唱えてはいけない呪文
刺すような痛みが、絶え間なく全身を苛んでいた。
それは、履き慣れないヒールに痛んだ踵からではない。ヒールで走り回ったがために転んでしまい、膝を擦りむいてしまったからではない。人混みに押し出され、鼻を打ってしまったからではない。
ズキズキと際限なく痛むのは、胸の内だった。
「いたい……っ! いたい、いたいいたい――いたい!」
何度も叫び、シェスカは疾走する。
すでにヒールは脱ぎ捨てている。踵からは血が滲み、土踏まずには砂礫が突き刺さっている。足が地面を蹴るたびに耐え難い苦痛が襲いくるが、シェスカが休むことはない。
一心不乱に走り続け、やがて辿り着いた王宮の扉を押し開く。
「し、シェスカ様!?」
王宮で働く使用人たちが驚愕するが、取り合うことはない。大理石の床を血で汚しながら向かった先は自室であり、ドレッサーの引き出しを乱暴に引く。
中にあるのは、上等な化粧品でも宝石が連なるアクセサリーでもない。そんなものよりも遥かに美しく煌めく結晶――魔晶であった。
「魔女様……。ごめんなさい、ごめんなさい。私は取り返しのつかない過ちを犯してしまいました。もうどうにもできはしません。だから、せめて……魔女様が私に施してくださった願いを、私は見届けないといけません。私は痛みから、逃げる資格はないんです」
その魔晶は、アルテイシアが生み出してシェスカに託そうとしていた代物であり、アルテイシアの腹部に刺さったそれをシェスカは密かに持ち出していたのだ。
シェスカの出生の謎を解き明かす鍵。傷を舐めあい、寄り添ってくれるはずのアルテイシアを喪ってしまったことで、過去を知る覚悟が鈍ってしまっていた。
しかし、退路は断たれた。どんなに痛みが激しかったとしても、シェスカは正面からぶつかることしか許されない。
「いたいのいたいの、とんでゆけ」
握り締めて、詠唱する。
途端、魔晶が青白く発光する。視界が眩み、脳の神経が焼き切れるような感覚がして――膨大な映像が流れ込む。
懐中時計を片手に広場で佇む女性。ほどなくして男性が現れ、二人は手をつないで市井に消えていく。とても楽しそうに笑い合い、時間をともにして。いつの間にか、二人は結ばれて子どもを授かっていた。溢れんばかりの幸福を噛み締めながら、二人は名前について考える。
あぁでもないこうでもないと言い合いながら、ようやく決めた二人は出生の届けに名前を記す。
『シェスカ・マーゴット』と。




