【トオル】孤高のピアノマン
まだ、耳がキンとしてる。何で日本のライブハウスってのはこんなに音量上げるんだろ。まあ外国のライブハウスなんか知らないけど。
「トオル、まだ途中だぞ。最後まで見てけよ」
「すいません。ちょっと腹痛くなって」
わざとらしく腹をさすりながら作り笑いを浮かべる。
バンドの先輩に、友達が出るから来いって言われてきたが、ほんと時間の無駄だな。
と心の中でつぶやく。ライブハウスの熱気で忘れていたが、テーラードのジャケットだけではこの寒さには耐えられない。灰色の空と、後方で聞こえるやかましい音。きっと音楽が好きとか、自分のことを認めてほしいって気持ちが空気を震わせてるんだろう。
「またそれか。今度のライブまでに3曲は作ってもらわないといけないんだから。いい起爆剤になるかと思ったんだが」
先輩は髪をかきむしりながら話す。その耳には大きなピアスがついている。
この人の少し鼻にかかる声は嫌いじゃない。
でも、残念ながら好きでもないんだな。
「作りますよ。てゆうかいつも作ってるじゃないですか」
トオルは瞬きもせず応える。白い息が高く空に吸い込まれる。ドラムの刻むリズムが先輩のコートのファーを揺らす。
「お前の作る曲好きだよ。爽やかで、疾走感がある。ただ次はもっとフックのあるやつが欲しいな。周りにあるもの全部に喧嘩売るようなやつ」
そんな曲は先輩の声には似合わない。第一、声量が足りないだろ。
「喧嘩…ですか。したことないですね」
トオルは丸く猫のような目を閉じて言う。かじかんだ手をポケットにつっこむ。
「まあとにかくピアノ、弾きたいんで、帰ってもいいですか」
黒のオールスターの爪先が、地下鉄の駅に向く。渇いたアスファルトがそれに呼応するように、鋭い小石の摩擦音を生む。
「おお、そんじゃ、頼むぞ、トラックメイカー」
「ういっす」
言われなくても、自分の音は自分で作るさ。感情と同じで、誰にも深いところは見せないままで。