所詮は有象無象のモブだから
ニーナがウェルナーを連れてやってきたのは、先ほどの戦闘があった場所から一番近い校門だ。
門はチカラませにこじ開けられたようにひしゃげており、想魔人はここから侵入したようにも見えるが――
「…………」
ウェルナーと視線を交わし、無言のままうなずき合う。
先行するようにウェルナーが慎重に門を抜ける。ニーナもその後を追いかけた。
「……これは……」
門を出てすぐ。
学園の塀に寄りかかりながら、首から血を流して事切れている警備騎士がいた。
「不自然だな」
「ええ」
警備騎士へと黙祷を捧げてから、二人はさらに周囲の様子を伺う。
「門の壊れ方が綺麗です。さらに言うと、この方の死に方も、らしくない」
警備騎士は首を斬られて血を流している。
しかし先ほどニーナが戦った想魔人は力任せに暴れるタイプだ。このような綺麗な死体が作れるとは思えない。
「そもそも、あの男性が完全な想魔人へと変じたのは、敷地の中に入ってから。自分とリシアさんの目の前でだった」
「なるほど。そうなるとやはり、あの想魔人が学園に出現したのは……」
小さく口にすると、横にるウェルナーが難しい顔をして訊ねてくる。
「ニーナ嬢、想魔人化というのは人為的に起こせるものなのか?」
「理論上だけでしたら可能でしょうけど……いえ、それも難しいかもしれませんわね」
許容量を大幅に超える量の月想力を体内にため込んだ状態で、その流れを乱せば、形はどうあれ想魔化現象は発生する。
大量の月想力を浴びせて、体内に押しとどめさせる方法というのは思いつかないが、それが可能なのであれば――
「想魔化現象だけならば、まだなんとかなりそうですが……それによって何が変ずるかというのは、方向性や法則のようなモノはまだ分からない……というのが現状の学説だったはずですわね」
「何が変ずるか分からないというコトは、先ほどのように魔人化する以外の現象も起きる可能性があるのか」
「ええ。記憶障害、精神暴走、肉体の変質……いくつかある想魔化現象の中でも、精神暴走と肉体の変質が同時に発生した状態で暴れている人を、想魔人と呼ぶワケですからね」
もし、変異の方向性を決められる何かがあるならば、可能かもしれないが、現状で方法を見つける手段はないだろう。
「余計に分からなくなったな。人為的な侵入という確信には至れるが、目的にしろ手段にしろ、あまりにも不確かだ」
「そうですわね。何を狙ったモノかは分かりませんが、想魔人が暴れるかどうかという賭けになってしまっている面が否定できません」
二人して眉を顰めていると、アンウォルフに任せてきた庭の方から――
……どどん!!
――という大きな音が聞こえてきて、同時に顔を向けた。
「謀られたかッ!?」
「言っている場合ですかッ、戻りますわよ!」
音のした方に視線を向ければ、火柱と爆音が収まっていくところだ。
それを見て、二人は慌てて動き出す。
「月想術の爆発でしたわね」
「ああ。みんなが無事だと良いんだが」
再び戦場になっているだろう庭にいる友人たちの安否を気遣いながら、身体強化を自分に掛けて、二人は全力で駆けていくのだった。
・
・
・
爆発の少し前――
エルケルーシャがそれに気づいたのは偶然だし、反応できたのは運が良かっただけだろう。
縛り上げられた男をアンウォルフ殿下に渡し、エルケルーシャは想魔化が収まっても意識を意識を失ったままである男性の手当てをしようと近づいたのだ。
膝を付き、手を翳して治癒術を使おうとした時――
「……?」
――正体の分からない違和感を覚えた。
一瞬だけ目を眇め、男性をつぶさに見回す。
その時、男性の頭が、人間であったならばあり得ないような蠢動を見せた気がした。
つい最近、ニーナが機械症を発症したコーザ教諭を討ったという話を聞いていたからこそ、エルケルーシャは咄嗟に動く。
準備していた治癒術を破棄して、即座に水属性と闇属性の月想力を混ぜ合わせながら念に変えていく。
二つの属性が融合し氷結属性へと昇華させたエルケルーシャは、自分の目の前に不格好な氷の壁を作り出す。
「アイシクルウォールッ!」
直後ッ!
「jgjgjgjgjgjg……!!」
おおよそ人間が発声しているとは思えない音をその口から漏らしながら男性が、背筋を鍛える運動のように海老反った。かと思うと、その頭から無数の金属触手が飛び出してくる。
エルケルーシャの作り出した氷の壁は、襲い来る触手を防ぎ、彼女が後退する時間を作った。
それでも壁を避けたり、貫通したりしてくる触手がエルケルーシャを追ってくる。
もう一度、月想力を氷結属性へと昇華させると、今度はそれで氷の槍を作り出した。
「アイスクリエイト・ランス」
自分で作り出した槍を握り、触手に向けて振るう。
「せいッ!」
気合いと共に振るわれた氷の槍で、追いかけてくる触手を払った。
「殿下ッ! リシアッ! ランハートッ!!」
触手が怯んだ隙に、エルケルーシャは叫ぶ。
叫ぶ時に振り返ったのが功を奏した。
いつの間にかエルケルーシャの背後に、一本の触手がいたのだ。
「この……ッ!」
咄嗟に槍を振るって触手を弾く。
直後にエルケルーシャは大きく飛び退いて、援護の為にこちらへと駆けてくるリシアの横に着地した。
「エルケ様!」
「少々危なかったですが、なんとか大丈夫です」
男性の頭が不自然な動きをしていたのに気づかず、治癒術を使っていたらどうなっていたことか。
援護を求める為に、後ろへと振り向いてなかったらどうなていたことか。
運良く二度の危機を躱せたが、次は躱せるかは分からない。
だが、こうやって友が横に並んでくれているのであれば、そうそう遅れは取らないだろう。
エルケルーシャは周囲を見回す。
アンウォルフとランハートは大慌てでギャラリーたちの避難を促している。
あちらは二人に任せていいだろう。
それから、チラりとリシアを見ると、彼女の視線はエルケルーシャの携える氷の槍に注がれていた。
「エルケ様の槍、パクらせてもらいますね」
「パクる?」
「あ、マネさせて貰いますって感じの意味です」
「ええ。構いませんわ」
「発動名を伺っても?」
「アイスクリエイト・ランスです。オリジナルの月想術ですよ」
「では、似た名前で――ストーンクリエイト・ソード」
リシアは地面を踏みしめて隆起させると、剣の形に切り出した。
「うーん……想定より重い」
その剣を手にして困った顔をするリシアに、エルケルーシャは告げる。
「まぁ石ですしね。もう一回り小さく、そして薄くした上で、頑丈さを高めたらどうでしょう?」
「なるほど」
それを受け入れたリシアは、月想力と念を操作し、エルケルーシャの言う通りに手を加えた。
「お。これなら。
エルケ様ありがとうございます」
「いえいえ。戦力が増えるに越したコトはありませんから」
そうして、エルケルーシャはリシアと共に武器を構えて、機械化した異形と向かい合う。
「以前の機械症オークよりも悍ましい姿してますね……」
「私はそのオークは見てませんが、これまで出会ってきた何よりも悍ましいのは間違いありませんわ」
触手や蜘蛛のような足、刃のような腕などの異形としてのパーツは、全て頭部から生えて伸びている。
恐らくは背骨などの補強こそしているものの、それ以外は生身なのかもしれない。
蜘蛛のような足が異様に長い為に頭部は空中に浮いたような状態となり、首から下――背骨が補強され海老反り姿勢のまま逆立ち状態になっているので、首から上と言うべきか――が、力なく垂れ下がり、動きに合わせてブラブラと揺れている。
生理的嫌悪がものすごい異形だ。
「gjgjgjgjg……nini……nani……eru」
口が動いていないのに、どこからか異形の声が聞こえてくる。
「eleleru……えるえる……えるけ、るけるけ、るーしゃ……」
「私の名前を呼んだ……?」
「確かにそう聞こえました」
エルケルーシャとリシアが目を眇めると――
「mkmkmk……もく、もくひょ……もくひょう……kkkk……かくかく、かくにん……」
――先端に眼球のついた触手が真っ直ぐにエルケルーシャに向いた。
「気のせいではなさそうですわね」
「目標……? こいつは、エルケ様を狙ってる?」
それが意味することを思って、リシアの胸中に焦燥が募る。
(色んな出来事が前倒しになっている今ッ、こいつがエルケちゃんを狙う理由なんて……ッ!)
正史の出来事を考えれば、自明の理だ。
この異形が、エルケルーシャを狙う理由――恐らく正史において、エルケルーシャが失踪した原因。
正史の物語中には登場しないが、こいつがエルケルーシャを誘拐した可能性が高い。
(こいつにエルケちゃんが誘拐されたら、彼女はゲーム通りに改造される運命が待ってるのは間違いない……ッ!)
シナリオの運命力とでも言うべきだろうか。
流れが多少変わっても、大きな結末そのものは変わらないように、何らかのチカラが動いているのではないだろうか?
(それに、わたしはどこまで抗える……?)
リシアが思案していると、エルケルーシャの鋭い声が響いた。
「来ますッ! リシアッ!」
その声にリシアがハッとして顔をあげると当時に、異形が地面を蹴って飛び上がった。
異形は高く飛び上がり、そのまま踏み潰すように二人がいた場所へと落ちてくる。
だが、二人は即座にその場から離れ、着地を狙うように攻撃を仕掛けた。
「せいッ!」
「やあッ!」
狙うは、二人の方へ向いている足。
すぐに再生して斬撃への耐性がつくのは承知の上で、それでも動きを抑えるべく、二人は手にしたそれぞれの武器で足を切り落とす。
大きくバランスを崩す異形に対して、リシアはさらに踏み込んだ。
「おじさんに恨みはないけど……ッ!」
本体というか核になっていると思われる頭部を切り落とす。
そのつもりだったのだが――
「リシアッ!」
――エルケルーシャの声と共に、リシアは何かに突き飛ばされた。
(え? なに? ……ってエルケちゃん?!
わたし、エルケちゃんに突き飛ばされ――?)
視線をエルケルーシャに向けると、彼女の左肩を細い触手が貫いている。
「あ……」
思わずリシアの口から音が漏れた。
そのまま尻餅をついてしまうが、痛みを気にせず立ち上がろうとした。
だが、リシアが立ち上がるよりも早く、エルケルーシャの左肩を貫通した触手は、その先端を無数に枝分かれさせて、細い触手を大量に生やすとそのままエルケルーシャに絡みついていく。
「く、この程度……!」
エルケルーシャはもがきながら、自身の月想力を高めていく。
なんらかの術技で脱出しようとしているようだ。
「エルケ様ッ!」
剣を握りなおして立ち上がり、リシアはエルケルーシャを助けようとして踏み出そうとする。
「リシアッ!!」
そこへ、アンウォルフの大きな声が響いてきた。
「くッ!?」
その声で、リシアの死角から襲いかかろうとしていた触手に気づいて、切り払う。
ただその動きが致命的だった。
エルケルーシャは触手に持ち上げられ、そのまま本体の方へと引っ張られていく。
「殿下はエルケルーシャ様をッ! 避難誘導は私が!」
「すまんランハート!」
そうして、避難をランハートに任せたアンフォルフは、握っていた戦犯の結い紐を手放し、エルケルーシャの元へと向かおうと動き出す。
「氷焉……」
拘束されたエルケルーシャは、それでも脱出しようと詠唱を行い、月想術を発動させる為の言葉を口にしようとした。
だが――
「あ……ら……」
先端に眼球のついた触手がエルケルーシャの目の前までやってくると、彼女の両目に向けて怪しい光を放つ。
次の瞬間に、エルケルーシャの瞳から意志の光が消えていく。
「う、あ……」
何が起きたのか、口がだらしなく半開きになり、全身から力が抜けていっているようだ。
その手から氷の槍が落ち、地面で跳ねると、ゆっくりと消滅していく。
「エルケルーシャッ!」
「エルケ様ッ!!」
恐らくはエルケルーシャの意識が消えたことで、意思によって制御されていた念が霧散してしまったのだろう。
(まずいッ!)
意識が奪われようとも、それでもまだ助けに間に合う。誘拐なんてさせない。
そう考えて、リシアは月想力を念に変え、その全てを身体強化に回した。
(ダメだダメだダメだッ! 正史と同じ展開なんて許さないッ!!
友達になったんだッ、エルケちゃんとッ! 友達のあんな結末なんてッ、見たくないんだ……ッ!! だから――ッ!!)
エルケルーシャを救うべくリシアは駆ける。
こちらへ向けて伸びてくる無数の触手を切り払い、躱し、エルケルーシャを追いかける。
「狡猾なッ!」
どこかからアンウォルフが苦々しく毒づく声が聞こえる。恐らくは他の触手に足止めを喰らったのだろう。
今のリシアはそんなことよりもエルケルーシャを助けなければという意思のまま、周囲を気にせず走って……走り抜けようとして、足を止めた。
「……このクソ触手がッ……!」
異形は、いつの間にか触手に拘束していた学生たちを盾にするよう動かし、エルケルーシャへの道を妨害するように並べている。
アンフォルフが狡猾だと口にした理由はこれか。
「アンタたちもッ、何で逃げてないのッ、何で捕まってるのッ、バカかよッ!?」
思わず口汚く叫ぶ。
ためらっていては手遅れになりかねない。
(ダメだダメだダメだ。現実であんな展開になんてさせたくない……ッ!)
ゲームシナリオという運命に抗うのであれば、有象無象のモブなんて無視してエルケルーシャを助けなければ。
(そうだ。エルケちゃんだけ助かれば……ッ! 助かればいいんだ……ッ!!
どうせこいつらはモブなんだ……ッ! 大してシナリオへの影響は薄いはず……ッ!)
そう。エルケルーシャさえ無事ならば問題ないのだ。
有象無象のモブが、生きてようが死んでようが、問題ない。
エルケルーシャが誘拐されたり死んだりする方が問題だ。
自分の平穏を奪おうとするモブは全部消してしまえばいい。
そうやってスラムでも生きてきたではないか。
(エルケちゃんが大怪我しても私の治癒術で治せる……ッ!
誘拐されるよりも、そっちの方が何倍もマシなんだ……ッ! だから――ッ!!)
月想力を高める。
「omomom……おま、おまえも……yiyiyi……よいよい、よい……そざいに、なりそ、なりそうな……kokokoko、こころの、やみ……やみ……やみ……」
異形が何かを言っている。知ったことではない。
「待ってくださいリシア嬢ッ!」
「リシア嬢ッ! それでは生徒を巻き込む……!」
推しと王子が何か言っている。知ったことではない。
(誘拐なんてダメだ。あの結末だけはダメだ!
せっかく結末を変えられる場所にいるんだ……! 運命なんてクソくらえでいいんだ……ッ!!)
素早く詠唱をして、高めた月想力を念に変え、詠唱を終えたリシアが、発動名をでもって現実の事象を書き換えていく。
目の前に、無数の触手が迫ってくる。
「そんなモノで足止め出来ると思うなァァァァァァァ――……ッ!!」
リシアの叫びと共に、爆発が巻き起こった。




