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サイレント魔女リティ  作者: ゼットン
三章 生命のプライオリティ
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いたいのいたいの、とんでゆけ


はぁはぁと息が弾む。口の中が乾いて、肋骨が軋む。視界が涙で眩んで、頬が妙な熱を持ってしまうが、シェスカはなりふり構わず全身に鞭を打つ。


「どこに……魔女様はどこに!」


 クリフより先にアルテイシアを見つけなければ、即刻殺されてしまう。そんな焦燥を原動力に森林を駆け回っていると、ふとシェスカは寒気を覚えた。


 森林の奥に突き進むことで、陽射しが遮られてしまったからではない。それは真冬すら想起させるほどに冷たく、鳥肌が立ってしまうが、シェスカはこの寒さを――温度を知っている。


「結界の中と同じ!?」


 雪が積もり、伝説上の産物とされるオーロラが架かる静謐の世界。アルテイシアが創り出したそれが外界でも感じられることに驚愕し、シェスカは寒気が濃くなる方角へと急ぐ。


 そして、シェスカは目撃する。木々がやや開けた空間で、身体中を霜に覆われて苦悶するアルテイシアを。


「魔女様!」


 ルーシーからの不意打ちにより、アルテイシアは致命傷を負ってしまった。以前に勇者一行から聞かされた説明では体内に眠る魔晶を暴走させ、魔障を誘発させることで魔女を狩る手筈だと言っていた。


 つまり、アルテイシアは魔障に侵されている。


「魔女様! 私は――」


 生い茂る草木を掻き分けて駆けつけようとするシェスカ。しかし、その進路を断つような光が空から舞い降りる。


「随分と苦しそうだな魔女。いいや、アルテイシア」


 吹き荒れる突風と立ち込める土煙。突然の衝撃にたじろぐシェスカとは裏腹に、楽し気な笑い声とともに現れたのはクリフ・アイルノーツだった。


「……勇、者」


「おいおい、こっちは名前で呼んでるんだ。そっちだって応えてくれてもいいだろ。昔みたいに、クリフってさ」


「え? 昔みたいにって……」


 まるで旧知の仲でもあるような口振りが、疑念を生む。


 しかし、質の悪いジョークではないようだ。アルテイシアは唇を噛み締め、氷の義眼を歪めてクリフを睨みつける。


「……まさか、貴方が勇者とはね。本当に、世も末」

「それはこっちの台詞だ。まさか、君が生きて魔女になっていたとはね。てっきり、死んだとばかり思ってたよ。俺が君の瞳をくり抜いたときには」


「――え?」


 金槌で側頭部を殴られたのかと錯覚した。視界に稲妻が走って、血脈に電流が流れる。舌先が麻痺して、呼吸が浅くなる。


 『俺が君の瞳をくり抜いた』と、クリフははっきりと明言した。同時に、シェスカの脳裏にはアルテイシアが語ったエピソードが掠めていた。


 特別な色の瞳を持って生まれてしまったがゆえに故郷から逃亡し、転がり込んだスラム街で知り合った仲間に裏切られ、瞳を失ってしまったのだとアルテイシアは言った。つまり、その裏切った仲間というのが――クリフということになる。


「……どうにもわたくしは神の悪戯というやつに惑わされているようね。空腹のなかで無我夢中に取ったものが魔晶だったの」


「へぇ、それはそれは。俺は君の瞳を売り捌いて、高い対価を得た。あのゴミ溜めから抜け出して、ようやく人並み生活を手に入れた。雨風を凌げて、温かいご飯を食べられて、風呂に入れる。そんな生活を手放したくないと思った俺は必死に働いたよ。大金はたいてこさえた装備で依頼をこなしてさ。いつしか俺は一目置かれることになって……思ったんだ。より絶対的な存在になれば、俺は生まれ変われるって。陽の差さない薄暗い場所に縋りついていた頃とは違う。多くの人から称賛され、華美に飾られた玉座で神様のようにふんぞり返れるってね」


 とても勇者のものとは思えない陰惨かつ苦難に満ちた過去だが、クリフの顔から柔和な笑み緒が消えることはない。もはや別人の遍歴でも語ってみせているように淡々と紡ぎ、天を仰ぐ。


「この世界に神はいない。けれど、人は神を捜す。そして、見出す。安心をして、救われようとするために。その証拠が、いまの俺だ。わざわざ、一人で篭もりきっている哀れな芋女を魔導士に導いたのも、娘を喪ってすっかり腑抜けた冴えないオッサンを勧誘したのも、裏切りにあってズタズタにされた死に損ないを拾ったのも、そのためだ。ただ強いだけじゃない。弱者を救い上げる器量を誇示することで、確固たるカリスマを手にする」


 現に、とクリフはカリヴァーを掲げる。


「人々は俺を勇者と呼んだ。選ばれし者しか抜けない聖剣も俺の物になった。俺がなすことは伝説として語り継がれ、右に行けと言えば群衆は右へ、左に行けと言えば左に流れるほどになった。これが正義だよ」


「そんなものは……正義なんかじゃ……」


「いいや、正義だ。多くの者がそれを正しいとさえ認めてしまえば、それは正義となる。皮肉なことだが、仕方ないんだよ。この世に神はいないんだから」


 掲げていたカリヴァーの剣先がアルテイシアに向けられる。霜が張り付き、凍傷によって赤く腫れ上がるアルテイシアの顔を剣で持ち上げ、クリフは嘆息する。


「だが、君の犠牲をもって神は生まれる。今日、ここで魔女である君を殺すことで俺の名声は世界全土に轟くだろう。同時に、髪が赤いことを理由に差別されていた田舎娘を英雄に祀り上げれば、人々から注がれる称賛は計り知れない。それこそ、髪色が特別なことが正義の象徴として認識すら変わるかもしれない。アルテイシア、君のやり方じゃ少数である弱者は救われない。神といっても過言ではない俺の影響力でもない限りな」


「……本当に、悪魔みたいな人。……けど」


 全身を苛む魔障による霜が、更に拡がっていく。瑞々しい白磁の肌は赤く爛れ、煌めきを放っていた白銀の髪が縮れる。桃色の唇は青紫に染まり、鈴の音のような声色はヤスリで削られたかのように嗄れてしまう。


 命の輝きが、忍び寄る死によって剥がされていく。そんな状況であっても、アルテイシアは――微笑んだ。


「わたくしの犠牲であの子が……あの子たちが救われるのなら、それもまた正義なのかもしれないわね」


「かもしれないな。神に見放され、呪われた生涯にあった君の唯一の救いだ」


「……そうよ。だから、わたくしは唱えていたの。いたいのいたいの、とんでゆけ……って。祈りを……捧げて」


「そうか。じゃあ、神の化身である俺がその祈りを聞き届けてやる」


「――待って!」


 衝撃的な因縁と告白。我を忘れて茫然自失となっていたシェスカだったが、訪れた不穏な空気を敏感に察知して、クリフへと迫る。


 しかし、相手は歴戦錬磨の勇者だ。シェスカの邪魔が入るより先にカリヴァーが素早く薙ぎ払われる。


「――ぁ」


 アルテイシアの細い首に一筋の線が引かれる。やがて、線から真っ赤な鮮血が滲み――凄まじい勢いとともに血飛沫が溢れ出した。


「……魔女狩り、完了」


 カリヴァーに付着した血糊を払い落とし、鞘に納める。外套を翻し、戻ろうとしたところでようやくシェスカの存在に気付いたようだ。虚をつかれたように瞠目をするが、すぐに普段と同じ優し気な笑みを向けてくる。


「よくやった。それも、シェスカのおかげだ」 


「……違い、ます。私は……わたし、は」


「帰ったら勝利の凱旋だ。もう君を魔女の子だなんて揶揄する奴はいない。おめでとう」


「……そんな……」


 足元がおぼつかない。肌が粟立って、全身が凍りつく。これまでの生涯において、最も深い絶望に暮れるシェスカの肩が、クリフによって叩かれる。


「これこそが、正義だ」


 あまりにも気安く、軽いそれはなによりも重くのしかかり、へたり込む。鬱陶しいことこの上ない過呼吸に喘ぎながら、アルテイシアのもとへと這っていく。


「魔女様……魔女様! 起きてください! 死なないでください! その氷で創られた綺麗な瞳を開けてください!」


 必死に訴えかけるが、アルテイシアが応じることはない。真っ白な霜に覆いつくされ、真っ赤な鮮血に濡れる死相はおぞましいくらいに無残で。それでも、認めたくないシェスカが亡骸を揺すろうとした瞬間に、熱いとさえ錯覚させるほどの絶対零度が掌を焼いた。


「あんなに暖かった魔女様が……冷たい。……ごめんなさい、魔女様。私は過ちを犯してしまった。取り返しのつかないことを、してしまった。何度でも謝るから、また私を抱きしめて。そして、『いたいのいたいの、とんでゆけ』って頭を撫でて……。お願いですから……ねぇ!」


 火傷の痛みなんて、どうでもよかった。アルテイシアを閉じ込める霜が目障りで、シェスカは自分の体温で溶かそうとアルテイシアを抱き締める。


 硬く、氷そのものになってしまったようなアルテイシアの亡骸。シェスカは滂沱の涙を流しながら何度も何度も祈った。

 いたいのいたいの、とんでゆけ――と。

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