ナナイ・ローデンブルグへの報告
「以上が、報告になります」
翌朝。相も変わらずに夜闇が広がる空の下で、シェスカは定時の報告をしていた。
『……ふむ』
今回の通信相手はナナイ・ローデンブルク。勇者一行では騎士を務める才媛だが、その勇ましさとは裏腹に面倒見のよさをみせる優しさもあり、シェスカも真っ先に懐いた相手であるが、いまは酷い緊張に見舞われていた。
『では、魔女の寝室に行って、シェスカさんは魔女の身の上話を聞かされた。魔女にも陰惨な過去があり、絶対的な悪とは決めつけられない、と』
「は、はい。魔女が魔女になった経緯にも、同情する余地があると思います。彼女も被害者で……本来は守られべき人だったんです。ですから、その……手を取り合うことだって出来ると思うんです」
震える舌を必死に回して訴えかけるシェスカ。その内容は単なる事実の報告ではない。完全なるシェスカ個人としての説得だった。
『……』
通信用の魔晶片からの返答はない。永遠にも等しい沈黙が続き、生唾を飲み下すシェスカに寄越された言葉は一言だった。
『それは不可能ね』
一切の妥協もない。文字通りに取り付く島もないような容赦のない拒絶に、シェスカは背筋を凍らせる。
わかっていたことだ。こんな提案が簡単に通るはずもない。それでも、ナナイなら理解してくれることを信じて、シェスカは言い募る。
「ま、待ってください。確かに魔女が世界を侵略しているのは間違いありません。それは食い止めなければなりません。でも、なにも魔女狩りなんてしなくても……」
『いいえ、魔女は狩る必要があるわ』
「ど、どうしてですか?」
『いい? シェスカさん。魔女にも事情があるのかもしれない。悲劇があったかもしれない。けれど、現に彼女は世界を壊すことを宣言してしまっている。わたしたちが住む世界が脅かされる以上は彼女にどんな大儀があろうとも悪でしかないの』
「そ、そんな。それじゃあ、一方的じゃないですか。私たちから見ただけの側面でしか判断していることになりませんか?」
『それのなにが問題あるの?』
そこに、優しさも温もりもない。冷酷無比なまでにシェスカを一蹴して、ナナイは微かに溜息をこぼす。
『シェスカさんは物事の善悪を分けたがるけれど、どちらか一方に区分されるものはないの。それぞれが善と悪を有する。それを踏まえたうえで、人は自分の立場と使命からどちらかを選択する。わたしたちが守るべきなのは魔女じゃない。わたしたちの世界なの』
「そ、それはそうかもしれませんが……」
『大体、魔女の話が本当かどうかもわからない。そうやって同情を誘う嘘をついて、教徒を引き込む話術かもしれないのよ?』
「そ、それはありませんよ」
『どうして言い切れるの? 相手は「魔女」なのに』
「――っ」
付け入ることすら許さないナナイの正論に反駁する材料はシェスカにはない。なまじ、魔女の出自が自分自身に重なる部分があり、感情が引っ張られてしまっていることを痛感するシェスカに、ナナイがとどめを刺す。
『シェスカさん。あなたはどっちの味方なの?』
「……私は……」
もちろん、勇者一行の味方です――と告げるはずの口がなぜか閉じてしまう。
昨夜のアルテイシアとの逢瀬から、気持ちの制御がつかない。頭ではどうにか割り切ろうとしているのだが、胸の奥でわだかまる激情の奔流が肉体を巡り、思考を麻痺させてしまう。
そんなシェスカを見かねたのか。ナナイは、『これは逸話でも御伽噺でもない、取るに足らない昔話なんだけど』と前置きを挟み、
『その昔、わたしは治癒師を務めていたの。騎士じゃなくてね』
「……え? そうなんですか?」
『女の割に体格も大きくて力もあったけれど、致命的に勇気がなかったの。弱虫だったのよ、昔のわたしは。とても冒険者なんて目指す気もなかったけど、故郷の幼馴染たちがわたしを誘ってくれたの。俺たちがいるから大丈夫だって。勇気づけられたわたしは、後衛の治癒術師なって、冒険についていって……裏切られた』
「……ナナイさん」
『冒険という言葉の魔力に騙されたことを猛獣と遭遇した瞬間に悟ったのよね。腰を抜かしたわたしを置き去りにして、みんな逃げていった。……わたしは爪と牙でズタズタにされて、どうにか治癒術で生き永らえて。餌食にされようとするところで、クリフたちに救われた。そこからはまぁ……成り行きで一行に入らされたけど、治癒術師にはならなかった。最前線に出れば、死ぬのはわたしが一番先。裏切られることはないでしょう?』
「……」
『さて、この話を踏まえてシェスカさんに尋ねるわ』
ナナイが咳払いをする。猶予を与えるような間を一拍空けてから、シェスカに問い掛ける。
『わたしたちを裏切るの?』と。
「そ、れは」
ずきりと胸が痛む。罪悪感が込み上げて、欠落していた理性が戻る。
境遇が似通っているだけにアルテイシアは自分を理解してくれる。傷を舐めあい、痛みを打ち消してくれる。しかし、それ以前にシェスカを暗がりから引きずり出してくれたのは、クリフたちだ。
彼らは自分たちの華々しい来歴を誇示することもなく、シェスカを迎えた。同時に、伝説として崇められる彼らにも壮絶な過去があり、その痛みを乗り越えたうえで勇気を奮い、世界を救ってきたことも知っている。
だから、多くの人々は魅了されるのだと、シェスカは感銘を受けてもいたのだ。
「……私は、クリフさんたちの味方です」
ナナイが指摘するように、血迷っていたのかもしれない。
幼い頃から童話で言い伝えられていた魔女の悪名とアルテイシアの在り方が違っただけに、気が動転してしまったのは確かだ。アルテイシアが魔女として誕生したのも望んだことではなく、悲劇の末に起こってしまった救いのない惨劇であることに情が湧いてしまったのも。
とはいえ、シェスカが力になろうと誓ったのは魔女ではない。自分を救い、そして世界をも救おうと躍起になっている勇者たちだ。
『……よかった』
ほどなくして、魔晶片から安堵に満ちたナナイの嘆息が届いた。
『仲間を斬ることにならなくて。わたしたちを信じてくれて、ありがとう』
「いえ……そんなことは。私もすみません……惑わされしまって」
『いいえ、無理もないわ。相手は魔女なのだし、油断しないことを肝に銘じましょう』
「そうですね……。気をつけます」
『じゃあ、シェスカさん。今後の方針を決めていきましょうか。ひとまず魔女との交流は得られたようなので、呪文も探りやすく――』
「……ナナイさん」
息を吸う。
感情を乱されてしまい、あらぬことか魔女教に傾倒してしまった。勇者一行への信頼を回復するためにもと、シェスカは報告の際にあえて省いていた情報を伝える。
「実は、魔女を結界の外におびき寄せる算段がついたんです。あと、呪文についても」
『え、それは本当? こんな短期間のうちにそこまで進めたというわけ?』
「はい。確証を持ってます」
シェスカ自身も外部に晒したことのない心の恥部をぶちまけたからだろうか。アルテイシアは完全にシェスカを同胞とみなし、隙をみせた。
その隙を突くのなら、早いほうがいい。また魔女に絆され、苦悩してしまう前に。
「外に連れ出すのはいつでも容易です。事前に場所を教えるので準備をしてください」
『わかったわ。それで、肝心の呪文は?』
「……はい。これに関してもほぼ確実だと思います」
振り返ってみれば、魔女は呪文を隠すことはしなかった。明け透けすぎて、かえって意識の範疇から外れてしまっていたが、昨夜の件を通じて確信した。
彼女はそれを呪文とは言わずに、祈りだとしていたが。
「魔女の呪文は――」




