ハイト と フィアー と 涜倣の改森
薄暗いどことも知れぬ場所。
まるで森の中のようにも見えるその場所で、目に映る色は偏っている。
灰色、鉄色、錆色、茶色。明滅するのは人工的な赤や橙。
あるいは明らかにまともなものとは思えないケミカルで蛍光的な緑。
森の植物のように見えるのは、それらの色を持つ金属質のケーブルやチューブ、ダクトのようなものが絡み合って生まれたモノ。
そういうシルエットに見えるだけで、それは微塵も自然物には見えないモノばかり。
とぷとぷと、水音のようなモノが聞こえるし、実際に川のようなものが流れているが、そこを流れるのは、黒い粘液。光の加減で茶色にも、七色にも見える油のような何か。
トクトクと、どこかから液体が湧くような音がするところを見れば、岩の隙間から、湧き水のように、強いぬめりと、まるで発光するような奇妙な光沢を持つ緑色の液体らしきものが流れ出している。
ここは双月世界でありながら、二柱の女神の目が届かぬ異形の地。
リングトリム王国の国内に隠れて存在する魔窟。
女神の加護と、世界の在り方を冒涜し、陵辱し、尊厳を踏みにじって作り出された場所。
機械症を発祥し、理性も思考も心も魂すらも色褪せた、元生物たちがうごめく森にして聖域。
ここは模倣された生命が支配する欺瞞の住処。
その最奥にある祭壇あるいは玉座の間のような広場――そこに、二つの大きな影が椅子らしきモノに腰をかけ、小さな一つの影がひざまづいている。
「この世界の女神の天啓を背負う娘か……」
「はい。本人はそう言っておりました。いかが致しましょうか?」
「ふむ。どうすればいいと思うフェアー? その娘を異改化してしまうかい?」
「ハイト、私はむしろそれは危険ではないかと愚考する」
「根拠はあるかいフェアー?」
「確証はない。だが世界を敵に回し倒されるコトが世界の平和につながるという天啓。それはつまり、彼女を異改化してしまうコトそのものを示すのではないのか?」
「なるほど、フェアーの言うことも一理ある」
「逆説的になるが、それだけのポテンシャルを持つ少女であるとも言えるが」
「完全異改適正者の可能性か」
「それだけじゃないぞハイト。その上で、我々が着ることの出来る完全な肉体適正を持っている可能性すらある」
「ならばやはり、娘を異改化するべきではないのか、フェアー?」
「いやならばこそだ、ハイト。適正が高いからこそ彼女は天啓を受けた可能性がある」
「我々が娘になりかわる――そうかなるほど。それは確かに、娘が世界を敵に回すというコトに繋がるな」
「それでその……フィアー様、ハイト様。かの娘はどのように対応すれば?」
「ハイト、あの娘の紫色の炎。あれは想魔化によるモノではないのか?」
「可能性はある。この世界の生き物に発生する想魔化現象は、負の感情がトリガーになりやすいからな……月想力を変換する念のチカラが、想魔化した結果であろう」
「色味も雰囲気も復讐や怨み辛みを感じるからな。やはり適正者ではないのか?」
「考えれば考えるだけ惜しいな、フェアー。必要な要素が揃っているとしか思えん」
「だからこそ女神がわざわざ娘に天啓をよこしたのだろうな、忌々しいが有効な手だと想わないかハイト?」
「その通りだ。あの少女が世界の敵になる状況は、我らにとって望ましく、だが天啓を想えば我らを追いつめる状況そのものだと言える」
「意図したのか偶然かはわからぬがウルリック王の耳に入ったのも大きいな。あれは必要とあらば子供も斬り伏せる覚悟がある王だ」
「様子見するべきだな、フィアー」
「異論はないぞ、ハイト」
「キーコ、お前はそのまま王子の教育係を続けよ」
「キーコ、ニーナには余計なちょっかいを掛けるな」
「キーコ、怪しまれぬように信用を得られる教育係であり続けろ」
「キーコ、ニーナに対する指示は追って出す。勝手はするなよ」
「かしこまりました、フィアー様。ハイト様。では失礼いたします」
「ハイト、私はあの紫の炎を使ってみたい」
「フェアー、少女の身体は一つきりだ。その時は公平に決めるとしよう」
「ハイト、君もそんなに気になっていたのか」
「復讐の紫炎……なんとも心地よい言葉だと思わないか?」
「その通りだ。時が来たら公明正大にいこう」
「同意する。時が来たら公明正大に決めるコトにしよう」
生命の存在を冒涜し、陵辱し、作り出された模倣生命が蠢く異形の森が波打つ。
「報告は終わった。動くかフィアー」
「ああ。我らもまた人に紛れるとしようかハイト」
二つの影は、異形のシルエットを失い、小さくなり、やがて人の影となる。
異形の森は蠢動する。
二人の主が外に出たことで、かつての姿を偽装する。
異形の姿こそがこの場の真なり。
過去の姿は主が為に見せる異形なり。
そうして――その場所は、まるで何事もなかったかのように、これまで通りの風景へと擬態した。
無関係な人が入ってくればいつも通り。
無関係な動植物が混ざってきてもいつも通り。
誰にも気づかれることなく。
女神たちにすら気づかれることなく。
時折、本来の姿の中へと迷い人を誘いながら。
誘われた迷い人は、何事もなく本来の姿を偽装して世間に帰る。
ここは、いずれ涜倣の改森と呼ばれる場所。
リシアにいわせれば、いずれラストダンジョンと呼ばれる場所――
今は何事もなく、いつもの風景を演じている。