事件に遭遇したなら正史になかったとか言ってられない
チュートリアルイベントかと思ったら物語の序盤が終わった。
そんな出来事が連続した日を乗り越えたリシアは、様々な覚悟を持って日々を過ごしていたのだが、思ったよりもイベントは発生しなかった。
コーザ教諭がいなくなったことによる穴は別の教諭が埋めるし、それ以外は正史の日常学園パートと大きく変わらない日々だ。
ゲームだと数秒で終わる一日も、リアルともなればちゃんと一日あるので、何事もなくともそれはそれで大変な日々だと言われれば、それはそうなのだが。
とまれ、このまま来月の遠足までは何のイベントも無いかもしれないな――などと思いつつも、やはり基本チャートが崩れた不安は拭えない。
原因の一端が自分にあるかもしれないが、それでもここまで崩れるとさすがに不安になってしまうのだ。
想定してなかったイベントが発生したり、終盤のイベントが前倒しで今発生したりしない保証がない。
その想像が、無駄に自分の不安を煽る。
そんな――日常の平和と、想像の不安がまぜこぜになった状態で日々を送るリシア。
ある日の昼休みに、中庭で一緒になったウェルナー・ヴェアナードが不思議そうに訊ねてくる。
「リシアさんは何をそんなに警戒しているんだ?」
「んー……何と言われると答えづらいなぁ……」
お弁当を食べながら、リシアは苦笑交じりにそう答えた。
ウェルナーは、青い髪を短く刈り込んだ大男だ。
同じ学年の男子と比べっても、だいぶ背が高くガタイも良い。
ただ、雰囲気は朴訥としていて、その巨体に似合わぬあどけない顔をしている。その垂れ目気味の双眸で輝く灰色の瞳も、非常に穏やかな人物だ。
彼もまた正史ではパーティメンバーの一人であり、攻略対象でもある一人。
アンウォルフ王子の学園内での護衛役でもあり、将来的にはそのまま王子護衛の一人になる予定でもある。
ウェルナーの父であるヴェアナード侯爵は騎士団の副団長でもあり、一族的にも武闘派が多い家柄のようだ。
また王子の護衛とはいえ、まだ学生なので四六時中くっついているというワケではなく、こうして自由時間もあるわけだ。
「漠然と何か起きそうな気がする……くらいの感じだから」
「そうか。しかし、それしか情報がないと、殿下のコトもキミのコトも守りづらいな」
雰囲気は穏やかな彼だが、護衛としては真面目だし、槍の使い手としても優秀だ。もっとも学園内で常に槍を携えていると邪魔になるからか、基本的には剣を佩いている。
(堅牢なタンクか、無双の槍使いか……正史だとスキルツリーが枝分かれするのもあって、育成の途中でどっちかにステータスが偏っちゃうんだけど、ここの彼はどういう成長するんだろ?)
それは、ウェルナーに限らず、パーティメンバー全員に言えることだ。
光と闇のリンガーベルでは、どのキャラクターも2パターンの成長ルートが存在した。
主人公であるリシアだけは複数の武器に、複数の属性を組み合わせた無数の育成パターンがあるからこそ、自分の攻略スタイルに合わせてパーティメンバーを育成していくのが基本だったのだ。
ゲームではスキルツリーを確認して、成長方向をプレイヤー好みに調整できたが、現実であるここでは、それを確認する手段がない。
(スキルやステータスの確認ができる世界でもないしなぁ……)
無い物ねだりをしても仕方ないと、こっそり嘆息しながら、ウェルナーを見る。
そもそも、エルケルーシャは悪堕ちしそうにないし、ニーナというゲームにはいない優秀な戦力があるから、そこまで気にしなくてもいい気もしているのだが。
「どうかしたか?」
「ああ、いえ――」
なんとなく顔を見てしまったことを不思議に思われたようだ。
何か適当なことを言って誤魔化そう。
「ウェルナーさんってどのくらい強いのかな……と思っただけです」
「どのくらいの強さ……か。そう問われると、難しいな」
「すみません。あんまり真面目に捉えなくても。なんとなく思っただけなので」
本気で悩み出したウェルナーに、リシアは慌てて手を手を振って見せる。
「そうか? 一応、騎士団には入団出来る程度の強さはあると、自負はしているけど」
「そうなんですね!」
正史では、そんな設定のクセに初期レベルは10だった。
中盤辺りのイベントで確認できる一般騎士団員のレベルが平均で35くらいだったので、どこが騎士団レベルだよ――とツッコミが入れるネタとして良く扱われていたほどだ。
もちろん、ゲームの仕様上、そういう扱いになっているだけだというのは分かった上でのネタである。
(だけど現実となった今だと、現時点で35くらいあっても不思議じゃないのかも?)
だとしたら、相当強そうだなぁウェルナー……などと思っているところに、リシアの脳裏にニーナの姿を思い出す。
(異形化したコーザ教諭をボコボコにしていたニーナって、絶対に今のウェルナーより強いよね?)
あれは一般人と比べてはいけない気もするが。
こんな風にお喋りをしながらお弁当を共にするというのは平和な証だ。
なんてことを思っていたリシアだったが、ふと奇妙な気配を感じて眉を顰めた。
「……ねぇ、ウェルナーさん」
「ああ……妙なざわめきが聞こえるな」
互いに弁当を手早く片付けて、立ち上がる。
「学生同士の騒動……って気配じゃないですよね?」
「一応、殿下からキミの護衛をするように頼まれているんだ。無茶はしないでくれよ?」
「分かってます」
そうして二人が中庭から、校舎を抜けて、騒動の気配のする校門近くの庭の方へと向かっていく。
「人だかり……だけど……」
「この妙に落ち着かない気分になる月想力の気配……想魔だ。それも人の」
「……一時的な暴走くらいなら、良いんですけど……」
「最悪は覚悟しておくべきかもしれない」
分かっていてギャラリーが集まっているのか、ただの野次馬か。
ウェルナーは腰に佩いている剣をすぐに抜けるようにしながら、リシアと共に人だかりを抜けていく。
そこにいたのは、見知らぬ男性だ。
校門が不自然にひしゃげているので、あそこから入ってきたのだろうか。
(正史にはなかったイベントだけど……)
その見知らぬ男性は明らかに様子がおかしい。
「ううっ……」
身体は文字通り青くなっている。
体調を崩して蒼白しているという意味ではなく、本当に青肌になっているようだ。
「どうやら彼が、妙な気配の正体のようだが……」
恐らく想魔化している。
しかし、精神状況などが分からないことには対処がしづらい。
「みんな逃げようとしないんですかね?」
「人であれ動植物であれ、想魔化した存在には遭遇する機会は少ないからな」
「……わたしは以前、正気を失った人とやりあったコトありますけど……」
「キミの言いたいコトは分かる。だが実際に対峙したコトがないと危険性というのは理解できないモノだ」
想魔は腫れ物として扱われているからこそ、危険性と結びつかない人もいるのだろう。
動植物の想魔ですら、日常で遭遇することは滅多にないのだから。
騎士や傭兵、冒険者などをしていれば話は別だが、この場にいるのは学生だけだ。
「最悪は我々で対処する。
護衛対象のキミを巻き込むのは心苦しいが、対応経験者がいるのは助かるからな」
「わかりました」
うなずきつつ、想魔化した男性を見る。
(正史にないイベントだから……で、無視できるようなコトじゃないもんね)
リシアとしては、戦うなら剣が欲しいところだ。
だが、今は手元にないので、戦闘になったら月想術を中心にウェルナーを支援する方がいいかもしれない。
「……うぅうぅ……あああああああ!!」
男が叫ぶ。
元々、想魔化の影響で蠢動する肉体によってボロボロになっていた上着がはじけ飛び、上半身の筋肉が不自然に膨れ上がった。
即座に剣を抜き、それを掲げながらウェルナーが叫ぶ。
「下がれッ! 想魔化による暴走だッ! この私ウェルナー・ヴェアナードが鎮圧する!」
「手伝いますッ!」
それに乗るように、リシアが声を上げて、彼の横に立った。
「助かる」
事前に決めていたことを、敢えて大声でやりとりし、今しがたそうなったように振る舞う。これで緊急性を感じて、ギャラリーがそれぞれに動いてくれると助かるのだが。
「ぐぅう……るぅ……!」
想魔化した男が、二人を見る。
「わたしたちでどうにか出来る強さであるコトを願いましょうか」
「我々でどうにもならない場合は、ニーナ嬢が駆けつけてくれるまでの耐久戦だな。大人でも構わないんだが」
どうやら、本当にニーナはウェルナーより強いらしい。
だが助っ人が誰であれ、二人で勝てない時に助っ人が来るまで耐えられるかどうかというのは、なかなか難しい問題だ。
なんであれ、ひと鞘当ててみなければ、それも判断しづらいので、まずは動く必要がある。
「とりあえず、お互いに無理はしないようにがんばりましょうか!」
「ああ!」
ギャラリーたちの動きはお世辞にも良いとはいえない。
騎士や月想術士に憧れる生徒が多い学園なのに、さすがに暢気すぎないか? などとリシアは思いながらも、自分の月想力の操作をし、詠唱をはじめるのだった。




