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サイレント魔女リティ  作者: ゼットン
一章 世界のリアリティ
2/8

運命と出会う

 赤ネコ、というのが少女の通称だった。

 由来は単純にして明快。腰元まで流れるロングヘアーは真っ赤に染まり、一際目立つそれを引き摺って歩く少女の背中が猫背に曲がっているからだ。


「おい見ろよ、赤ネコだぜ。相変わらず真っ赤な髪してやがる。恥ずかしくてオレなら外なんか出れねーぜ」


「ふふ、しかもいつも一人でいるところも猫っぽいわよね。話す友達もいなくて可哀想に」


 ただ外出をするだけで、村の人間から後ろ指をさされる始末。微かに聞こえる忍び笑いと囁き声、肌身に感じる不躾な視線の数々が余計に少女の背中を丸くさせる。

 とぼとぼとうつむき加減に歩きながら、少女は嘆息する。


「私は赤ネコなんかじゃないのに……」


 確かに髪は赤いが、種族としてはネコではなく人間だ。更にいえば、呼び名だって違う。自分には、シェスカ・フランシスカという立派な名前もあるのだ。


 そう声を大にして訴えたいところではあるが、それが出来る勇気があれば苦労はしない。

 シェスカは今日も今日とて、唇を引き結んだまま森林へと進んでいく。


 真昼の陽射しを一身に浴びることで、連なる木々の葉が新緑に輝く。爽やかにそよぐ微風によって穏やかな葉擦れの音が響き、歌うように小鳥が囀る。

 耳障りな雑音が一切ない、穏やかな時が流れる空間。他人の視線や嘲笑に怯えることもなく、堂々と歩けるこの場所はシェスカにとっての楽園だった。


「クダの実が落ちているのは……あのへんだよね」


 とはいえ、ゆっくりと羽根を伸ばせるわけじゃない。両親のいないシェスカを引き取るマーゴット夫妻から、木の実の採取と薪拾いを頼まれているのだから。

 マーゴット夫妻は厳しい。猟師を生業とする夫のカイルは無口で無骨な男であり、家事と家畜の世話に追われるマリアは生真面目で逞しい。身寄りのないシェスカを引き取ったのだって、人手を増やすために売値が一番安い孤児を探していたためだ。当然、シェスカには自由などない。


「……それもこれも、全部この髪のせい」


 クダの実を籠に集めながら、シェスカは前髪を睨む。

 ちょうど、自分が搔き集めているクダの実をすり潰して染料としたような赤に色づく髪は生まれ持ったものだ。黒髪や茶髪などの落ち着いた色合いや派手といっても金髪くらいが精々のこの世界では、真っ赤な髪は文字通りに異彩を放った。

 

 ゆえに、シェスカは奇異の目で見られた。悪魔に呪われているのではないか、魔女が親なのではないかとあらぬ疑いまでかけられ、本人の性格は日に日に屈折していった。他人と関わろうとはせず、極力外出もしない。地面に目を落として歩くことが癖になってしまい、猫背となってしまったことから付けられたあだ名が赤ネコ。自分の人生がこんなことになってしまったのもすべてこの赤髪のせいだと、シェスカは歯嚙みする。


 いっそ、ぜんぶを切ってしまおうか。無論、そう思って実践してみたが、シェスカの毛根は無駄に生命力が高いらしい。ものの一週間と経たずに髪は伸びてしまい、結局シェスカは赤髪と生活をともにすることを強いられている。


「……お母さんとお父さんは、髪……赤いのかな」


 物心ついたときには、シェスカの傍に両親はいなかった。孤児院を営むシスターによれば、揺り籠に入ったまま教会の前に捨てられていたそうだが。それが事実だとすれば、両親も赤い髪をもって生まれた娘に驚き、拒絶してしまったのかもしれない。

 天涯孤独。シェスカはいつだって、ひとりぼっちだった。


「……あっ、あれって……ニジリスだよね?」


 ひたむきにクダの実を採取していると、茂みの奥で縮こまる小動物に気がつく。

 クダの実を抱えてぶるると身を震わせるそれはニジリスと呼ばれるリスであり、陽の光に照らされた毛並みが名称の通りに虹色の光沢を放っている。


 これは外敵に自分が生き物ではないことをアピールし、身を守るための手段とされている特性であるのだが、生憎と人間には通用しない。その珍しい毛皮は高値で売買され、高級な服飾品の素材として使用されてしまうのだ。

 まさか、そんなニジリスがこんな片田舎の森林に生息しているとは。驚きと同時に、もの珍しい毛を持っているという共通点もあり、シェスカは籠を置いてニジリスに近寄る。

 しかし、外敵の多い草食動物には高い察知能力が備わっている。当然シェスカの接近を許すはずもなく、一目散に逃げ出してしまう。


「あ、待って!」


 別に獲って食べようとしているわけじゃない。綺麗な服を作るために皮を剥ごうとしているわけじゃない。ただ、手に取って抱き締めたいのだ。


「私をひとりにしないで!」


 叫び、シェスカがニジリスの行方を追う。

 幸い、相手は派手な毛色をしている。木漏れ日によってちらちらと明滅する光を目印にすればいいだけなのだが――その光は突然消えることになる。

 シェスカの視界の端から大きな影が入り込み、駆け抜けていく。直後、「ぎえぁ」という断末魔がして、慌てて足を止める。


 全長にして十メートルには及ぶだろうか。とてつもない巨躯を支える四本の脚は強靭な筋肉を纏い、先には鋭利に研がれた爪が生えている。重油を垂らしたようなどす黒い毛並みに浮かぶまだら模様と、獰猛に輝く金色の双眸。長く尖る牙の間にはシェスカが追いかけていたニジリスが咥えられ――そして、容赦なく嚙み砕れた。


「あ……あぁ!?」


 真っ赤な鮮血が滴り落ちる。見目麗しい虹色の毛が赤黒く汚れ、無残な肉塊と化したそれを丸吞みする獣は――フェンリル。ひとたび動くものが視界に入れば、相手がなんであろうと補食しようとする飢えた猛獣。

 日光に弱いという特性上、森林の奥深くにさえ立ち入らなければ遭遇することはないが、安易にニジリスを深追いしたことが災いしてしまったようだ。


「あ……あの、私は食べても美味しくないですよ」

 動くものに襲い掛かる習性がある以上、急いで逃げても意味はない。瞬時に距離を詰められ、ニジリスと同じ顛末を辿るだけだ。

 そのため、シェスカはその場で留まることしかできない。息を殺し、早鐘を打つ心臓を押さえつけながら見過ごしてもらうしか。


 フェンリルと見つめ合う。ぐるると唸り、ふーふーという荒い鼻息がシェスカに降りかかる。獣臭さが漂う生暖かい息吹への嫌悪感に身の毛がよだつが、動いてはならない。強く瞼を閉ざしてフェンリルが立ち去ることを祈るばかりだが、シェスカの願いは聞き届けられることはない。


 仄暗い森の奥でも悪目立ちするシェスカの赤髪に、フェンリルが興味を惹かれたのだ。


「――っ」


 フェンリルが鼻先を髪に近づける。舌を出し、髪を舐める。それから徐々に舌が上のほうへと這っていき、フェンリルの舌がシェスカの頬に到達する。

 不快極まりない唾液が頬に付着する。それでも必死に沈黙を決め込むシェスカだったが――幾つもの肉の味を知っているフェンリルにとっては、舌で頬を舐め回すだけで生ける獲物であることを悟ったらしい。


「ガァァァァァァ!」


「うわぁぁぁぁぁあ!?」


 口が大きく開き、咆哮が迸る。反射的にシェスカも悲鳴を上げてしまい、なす術もなくシェスカの頭がフェンリルに噛みつかれようとするときだった。


 銀色の閃光が、森林奥地の闇を切り裂いた。


「キャウン!?」


 途端、フェンリルのらしからぬ声が響く。

 ぎゅっと目を瞑り、最期を迎えようと身構えていたシェスカとしては拍子抜けであり、状況を把握しようと開いた視界に映ったのは、十字架だった。

 よく見るとそれは外套に縫い付けられた意匠で、はためく外套を着る人物には、見覚えがあった。


「……勇者、様?」

 風に靡く金色の髪、陶器を連想させる白磁の肌。神経質そうな印象を与える怜悧な碧眼は真っ直ぐにフェンリルを定めて、揺るがない。

 なによりも、鍛え上げられた腕の先に握られる一振りの剣こそが勇者たる一番の証だった。


「カリヴァー……」


 子どもに読み聞かされるおとぎ話に登場する、魔を滅する勇者が手にする剣の銘。多くの艱難辛苦の果て、魔を切り伏せてきたその剣は十字架の形にも似ているという伝承はこの世界の住人なら誰もが知る逸話だ。

 それこそ、シェスカの目の前に立つ青年が羽織る外套の意匠のように。


「グルァア!」


 たとえ、顔面を切りつけられようともフェンリルが尻尾を巻いて逃げることはない。牙をむき、果敢に青年へと爪を振るう。


「――しッ!」


 青年が鋭い気合いを放つ。

 手に握る剣が空気を裂き、薙ぎ払われる。すると、フェンリルの太い前脚が切り飛ばされ、地面へと転がった。


「ウガァァああああ!?」

 

 夥しい量の血液が噴出して、フェンリルが崩れ落ちる。もはやそこに獰猛な猛獣の姿はなく、無様にのたうち回るフェンリルに青年が剣を突き立てる。

 まるで一連の騒動が嘘だったかのように、穏やかな静寂が訪れる。あまりにも実感のないシェスカとしては茫然とするしかないが、青年は小さく嘆息をして剣を納める。


「大丈夫ですか? 怪我とかありませんか?」


 振り返ったその顔には先刻までの張り詰めた冷酷さはなく、ともすれば若干頼りなさを覚えるほどにあどけなさが残っており、色んな意味でシェスカは呆気にとられてしまう。


「あ、えっとすみません。少し用事があってミシェル村に向かっていたんですけど。道中に嫌な予感がしたので来てみたんですけど……よかった、間に合って」


「す、すみません。私のほうこそ助けていただいて……。あの、勘違いだったら申し訳ないんですけど……あなたは、勇者様ですよね?」


「え? ……あー」


 青年としては正体を看破されたことは誤算だったらしい。動揺に目を泳がせてから、苦笑する。


「バレちゃうか、やっぱり。一応、勇者とは呼ばれてます。恥ずかしいから、名前で呼んでほしいんですけどね。クリフ・アイルノーツといいます」


「クリフ……さん。クリフさんはどんな用件でこんな辺境の片田舎に?」


「ちょっと人探しで。大事な頼み事があってパーティーのメンバーと来たんだけど……」

 シェスカの質問に答えていた勇者――クリフの声が尻すぼみに小さくなっていく。いったいどうしたのかと小首を傾げるシェスカだったが、そんなシェスカの髪を不意にクリフが梳いた。


「えぇ!?」


 いきなり髪を触られたこともそうだが、クリフの端正な顔立ちが近づくことに驚いたシェスカが後ずさる。

 慌てて手櫛で前髪を整え、猫背を丸めて俯こうとするシェスカだが、その前にクリフがシェスカの肩を掴んで無理無理に顔を上げさせる。

 交錯する二人の視線。エメラルドを嵌め込んだような碧眼に見詰められてドギマギするシェスカに、クリフは言った。


「君が、シェスカ・フランシスカ?」

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