アイファウンドイット
車はようやく光のある場所へ入った。時間は深夜12時を回っている。
「ウチに泊まる?」
トオルは決心した表情で言った。BGMが気にいらず、身を乗り出してプレーヤーを触っていたケイは、手を止めて、
「いや、もとからそのつもりだから」
と言った。
「あ、そうなの」
とトオルが間抜けな声を出す。低い天井と暖房で少し気だるさを感じる。信号で止まっている間に、トオルはアタッシュボードから1枚CDを取り出して差し込む。空になったCDケースを再びしまう時に、トオルはちらと片桐を見た。彼女は一瞬戸惑った表情を見せて、すぐに
「私なら大丈夫だよ。皆手、出さないでしょ」
と何故か体を縮めた。
「ああ、トオルはそれを気にしてたのか。それなら安心しろ。そこまで渇いちゃないよ」
後部座席から見える景色を見ながらケイは言った。
「すごく失礼」
と片桐は言ったが、車の外を流れるネオンに夢中になっているケイの耳には届いていない様子だった。
部屋に着くと、ケイと片桐はコタツに入った。まだ冷たいコタツに急いで電源を入れるが、二人はリスのように身を震わせた。冷蔵庫からサイダーを取り出してコップについでいるトオルの後ろ姿が見える。
「あ、コップ、2つしかないや」
開けっ放しの冷蔵庫がカタカタと壊れたような音を出している。
「何でもいいよ」
ケイはどうでもよさそうにテーブルの上に置かれた楽譜を取り上げる。横から片桐が首を挟み、のそきこんで、
「トオルちゃん、楽譜なんか書けるの」
と声を張る。トオルは高い位置にある棚を開け、湯飲みを取り出して、
「楽譜は自分が覚えとく用だから、適当。記号とかは結構抜けてるよ」
と言って、サイダーの入ったコップを持ってくる。ケイは礼を言って、部屋の隅に置かれたピアノを見て、
「それでピアノ」
と独り言のようにつぶやいた。三人はコタツに入り、あわせたように猫背になる。
「トオル、弾いてみろよ」
「あ、いいね。私もトオルちゃんのピアノ聴いてみたい」
そう言って、片桐は手を叩く。子供の頃に、兄の誕生日会でハッピーバースデイを歌ったのをふと思い出して、ケイは「ケーキとか甘いものないかな」と小さな声で言う。
トオルは、本当に重いものをもたされているかのような動きでコタツを出た。
「男の一人暮らしでケーキとかねえよ」
と言い、ピアノの前に座る。楽譜を確認して、ピアノに指をかける。1音。確かめるように鍵盤を抑える。楽譜を見ていた片桐はトオルの方に目をやる。
トオルの頭の中で音が広がる。次にどの和音を出せばいいか、感覚で分かる。頭を少しだけ下げて、前傾姿勢を取り、指を動かす。
コタツから出ているコードのうねりを、確かめるように触っていたケイは、その手をすぐに止めた。1分間。トオルがピアノを弾いていた時間だ。それだけで楽器についての知識が無い二人にも、彼の才能がはっきりと分かった。
「トオル、バンドやろう。もったいないぜ、お前の才能」
ケイはこちらを向き直ったトオルに言った。シの音を出して、
「お前、楽器できるの?」
とトオルは聞き、ケイは出来ないとだけ答えた。
「じゃせめてギターできるやつ探さないとな」
と言って、トオルはまたピアノを弾いた。今度は強弱をつけたジャズに近いプレイだった。それを1曲やりおえると、ケイとトオルは、落ちていたリンゴを拾うように
「ギターできるやつならいるじゃん」
と声を合わせた。コタツの中で足をぶらぶらと降っていた片桐は、
「え、あたし」
と自分の顔を指差す。ケイとトオルはすぐに言った。
「あるあ、ねーよw」
部屋で一人ギターを弾いていたダイは、その手を止め、一度、大きなクシャミをした。