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5.運命をかけた追っかけっこ

お前もぼくを馬鹿にするのかと泣き声を轟かせ、暴れる海からぬらりと竜神は姿を現した。


生ぬるい塩見がきいた臭さが、むわっとやってくる。


竜神は、日本人形が言ったようにでっぷりと肥えていて、竜というより巨大ナマズに似ている。



角は丸々として短く、角というより吹き出物という表現が似合う。磯にでっぷりとした前足をかけ、ひいひい息をつきながら上陸する竜神には、竜としての神々しさや雄々しさなど、微塵にない。





「行きますよ先輩!」





ナマズのような竜神に、拍子抜けしている時間は無い。同じく拍子抜けしている先輩の手を引いて、俺は駆けだした。





「待てよおおおぉぉぉおおおおおおそんなにぼくはダメなのかああああぁぁああ!」





背後から迫りくる爆撃音のような慟哭。すまねえ竜神さん、あんたに恨みは無いんだ。



心でわびながら、俺は稚児ヶ淵に架かる橋を走る。





「アリス先輩! 竜神どうなってますか!」


「上半身だけ上がって来てる! すごい太り方よ!」





痩せないと体壊すわ、とアリス先輩は言う。



正直、太りすぎた竜の全身が見てみたくなったが、振り返ってはいけないから我慢して、とにかく足を動かした。

稚児ヶ淵の橋を渡りきり、原色だらけの食堂や、建物に囲まれた石の階段を駆け上がる。


アリス先輩を引っ張りながら走っているのに、走りづらさを感じないのは、先輩が人間としての重さを失くしつつあるためだ。


この先鳥居をくぐる度、先輩は人としての重さを取り戻すことだろう。



覚悟しなければ。





「藤沢くん! 竜神の全身が海から上がって来たわ! 体が短いの! 短い手足の四足歩行で、猛然と私たちを追ってるわ! 山椒魚みたい!」





畜生! 俺も超見たい。


しかし振り返るわけにはいかない。

俺に手を引かれながら、はしゃぐアリス先輩に腹が立つ。

江ノ島神社奥津宮広場まで階段を登りきった。奥津宮の鳥居をくぐると、心なしか先輩の手に温もりが戻った気がした。





「竜神が階段を登ってきたわ!」





アリス先輩の声と共に、どしんどしんと大きな足音が近づいてくる。地震のように大地が揺れ、周囲の木々がわさわさと振れた。





「ぼくだってなあぁぁぁああ! アバズレ天女と結婚したくないんだよおおぉぉぉおお!」





竜神の嘆きが空気を揺らし、追い風となって俺の背を押す。敵に塩を贈ってくれた竜神の追い風により、俺の走る速度は上昇した。御岩屋道通りを目指してひたすら走る。





「ぶっははははははは! 藤沢くん傑作よ! 竜神の泣き顔すごく面白いわ! あははは」


「笑ってんじゃねえよ! 見たくなるだろうが!」


「ダメよ振り返っちゃ! 絶対! ぷ、うははははははははは! 顔が! 竜神の顔が!」





呑気に爆笑するアリス先輩に、手を離してやろうかと思うが、そういうわけにもいかない。


追って来る竜神の、地響きや慟哭を背中で感じながら、御岩屋道通りに入った。全力疾走する俺たちに、異形達はみょうちくりんな応援してくれる。


応援が力となり、もう限界だと悲鳴をあげる足を動かす気力が湧いてきた。


御岩屋道通りを走りぬけ、階段を駆け上る。江ノ島の頂上の広場に到着した。


後は階段を下るだけだが、勢いあまって転ばないことに気をつけなければ。呼吸を立て直し、頭を落ちつけるため、少し立ち止まった。





「すみません、ちょっと休憩を」


「私も……かなり限界が……って、ああ! 竜神が御岩屋道通りに入ったわ!」


「畜生! 意外と速いなあいつ!」





広場を駆け抜け、階段を転がるように走り降りる。竜神の情けない叫び声が、背中にびりびりと伝わってきた。

太っている竜神は、下り坂で加速してくるだろう。本当の勝負はここからだ。細い階段を駆け下り、木々の隙間から海が見えてきた。


次の鳥居は八坂神社の近くだ。



アリス先輩の手を強く握り込み、既に限界を超えた足を無理やり動かした。階段を全て下った後、八坂神社の鳥居までは平坦な道になる。右手には海と赤い弁天橋が見えた。土砂崩れのような轟音がしたので、竜神が階段を転がり落ちていると予想した。


アリス先輩に竜神の様子を教えてもらう。



竜神は階段から転げ落ちた後、そのまま止まりきれず木々に激突したらしい。



なんだか可哀想になってきた。





「やった! 鳥居だ!」





二つ目の鳥居をくぐり、アリス先輩の体温が正常に戻った。同時に、少しだけ先輩を重く感じる。


アリス先輩が人間に戻りつつあると安心した。


しかし、安心したのもつかの間、爆音の足音がこちらに迫ってくる。竜神がこちらへ追ってくるのがわかった。油断はしていられない。アリス先輩が人間の重さを取り戻しつつある今、俺たちは速度の面で不利になっている。


速くしないと!



江ノ島神社奉安殿を通り過ぎ、江ノ島神社辺津宮の前の階段を下る。


ここでも異形達は声援をくれた。この階段を上る時にすれ違った唐傘お化けが、黄色の幼稚園帽子を被った絵の具園児を傘に乗せ、いつもより多めに回している。



あまりの応援の多さに感動して、ありがとおおお! と叫びながら階段を下った。





「待てよおおおおぉぉぉぉぉぉおおお! 待ちやがれよおおおおおおおぉぉぉおおお!」


「げっ追いつきやがった!」





竜神の咆哮と地響きと、異形達の悲鳴が聞こえてくる。



速く走らねば。


速く。速く。



瞬間、地響きが止んだ。その代り、えいえいおーと大きな掛け声がした。


気になって、アリス先輩に後ろの様子を聞く。





「藤沢くん! みんなが竜神を押さえてくれてるの! ありがとうみんな!」





アリス先輩の言葉で涙ぐんだ。見ず知らずの人間に、ここまで親切にしてくれるとは。

異形バンザイ。この世界も素敵な所じゃないか。オカルトが少し好きになった。





「これで三っつ目えええええええええぇぇぇぇえええええ!」





三つ目の鳥居をくぐり、アリス先輩を引っ張る感覚が、ようやく人間の手を引いている感覚になった。あとは参道を走り抜け、最後の鳥居をくぐるだけだ。





「藤沢くん! なんか急にお腹空いてきた! ラーメンが食べたい! 藤沢くん家の近所の! 私昨日から何も食べてないの!」


「ええ行きましょう! ラーメン食べましょう! お前の奢りだからな!」


「お前呼ばわり!?」




 

異形達のうわあああああああという悲鳴が、背後から飛んできた。異形達のバリケードは竜神に負けてしまったようだ。ありがとう、みんな。





「ぼくを馬鹿にするなよおおぉぉぉお! ぼくは竜神なんだぞお! 偉いんだぞお!」





地鳴りのような竜神の足音が追って来る。

悲痛な叫びの渦が、皮膚をちりちり振動させ、竜神が近づいているのがわかる。





「やばいわ藤沢くん! 竜神が近いの! みんなが押さえられないほどの勢いよ!」





まさに最終決戦だ。最後の力を振り絞って走る。


とにかく走る。走る走る走る。


既に息も絶え絶えで、足に力は残っていない。




しかし!! 走らなければ帰れない!




この異空江ノ島から、一刻でも早く脱出しなければ! 


焦る俺の背中に、むわりと気配が触る。魚の腐ったような生臭さが鼻につく。今までで一番に、竜神が近づいているということだ。





「ぎゃああ藤沢くん! 超近いわ! 竜神超近い! いやあなんか汁飛んできたああ!」


「後ちょっとだ我慢しろ!」





あと少しで四つ目の鳥居だ。自分を奮い立たせるため、うおおと叫びながら地面を蹴る。





「観念しろこのやろおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおお!」





竜神の叫びが耳を圧迫した。


しかし、咆哮の呼吸が追い風となり、俺の背を押した。鳥居に体当たりする勢いで走り込む。


そして。


目の前に広がるのは、海の上に架かる真っ赤な和風の弁天橋!!!



鳥居を、くぐれた!





「やったああああああああああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁあああああああああああ!」





異形たちの歓声がぶわっと沸く。

一緒に弁天橋を渡ったATMが、紙ふぶきに加勢するように紙幣をばら撒いている。





「藤沢くん! 竜神は鳥居に引っ掛かって動けなくなってる! 太り過ぎだからよ! どうにもこうにも抜けなくてびちびちしてるわ!」





鳥居に引っ掛かった肥満体の竜が見たくて、振り向きそうになったが、アリス先輩に止められ振り向かずに済んだ。





「藤沢くん! 今何時」


「えっと、うわ! あと十五分です!」





四十五分以内に江ノ島を脱出しろと、日本人形は言っていた。


竜神の脅威を回避したからといって、俺たちに安堵する時間はない。


しかし後十五分で、果てしなく長い弁天橋を渡りきるのは不可能だ。





「畜生! ここまできたのに!」





絶望に足を浸けかけた俺に、バイクのエンジン音が近寄ってきた。





「兄ちゃん姉ちゃん! 乗ってくかいヒャッハー!」


「あんたらは……! うさぎとかめ!!!」





バイクに二人乗りする、うさぎとかめが助けてくれた。


運転席にいるのはうさぎだ。

うさぎは不眠と書かれた鉢巻を巻いて、ミントタブレットをぼりぼりと噛み砕いている。


うさぎとかめのバイクに乗せてもらい、猛スピードで弁天橋を渡っていく。



後ろに乗るアリス先輩の人間らしい温もりが背中に伝わって来る。

握り合う手に力がこもった。



吹きつける風が心地よい。


あっという間に弁天橋を渡り終え、うさぎとかめはどこかへ走り去って行った。


そして俺たちも、停まっていた列車に乗り込んだ。





◇◇◇





列車から降り、ホームに着いて目を閉じた。


瞼を開くと、そこは大勢の人が行き交う、向ケ丘遊園のホームだった。


「店」で買った切符は、片瀬江ノ島行きとある小田急線の切符になっている。


戻ってきたのだと安心した。戻ってくると不思議なもので、さっきまでいた異空江ノ島での出来事が、夢か何かのように思えてきた。





「そういえば、どうして俺に助けてってメールしたんですか」





アリス先輩と改札を出て、ふと気になったので聞いてみた。


アリス先輩と同じオカルト好きなら、メールの文面にも興味が湧くだろう。



しかし、オカルト好きでもない俺に助けてとメールをしても、無視されるとは思わなかったのか。





「藤沢くんなら、必ず来てくれると思ったの」


「俺なら、ですか」


「うん。だって、本当に、助けに来てくれたわ。ありがとう、藤沢くん」





アリス先輩は笑う。先輩の笑顔は、やはり美しい。





「さ、藤沢くん。お腹空いたし、ラーメンでも食べに行きましょ?」





私の奢りよ、とアリス先輩は俺の手を引いた。


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