【ダイ】スパイラルドッグ
最近買ったバッシュ。それに背中のギターケース。
俺はライブしたんだぞー。してきたんだぞー。って高揚感が多分にある。
「ダイ、今日の、よかったなー。あの3曲目のサビで入れたフェイクとか」
「ああ、あれな。何となく入れてみた」
嘘をついた。大好きなバンドBOCがやってたフェイクを真似ただけ。でも誰かが困る嘘じゃない。そうやってモラルは少しずつ欠如していくように思われる。それは少しずつ、シロアリのように、いずれ壊滅的な打撃を与えるものになるかもしれない。そんな危惧は昔からあった。
でも例えば、歯磨きをしなければ、虫歯になるかもれない。そう言われて、必死に歯磨きをしたことはなかったろう。いつも、気付くのはそうなってからだ。
ダイはそれでいいと思っている。必要以上に注意深くある必要はない。
「それにしても、アッシュの仲田さん、途中で帰っちゃったな」
横を自転車が通り過ぎる。暗くてよく見えないが、緑の折りたたみ自転車。それを目で追っていると、目の前に陸橋がある。その横には線路があり、下には三級河川が流れる。遠くを見ると、いくつもの小さな光が見える。近くから煙が出ているものもある。光化学スモックを連想させる夜景。
「仲田さんて、ボーカルの、髭の人?」
ダイは首をゆっくりと振って、隣にいるベースの小川に尋ねる。小川はずれてきたギターケースの肩紐をゆすって元の位置に戻して、
「そうそう、前に飲み会で会って、その時に番号教えてもらったんだ。で、今日のライブ誘ったら来てくれるって。で、後ろの方で見てたよ」
「ふーん。途中で帰ったってことはあんまりだったのかな」
「や、なんか一緒にいた黒髪の、多分俺らと同い年くらいのヤツが途中で帰ったからそいつ追っかけたんじゃない」
小川の推測に、ドラムの坂下が横槍を入れる。
「その黒髪って、猫目だった?」
横を特急電車が通過する。陸橋に大きな振動が伝わる。会話が途切れる。ダイは、前からランニングをしてくる若者を避けた。
「坂下、知ってるの?」
電車は通り過ぎ、ランニングシューズと地面が当たる音だけが小気味よく聞こえる。ダイは左手の人差し指の腹に出来たマメを親指で確かめながら言った。
「ああ、多分、アッシュの助っ人メンバーで出てくるやつだよ。目立たない地味なやつだけど、ピアノは上手いんだよ。でも他のメンバーとは少し毛色が違うようだから、なんかいつも浮いてて、やたら印象的なんだよな」
ピアノか。ピアノと一緒に演奏したことないな。というか、いつも同じメンバーとばかりやってるからな、俺。まあそれはそれでいいんだけど、でもたまには他の人とやってみたいか。いや、まあいいか。
「俺、自転車止めてるから」
しばらく行って、ダイはメンバーと別れる。耳にイヤホンを入れ、BOCの曲を流す。勢い欲自転車のペダルを漕ぎ出して、流れる曲にハミングを乗せる。
就職活動は順調だ。バンドも順調。さて、俺はどうしたい。音楽で生きていきたいが、それも今すぐにっていうのは難しそうだ。とりあえず就職するべきか。せずに音楽に賭けるか。
いつも答えの決まった自問自答を繰り返す。
なわばりを確認する犬のように。