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ニーナの激怒


 空中でブリッジをしているような姿でこちらを見ている、異形の核たる男性を、ニーナは観察する。


 それは先ほど、自分が想魔化から助けたはずの男だとすぐに気づいた。


 目こそ触手が飛び出してしまっているが、それ以外の部分の顔が困惑し、恐怖に歪んでいるのを思うに、人間としての意識と自我が残ったまま異形化しているのだろう。


「jmsrんk??」


 何を言っているのか分からない奇妙な声をこちらに向けてくる。

 恐らく、喋っているのは核となっている人間とは別の何か。


 本人からしてみれば悪夢でしかないかもしれない。

 そして、エルケルーシャやアンウォルフであれば、核のあの様子に気づいた時、攻撃する手を緩めてしまう可能性がある。


(人間の感情を良く理解した、不愉快な存在ですコト)


 ニーナは胸中で吐き捨てるようにうめく。


「魔物化してしまっている殿方。貴方に自我があるコトを前提に語りかけます。

 貴方はもう元の姿には戻れません。そのままでいると、のちのち魔物化した脊椎に全身を浸蝕されて、完全な魔物となってしまうコトでしょう」


 そもそも、すでに頭部の一部を除いて全身が異形化している。

 それを本人がどこまで理解しているのかまでは分からない。


「意識が残っている貴方を、私は殺しますわ。未熟なこの身では貴方を救えず、この街と学園を守る為に取れる手段はそれしかございませんので。

 私のコトはいつまでも怨んでくださって結構。虚月(ヴァ・クレス)より恨み辛みをいつまでも、貴方様が飽きるまで、私に降り注ぎ続けてくださいませ」


 それでも――と、ニーナは紫色の炎を全身に纏うように展開しながら、ハッキリと告げる。


「私はその恨み辛みすらも灰に変えながら、前に進ませて頂きます。何せ私は、悪を目指しておりますので」


 通じたかは分からない。

 理解したかも分からない。

 だがそれで問題はない。


 結局のところ、こうやってあの異形へ向けて言葉を掛けるのは、ニーナの自己満足でしかない。


 だがそれでいいのだ。

 自己満足だけで相手を灰に変えようとしているのだ。それはなんとも悪らしい行動であろうか。


「それはそれとして――貴方の意思に関係なく、友人たちを操り、友人たちを苦しめ、傷つけた魔物として、私は貴方を許さない」


 宣言。

 同時に、纏っていた炎が両手に集まっていく。


 その両手を胸の前で小さく円を描くように動し、炎を練り上げて、一抱えほどの大きさの球体へと変化させていった。


熱月滅球(ネツゲツメッキュウ)ッ! 灰になりなさいッ!」


 完成と同時に、その大きな火球を撃ち出す。

 それは決して早いとはいえない――むしろ遅いというような速度で異形へと向かっていく。


 無論、異形とてそれの到着を黙って見守っているワケでは無い。


 脊椎から飛び出した、先端が刃物のようになっている八本の足で地面を蹴って、飛び上がる。


「ニーナ嬢ッ! やつの瞳のような触手と目を合わせるな! 意識と身体の自由を奪われるぞッ!」

「なるほど、そういうコトですのね」


 エルケルーシャとリシアがアンウォルフとランハートを襲っていた理由が分かった。

 だとしたら、ますます許せない。


 刃のような足で押しつぶしながら切りつけるつもりなのか、それを振り下ろすように異形がニーナへ向けて落ちてくる。


「飛び上がれば躱せるようなヌルい技なワケがないでしょう」


 上を見上げながらそう口にすると、ニーナの両足に紫炎が灯る。


雨月(うげつ)……」


 そして足を振り上げるよう飛び上がった。

 バク転するように蹴りを放つ――いわゆるサマーソルトキックと呼ばれる動き。


 おおよそ令嬢がスカートでやるような技ではないのだが、ニーナのスカートは鉄壁なので問題はない。

 なにせスカートで繰り出すことを想定して、この技を出すときは武器に念を込めるのと同じように、スカートにも念を込めて鉄壁になるように操っているのである。


 ともあれ、そうして空中にいる異形を迎撃するように一蹴り。


 紫炎とともに蹴り上げられた異形は、こういう反撃を想定していなかったのか、空中で大きくバランスを崩す。


「……空焔臥(くうえんが)ッ!」


 ニーナは着地すると、素早く二ノ太刀とばかりに二度目のサマーソルトキックを繰り出した。


「もう一撃……ッ!」


 先ほどよりも強い炎を宿し、勢いよく飛び上がって繰り出すた蹴りが空中にいる異形を蹴り抜き――


「これは、おまけですッ!」


 ――ニーナは空中で身体を起こすと、追い打つように強烈な回し蹴りを放つ。


 その回し蹴りは異形に当たると同時に爆発を起こし、異形を大きく吹き飛ばす。


 異形が飛んでいく先には、ゆっくりと飛んでいる火の玉がある。


 核である人間部分がその火の玉に飲み込まれ、異形はもがく。

 そこから脱出する手段として、ニーナを操ろうと、先端が目玉になっている触手を伸ばすが――


「無様ですわね」


 ――冷たくそう言い放ち、左手で炎の鎖を生み出すと異形に向かって投げつける。


 鎖は、目玉触手がニーナへたどり着くよりもはやく核である人間部分に巻き付いた。


「操らずとも助けて差し上げますわ」


 そして、力一杯自分の方へと引き寄せる。

 炎の中から引きずり出された異形は、勢いよくニーナの方へと飛んでいく。


「もっとも」


 自分の方へと飛んでくる異形に、右手に炎を灯して待ち構えていたニーナは――


「すぐまた入炎(にゅうえん)して頂きますが」


 ――力一杯殴りつけて、火の玉へと送り返した。


 再び火の玉の中へと放り込まれて、異形がもがく。

 それでも目玉触手はニーナを操りたいのか、その身を伸ばしてニーナへと向かってくる。


 ついには、ニーナの目元までやってきた。


「こざかしいッ!」


 だが、その力強い一言と共に、ニーナは自身を中心に一瞬だけ火柱を発生させる。

 先端の目玉部分が紫炎に飲み込まれて灰となった。


 すぐさま再生する素振りを見せるが、両手に炎を宿したニーナは気にもとめずに核たる男性を見据えた。


「では終わりに致しましょう」


 ニーナがそう告げると、核たる男性を飲み込んだ火の球が爆発し、異形がニーナへと吹き飛ばされてくる。


芽月暴凰衝(ガゲツボウオウショウ)


 地面を蹴る――瞬間、ニーナの姿が消えた。いや、正しくは消えて見えるほどの速度で動いたのだろう。


 両手に宿っている炎がたなびいてる為、彼女の動きの軌跡が分かる。


 飛んでくる異形とすれ違う。

 その瞬間、炎の軌跡はそこで途切れた。


 異形の背後、少し離れた場所にニーナの姿があった。

 両手を交差させ、片膝をついた姿勢で残心している。両手に宿った炎はその姿を消していた。


 僅かな沈黙。

 時が止まったような静寂がほんの一瞬流れた。


 刹那――

 ニーナが踏みしめてきた直線上に、強烈な炎の壁が吹き荒れて異形を飲み込んだ。

 続けて、その直線上に強い衝撃波が走り、焼け焦げた異形を砕き散らしながら、空中へと舞い上げる。


 炎が収まり、衝撃波が一陣の風となり、空気へと溶け込んでいく。

 ややして、異形がベチャリと音を立てて落ちてくる。受け身すらロクに取れないほどにボロボロの姿だ。


 それでも生きている。

 核たる人間が、生きているのが不思議そうな様子で身動(みじろ)ぎしている。


 その姿を見てもニーナは顔色を変えず、淡々とした様子で小指の爪ほどの炎を投げるのだった。


  ・

  ・

  ・


 美しい輝きを放ちながら飛んでくる小さな小さな炎を、核たる人間である男性が、もはや自分のどこにあるかも知れない瞳で見つめていた。


 あれが自分に触れれば自分は死ぬだろう――その未来は容易に想像できる。

 だが、それでいい……とも、男は思った。


 どうして自分が異形になったのか。

 どうして自分がエルケルーシャなる女子生徒を襲おうと思ったのか、もう分からない。


 これが想魔化というやつだったのだろう。

 自分の身に起こってみるとよく分かる。人間ではなくなるという意味を。


 貴族の多い学校で暴れてしまったことよりも、罪も無い学生たちを――子供を傷つけ、争わせてしまったことへの後悔が大きい。

 平民と貴族の差があれど、自分にも同じくらいの娘がいるのだ。


「ア、ア……」


 そうだ。娘がいるのだ。

 だから、せめて――


 焼け焦げた喉を動かす。

 自分の喉とは違う場所から声が出ているが、今はそんなことどうでもいい。


「ワタ、シ、デグ……ラン。メニス、通リ……ノ、デグラン……。アナタ、名前……ハ……?」


 自分へ暴力を振るった少女が――使う月想術に反して冷たい表情を浮かべていた少女の表情が、こちらの問いで壊れた。


「……ニーナ、ニーナ・モヴナンデスですわ。メニス通りのデグラン様」


 彼女は優しいのだろう。

 異形となって暴れた自分を殺すことに罪悪感を抱いている。


 それでも、貴族の矜持とやらでそれを覆い隠して平然としていたのだ。

 自分の娘と変わらぬ年頃の少女に、とてつもない罪を背負わせてしまった。


「妻ト、娘ニ、ヨロ……シク……ナカナイ、デ……ニーナ……ワタシ、ウラマ、ナイ……」


 火の粉が到達する。炎に飲まれる。


「あ」


 少女の、ニーナの小さな声が紫炎の向こう側から聞こえてきた。

 気にしなくていい。気にする必要は無い。だけどきっと彼女は気にする。


 身体を燃やされながら、彼はこれでよかったと安堵する。

 学園には迷惑を掛けてしまったが、自分の妻や娘を殺すようなことにならなくて良かったと、彼はそう安堵する。


「アリガ、ト……」


 ゴウゴウと燃える炎の音の中、届いたかは分からない。

 それでも、お礼だけは言っておきたかった。


 すると、自分を包む紫色の火が、見慣れた――けれども美しい緋へと変わっていく。


 熱はある。

 当然あつい。

 だけど、不思議と心地よかった。


  ・

  ・

  ・


 ニーナは、自分が作り出した赤い火柱を呆然と見上げていた。

 最後に――彼は正気を取り戻していた。


 メニス通りのデグラン。それが彼が名乗った名前だ。

 妻と娘によろしく――と、思いを託された以上、自分はこの最後を彼の家族に伝える義務が生じた。


 彼は、学園に侵入し、想魔化し、暴れ回った。

 エルケルーシャとリシアを操り、アンウォルフとランハートを殺そうとした。


 だけど、だけどそれでも――そこに、本来の彼の意思なんてものはなかったのだろう。

 だとしたら、彼に怒りをぶつけるのはお門違いなことは理解している。


「ふざけンな……」


 完全に機械化してしまっていた教諭の時は、感情を押し殺し、後ほどその感情をどうにか処理できていた。


 だが、デグランがこんな正気の戻り方をするとは想わなかった。

 おかげで、押し殺していた感情にヒビが入ってしまっている。


「ふざけンなよ……」


 声が漏れる。

 涙を流さず、嗚咽を堪えてもなお、漏れる言葉が止められない。


「どこの誰だか知らないけどッ、ホントふざけンなよクソ野郎――……ッ!!」


 令嬢らしからぬ言葉と共に吐き出されるのは慟哭(どうこく)だ。


 正気を失っているからと、機械化したコーザ教諭をモルモットにしている自分への罪悪感。 正気に戻ってはいるものの、殺すしか無いデグランを現在進行形で火葬している自分への嫌悪感。


 何より――正体も目的も分からぬ、機械化症をバラ巻いている黒幕への激怒。


 火柱が収まり、灰だけとなったデグランを見ながら、ニーナは貴族としても悪女としても失格と言われるだろう仕草――服の袖でゴシゴシと、溢れ出る涙を拭い宣言する。


「絶対にッ、見つけて灰にしてやるッ!!」



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