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死者は語らない

作者: 藍田ひびき

 カツン、カツンとヒールの音を鳴り響かせながら、ガラスケースの立ち並ぶ間を歩く。


 ケースに入れられた()()からの視線が、私を注視しているようだ。

 彼らとは、骸である。それも、人間の。


 彼らは生前の姿そのままの肉を纏っており、しかも見る人を喜ばせるかのように美しく飾り立てられている。煌びやかなドレスを纏った女性や、礼服姿の男性。幼子の骸もある。


 ここはカラゴル博物館。

 

 とある偏執狂な趣味を持つ貴族が集めたという、数々の遺体が収蔵された博物館だ。

 人間の骸を見せ物にする趣向を道義的に受け入れ難いという者は多い。だが一方で、これらの品を好んで見たがる数寄者がいるのも事実だ。おかげで、来館者はそこそこ多いと聞く。


 私は通路を塞ぐように置かれた、ひときわ大きなガラスケースの前で足を止めた。


 そこに飾られているのは一人の騎士。甲冑を纏って馬を模した木の台に座り、右の手に持つ剣を振り上げる様はとても勇ましい。皮がなくむき出しになった眼窩と口は、笑っているようでもありまた嘆いているようにも見えた。

 ケースに掲げられた札にはこう書かれている。

 


 【亡国の騎士】

 滅亡する祖国と共に逝った、無名の騎士。



 訪れた者は彼を「騎士」と呼ぶ。誰も、彼の名を知らないからだ。

 だけど私だけは知っている。

 だって私、彼の婚約者だったんですもの。



***

 

 今日も私は、あの人が()()と親しげに話す姿を見つめる。

 端から見れば友人同士の親しい語らいだろう。だけどその瞳に浮かんだ色や優し気な微笑みは、彼女を愛していると告げている。

 このまま眺めていても惨めになるだけだ。私は涙を堪えてその場を後にした。


 あの人――私の婚約者、リオネル王太子殿下。


 さらさらの金髪に海の如く深い青の瞳。均整のとれた顔立ちは物語に出てくる王子様のように美しい。しかも見た目だけではなく、成績優秀でありながら研鑽を惜しまず、剣術は騎士団長に絶賛されるほどの腕前。さらに正義感に溢れ、爵位問わず公平に接する姿に、彼が次期国王であるならばこのフォートリア王国も安泰だと言われるほどに人望がある方。


 私がリオネル様に初めてお会いしたのは、10歳の頃だ。当時我がヴァロワ侯爵家は王妃様の実家であるブルデュー侯爵家と並ぶ権勢を持ち、二大侯爵家と呼ばれていた。王子の婚約者候補に私の名が挙がるのは、当然の成り行きであろう。


「は、初めまして、リオネル殿下。クラリス・ヴァロワでございます」

「そんなに緊張しなくていいよ、クラリス嬢。よろしくね」


 リオネル様は、カチンコチンになっている私を優しくエスコートして、王宮の庭を案内して下さった。

 麗しい容姿と幼いながらもその完璧な貴公子振りに、私はすっかり夢中になってしまった。無事に婚約者と定められた日は嬉しくて眠れなかったほどだ。

 

「俺は、レオンス公のような英雄になりたいんだ」

「レオンス公――獅子王様ですね」

「そうだ。彼の子孫として、この国を守り抜く義務が俺にはある」

 

 フォートリア王国を建国した初代国王、レオンス・フォートリア。彼は公明正大な統治により、民衆から広く慕われた。また有事の際は自ら剣を持って外敵を蹴散らしたという。その勇猛さから『獅子王』とも呼ばれている。

 リオネル様はレオンス公にとても憧れているらしく、きらきらと目を輝かせながら祖の英雄について語った。その嬉しそうな姿を見たくて、私は何度も獅子王の逸話を聞きたいとねだったものだ。


 その言葉通り、リオネル様は剣術に並々ならぬ関心をお持ちだった。勉学の合間を縫って鍛錬を行い、華奢だったお身体はみるみるうちに逞しい体躯となった。

 

 貴族学院の剣技大会で、並みいる騎士科の生徒たちを抑えて優勝なさったこともある。


「この勝利を、我が婚約者へ」

 

 そう言ってひざまづき、私の手へ口付けをするリオネル様。あれほど幸せだったことはない。それは女生徒たちから羨望の眼差しを受けたからでも、まして優勝を捧げられたからでもない。

 彼の瞳が、真っ直ぐに私だけを見ていたから。それが何より嬉しくて、一生この方を傍でお支えしようと思った。

 

 だけど学院生活が二年目になった辺りから、少しずつリオネル様との間に距離を感じるようになった。

 周囲は私たちを仲睦まじい婚約者同士と思っていたようだ。実際、彼の紳士的な態度は変わらない。月一の顔合わせを兼ねたお茶会には欠かさず参加されるし、誕生日には丁寧な手紙と共に贈り物が届く。だけど、どこか儀礼的なものに感じるのだ。

 

 両親に相談しても、「男にはそういう時期があるものだ。お前はいずれ彼の妻となるのだから、ゆったり構えていなさい」と軽く流されるだけだった。

 

 彼との隙間を埋めることができないまま、月日が過ぎ。

 私たちの運命を変える女性、エヴリーヌ・シャリエ子爵令嬢が転入してきたのだ。

 

 以前は自領に近い地方都市の学院に通っていが、彼女は成績優秀なため王都の学院へ来ることになったらしい。

 その噂に間違いはなく、期末試験では首席の私と数点違いの次席。さらにそれを奢ることなく、控えめながらも朗らかで優しい性格の彼女は、すぐにクラスの人気者となった。

 

 その優秀さと人望が評判になり、エヴリーヌ様は生徒会へ入ることになった。ちなみに生徒会長はリオネル様だ。

 ちなみに私も生徒会入りを希望したが、王太子妃教育を優先するようにと却下された。


 それからしばらく経った頃だ。リオネル様とエヴリーヌ様が、親し気に語らう姿を度々見かけるようになったのは。

 不埒な事をしているわけではない。二人きりではなく、リオネル様側近が横にいる。だけど二人の交わす視線に含まれる、密やかな感情。他人には分からないだろう。だけど私には、ずっと彼を見つめてきた私にだけはそれが分かる。

 

「リオネル様。その……エヴリーヌ・シャリエ子爵令嬢とは親しいのですか?」

 

 いつものお茶会で、私は恐る恐る聞いてみた。


「ああ。彼女はとても機知に富んだ女性だ。話していて楽しい」

「差し出がましいようですが、あまり特定の女性と親しくなるのは如何なものかと」

「俺に指図する気か?」


 がちゃんと音を立ててカップを置くリオネル様。そのお顔には、今までに見たことのない険しい表情が浮かんでいる。


「彼女は生徒会の仲間であり、大切な友人だ。別にやましい関係ではない。それに、我々が学院へ通う理由は何だ?教養を高めたいのであれば、城へ講師を招けば済むことだ。それでもわざわざ学院へ通うのは、見聞と人脈を広げるためではないか。優れた人材と交流を深めることに、何の問題があるか言ってみろ」

「ありません……」

「ならばこの話は終わりだ。クラリス、君は次期王妃として、もっと広い視野を持つべきだと俺は思う」



 リオネル様とエヴリーヌ様がますます親しくなっていく一方で、私との距離は広がるばかり。塞ぎ込むようになってしまった私へ追い打ちをかけるように。私がエヴリーヌ様へ嫌がらせをしているという噂が、学院中に広まっていた。


「そのようなこと、私はやっておりません」


 生徒会室に呼び出された私は、リオネル様から詰問された。彼の側近たちもこちらを睨みながら立っており、まるで尋問されている犯罪者のような扱いだ。

 教科書を破っただの、教室から締め出しただの。そのような幼稚な行為をした覚えはないと、私は否定した。

 

「だが、君と親しいベレニス・クローズ伯爵令嬢やジャスミン・ルシエ伯爵令嬢が嫌がらせを行っていたという証言が、複数の生徒から挙げられている。君が指示したのではないのか?」

「いいえ。身に覚えはございません。彼女たちは、私が落ち込んでいる様を見て自ら動いて下さったのでしょう。やり方はよろしくなかったと思いますが」

「……その言葉は信じよう。だが君は侯爵令嬢として、また次期王妃として、彼女たちの行動を把握し、目に余るようなら諫めるべきだったのではないか?王妃とは貴族女性のリーダー的存在だ。友人くらい、統率できなくてどうする」

「はい。申し訳ございませんでした」

 

 私は口を噛んで下を向く。リオネル様の仰ることは、いつだって正しい。


 では、貴方が彼女へ愛しげな瞳を向けるのは正しいことなのか。婚約者の気持ちを思いやらないことは?私はただ、その愛を向けて欲しかっただけなのに。

 心の中でそう叫ぶ。

 

 リオネル様に叱られた友人たちは大人しくなり、後は噂が鎮まるのを待つばかりと思っていたのも束の間。

 ベレニスがエヴリーヌ様に怪我をさせるという事件が発生した。

 

 どうやら友人たちは「子爵令嬢ごときが、王太子殿下に擦り寄って自分たちを讒言で陥れた」と腹を立てたらしい。ベレニスとジャスミンがエヴリーヌ様に暴言を吐き、エヴリーヌ様の仲間と口論になったらしい。そしてヒートアップしたベレニスが手を振り上げ、エヴリーヌ様を叩いた。

 ちょうど段差のある場所だったのも災いし、姿勢を崩して転んだエヴリーヌ様が怪我を負ってしまったのだ。


 ベレニスは退学となり、その他の友人たちも処罰を受けた。私は退学にはならなかったものの、一連の出来事の責任を問われリオネル様との婚約を解消された。


「何の罪もない令嬢に集団で嫌がらせを行い、あまつさえ暴力を振るうなど。王太子の婚約者にあるまじき振る舞いだ」とリオネル様が国王陛下へ進言したそうだ。


 その後すぐにエヴリーヌ様はブルデュー侯爵家の養女となり、リオネル様との婚約が決まった。

 ブルデュー侯爵は、王太子妃の座を我がヴァロワ家から奪う機会を虎視眈々と狙っていたのである。父がひどく悔しがったのは、言うまでもない。

 

 下位貴族出身のエヴリーヌ様に王妃が務まるのかという声もあった。二人は学生の身ながら公務に顔を出し、精力的に活動。その様子に、反対意見は徐々に収束していった。それを忸怩たる思いを抱えて眺める私をよそに。


 ――そして、あの運命の日。

 学院では令嬢たちを集めてお茶会が開かれていた。礼儀作法の授業の一環であり、私も参加していた。


「ぐふっ……!」

「エヴリーヌ様!どうなさいました!?」


 食後のお茶を飲んだエヴリーヌ様が、突然嘔吐したのだ。

 その場は騒然となり、お茶会は中止となった。

 

 幸い命までは失わなかったが、彼女は数日寝込んだ。その後捜査を行った王宮騎士により、彼女のお茶には毒が盛られていたと告げられた。

 そして、それは私のやったことだとも。


 嵌められた……!


 そう気づいたときにはもう、遅かった。私はエヴリーヌ様の殺害未遂の罪で捕らえられた。

 

「何かの間違いです。私はやっていません!」

「ヴァロワ邸から、茶に入っていたものと同じ毒が見つかった。ここまで証拠があるのに言い逃れするのか?見苦しい」


 無実を訴えても、誰も信じてくれない。

 

 養女とはいえ侯爵家の令嬢、かつ王太子の婚約者を害そうとしたのだ。当然のことながら、リオネル様とブルデュー侯爵は私を含むヴァロワ一族の処刑を望んだ。

 だが父が爵位と領地を全て王家へ返上したこと、また今までの父の功績に免じ、両親と弟は王家の監視の元、幽閉。私は鞭打ちの上、国外追放となった。


「俺たちにはこれ以上、どうすることもできない。これから辛いだろうが……どうか悲観せずに生き抜いてくれ」


 両親は泣きながらそう励ましたが、私の心は絶望に支配されていた。

 今まで貴族の令嬢として生きてきた私が、突然放り出されたところで生きて行けるわけもない。これは事実上の死刑だ。

 

 そうして痛む背中を抱えながら、私は国境へと護送された。



「そらっ!どこへでも行ってしまえ!」


 護送を担当した兵士は私を乱暴に放り出し、引き返していく。彼らの姿を見送りながら呆然と座る私。周囲は森だ。

 このままでは、獣に食べられてしまうかもしれない。その前に、いっそ自ら死のうか。

 

 そう決意してのろのろと立ち上がった私の前へ、立ちはだかった者がいた。かなり長身の男。騎士らしき鎧を纏っている。


「遅くなりまして申し訳ございません、クラリス様。お迎えに上がりました」

 

 年齢は、父より少し年下だろうか。私へと手を伸ばして微笑むその顔は、見る側を安心させる温かみがある。


「あの、貴方は……?それに、迎えとは」

「これは失礼しました。私はランベール王国の騎士でシルヴァン・モーリアと申します。貴方を保護するようにとヴァロワ閣下から承りました」


 シルヴァンは、若い頃フォートリアの王宮へ騎士として勤めていたそうだ。だが騎士仲間の乱闘に巻き込まれ、解雇されてしまった。

 彼は乱闘を止めようとしたのだが、連座で処分されたらしい。

 父は「君のように有能な騎士が、在野に下るのは勿体ない」と、シルヴァンがランベール国の辺境騎士団へ入れるように手配した。


 その恩義を忘れていなかった彼は、父の依頼に応じて私を救いに来たのだと語った。


 彼は私を自宅へ連れ帰り、丁重に扱った。

 鞭打たれた傷が膿んで高熱を出した私は死の淵を彷徨ったが、シルヴァンが手配した医師と手厚い看護のおかげで何とか生還した。


「クラリス様。これから一生、俺に貴方を守らせて頂けませんか」

 

 シルヴァンが私へ求婚したのは、病から回復してしばらくのことだった。


「私は罪人です。シルヴァン様のようなご立派な騎士には、もっと相応しい女性が」

「俺はヴァロワ閣下への恩義を返したいのです。それに、このままクラリス様を放っておくことなど出来ません。俺の妻となれば貴方はこの国で身分が保証されます。このような年の離れた男は嫌と仰るのであれば、白い結婚でも構わない」

「分かりました。ご配慮感謝致します、シルヴァン様」


 結婚したものの、シルヴァンと私の関係は夫婦というより親子のようだった。

 妻となってからも、私に対する丁重な扱いは変わらない。周囲はそれを「若い妻を溺愛する夫」と微笑ましく見ていたようだ。


「いやあ、奥様にはぜひ一度お会いしてみたかったんです。ずっと独り身を貫いていた副団長が、若い奥様を貰ったと聞いたときは驚いたもんですよ。こんなお美しい女性なら、納得です!」

「シルヴァン副団長、どこでこんな美女を捕まえたんです?」

「お前ら、いい加減にしろ!」

 

 シルヴァンはその能力を認められ、今では辺境騎士団の副団長となっている。父の見る目に狂いは無かったらしい。

 部下に慕われる夫の元には、頻繁に騎士たちが訪れる。

 そんな風に、騒がしくも楽しい毎日が過ぎて行った。


 

 一方で、フォートリア国では。

 リオネル様とエヴリーヌ様は結婚し、男の子を授かった。次代の世継ぎの誕生に国中が沸き立つ。


 だがそれは、ブルデュー侯爵の専横を促した。いずれリオネル様が国王に即位されれば、産まれた王子は王太子になる。つまりブルデュー侯爵は国王の叔父であり、王太子の外祖父になるのだ。

 それをよく理解している貴族たちは、こぞってブルデュー侯爵へ尻尾を振った。それをいいことに、侯爵は思うがままに国政を動かし始めたのだ。一族の者を次々と要職に付ける一方で、我がヴァロワ侯爵家寄りだった貴族たちを冷遇。ヴァロワ派の貴族は王家とブルデュー侯爵家への恨みを募らせ、ある者は領地に引きこもり、ある者は爵位を返上して他国へ渡った。


 貴族たちの不穏な動きは民にも伝搬する。そして政情が不安定となった隙を付くように、レースェンガ帝国が攻め寄せた。

 表向きは、国境付近で起きた小競り合いが原因の宣戦布告。

 だが帝国の狙いが、フォートリアの潤沢な水源と肥沃な穀倉地帯であることは明らかだった。

 

 暫くはフォートリア騎士団とリオネル様の活躍で何とか戦線は保たれていたらしい。

 リオネル様は自ら剣を持ち、時には前線に出て騎士たちを奮い立たせた。その勇ましい姿を、民衆たちは獅子王の再来と賞賛した。


 本来ならば、王太子が前線へ出るなど有り得ない。

 彼はそうせざるを得なかったのだ。

 私との婚約を一方的に解消したことがこの事態を招いたのだと、貴族たちから反発を受けていたから。

 王家の、そして自分への求心力を取り戻すべく、疲労でボロボロになりながらも戦場へ立ち続けるしかなかったのだ。


 だがその努力も、レースェンガ帝国の強大な軍事力には敵わなかった。

 ついにフォートリア軍は総崩れとなり、帝国軍は王都へ進行。王族とブルデュー侯爵一族は捕らえられ、処刑された。前線に出ていたために免れ、行方不明となっているリオネル王太子を除いて。


 その後フォートリア一帯は、レースェンガ帝国の領土となった。帝国の元第五皇子であるダルキア公爵が領主に収まり、今はダルキア公国と呼ばれている。

 

 なお戦乱のどさくさに紛れ、両親と弟は幽閉先から脱出していた。密かに連絡を取っていた元ヴァロワ派の貴族が手引きしたらしい。

 そして早い段階でレースェンガへの臣従を示したことが功を奏し、ダルキア大公から伯爵位と領地を与えられた。今は大公の下で、荒れた国内の立て直しに奔走している。



 薄暗い廊下を、先導している騎士について私は歩いていた。廊下の行き止まりにある扉を騎士が開き「どうぞ」と誘う。


 部屋の中にはシルヴァンと、その腹心の騎士二人。そして彼らに囲まれるように置かれた椅子へ、縛り付けられた男性。


「お前……まさか、クラリス!?生きていたのか……」


 それは行方知れずとなっていたフォートリア王家の最後の一人、リオネル殿下だった。

 髭はぼうぼうで髪も延び放題。貴公子然としていた姿は影も形もないけれど、私が彼を見間違うはずがない。


 生き残りの王子がランベール国へ逃げ込んだという情報が帝国よりもたらされ、シルヴァン率いる辺境騎士たちは彼を追っていた。

 同盟関係にある帝国からの依頼で、見つけ次第帝国へ護送しろと命じられていたようだ。


「シルヴァン。しばらく、彼と二人きりにして頂けないでしょうか」

「副団長。危険では?」

「仮にも元婚約者同士だ。聞かれたくない話もあるだろう。俺たちは外で待っている。縛られてるとはいえ暴れるかもしれないから、何かあったら大声を出すんだよ」


 部下を伴って出ていくシルヴァン様を見送った後、私はリオネル様へと近づく。

 

「生死不明と聞いておりましたから……ご無事な姿を拝見できて嬉しゅうございます」

「何がご無事なものか。みな死んでしまった。国も滅んだ。死に物狂いで戦地から逃れたのに、結局こうして捕まってしまった……。こんな無様な姿を、わざわざ笑いに来たのか?」

 

 自嘲気味に笑うリオネル様。

 私の知っている、英雄に憧れた凛々しく勇ましい王子はどこにもいなかった。


「いいえ、笑ったりなど致しません。私は貴方様を心底案じていたのです」

「一方的に婚約を解消して、お前を追放した男をか?」

「私、今でも貴方様をお慕いしておりますから」


 そう。私は今でも彼を愛している。

 シルヴァンはそれを承知の上で、形だけの妻にと申し出てくれたのだ。

 

「お前は本当に変わらないな、クラリス。お前の、その執心が……俺は、心底嫌だったんだ」


 そう言い放ったリオネル様の顔は、ひどく歪んでいた。

 

「幼い頃からそうだった。知っているぞ。俺の周りの女たちを、次々と排除していたんだろう?メイドのマリアンヌも、ダンス講師のブランシュも、同級生のクロエも!」

「あら……」


 憎々しげに睨み付ける彼に、私は微笑みながら答える。

 

「だって。婚約者に纏わりつく不埒な女など、追い払うのが当然でしょう?」

 

 リオネル様に色目を使ったメイド。

 年増の癖に、リオネル様へ手取り足取りダンスを教え、その顔を赤らめさせたダンス講師。

 同じクラスだからと、慣れ慣れしくリオネル様へ纏わりついた女生徒。

 

 全て、私が父に頼んで追い払った。

 

 許せなかったのですもの。

 リオネル様が、私以外の女を愛しげに見つめ、あまつさえその御手を触れるなんて。

 彼の瞳に移る女は、私一人でなければならないのよ。


 父としても、自分の娘以外に王太子の寵愛を受けそうな女性など、目障りでしかない。私の求めに応じて力を貸してくれた。

 親子ほど年の離れた男の後妻へ嫁がせたり、あらぬ噂を立てて社交界に出られなくしたり。実家ごと潰した事もある。


 だけど、エヴリーヌ様だけは別。

 彼女は細心の注意を払い、密やかにリオネル様へ近づいたのだ。私が気付いたころには、既にリオネル様の心は彼女の虜となっていた。


 私は友人たちに相談した。彼女たちが()()()()()()()目障りな女に嫌がらせをすることを期待して。

 だが、エヴリーヌ様の方が一枚上手だった。

 

 彼女は自らが他者に好かれやすい事を理解していた。信奉者を常に周囲へ配置し、自分の身を守らせたのだ。嫌がらせがなかなか上手くいかないことに業を煮やした私の取り巻きたちは、どんどんその行為をエスカレートさせていった。

 まさか彼女たちが、あんな大勢の人間の前でエヴリーヌ様へ怪我をさせるほど、愚かだとは……。あれは全くもって失敗だった。

 そんな私を、エヴリーヌ様は内心さぞ嘲笑っていただろう。


 そして彼女はリオネル様に甘い王妃殿下を利用し、ブルデュー侯爵家との養子縁組を纏めてしまった。

 下位の貴族令嬢のままであれば、今までのように()()できたかもしれない。だが侯爵家の令嬢となった彼女へ、迂闊に手を出すことは出来なかった。

 

 それでも私は殿下への恋心を諦められない。そこへ、エヴリーヌ様の毒殺未遂事件が発生したのだ。


 確かに、私はあの女の毒殺を計画していた。とはいえ、あのように目撃者の多い場で毒を盛るほど愚かではない。

 彼女は自ら、死には至らない程度の毒を飲んだのだ。私を陥れるために。

 

 毒を入手しようと動いていたのもまずかった。その行動をブルデュー侯爵の密偵に掴まれており、濡れ衣だという私の声は認めて貰えなかったのだ。

 

 ある意味、エヴリーヌ様は王妃に相応しい人だったのかもしれない。

 求心力と演技力、そして知謀。悔しいけれど、それは私には無い。


 ああ、あの方が亡くなってしまったのは本当に口惜しいわ。

 生きていたなら顔を焼いて、地獄の苦しみを与えてあげたのに。


 

「どうせ貴族どもが離反したのも、お前の差し金だろう」

「誤解ですわ。いくらなんでも、私にそのような力はございません」


 それは私ではなく、父の策だ。

 幽閉となっても、父は監視の目を掻い潜って派閥の貴族たちに指示を出していた。

 貴族たち、そして民衆に王家への不信感を植え付けるようにと。さらにはレースェンガ帝国と内通し、フォートリア国の機密情報を流した。

 フォートリアが政情不安となった絶妙のタイミングで帝国が攻め込んできたのは、父のもたらした情報のおかげと言えるだろう。

 その恩賞として、父は自領の安堵と伯爵位を勝ち取ったのである。



 私は、部屋の隅に置かれた机へ目をやった。そこに置いてあるのは剣や銅貨の入った袋、そして薬瓶。

 リオネル様が捕らえられた時に持っていた物だ。


「……それで、俺をどうする気だ。お前を愛すれば生かしてやるとでもいうのか?無駄なことだ。人の感情に、強要など出来ない」

「随分強気ですわね。私にひれ伏して命乞いをすることもしない、かといって潔く自決することも出来ない。どうなさるおつもりなのか、こちらが聞きたいくらいですわ」

「俺を愚弄するのか!?いざとなれば、華々しく散ってやるさ」

「では、何故これをお飲みにならなかったのです?」


 私は薬瓶を手にしていた。

 これが薬ではなく、毒であることを私は知っている。

 

 王族が敵に捕らわれた場合、どうなるか。政治的な駒としてその身を利用されるか、あるいは辱めを受けるかもしれない。そうなる前に自ら命を断てるよう、必ず自決用の毒瓶を身に付けているのだ。


「分かっておりますよ。貴方は英雄と呼ばれることを、諦められないのでしょう」

「……っ!」


 今まで何度でも、これを飲む機会はあったはずだ。

 結局のところ、リオネル様は死ぬつもりなどないのだ。祖国の為に戦い、民から『獅子王の再来』と呼ばれた日々が忘れられず、それに縋っている。


 中身が空っぽな正義を振りかざすくせに、本当は……矮小で卑怯で身勝手な、ただの男。

 

「自ら死ぬことも、祖国のために最後まで戦う事もなさらない貴方は、レオンス公のような英雄には決してなれないわ。ちょっと腕が立つだけの、ただの騎士よ」

「う、うるさいうるさい!俺はフォートリアの王子。獅子王の子孫だ。英雄となるべき男だったんだ!それを、お前の……お前たち親子のせいで……!」

「安心なさって。私が貴方を、英雄にして差し上げます。永く語り継がれる騎士として」

「何を……?やっ、やめろ!」


 毒を飲ませようとする私に、リオネル様は必死で抵抗する。

 私は彼の鼻を摘まんだ。息ができず開けられた口へ、瓶から毒を流し込む。


 飲み込むまいとするリオネル様を抑え込み、無理矢理口を閉じさせる。

 そうして彼が毒を飲み込む様を、私はずっと眺めていた。

 


 あれから十年。シルヴァンは任務中に負った怪我が元で亡くなった。

 

 夫が残してくれた資産を使って、私はランベールの王都アスガッドに小さな家を購入した。今は数人の使用人と共に、ひっそりと暮らしている。

 訪ねてくる人はほとんどいない。たまに、夫を慕っていた騎士たちが顔を見せに来るくらいだ。

 

 両親はダルキア公国となった故郷へ戻るよう勧めたが、私はここが気に入っている。

 

 ここは良い場所だ。整然とした街並みと縦横無尽に張り巡らされた水路は、眼を楽しませる。日々町並みを眺めながら散歩をしたり、本を読んだり。そんな隠居生活に向いている。

 そして何より――ここはカラゴル博物館に近いのだ。



 リオネル様の死を見届けた後、私はシルヴァンを呼んだ。

 『彼は敵に情けを掛けられることを拒んだ。自決すると仰ったので、私が毒を飲ませた』と涙ながらに説明する私の肩を、夫は優しく撫でた。

 

「彼はここで死ぬ運命だったんだ。クラリスがどんなに助けたかったとしても、神の定めには逆らえないんだよ」

 

 せめて彼を安らかに眠れる場所へ埋葬したいと懇願し、私はリオネル様の遺体をもらい受けた。レースェンガ帝国へは、背格好の似た罪人の遺体をリオネル王子だと偽って届けたそうだ。


 リオネル様の遺体は腐らないよう、魔法を使える騎士に頼んで氷漬けにした。本当はこのまま手元に置いておきたかったが、氷は長く持たないだろうし、私は魔法を使えない。

 

 だからカラゴル伯爵を頼った。

 

 以前から噂は聞いていた。特殊な効果を施した腐らない死体を飾り立てて展示している博物館がある。そして、そのオーナーがカラゴル伯爵であると。

 

 カラゴル伯爵は突然の連絡にも快く応じた。そして遺体の状況を確認し、展示物として申し分ないと引き取ってくれたのだ。

 遺体の名と来歴を聞かれた私は、こう答えた。


「名前は存じませんの。最後までフォートリア王国を守るために闘った騎士とだけ、聞いておりますわ」


 

 そうして、リオネル様は名無しの騎士としてカラゴル博物館へ飾られることとなった。

 鎧を纏った勇壮なその姿は人気があるらしく、多くの来館者が見物に訪れているらしい。

 だけど誰一人、この遺体がリオネル様であることも、またかつて英雄と呼ばれていたことも知らない。私以外は。

 

 私は毎日、ガラスケース越しに彼へと語り掛ける。

 

 愛しい貴方。ようやく私のものになったわね。

 私の……私だけの、英雄に。

 

 



連載版「【短編集】死者は語らない~カラゴル博物館へようこそ」(https://ncode.syosetu.com/n0687jf/) を投稿しました。

本作の他、新規エピソードを追加しています。読んで頂ければ幸いです!


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― 新着の感想 ―
[気になる点] リオネルがクラリスを好きだった事はあったんですか? 序にエヴリーヌも相当に真っ黒なのにそれは良いのかリオネス君。 [一言] ダークですが美しい物語でした。
[良い点] 中身のないクラリスがざまぁされて当然の悪役であったことと結局ナニも得られなったこと [一言] 勝負に負け一度手にした好意は相手の遠慮から手にする事はなく、国もなく人もなく心すら手にするこ…
[良い点] 恐ろしいのはこれと同じようなことを現実でもやってることよね。 それも複数件は発覚してるし。
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