イントロデュースミー1
これが3個目の内々定だ。
おそらく30階はある高層ビルのトイレ。鏡の前に立ち、ネクタイを正しながら、ケイはそう思う。清潔感を出すために、きちっと分けた前髪をもう一度触り、斜めに流す。ネットの情報で、この企業の最終面接は、挨拶程度の意味合いしかなく、既に受かっているも同然だということを知っていたため、ケイにはかなり余裕があった。落ち着いているのには、もう一つ理由がある。それは激務薄給という評判のこの企業に入る気などさらさら無かったからだ。
ピンクのネクタイにチェックのシャツ。それにグレーのスーツを着ている。本来、就職活動では、無地のシャツに、青とか赤のネクタイを使用する。グレーのスーツもかなり珍しい。
受付を済ませると、待合室へと招かれる。会釈をし、部屋に入ると、3名の女性がいるだけで他はまだ来ていない。大人しく指示された席に座り待っていると、隣に男が座る。男は、ケイの方を見て、「あっ」と短い言葉を発した。ケイは彼の姿を注意深く見た。アシンメトリーの髪に、低い鼻。うん、全然覚えが無いぞ。
「あ、ああ」
と愛想笑いをしたケイに、男は、
「あれ、覚えてない感じ?この前のグループワークで一緒だったじゃん」
と肩を叩く。
「そうだっけ?」
とケイは首を傾げる。後ろの扉が開き、女性が入ってきた。今度は見覚えがある。向こうもケイに気付き、後ろに座った。
「ね、彼覚えてる?グループワーク一緒だったらしいんだけど」
彼女はケイの問いかけで初めて、男の方を見て、
「覚えてない」
と首をかしげる。ケイは冗談半分に、
「なんだったら、いなかったんじゃない」
と言うと、男は焦って、
「いたよ。ダイって覚えてない」
と二人の顔を交互に見る。二人とも同時に首をかしげ、
「いたかな」
と困惑した。ダイは話の矛先を変えようと、
「ところで、この会社って、ここまで来たら、全員内々定なんだろ。それにしては数多くないか。例年だと20人程度のはずだぞ」
確かに気付くと、待合室には既に20名程度の学生が緊張感を持って座っている。それに先ほど見た名簿リストには少なくとも50名程度の名前があった。
「確かに変だな。まあでも大丈夫だろう」
とケイはイスに深く腰掛けた。後ろで、女も、
「深読みしすぎじゃない」
と言う。鞄の中からノートを取り出しながら、ダイのこの不安も妥当なものであるとケイは考えていた。当然、例年20名しか採用しない企業の面接に50名が来たら、半分は落とされる。今年は売り手市場と呼ばれ、採用枠が広がっているにしても、2倍や3倍になるだろうか。
もし、内々定が一つも出ていなかったら、もしこの企業を強く志望していれば、不安で仕方ないだろう。
待合室では、ダイの不安が感染したように一様にこの話題が溢れる。しかし社員には決して聞かれたくない話題なだけに、下水で蠢くねずみのように静かに、しかし多くの言葉が交わされていた。
ケイはすっかりうんざりしてしまい、少し眠ろうとさえ考えていた。
「はい、では今からよばれた人は隣の面接室に入ってください」
スーツを着た社員がはっきりとした声で言う。死刑執行人が現れたかのような、異様な緊張が走る。
「犬飼君、重田君、白井君、藤吉君、松木君」
呼ばれた5名は、社員の後に付き、隣の部屋に入るよう指示される。扉を開けると、大きな部屋に、役員が5名座っている。そして、それと向かい合うように、不安げにイスが5脚並んでいる。5名はぞれぞれ順に座らされる。ケイは向かって左端に座ることとなった。
中央に座った役員が、
「初めまして」
と低い声で言う。
「ようこそ、わが社へ」
重苦しい空気に、一瞬、不確定な安堵感が立ちこめる。
「安心していいよ、もう皆さんには内々定を与えています。既に書類も作成しているので、帰りにもらっていってください」
それぞれに胸を撫で下ろす。ケイは興味無さそうに役員の持っている書類を見ていた。
「では、我々の紹介をしましょう」
と役員の紹介が始まる。そしてそれが終わると、「では、皆さんにも自己紹介を簡単にでいいのでしてもらいましょう、では君から」と役員は、犬飼の方を指す。
ケイは左端で今にも眠ってしまいそうな役員を見つめながら、何を言おうかと考えていた。どうせ、受かってるんだし、いつもと同じことは言いたくないしな。
役員の後ろには大きな窓がある。そこから街が小さく見える。
犬飼の自己紹介が始まった。