ハザードイズミー
[ヨコハマレイン]
マイマイの揺る季節 小雨降る朝 小さな希望 胸に あわただしい日々 また始まる
梅雨に入って湿気が高い 今日の降水確率は 20%のはずだったのに 何故だろう 何故だろう
ヨコハマレイン 降り積もれ 悲しみも今に思い出に 不揃いの切り口が今も
ヨコハマレイン 降り積もれ すべての夢を洗い流して それでも僕はこの場所に立ち続けるだろう
いつのまにか柔らかな雪が積もる季節の始まり ありふれた冷たさもいつのまにか慣れていた
君に忘れたことばかり次々と浮かんでくるよ 安っぽい春ですらあげられない
ヨコハマレイン 降り積もれ 代わる代わる季節が移り変わっても
変わらないものもあるだろう いまここに
ヨコハマレイン 降り積もれ 例えばこの未来を洗い流して はかない花に少しだけ水をあげて
見たことない景色を見よう 聞いたことない歌を歌おう二人で
ヨコハマレイン 降り積もれ あの恋を隠せるほど 降り積もれ 降り積もれ 降り積もれ
ヨコハマレイン 降り続け 決しておわりの笛を吹かぬように 僕だけを包み込んで ヨコハマレイン
ケイは最後までアカペラで歌う。トオルは歌い終わると、難しそうな顔をして、
「ヨコハマレインって何?」
と冗談ぽく言った。
「横浜で降る雨だろう、多分」
とケイが言うと、
「お前が作ったのに、多分なのか」
とトオルはまた笑う。
「歌詞なんて思いつきみたいなもんだから、ほとんど宇宙から降りてきてるに等しい。何だか最近の単純で分かりやすくて、月並みな歌詞は嫌なんだよ」
そう言って、ケイはポケットに手をつっこむ。「まあ、分からないのも問題だがな」とトオルは口元に微笑みを浮かべ、言う。
「まあ、歌詞はともかく、曲はかっこいいな。バラードだけど、フックがある」
トオルが褒めるのを聞き、ケイは胸を撫で下ろし、「そうだろ」と返したが、その答えを待っていたかのように、
「ただし、これを音符におこしてくのは難しいな」
と釘を刺す。ポケットから手を出したケイはすぐに、「どうして」と聞き返した。ベッドの上でギターを持っていたトオルは、ピアノの前に移動して、
「例えば、この音がド、でこれがレ」
と一音ずつ鍵盤を抑える。
「お前が発音してる中には、この鍵盤の間でどっちつかずって音が多く混じってるんだよ。つまり楽譜上に存在しない音ってことになる」
「おお、じゃあ新しい音の発見じゃないか」
とケイは冗談混じりに返す。先ほどまでトオルが座っていた部分の毛布がまだわずかにへこんでいる。
「そういうことじゃないんだよ。今のままじゃ演奏できないから、その中途半端な音を一つずつ、どっちにするかを考えなきゃいけないんだけど、それによって曲が微妙にお前のイメージと変わる。それに転調してる箇所がいくつかあるから、これも調整しなきゃいけない」
「なんだか、よく分からないが、上手いことしていけばいいよ。それに転調って何だ?」
「うーん、転調ってのは言葉で説明しにくいんだけど、簡単に言うと、この音の次にこの音が来ると変だよ、っていう感じかな。例えばプロの場合でも曲の最後で盛り上げるために、サビをアレンジして歌うとき、急に高い音に移行したりとか。まあ基本的に転調すると聴きにくくなるから避けるべきなんだよ。楽器をやらないお前にとってはよくわからないかもしれないけどな」
何だか分からないが、どうもダメらしい。ケイに分かったのはその程度だった。自分が音痴であると思ったこともないし、言われたこともない。
「でも、もしかしたら音感に問題があるかもな。1音もはずさずに曲を歌わなきゃいけないんだけど、今のお前にはそれが難しいかもな。曲を作る段階では、時間さえかけりゃ補正は出来るけど、実際歌うとなると、例えば楽器がはずしても、ボーカルが牽引するぐらいに正確な音感が無いとやっていけないぞ」
自分が思っていたよりバンドというのは大変なようだ。バンドをやっているやつはたくさんいる。皆が皆、そんなすごい音感持ってるのか。ケイは深い思考の渦の中で、何とか息をしようともがき、水面に顔を出そうと、
「その内なんとかなるだろう」
と言い訳のようなことを口にし、また渦に引き込まれそうになる。
「お前は別に音痴じゃないよ、カラオケ1回行った時にも歌ってるのは聴いてるし。何か楽器をやった方がいいってだけだ。そうだな、キーボードとか買ってみれば」
トオルは溺れるケイに浮き輪を投げるように言った。取り急ぎケイはそれを掴む。しかし、ある不安があるのは確かだった。それはケイがあらゆる音楽を記憶し、それと同じ音を出しているに過ぎないという点にあった。だから、カラオケでキーを変えるとそれだけでどう歌っていいか分からなくなる。ケイにとって楽器の演奏は、ただそこにあるもので、歌うべき音を教えてくれるものではない。オリジナルの楽曲に関しては記憶する元が無いのだから、ケイにとっては正確に歌える道理はない。
「楽器買って何とかなるものなのか」
とつぶやくように言う。その声はカーペットに落ちて、染みのようにそこに落ち着いた。
「キーボード弾いてれば、少しずつだけど、そこにある音だけで構成するようになってくるよ」
とトオルは落ち着いた声で言う。ケイはそれを信じるしかなかった。
朝から夕方までかけて、『ヨコハマレイン』と他に1曲を楽譜におこす。
「後日コードをダイにもメールで送っておくよ」
とトオルはピアノの電源を切って言った。
「なあ、バンド名決めようよ」
とケイは帰り際に持ちかける。
「駅までの間に考えようか」
そう言ってトオルは部屋を出て、車を家の前に回す。
「何がいいかな。会社名とか?」
「BUZZか、やめとけよ」
運転しながらトオルはケイの意見を却下する。赤信号に目をやりながら、
「歌詞に入ってた言葉にしようか。何かあったかな」
とトオルは背にもたれる。空は暗い。信号が青に変わり、車が動き出す。人通りは少なく、寂しい町だな、と思う。
「ムンクにするか。そんな歌詞無かった?」
と思いついたようにトオルが言ったが、今度はケイが「作った曲の中にその歌詞はあるけど、ムンクは既にいるぞ。それになんかバンドイメージと合わないしな」と却下する。
「ナナメって曲があるんだけど、それにしないか」
とケイが提案する。遠くに山が見える。黒く、重苦しく見える。チェーン店の看板がうるさく目に入る。
「また考えておこうか」
トオルはそう言うと、駅のロータリーに車を止めた。ケイはすぐに車を降りる。ロータリーには他にも数台の車が停まっていて、タクシーが数台出入りしている。駅に吸い込まれていく人々の背からは、楽しそうな雰囲気など見て取れない。そんなもんだろう。
「太陽みたいな底抜けに明るい曲は作れないが、月の光くらいなら作れるかもな」
とケイは言った。空に月はまだ見えない。カラスのシルエットが3羽ほど空を横切る。トオルも車を降りていた。二人は黙って、ほの暗い空を見上げていた。
僕らはどこに向かって走っているんだろう。早く光の射す場所に行かなくちゃ。
「早く行けよ」
トオルが言った。
「分かってるよ、またな」
ケイはそう言って改札に向かう階段を駆け足で上る。
その日の空は暗かったが、雲は無かったように思う。