blind & rage
朝、ブラインドを開けると日が差す。それは怒りだ。何に怒るのか、太陽にでも暑さにでもない。ただやってきた朝日というモノに怒るのだ。もっと寝ていたい?ならご自由に寝ればいい。別に明日が来るのが嫌という刹那主義的な思想でもない。この怒りはもっと根幹的な人間の人格の中枢を成すものだ。そもそも怒りというのは何だ?。嫌悪か、自己防衛なんてものを思い描くだろうが違う。怒りというのはただ単純に大きな感情のエネルギーの発露である。最も野生的で原始的なコミュニケーション。それが怒りだ。だが愚かにも人間はそれを愛憎や癇癪と一緒にしているのだ。言葉が通じなくても動物が怒っていることを貴方は感じ取れるだろう。犬なら牙をむき獅子なら咆哮するなんてものは必要ない目を見ればただその動物が怒っていることがわかるだろう。怒りというのは地上を生きる動物共通のコミュニケーションなのだ。勿論、友好的なものではないが。しかし友好な物でなくても正か負、つまりプラスかマイナスの観点で対象を読み取れるというだけで大きな進歩だ。では怒りの原点とは何だろうか考えずともというか考えていては絶対にたどり着けない答えだ。自分たちは一体何に対して最も感情が揺れ動くか、他の動物か?自分の豪華な食事にか?そもそも地上を生きる生物にとって島や大陸があるのは当たり前であるしそこに他の動物がいようがそれも当たり前の一つだ、食事に苦労せず代り映えしない動物もいる。感情が変化するというのは対象が変化しなくてはならないのだ。地上を生きるほぼ全ての動物が目にし絶えず変化するもの、そう、もうお分かりいただけただろう。太陽だ。全ての生物は太陽に対して怒りを抱いているはずだ。何故鳥が日の出とともに鳴くのか?怒っているからだろう。鳥とは怒っている時に鳴く生き物だ。だが決して不快感や嫌悪感から来るものではない。太陽に対する感謝や敬いといった感覚であろう。朝目が覚めて陽の光を浴びた時、我々も最も原始的で純粋な感情に浸れるのだ。それこそが怒りである。だから決してはき違えてはいけないのが我々人間が他人に怒っている時、つまり強い感情を抱いている時というのは何よりも相手とのコミュニケーションを求めている時なのだ。その求め方は原始的ではあるが、