂いに涙腺が緩みそうになる。


 しかし、ここで泣いては駄目だ。自分は家に帰るために戻ってきたのではないのだから。


「さ、すぐにご飯にしましょう。なにが食べたい? シェスカの好きなもの、なんでも作れるわよ」


「ありがとうございます。でも、その前に話がしたくて」


「? 話なら、食べながらでもできるだろう?」


「いえ、大事な話ですので。……とても、大事な」


 硬く、芯の通った語調になにを感じ取ったのだろう。マーゴット夫妻は困惑しつつ

 も「わかった」と頷き、家路を辿る。


 村人たちもシェスカから醸し出される神妙な雰囲気に怪訝そうな視線を送るが、構うことはない。人垣を割いてマーゴット夫妻の跡について、慣れ親しんだ木造の小さな家屋に入る。


「ささ、お茶と……あなたが無事に帰還したからって聞いたから、クダの実のパイも

 焼いてたの。お茶請けにどうぞ」


「……ありがとう、ございます」


 机の上に並べられる、紅茶とクダの実のパイ。どちらも赤い光沢を放つそれらを見詰めながら、シェスカは口火を切る。


「おじさんとおばさんとしたい話……というのは、私の両親についてです。私を産んだ人達のことを」


「あなたの両親? ……それは、あなたも知っているでしょう? ご両親はあなたを捨てられた。あなたは孤児院にて預けられ、やがて私たちがあなたを買った。私たちから話せることはそれだけ。ご両親については……なにも」


「本当ですか?」


「え?」


「もう、嘘はやめにしませんか? 茶番もたくさんです。腹を割って、すべてを曝け出してください」


 湯気の立つティーカップを持ち上げる。仄かに甘さが沸き立つ茶葉の香りを吸い込み、息を吹きかけて冷ます。ずずっと慎重に啜り、かさつく唇と乾く舌の根を湿らせて、シェスカは告げる。


「――マリアおばさんとカイルおじさんが、私の両親なんでしょう?」


 がたっと音を立てて椅子が倒れた。紅茶が激しく波打ち、飛沫が机に飛び散る。


 慌ててティーカップを支えて顔を上げると、大きく瞠目をして口元を押さえるマリアの姿が映って。シェスカは直感的に悟り、嘆息した。


 あぁ、本当なんだと。


「おかしいと……思っていたんです、ずっと。おじさんたちは生活の糧を得るための人手として、私を買ったはずです。なら、危険な猟に連れ出すのが普通ですよね? けど、私がすることはクダの実を採取することと家事を手伝うことくらいで……食い扶持が増える負担のほうが大きいんじゃないかって」


「シェスカ……あなた、なにを? ど、どこで……」


「……マリア。もういいだろう」


「でも、あなた!」


「そのときが来たんだ。それに、いずれは明かすことだったんだ」


「……じゃあ、やっぱり……」


「そうだ。俺とマリアはお前の義理の保護者ではない。正真正銘、お前の両親なんだよ……シェスカ」


 狼狽するマリアとは対照的に、カイルは冷静だった。


 ただ一点だけに留まり、ぐらつかない黒瞳。その落ち着きぶりが、かえってシェスカの神経を逆撫でる。


「どうして……どうして今まで黙っていたんですか? こんなに近くにいたのに。ずっと、私を騙していたっていうんですか!?」


「……分かるだろう、お前も。原因は」


「……嘘をついていた理由、ですか?」


「そうだ。お前のその髪だ」


 生来の性格ゆえか長いこと取り繕ってきたことへの疲労からか。無遠慮といってもいいほどに、カイルは容赦なく真実を突きつける。


「お前はマリアと俺が望んでできた子だった。二人で大切に育てていこうと誓った。ただ……お前に髪の毛が生え始めたときにすべてが狂った。赤かったんだ、色が」


「私の髪が赤かったから……だから、なんなんです?」


「もう普通には暮らせないと思ったんだ。偏見で見られ、差別される。俺たちは人並みの生活を送れない。それで――」


「私とは義理の親子であるという偽造をした……っていうんですか?」


「……あぁ」


 さすがに、カイルにも後ろめたさはあるようだ。頑なに動くことのなかった目が泳ぎ、額に汗が滲む。


 一方のシェスカも動揺を隠せなかった。赤髪が引き金となり、実の両親に見限られていた事実はとてつもない衝撃を伴って脳味噌を殴りつける。


 マーゴット家のリビングに静寂が張り詰める。時計の秒針が進む音だけが響く不気味な間を嫌ったのか、マリアが身を乗り出した。


「誤解しないでね、シェスカ。私たちはあなたを愛してるの。けど……赤い髪がもたらす災厄はあなたを不幸にさせる。それを防ぐためには仕方なかったの。あなたを孤児にして、私たちが拾ってきた義理の親子として体裁を繕う。あなたへの当たり方も冷たくすれば、世間から執拗に差別されることはない。『子どものいない寂しい夫婦が奴隷として買った子』となれば、嫌がらせもしてこない。私たち家族が暮らしていくには、これしかなかったのよ」


「……仕方ない? これしかなかった? 二人からすれば、家族三人が暮らしているように見えていたかもしれません。でも……私は一人だったんですよ? 怖くて冷たくて……泣いていても慰めてくれる父も母もいない。村の人達からも邪険にされて、私は一人だったんです!」


「……わかっている。本当にすまなかった。俺たちも……お前を抱き締めてやりたかった。けれど、それをしてしまえば村を追い出される。住む場所も見つからずに、野垂死ぬことになる。最悪の事態を免れるためにマリアと俺は我慢して、お前を突き放していたんだ」


「ふざけないで! だから、私に許してほしいって言うつもりなんですか!? 納得して、水に流してほしいって! 私をなんだと思っているんですか!」


「……シェスカの言うことは最もよ。すぐに飲み込むことなんか、出来はしないと思う。私たちを恨むのも無理はないわ。……けどね、私たちは諦めないわ。なにせ、また新しくやり直せるチャンスを神様から恵んでもらったんだもの」


「……は?」


 絶句するシェスカの手を、マリアが包み込む。いつのまにかに作ったのだろう、皮膚に刻まれた小さな傷を愛しそうに擦りながら、


「ねぇ、シェスカ。どうしてあなたのファミリーネームを『フランシスカ』にしたと思う?」


「さぁ? 見当もつかないですけど、マリアンヌの妹であるフランシスカから取ったんですか?」


「当たらずも遠からずね。正確には、フランシスカ湖からあやかったの。義理の親子を偽造するために、私たちは『シェスカ・マーゴット』を不慮の事故で喪ったことにした。名前も失ったあなたにマーゴットを付けることはできない。そこで、私たちは祈ったの。フランシスカ湖に。すべての邪悪を払い、洗い流してくれる伝承のある湖に。いつかこの子と……楽しく暮らせるようにって。そして、紙にシェスカ・フランシスカと書いて孤児院に捨ててきた」


「……」


「あなたに渡したあの懐中時計は私がこの人にあげたプレゼントでね。この人、よく寝坊をしてデートに遅れるから。それで、あなたが生まれた時間に時計を合わせたのよ。新しくシェスカ・フランシスカは生まれ変わるんだって」


「髪の色もまるで違うから、誰もが俺たちが本当の親子なんて思わなかった。俺とマ

 リアは厳しくてすげない引き取り手を演じることになったが、それでも差別は起きた。お前は赤ネコとバカにされるようになって、赤髪を呪うようになった。お前が笑うこともなかった。赤はとても綺麗で美しいものなのに。それを知ってほしくて、お前にクダの実を拾ってくるようにお願いするようになった」


「……」


「危険な猟なんかを手伝わせるわけにはいかないわ。あなたは女の子だしね。泣いてばかりでひとりぼっちで……見てるこっちも辛かった。毎日毎日、神に祈って……ようやく起きたのよ、奇跡が」


 高揚をしているのか、マリアの頬が紅潮する。握られる手の力が強くなり、シェスカが表情を歪めるが構うことはない。爛々と瞳をぎらつかせて、熱く滾った吐息を漏らす。


「勇者様が来てくださったのよ」


「――っ」


「魔女狩りに討伐するための協力をあなたに求めた。村人たちの見る目は文字通り、変わった。いいえ、それだけじゃない。見事に魔女狩りを果たしたあなたを、国中……世界中が認めた。称賛し、忌まわしき赤髪を美しいと讃えるまでに至った。つまり……私たちが偽の家族を演じる必要はないのよ!」


「……そんな」


「この日をどれだけ待ち侘びたことか! やっと、あなたを抱き締められる。傍にいてあげられる。涙を拭いて、子守唄を歌ってあげられるの!」


 いたいのいたいの、とんでゆけって。


 そう唱えて、火照ったマリアの指がシェスカの顔の輪郭をなぞろうとするが――冷たい戦慄が背筋を駆けあがり、シェスカは飛び退く。


 大袈裟ななくらいに椅子が派手に横たわり、ティーカップが倒れる。赤い液体が机に広がり、雫が床にシミを作る。


 ぴちゃぴちゃと何かが這いよるような音を拒絶するように耳を塞ぎ、シェスカはかぶりを振る。


「なにを……いってるの? なれるわけない。本当の家族なんかに」


「シェスカ、そう簡単に受け止められないのは承知している。焦らずに、時間をかけていけばいいだろう」


「無理だよ! 私の傷は、空虚で無為な時間なんかで埋められるほどに浅くなんかないの! 私の傷を癒せるのは本物の愛だけなの」


「……シェスカ。私たちは愛しているの、あなたを」


「嘘だよ、嘘ばっかり。だって、愛せていたらこんな回りくどいことしなかったでしょう? 私はね、美味しいご飯も暖かい家もお金も安定した生活もいらなかったの。この赤い髪を含めて、私を愛してくれる人が欲しかったの。それさえあれば、どこかの道端で野垂れ死んだってよかった。それでも、一緒に死んでくれるような……そんな人が……愛がほしかった」


「シェスカ……」


「心のどこかで、信じてた。祈ってた。お父さんとお母さんは事故かなにかで死んでしまって、決して私を捨ててなんかいないって。この赤い髪を……嫌ってなんかいないって。でも……私のことを一番に差別しているのは、おじさんたちじゃない!」


「ち、違う。俺たちは……」


「だったら、どうして最初から偽造工作なんてしたの!? 家族として暮らしたうえで差別にあったなら、まだ理解できる。でも、私の髪を見るなりあなたたちは諦めたんでしょう!? それって、私の髪を最初に目にしたときに思ったからでしょう? 醜いって」


 酸素が薄くなる。呼吸が浅くなって、視界が霞む。心臓が暴れて、胸を突き破ってしまいそうだ。


 痛いと、苦痛に呻く。死にたいと願って、背中を曲げる。地面を眺めて、力なく伏してしまうそうになる。


 その直前のことだ。ふわりと白い純白のドレスが舞った。雲のように漂う白銀の髪が肌をくすぐり、細い指がシェスカの髪を梳く。


『いたいのいたいの、とんでゆけ』


 鈴の音の如く涼やかでいて、穏やかな声音が耳元で囁やかれる。たったそれだけのことで、やり場もなく疼く痛みが和らいでいく。


「……あの人だけなんだ。私のことを愛してくれるのは。色眼鏡じゃなくて、本心から私の髪を綺麗で美しいって言ってくれるのは」


「シェスカ? いったいどうしたの? ひとまず、座りましょう?」


「というか、今日はもうやめよう。長旅だったんだ。一度眠って、改めて話をしよう」


「私のいる場所はここじゃない。私の家族はここにはいない。――私を愛してくれる人は、この人達じゃない!」


「「シェスカ!?」」

 

 叫び、扉を蹴破る。

 

 背後から掛けられるマーゴット夫妻の制止も無視をして、シェスカはひたすらに走る。本来、帰るべきだった目的地を目指して。


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