オープンドア
「まず、どんな音楽をやりたいか、だけど」
テーブルには水の入ったコップが3つ置かれている。奥にケイが、そして手前にはトオルとダイが並んで座っている。ケイは被っていたハンチングを脱ぐと、鞄から紙を取り出し、それぞれに配った。
「あんまり音楽のジャンルとか分からないから、やりたいジャンルの曲をリストアップした」
3人の頼んだ日替わりランチが運ばれてくる。重苦しい茶色の壁には、メニューが書かれた紙や、外国の写真が貼られている。カウンターには、家庭用の水槽が置かれており、数匹の魚が泳いでいる。昼時をはずしたためか、周囲に他に客はおらず、さっきから水槽に取り付けられた機器が細かく振動する音が響いている。
「ふうん、なんとなくバラバラだな。ロックとかフォークとか色々書いてるし。まずオリジナルバンドかコピーバンドかどっちをしたいの?」
トオルは魚のフライを口に運んで言った。ケイもそれに呼応するように、フライを口に入れ、咀嚼してすぐに飲み込んだ。
「どっちをすべきかな?」
この質問にダイが答えを返す。
「バンドの目的によるな。ライブとかしたいなら1から曲作るよりは、コピーバンドの方が早い。本気で上目指すなら、オリジナルでやる方がいいな」
見るからにドレッシングをかけすぎたサラダにフォークをさし、考えるケイに、さらにトオルが
「そうだな。バンド組んでどうしたいんだ?」
と聞く。口に入れたサラダは想像通り、味が濃く、眉をよせる。店内には『QUEEN』の『Bohemian Rhapsody』が流れている。ちょうどオペラ部分に入ったところでようやくケイは、
「ミュージックステーション出演を目指す」
と言い切った。
トオルとダイは、箸を止める。少しの沈黙を挟み、ダイが話をまとめようと、
「今の話だとメジャーデビューしたいってことだろ。じゃあオリジナルバンドにすべきだな」
と返す。
「曲は?誰が作るの?俺か、それともダイか」
そういってダイの方を見たトオルに、ケイが
「俺が作るよ。俺の作ったバンドなんだから」
とすっかりサダラを食べてしまい言った。トオルは額を手で押さえて、
「いいけど、楽器も弾けないのにどうやって曲作るんだ?楽譜とかコードとかにおこせるの?」
と不可解そうにたずねる。
「いや、無理だな。だから二人に協力してもらってやるしかない。曲自体はもう出来てるよ」
「聞いてみないと何ともわからないな」
とトオルはおしぼりで手を拭いた。
「とにかくコードおこしから始めなきゃいけないわけだけど、俺かトオル、どっちがやる?できればトオルにやって欲しいんだけど。卒論とバンドで忙しくてあまり時間も取れないし」
トオルは少し考える素振りをみせ、「別に構わない」とだけ答えた。
その日はそれで解散した。帰り際、水槽の中で泳いでいた魚と目が合ったような気がした。
数日後、ケイはトオルの部屋を訪れた。前と変わらず、雑然とした部屋だ。コンビニで買ってきたジュースを冷蔵庫にしまうと、
「ところで、ずっと聞きたかったんだが、コードって何?」
とケイは聞く。コタツに足をつっこんだトオルは驚いた顔で、
「え、それすら知らないで曲作ってたのか?簡単に言うと和音のパターンで、これを組み合わせて曲を作るんだよ。曲の中で使われるコードの構成は大体決まったパターンがあるから、それに沿って作曲するのが普通なんだけど」
と答える。トオルの座っている場所とは別の辺に足を入れると、ケイは
「コードのパターンが決まってたら、同じような曲しか出来ないことになるじゃないか」
と反論する。もみ手をしていたトオルは小さくため息をつき、
「そんなことないよ。基本のコード理論は知ってないと曲として聴きにくいしな」
とテーブルに目を落とす。ケイはジャケットのボタンをはずして、「よくわからないな」と、独り言のようにつぶやいた。
「まあ、とにかく作った曲を聴かせてよ」
とトオルが仕切り直すように言う。その言葉に鋭く反応したケイは鞄から、数枚の紙を取り出し、
「10曲分くらいの歌詞を持ってきた。どれにする?」
とトオルを見る。
「何でそんな持って来てるんだよ」
とトオルは笑いながら、歌詞がプリントされた紙を見る。青色のカーテンが閉められており、外は見えない。朝は曇っていて、灰色の空が広がっていた。トオルが歌詞を見ている間、ケイは部屋を見回し、置いてあったアコースティックギターを手に取る。適当に弦を押さえ、親指ではじく。
「ピック使って弾けよ」
とピックを渡す。ケイはそれを受け取り、再度弦をはじく。頭の中で思い描いていた音は出ない。砂漠を歩く旅人のように。
「トオル、和音何か教えて」
テーブルの上に歌詞を置いて、ケイの方に歩いてくると、指をつまみ、それぞれの配置に移動する。
「それがC。定番のコードで、爽やかな音って言われてる」
ケイはなるべく左手を動かさないようにして、ピックを動かす。ピックの持ち方もトオルに指導され、もう一度、弾く。和音が部屋に鳴り響く。ケイは嬉しくなって、何度か音を出す。青空をイメージさせる、その音をケイは忘れないように頭に留める。
「面白いな、ギター」
とケイはギターを弾く手を止めて言った。トオルはそれに答えず、ギターをケイから取り上げて膝に置き、
「よし、『ヨコハマレイン』にしようか。聴かせて」
とピックを持ち、構える。
テーブルに置かれた歌詞から『ヨコハマレイン』と書かれたものを取り上げて、
「なんか突然歌うのって恥ずかしいな」
とケイは言う。トオルは短く「すぐになれるさ」と返した。さっきまで部屋に溢れていたCコードとは対照的な悲しい曲調を頭に思い浮かべ、ケイは歌い始めた。