平和を脅かす敵は灰燼に
「ぐぅうるぅうぅ……ああああああ……!!」
言葉になっていない声をあげて、想魔化した人――想魔人が襲いかかってくる。
それに立ち向かう為、ウェルナーは剣を構えて前に出た。
同時にリシアは月想術の詠唱をし、準備しながら下がる。
ウェルナーは本来の剣の間合いよりも半歩ほど踏み込んだような距離から攻撃を仕掛ける。
倒すというよりも、剣を振りつつ纏わり付いて、様子を見るつもりなのだろう。
ギャラリーたちが逃げるための時間稼ぎの面もあるのかもしれない。
どちらにしろ、ある程度弱らせて、想魔化が解除されるかどうかの様子見もしたいのだ。
(今のうちに詠唱して準備を!)
彼が時間を稼いでる間に、少し強めの術を準備しよう。
そう考えて、リシアがさらに数歩下がったところで――
(……って、ギャラリー!? 見ててもいいからもうちょっと下がってよッ!
わたしが攻撃避けたら、直撃するような位置にいるのやめてッ!!)
――などと胸中で喚いているうちに、リシアのすぐ横にまで出てきた男がいた。
恐らくは騎士科の生徒だろう。剣を佩いているし、貴族らしい偉そうな笑みを浮かべているし。
「邪魔だ平民! あの程度の相手、この俺の剣にかかれば……!」
リシアの横に立った男は、そう言いながら、リシアを押しのけるように動く。
「え、ちょッ!?」
想定外のプッシュに思わずバランスを崩してしまい、詠唱は中断。集めていた月想力も、念に変換されている途中で霧散してしまった。
「いくぞ!」
剣を抜き放ち、構え、それから走り出す。
(動作がいちいち遅いっつーのッ! こんな状況なんだから走りながら抜いて構えろよ! クソモブッ!)
胸中で口汚くうめきつつ、リシアは改めて月想術の準備をしなおす。
その間も、視線はクソモブ、ウェルナー、想魔人の動きを追い続ける。
「どけ邪魔だ!」
「は?」
想魔人があまり大きく暴れないように、纏わり付くような戦い方をしていたウェルナーの背後へと、クソモブは近づいていく。
「ちんたらした戦いをするな!」
そして、ウェルナーごと斬るかのように剣を振り下ろした。
「……ッ!」
それに気づいたウェルナーは即座に離れる。
だが、クソモブの振り下ろした剣は想魔人に当たることはなく空振り。
そう――空振りだ。
想魔人が避けたのではなく、切っ先が半歩届かない。
つまり完全な間合いのはかり間違い。
あの剣は、ウェルナーが避けなければウェルナーだけを斬っていた。
「ぐるがぁああぁぁ……!!」
好機とばかりに想魔人は裏拳気味に左手を振り回す。
「ぐぼっ!?」
それで横っ腹を殴られたクソモブは、吹き飛ばされて剣を落としながら地面を転がる。
(この戦いに乱入してくるくらいなんだから、避けるくらいしろッ!)
殴られて痛いのは分かるが、即座に立ち上がろうとしない。
それどころか起き上がったあとも尻餅をついたような姿勢のまま想魔人を見ている。
あれは、明らかにビビっているのだろう。
想魔人は彼をターゲットにしたのか、身体をそちらに向けて近づいていく。
(避けないし、逃げるコトもしない! その程度の実力しかないのに、偉そうに混ざってきたのッ!?)
胸中で毒づきつつ、準備していた月想術を破棄して、短い詠唱で即座に発動できる初級の術をセットしなおすと、人差し指を魔人とクソモブの中間に向けて掲げる。
「フレアバレット!」
人差し指から小さな火の玉を撃ち出す術。
想魔人とクソモブの中間に着弾し、小さく破裂する。
それに驚き一瞬だけ想魔人が怯んだ。
「フレアバレット!」
リシアはすかさず二発目を放つ。
今度は想魔人の足下へ向けて、だ。
それには当たるまいと思ったのか、想魔人は足を上げてそれを躱した。
「ちんたら詠唱してたクセにそれか! これだから元平民は……」
「文句を言うヒマがあるならキミはとっとと立ち上がって逃げるんだ!」
ウェルナーはそう告げて想魔人に向けて斬りかかる。
だが、想魔人は二の腕でその剣を受け止める。
「堅いな……」
受け止められたウェルナーは、胸中で舌打ちをした。
(やはり、リシアさんの月想術に頼った方が確実だな)
自分へのバフであれ、強力な術であれ、リシアにちゃんと準備をさせて月想術を使わせる必要がある。
その上で、そこを起点に速攻でカタを付けるつもりだったのに、実力を勘違いした阿呆が乱入したせいで、ぐだぐだになってしまった。
その阿呆は地面に座り込んだまま動こうとしない。
リシアがわざわざ、準備していたモノを破棄して低級の術に切り替えて援護射撃をしたにもかかわらずだ。
想魔人の腕と鍔迫り合いのようになっている状態で、ウェルナーが叫ぶように告げる。
「邪魔だと言っているだろう! とっとと立ち上がって戦場から離れろ!」
「うるさい! 痛くて立てないんだ!」
リシアとウェルナーは同時に、こめかみをひくつかせた。
「ウェルナーさん、蹴っ飛ばしてでも戦場の外へ!」
「その方が良さそうだな!」
付き合いきれるか――二人の意見が一致したところで、状況が変わる。
ウェルナーやリシアが動き出すより先に、想魔人の様子が変わったのだ。
「……っ!?」
想魔人の腕と、鍔迫り合いしていたウェルナーの表情が驚愕に変わる。
「これは……ッ!」
「ぐるぅあああああああああ……!!」
その絶叫と共に、想魔人の全身から青い光が放たれる。
「ぐあッ!?」
光をまともに浴びてしまったウェルナーは吹き飛ばされた。
余波を喰らってクソモブも転がったようだが、ウェルナーに比べると被害はすくなそうだ。
「ウェルナーさん!?」
「大丈夫だ」
想定外の攻撃に吹き飛ばされ、地面を転がりながらも剣は落とさず、即座に立ち上がる。
顔を顰めているのは痛みに耐えているからだろう。
あの青い閃光は熱も帯びていたのか、ウェルナーのあちこちから焦げた臭いも感じた。
「今、治癒術を」
「不要だ。それより――」
リシアを制して何か言いかけたウェルナーは、それを見て顔をゆがめた。
「……遅かったか」
「え?」
ウェルナーの視線の先、そこには想魔人に頭を鷲掴みにされているクソモブの姿があった。
「離せ! おれを誰だと思っている! ウーサイ伯爵家が次男! ブルーモ・ウーサイだぞ!」
「足手まといの上に捕まるとか……ッ」
クソモブ――もといブルーモを見て、リシアは思わずうめく。
「痛い痛い痛い! 頭が潰れる……!」
それを見ながら、リシアは大きく息を吐いて周囲の月想力を体内に取り込み始める。
「大技の準備をします」
「分かった。ならば時間を稼ぎつつウーサイ伯爵子息を助けてくるとしよう」
「お願いします」
人は――いやこの世に生きとし生けるものは、呼吸するように、大気に満ちている月想力を体内に取り込んでいる。
精神を集中し、自分の体内に巡るそれを認識し、女神へと祈るように詠唱をする。
それをすることによって、二つの出来事が発生する。
詠唱は二段階に分かれており――
前半によって、体内に取り込んでいる月想力を念へと変換。
後半によって、変換された念に、方向性を付与する。
準備が出来たら対応する『発動名』を口にすることで、それらを外へと放出する。それによって現実の事象を書き換えるという現象を引き起こす。
つまりは、女神の祝福のごとき奇跡を引き起こす術である。
故にこそ、祝福という呼び方をされているこのチカラこそが、月想術だ。
そして、発動名こそが、世間一般的に知られている術名と呼ばれるものである。
大きな術を使うということは、必要な念の量が増えることを意味する。
必要な念の量が増えるということは、変換するのに必要な詠唱の時間を増やさざるをえないのだ。
そこを踏まえた上で、ウェルナーはリシアの大技の準備が終わるまでにするべきことを考える。
(さて、彼を助けつつ、どこまで時間を稼げるか)
ウェルナーは想魔人へと踏み込みながら、ブルーモを掴んでいるほうの手へ向かって剣を振るう。
脇の下を強打するような一撃。
ダメージが通らずとも、関節が揺さぶられればチカラは緩むだろうという目算だ。
事実、その左手のチカラが緩んで、ブルーモは尻餅をつくように地面へと落ちた。
「すぐ離れろ! 大きい月想術がくるぞッ!」
「だ、だから! 痛くて動けないと……!」
「お前は……ッ!」
本来温厚なウェルナーであっても、さすがに腹が立ったのか犬歯を剝く。
だが、そうやって意識を想魔人から離してしまったのは失敗だ。
「ぐ、が……」
本来の人間のモノよりもだいぶ大きくなっている想魔人の右手が、ウェルナーの脇腹を掴み、チカラを込める。
「この……!」
痛みに堪えつつ、ウェルナーはその腕へ向けて剣を振るうが、想魔人のチカラは落ちない。
ややして、想魔人は邪魔なゴミを投げるように、ウェルナーを放り投げる。
「ぐぅ……ッ」
ウェルナーが心配だが、チャンスはここだと、リシアは想魔人を睨んだ。
そして右手を天高く掲げる。
「――激しく燃えさかる怒りへ、白と黒の月の祝福を今ここに!」
詠唱の最後のフレーズが終わると、その手の先へと太陽を想わせる大きな火の玉が作り出される。
さすがにこれには驚いたのか、野次馬たちも逃げ惑い始めた。
あまりのも遅すぎる判断なのだが。
「待て! おれがいるんだぞ! そんなもの撃たれたら巻き込まれる……!」
「ならッ、とっとと退きなさいッ!」
「む、無茶言うな! 痛くて動けないと言っているだろう……!」
もうすでにリシアは限界に来ていた。
(クソモブの一人や二人……消えたところで問題ないわよね。
どうせストーリーに大きな影響を与えるような立場じゃないでしょうし)
無論、怒りでだ。
偉そうに乱入してきて足手まといで、ウェルナーが無駄に傷つくことになった原因であるブルーモに対して。
離れろと言っているのに本格的な戦闘が始まっても全然遠巻きにならないギャラリーに。
逃げろと、離れろと、何度言ってもその場に留まった結果なら良いではないか。
(燃えて、尽きて、灰になったところで、しょせんはモブ)
リシアは生前の日本人の記憶があるので、基本的には温厚だ。人を殺すことに忌避感だってあるし、感性には日本人としてのモノもそれなりに残っている。
だが、転生を自覚したあとも、弱肉強食のスラムで泥を啜って生きていたし、時にはスラムの住人から乱暴されそうになることもあった。
スラムでは全て自己責任。
リシアを押し倒そうとしてくる男たちはいたが、全て返り討ちにした。
転生者であると自覚した時点で、スキル強化を考慮しながら生きてきたのだから、一般のモブ程度がリシアをどうにかできるものではない。
時に、殺めてしまったこともあるのだが――スラムでは生きるも死ぬも全て自己責任だ。
もちろん最初は忌避感はあった。今だってないワケではない。
だが、生きるも死ぬも自己責任であるという過酷な環境と、自分を押し倒して犯そうとしてきた連中なんぞ、スラムに落ちている一山いくらのモブである……という考えをすることで、心を守ってきたのだ。
そして何より、リシアにとって良い記憶が何一つないスラムは嫌悪を抱く場所なのだ。
せっかく男爵に拾ってもらえたのだから、もうスラムには戻りたくない。
その為には、いくらでもドライになる。それが今ここにいるリシアという人間である。
想魔人化したモブ。
乱入してきたモブ。
野次馬しているモブ。
そういう連中を灰に変えてでも、今の自分にとって平穏な生活を守る。
だからこそ――
「サンフォールバーン」
「待て待て待て待て!」
――今のリシアには、想魔人ごとブルーモを消し飛ばすことに、何一つのためらいもなかった。
本来であれば、想魔化の解除も考えるべきなのだが、そこまで考える気はない。
想魔人とてモブだ。ならば、居なくなったところで物語は破綻するまい。
そもそもウェルナーが死ねば、チャートがガバガバになるどころの話では無く、物語の根幹が破綻しかねないのだから。
スラムにいたころに殺してきた相手と同じだ。
どうせ、本編に寄与しない存在で、リシアやストーリーを害する存在なのであれば、消し飛ばしても問題ないだろう。
「ブレイク、」
ボールを投げるように、リシアは一歩足を踏み出す。
「やめろぉぉぉぉ――……!!」
「シュート」
叫ぶブルーモを無視して、リシアは手を振り下ろし、大きな火の玉が想魔人へ向けて投げ放たれる。
そして――
「その躊躇いのなさは、ある意味すごいですわね」
――リシアの持つ、最大火力の上級火炎術は、突如現れた紫炎の壁に遮られて消滅した。




